登り続ける心

 Climb Every Mountain──全ての山に登れ

 人の心には今自分に何が必要なのかを感じ取れる危機管理能力がある──
 この物語で主人公の友人が登山初心者にも関わらずケーブルカーで登れる高尾山を断ったのは、単にオトコに騙されて自棄になってただけかもしれません。むしゃくしゃし過ぎて普段動かさない体を無理やり動かしてストレス発散してやるって自虐的に思ったのかもしれない。けれど彼女が無意識にせよ自分の足で山を登る事を選んだのは、きっと彼女の心がそれを欲していたからではないでしょうか?
 例えケーブルカーで登ったとしても頂上にはいつもと違う景色があり、いつもと違う空気を吸える。それで気分を変えて、抱えた悩みをいったん忘れる事は可能かもしれません。けれどそれでは本当に“今”の痛みを乗り越えて“未来”を掴んだ事にはならないのです。慣れない山道を呼吸を乱し汗を流し、足を痛めて石ころを睨み付けながら登る──そうやって厳しい“今”を再確認し克服してから手に入れる“未来”でなくては、どこかで決意も緩み踏ん切りも付かない。今回彼女はケーブルカーでは真の再スタートを切れないと本能で感じていたのでしょう。『全ての山に登れ』とは『人生、どんな道も越えていけ』という事。自分の足で山に登り続けていないと心の危機管理能力も落ちていきます。しかし彼女の心はそんな実感のある登山こそ今の自分に必要だとちゃんと分かっていたのです。
 そしてそうやって得た“未来”だからこそ彼女は頂上で心底笑えて、主人公もその笑顔をホンモノだと安心できた。だから山の向こうに絶望が待っているかもしれないなんてブラックな返しも出来たんでしょう。生半可な希望なんかあげなくても大丈夫、日の出山にちゃんと日は昇るって思えたから──二人の女性の繊細だけどタフな心のやり取りに、山の空気の様に爽やかな勇気を貰える物語です。