77.二人の居場所(完)



 自分の目を疑う。

 小高い丘を登った先の大きな木。

 その根元で、眠っていた。

 

 長い手足。

 逞しい体躯。

 風が揺らす銀の髪。

 美しい寝顔。


 旅する中、隣の寝台で眠るその顔を何度も見た。

 そのたびに、見惚れた。


 寝ても、覚めても。

 彼に。

 彼のすべてに恋してた。


「ジルコ、さん」


 その相手が、目の前にいる。

 でも今の彼に、エリアーナの記憶はないはずだ。


(なんで、ここに……)


 閉じていた瞼がゆっくりと開く。

 夏に見た。

 あの日の、生い茂る木々の葉。

 それと同じ瞳。

 目が合う。

 時が止まったようだった。


 風が吹く。

 海から吹く風が、あの日のように。


「――――――」


 ジルコの口が何かをつぶやく。

 風のせいで、それを耳が捉えることはできなかった。

 でもわかる。

 何度も見てきたから。

 ずっと、呼ばれてきたから。


『エリアーナ』


 そう言っていた。

 そう、呼んだ。

 

(なんで……)


 気づいたら、涙がこぼれていた。

 それに気づき、背を向ける。

 彼に涙を見せるのは、間違いだ。

 だって、彼には自分の記憶はない。

 突然泣くのはおかしい。


(名前を呼ばれた気がしたのも、きっと気のせいだ。去らなきゃ。彼にはもう会っちゃいけない)


 歩き出そうとした。

 でも、できなかった。


「……行くなっ」


 後ろから、抱き締められたから。

 強く、でも大事なものを守るように。

 包み込まれた。


「行かないでくれ、頼む」


 かすれた懇願するような声に、胸が締め付けられる。

 彼は、どんな思いでここへ来たのだろう。

 エリアーナのことは、覚えていないはずだ。

 記憶操作の魔導具は、旅行鞄に仕舞って、自宅で大切に保管している。

 

(私のことわからないはずなのに、なんで……)


 そっとジルコに触れた。

 鍛え上げられた、世界すら救えるんじゃないかと思える腕。

 それが今は、エリアーナに縋っている。

 

「……悪い。怖がらせるつもりはなかった」


 ゆっくりと解放された。

 振り返り、ジルコと向き合う。

 まるで道に迷った子どものような、心細そうな瞳をしていた。

 

「どうして、ここに?」


 エリアーナの問いに、ジルコは封筒を取り出した。

 それはエリアーナがハインスに捨てるよう託した、写し絵の入った物だ。


「これが、俺の荷物に紛れてた。

 ……昨日、見つけたんだ。

 差出人は、アンタなんだろ?」


 封筒の中から取り出された便箋には、エリアーナやキリエ村の名が記されている。

 これだけを頼りに、ここへ来た。

 エリアーナのもとへ。

 不安な想いや、困惑する気持ちとともに。

 駆り立てる衝動に従って、ここへ来た。


「一目見てわかったよ。

 アンタに会ったことなんかねーよ。

 だけど、何でか……。

 何でだか、わかるんだよ!!」


 彼の心からの叫びが、届く。

 耳に、思考に、胸に。

 辛そうな顔を浮かべ、それでも伝えようとしている。


「何で、俺は……。

 アンタを忘れた?

 何で、俺の記憶にアンタがいない?

 おかしいだろ!!」


 こんな風に、彼を追い込むつもりはなかった。

 ジルコの声を、気持ちを、完全に無視した結果がこうだ。

 彼は今、怒り、苦しみ、悲しんでいる。

 

「写し絵に写ってる俺は、全部!

 撮ってるやつを信じ切って、アホみたいに笑って、素の自分を晒してる!」


 写し絵を渡された。

 何度も見た。

 旅の途中で。

 何度も見返し、その時の出来事を思い出した。

 本人が隣にいようが、構うことなく。

 それほどジルコとの旅は、エリアーナにとって、かけがえのないものだった。


「俺は、口が悪い。

 他人と係るのも苦手だ。

 だから親父以外に、心を許した奴なんていない!

