征四郎、血風行路

キロール

ラスト・オブ・ピルグリムナイツ

死、すさぶ荒野

1.その男(1)

 びゅうと吹き抜ける風が運んできたのは地上では嗅ぎ慣れたモノ、血臭だった。

 臭いの元をたどればギラギラと照り付ける太陽の下、黒衣の男が歩いている。

 年の頃は三十前後、衣服と同じように黒い髪の男は偉丈夫と呼ぶには少し小柄だった。

 だが、鋭い双眸は赤土のような色をしており、恐ろしいまでの意志の強さが感じられる。

 顔つきも精悍で並外れた男であることは一目で分かるだろう。

 いや、顔など見ずとも分かり切った事か、切り離された獅子に似た怪物の頭を持っているのだから。


 荒涼とした荒れ地を黒衣の男が怪物の頭を持って歩く異様な光景。

 男のまとう黒いマントが風になびく。

 マントには聖花を咥えた双頭竜の紋章、今は滅びし巡礼騎士団ピルグリムナイツの紋章が描かれており、男が巡礼騎士団ゆかりの者である事を示していた。


 男の額から汗が滲み、頬を伝い落ちていく。

 怪物の頭は重く、血臭に釣られてぶんぶんとうるさくハエが集まって来る。

 その様は男に在りし日の戦場を思い起させた。

 巡礼騎士としてではなく、陸軍少尉として戦ったあの戦争を。

 

 死は常に間近にあった。

 雨が降れば水がたまる塹壕の不衛生さは疫病と腐敗を身近な存在に変えていた。

 絶え間なく続くかと思われる砲声と銃声どもは、雷雨すら子守歌だと言わんばかりに耳をつんざいていた。

 銃声が響かない日も稀にはあったが、そんな日に限って豆を炒るような乾いた一発の銃声の後に、今まで傍らで話していた者が倒れるのだ。


 ……あの戦争では敵も味方も気の休まる時などない、上体を晒す阿呆が居れば撃ち殺すだけの殺伐としたものであった。

 

 男がその戦場からに来たのはただの偶然でしかない。

 敵の塹壕に乗り込み、少年と思しき若い兵士の命を奪うか否かと言う所で黒い霧が現れた。

 そして、見た事がない怪物が霧より這い出て来たのである。

 若い兵士の命を奪う事を微かに逡巡していた男にとっては、怪物の出現は問題の先送りには絶好の好機だった。

 一目見て生かしておいてはいけない存在だと感じたのもあるが、即座に怪物を斬りに行ったのは問題の先送りの為だったのだろうと今では思う。


 斬られた怪物は驚き黒い霧に舞い戻り、男はそれを追い霧に飛び込みに来たのである。

 銃が戦争の主役ではない剣と魔法の世界に。

 あの時ですら……銃声と砲声らが鳴り止まないあの戦場ですら剣を捨てずにいた男にとって、それはある意味幸運と言えた。

 そして、何より若い命を自分の手で散らす事が無かった事に男は安堵したのだ。


 安堵はしたが別の問題が生じた。

 何せは見知らぬ異界であったし、息すらもしづらかった。

 空気には体が徐々に慣れてくれたし、男とあまり変わらない人間たちもいた。

 ただ、言葉が通じず難儀したことは記憶に新しい。

 

 彷徨い歩いた挙句に野垂れ死にかけ、この地で怪物を狩って回る巡礼騎士団に拾われ、常識と言葉を教えられた。

 代わりと言う訳でもないが怪物を狩るために、男も持てる剣技を全て用いて騎士団の手伝いをした。

 男の剣は幾ばくかの工夫を必要としたが怪物にも通用した。

 行動で有用性を示し、言葉を覚えれば師と友にも恵まれ、騎士に叙せられるまでになった。


 だが、全ては過去へと消えていく。

 忌々しき深淵の魔人の為に。

 ここでの男の拠り所であった巡礼騎士団はもうない。

 二十と余年前に魔人たちの襲撃を受けて滅びている。


 男の追憶を打ち消すように持っている怪物の頭が微かにうめき声を発する。

 辛うじて生きている事は知っていた男は指先に力を籠めた。

 悲鳴にならない悲鳴を上げる怪物の頭に向かって男は言った。


「今少し苦しむが良い。お前に子を殺された親の怒り、親を殺された子の怒りをお前自身が受けるのだ」


 無慈悲にそう言ってのけた時、漸く開拓者の村が見えてきた。


 怪物に荒らされた家々を修復していた村人たちが荒れ地を歩いてくる男の姿を見つけてぎょっとして手を止める。

 一週間ほど前に彼らの村を襲い被害をもたらした怪物の頭を持っているのだから当然と言えた。


 開拓者とは、つまりは荒れ果てた地上に復権を果たすべく大陸に幾つか存在する地下王国より地上に向かわされた貧民たち。

 閉塞感ただよう地下よりも、死の危険と隣り合わせの地上に活路を見出した無謀者たち。

 そんな者たちが白昼の亡霊を見るかのように、この世に在りえぬ者を見るかのような視線を男に向けた。


「カンド殿っ!」


 そんな者たちの間から割って出てきたのは年若い……いや、少年と呼ぶべき年齢の男だった。

 彼がこの村の長である。

 村長の顔を見るなりカンドと呼ばれた黒衣の男は口を開く。


「終わったぞ。約束の金は払えるのか?」


 低い静かな声は、しかし村長を竦ませるには十分な重みがあった。

 

「先日お話しした通り、全額を今すぐには無理です。お約束通り数回に分けさせていただきたい」

「あい分かった。……こいつの首は村の出入り口にでもかけておけ。こいつらには獣が持つ様な仲間に対する情愛などない、保身があるのみ。ゆえにこいつより弱い怪物は近寄らん」


 村長が事前に伝えた通りの支払い方を伝えるとカンドは頷き、その事に村長は安堵の息を吐き出す。

 その様子を知ってか知らずか、カンドは持ってきた怪物の首を地面に転がして告げた。

 怪物の生態について語るカンドの口調は淡々としているのに、それがかえって村人の恐怖を引き出すようだ。

 まるで怪物が目の前にいるかのように無意識に身構えている者たちの姿が見て取れた。


 カンドは……神土征四郎かんどせいしろうは二十と余年前に滅びた巡礼騎士団最後の一人ラスト・オブ・ピルグリムナイツ

 騎士団の栄光も時間の流れにより風化している今の時代、神土征四郎は怪物を狩る怪物としか思われない様だ。

 魔人の一人を討つも生きながら深淵に落とされ、這い戻るまでの時間は征四郎にとって数カ月。

 だが、この大陸では二十と余年の月日が流れていた。


<つづく>

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