 なのに、なのによ……」


 ジルコの瞳から、溢れた雫が頬を濡らした。

 初めて見た彼の涙に、心が苦しくなる。

 

「それはつまり……

 俺はアンタを心から信じて、笑って、共にいたいと――」


 ジルコは目を閉じ、頭を抱えしゃがみ込んでしまった。

 考えるよりも先に、動いていた。

 彼を上から包むように、抱き締める。


「ごめん、なさい……。ごめんなさい、ジルコさん。

 こんなになるまで、悩ませてしまって。

 本当に、本当に……ごめんなさい!」


 彼の幸せを願った行いだった。

 でもそれは、間違ったことだったのかもしれない。

 彼は追い詰められ、心が潰されそうになっている。

 かつて仲間に裏切られたときも、手ひどい拷問を受けたときも、壊れなかった彼の心。

 それが目の前で砕けそうなっていた。

 

「……全部、話します。

 ジルコさんに私が何をしたのかも、理由も、全部」


 聞く権利が、彼にはある。

 でも、それを話す前にしておくべきことがあった。

 

「ただ……おなか、空いてません?

 昼ごはんの残りでよければあるので

 よかったら、食べてから話を聞いてくれませんか。

 空腹だと、暗い気分になるし」


 顔をあげたジルコはわずかに頷いた。

 手を引いて、自分の家まで案内する。

 二人とも言葉を発さない。

 でも決して手は離さなかった。


 蔦の絡まった、趣のある二階建ての家。

 それが今のエリアーナの住まいだ。

 1階は回復師院で、2階がエリアーナの自宅だった。

 入り口に手をかける。

 鍵は閉まっていない。

 そういえば、鍵をせずにおばあさんの家へ行ったのだった。

 中へ案内する。


「……一人で暮らしてんのか?」


 少し怪訝そうな顔のジルコに聞かれた。

 一人で暮らせないくらい、だらしないと思われているのだろうか。

 記憶がないのに、失礼だ。


「そうですよ。お仕事も、おうちのことも頑張ってます!

 村長さんが、回復師院をやるなら格安でいいって貸してくれたんです」


 胸を張ってドヤ顔をした。

 呆れた目をこちらに向けてくる。


「自信を持って言うのは、家の戸締りくらいしっかりできるようになってからにしろ」


 痛いところをつかれてしまった。

 何の反論もできない。


「きょ、今日はたまたま忘れちゃっただけです!

 村はずれに住むおばあさんが倒れちゃって、急いで向かったから……。

 とにかく!二階へどうぞ。

 そこが私の自宅です」


 二階へつながる階段を上る。

 流しやコンロ、冷蔵庫がある小さな厨房と、居間が一緒になった部屋だ。

 4人掛けの食卓があり、窓の近くには年季の入った革張りのソファがある。

 

「料理初心者なので、スープとかシチューとか

 煮込むだけでそれっぽくなる物しか作ってなくて……。

 あ、でも今日のシチューは当たりですよ。

 お野菜とお肉、生煮えじゃないです!

 座って待っていてください」


「……生煮えシチュー。

 クッ、んなもん食うなよ」


 おかしそうに笑い始めた。

 たしかにお腹を壊したが、なぜわかるのだろう。


「状態治し魔法で、すぐ治したからいいんです!

 残す方が勿体ないですもん」


 保存容器に入れ冷蔵庫へ入れておいたシチューを魔導かまどに入れて温める。

 見た目も機能も電子レンジな魔導具だ。

 魔石で動く炊飯器で炊いたごはんもある。

 冷凍庫から小分けしたものを取り出し、同じく魔導かまどで温めた。

 

「食あたりに状態治し魔法って、どんだけ贅沢なんだよ。

 それ、神殿で受けると金貨云十枚かかるやつだろ」


 その言葉に、サラダを用意する手が止まる。

 以前ノーガスへ向かう護衛依頼の時、まったく同じことをジルコに言われたからだ。


(当然だよね。だって、ジルコさんはジルコさんだもん。別に違う人になったわけじゃない)


 シチューとサラダを食卓へ並べた。

 シチューの具材は不格好だし、サラダのドレッシングを朝切らしてしまったことを、ついさっき思い出したので味付けは塩だ。

 それでも、ジルコは黙々と食べてくれた。

 おいしいものを食べたときに見せる表情をしながら。


 皿を片付け、食後のコーヒーを出した。

 もちろん砂糖、ミルクなしだ。

 彼の好みは、わかっている。

 自分のカフェラテもその向かいに置いて座った。

 フーフーと冷ましてから、口にした。

 

「……ふぅ」


 ハチミツの甘さが優しい。

 ほっこりする。


「いやいやいや……。

 何くつろいでるんだ、アンタは」


 またしても呆れた目を向けられてしまった。

 何だか出会った当初を思い出す。


「たしかに。

 事情、話さなきゃですよね」


 もう一口カフェラテを飲んだ。

 ミルクがもう少し多くてもよかったかもしれない。


「ナンナノコイツ、ナンナノコイツ……」


 聞き覚えのある呪文をジルコがつぶやき始めた。

 思わず吹き出してしまう。


「笑ってねーで、教えてくれ。

 アンタと俺は一体どういう関係なんだ?

 何でアンタに関する記憶がない?

 全部、話せ」


 真剣な表情のジルコに向き合う。

 本当のことを話した結果、嫌われてしまうかもしれない。

 それでも、ここまで来てくれた彼に嘘は言いたくなかった。


「まず、私とジルコさんの関係ですが……。

 プレシアス王国からミューグランド共和国への旅を

 ともにする仲間であり……主と奴隷でした」


 それを聞き、ジルコの眉間にしわが寄った。

 自分の記憶と相違があるので、困惑したのだろう。


「ちょ、ちょっと待ってくれ……。

 俺の記憶と違い過ぎる。

 それが本当だとしたら、アンタの存在を知らないのは、どうしてなんだ?」


「それは……。

 少し待っていてもらえますか。

 現物を持ってきたほうが、納得できると思うので」


 自分の部屋へ行き、旅行鞄から記憶を書き換えるのに使った魔導具を取り出す。

 それをもって、ジルコの元へ戻った。


「これを、使いました」


 細かい魔法陣が描かれた箱を目の前に置いた。

 彼はそれを凝視している。


「これは、魔導具か?

 なんのための物なんだ」


「……特定の記憶を書き換えます。

 今から数か月前の夏、これを使ってあなたのなかから『エリアーナ』つまり、私を消しました」


 ジルコが息を呑む。

 混乱を極め、もはや睨みつけているかのような目つきだった。

 ……無理もない。

 記憶を勝手に改ざんされたのだから、当然の反応だ。


「な、なんで、そんなことを……」


 少し声が震えていた。

 理解できず、苦しんでいるのだろう。


「……そんなの、決まってるじゃないですか。

 ジルコさんを、私から解放するためですよ!!」


 思わず立ち上がる。

 ジルコは目を見開いていた。


「私の存在を記憶からなくせば

 隷属魔法を『契約者なし』の状態に誤認させることができる。

 その事実を、エルフの里の魔法研究所で見つけたんです。

 だから、ハインスさんに協力してもらって、この箱を作りました。

 だって……」


 両手の拳を、強く握る。

 強い思いに、唇が震えた。

 

「ジルコさんは、あの森や里を治める『長』になる資格がある!

 とても重要で、替えの利かない役目です」


 エリアーナといても、富や権力は与えられない。

 自分はただの村の回復師だ。

 

「里にはお姉さまやお母さまが……本当の家族がいる」


 エリアーナといても、家族ではない。

 自分はただの仲間だ。


「それだけじゃない!

 あなたを慕う多くの民や、たくさんの使用人が仕える立派なお家もあるんです。

 だから……だから!!」


 目を強く閉じる。

 荒くなりそうな呼吸をなんとか落ち着かせ、座った。


「……私の奴隷じゃ、ダメなんです。

 もし、あなたが長になって、私と距離を置きたくなっても

 きっと私はそれを受け入れられない。

 そうしたら、誓約が発動して、ジルコさんを苦しめてしまう。

 私のせいで、ジルコさんが幸せになれないなんて……。

 そんなの、絶対……。絶対嫌なんです!」


 必死に訴える。

 こんなことをして許されるとは思っていない。

 ただ……ジルコの幸せを願ってのことだと、伝えたかった。

 ジルコは目を伏せている。

 表情がよくわからない。


「……アンタが俺のためを思って、やったってことはわかったよ」


 それを聞き、少しだけ肩の力を抜く。

 でも顔をあげた彼の顔を見て、蒼白になった。

 完全に怒りの表情だったからだ。


「……俺が、いつ、長になりたいって言った?」


「えっと、言われたことはないような……」


 たしかに、彼の口から直接聞いたことはなかった。

 でも、絶対的な権力のある『長』になれるのだ。

 それに興味を持たないなんてことが……。


「だよな!俺は、最初から、んなもん興味ねーよ!

 そもそも、エルフの森だの里だの、正直どうでもいい。

 たしかに、俺の生まれ故郷かもしれんが

 俺がここ出たの、赤ん坊の頃だかんな。

 はっきり言って、知らねー国の知らねー場所だよ!

 愛着も、興味も、ぜんっぜんないね!!」


(……ん?)


 心の声と表情が完全に一致してしまう。

 言われてみれば、もっともだと思った。


「あと、なんだ、家族か?

 ……アンタは、俺のために身を引くくらい、俺を好いていたはずだ」


 まったくもって正解だ。

 正解なので、顔が赤くなってしまった。


「だったらわかるよな?

 俺は、他人と係るのが苦手だ。

 家族だと言われても、俺にとったら、ただ見た目が自分に似てるってだけだ。

 愛情もなんも湧かねーよ!」


 そう言ってコーヒーを一気飲みした。

 ついでに茶菓子のクッキーも食べている。

 たくさん話しているから、のども渇くし、小腹も空くのかもしれない。

 

「んで、あとは、俺を慕う民とかいう奴らか?

 あいつらな、俺のこと英雄視して、気持ち悪いくらい持ち上げてくるんだぞ。

 そんな胡散臭い奴らを信じられるほど、俺はおめでたくねーよ!」


 すごい……。

 何てひねくれているんだろう。

 たしかに、ジルコがまっすぐ素直じゃないことはわかっている。

 でも一緒にいるときは、ここまでではなかったはずだ。


「あと、なんだ、使用人の仕える家か?

 ……俺は、信用してないやつが、身近に、ましてや家にいるなんて苦痛でしかない。

 普段の身支度も、風呂に入るのも手伝おうとするとか、何かの罰か!?

 どこへ行っても誰かいるしよ、若い女は顔赤らめてジロジロ見て来るし……。

 最近は、用があるときしか里には帰ってねーよ!」


 たしかに、貴族でもないジルコにとっては違和感しかないのだろう。

 女性が見てくるのは、魅力的な容姿と立場なので致し方ないような……。


「つまり、何が言いたかっていうとだな!」


 ジルコは立ち会がり、エリアーナの近くへやってきた。

 鬼気迫るその雰囲気に、思わずつられて立ち上がる。

 

「地位も、権力も、人望も、んなもんいらねーよ!

 俺は、そんなものより、あの写し絵に写ってる俺みたいに

 全部晒せる相手と……。

 アンタと、エリアーナと一緒にいたいんだよ!!」


 彼の顔は確かに怒っていた。

 でも、頬の赤みは怒りからではないのだろう。

 

「惚れた相手の奴隷?上等じゃねーか。

 それの何が、問題あるんだよ!!」


 ジルコはもう手を伸ばせば届く距離だ。

 恐る恐る、彼の胸に手を置いた。

 激しい鼓動が伝わる。


(こんなにドキドキしながら)


 ジルコ本人も気づいていないのだろう。

 涙に濡れた頬へ手を移した。


(こんなに泣くほど)


「ジルコさんは、私のことが大好きなんですね」


 両手で頬を引き寄せ、三度目の口づけをした。

 ジルコは驚いたのか、完全に動きが止まっている。

 唇を放し、彼の胸へ顔を埋めた。


「私も、大、大、大好きです!!」


 たまらなく、愛おしい、最高の胸筋に向かって愛を告げた。

 頬ずりしていたら、両肩を掴まれ、物理的に距離を置かれる。


「……そういうことは、目を見て言え」


 ジト目で見られ、吹き出してしまう。

 たしかに、正論だ。

 釣られるように笑ったジルコと、二人で腹を抱えた。

 


 落ち着きを取り戻したところで、記憶を書き換えた魔導具を壊した。

 最初エリアーナが金づちで破壊を試みた。

 でもとても硬く、壊せない。

 そこで、ジルコに託す。

 彼は身体強化を掛けたのか、血管の浮き出る手で箱を掴むと『フンッ!』と、潰した。

 やはり、筋肉は全てを解決する。


 壊れた魔導具からゆっくりと出た光は、しばらく宙を漂った。

 そして、あるべき場所へ戻る。


 光が全てジルコへ入り切った。

 彼の閉じられていた瞳と目が合う。

 気づいたら、微笑んでいた。


 

「おかえりなさい、ジルコさん」


「あぁ、ただいま……。エリアーナ」

 









 

 人間不信の悪態エルフ奴隷しか頼れない

 

 追放後の悪役聖女に転生したけど

 

 お家と愛する人を見つけられました!





 



 完


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(人間不信の悪態エルフ奴隷しか頼れない)追放後の悪役聖女に転生したので 藤乃 ハナ @22no87

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