76.足りない世界(ジルコ視点)

本日、二話更新です。

――――――――――――――――――――――

 


 温かく心地のいい青い世界にいた。

 ずっといたい。

 差し込む光が美しかった。

 まるで海の中だ。

 安らげる、自分だけの場所。


 でも、その世界は段々と白くなっていく。

 白に飲み込まれないよう、必死に逃げた。

 

「抵抗しないで、ジルコさん」


 声が聞こえた。

 知っている声だ。

 周囲を必死に見回す。

 

「大丈夫。私とのことは、都合のいい記憶に書き換わるから」


 声は聞こえるのに、辺りには誰もいない。

 白は、すぐそこまで迫っている。

 このままではいけない気がして、また逃げようとした。

 

「……大好きだよ。ジルコさん。大好き」


 唇に温かいものが触れた。

 他のことなどどうでもよくなり、手を伸ばす。

 でもその手が何かに届く前に、白が世界を包んだ。

 


『ジルコさん』


 隣を見れば、いつもいた。

 そこで笑ってた。


『ジルコさん!』


 拗ねて怒った顔をすることもあった。

 それもただただ、かわいいと思っていた。


『……ジルコさん』


 涙するときも。


『ジルコさーん』

 

 困り顔も。


『ジルコさん』


 全部が愛おしかった。


『――――』

 

 その存在が、目の前で消えていった。

 真っ白に、はじめから、なにもなかったかのように。



 






 目を開ける。

 外から子どもたちの遊ぶ声が聞こえた。

 

(寝すぎたか……)


 起き上がり身支度を整える。

 部屋から出たところでハインスと出くわした。


「ジルコ!目を覚ましたのね。

 どこかおかしなところはない?

 頭痛やめまいは大丈夫?」


 心配げな様子でこちらを見てくる。

 でも身に覚えがなかった。


「別にどこも……。

 何でそんなこと聞いてくるんだ。

 昨日なんかあったか?」


 昨晩、確か寝る前にハインスの魔導具の実験に付き合った。

 安眠するための魔導具と言っていたが、それが原因かもしれない。


「もしかして、あの安眠用の魔導具か?

 別に効果はあったが……。まさか」


 ハインスが息を呑んだ。

 どうやら予想は正解のようだ。


「あの魔道具、失敗したのか。

 ってことは俺……何日寝てた?」


「安眠用……。

 そう、なったのね……。

 あなたは3日も寝てたのよ。

 どうやら、私が魔導具の調整失敗したみたい。

 本当、ごめんなさいね。

 かなりお腹空いているんじゃない?

 何か用意してもらうから、食堂へ行っていて」


 おかしな様子のハインスに首を傾げつつ、食堂へ向かう。

 3日何も食べていないと聞くと、この空腹具合にも納得だ。

 まるで腹だけじゃなく、体の中全部が空っぽに思えるほどだった。


 その後もハインスの様子は、おかしいままだ。

 食事のたびに、エルフの里へ来るまでの経緯を聞かれた。


 14で親父カルークと死別してから、ルーフィアのせいで奴隷になった。

 でも今年の春、人のいい奴隷商が怪我を治し、逃げるのを手伝ってくれた。

 そしてグラメンツやノーガスを経て、ニコの勧めもあり、ミューグランドへ渡航した。

 その話を何度かする羽目になったが、夏が終わるくらいにはもう聞かれなくなった。


 ハインスや母親がいる暮らしにはなかなか慣れなかった。

 長の館は広く、使用人の数も多い。

 そもそも、ずっと一人だったので他人がいる生活は窮屈に感じた。


(ずっと、一人……)


 自分の部屋として使っている客間には、もうひとつ寝台がある。

 そこを誰かが使ったことはない。

 でもふと気づくと、その空間を見つめていた。

 

(誰もいないのにな……。俺は一体、何してんだ)


 ジルコ用の部屋を用意すると言われたが、断り続けていた。

 今はまだ里が不安定で、人手も必要なのでハインスを手伝ってはいたが、ずっといるつもりはない。

 周囲は未だに、ジルコが次期里長になると思っていた。

 でもその気はなく、首を横に振る日々だ。


(何で皆俺に構うんだ。俺はキリエ村に行かないと……って、今行ってもニコたちはいないのか)


 自分とまた会うのが楽しみだと言った少年の笑顔を裏切りたくない。

 でも今すぐそこへ一人で住む必要は、ない気がした。

 ただ、時々無性にキリエ村の丘へ行きたくなる。


(あそこでした昼寝。すげー気分よかったな)


 涼しい風が吹く、あの木陰で、眠りにつく前なにか……。

 自分の右手を見た。

 何の変哲もない、骨ばった自分の手だ。

 なにかに、とても大切ななにかに、触れていた気がした。

 でもいくら思い出そうとしても、何もなかったという事実しか浮かばない。

 

 苛立ちは、森の中にあるダンジョンの魔物を退治することでごまかした。

 広大な森は、ダンジョンが複数ある。

 そこの安定をハインスに任されたので、退屈することはなかった。

 でもふと事あるごとに隣や、後ろを確認してしまう。

 そこに誰かいるわけもなく、ひどく空しさを感じた。

 なぜそんな風に感じるのか……。


(いっそパーティーでも組むか?……回復魔法が得意な奴だったら、回復薬いらずだな)


 そう思って、回復魔法を得意とするエルフの戦士に声を掛けようとしたが、やめた。

 なぜか、嫌だと思った。

 彼らから回復魔法をかけられたくなかった。

 なぜそんな風に感じるのか。

 その疑問に答えはでないまま、秋が過ぎていった。

 

 

 温暖なミューグランドも、冬の森は少し肌寒い。

 最近は里に帰らず、ダンジョンの近くの監視小屋で寝泊まりしている。

 里長については、どんなに周囲が頼み混んでも、ジルコが首を縦に振ることはなかった。

 見かねたハインスが助け舟を出し、結局彼女が里長となった。

 姉と実感できるほど親しくしていないが、彼女が人望もあり賢く優秀だということはわかる。

 きっとこれから、里や森は活気を取り戻すだろう。

 

 夕飯を取る時間になったが、里から持ってきた食料は昼で終わった。

 夜には里へ戻るつもりだったが、生憎持ってきた転移水晶は魔力切れだ。

 

(たしか……風呂敷に食い物入ってたな)

 

 かつて旅へ出るときに買った、レトルト食品が残っていた。

 自分が好きな『牛丼』だ。

 お湯を沸かし、さっと作る。

 無性に生卵が欲しくなった。

 けれど、ここにそんなものはない。

 そのまま食べた。


(こんな、もんだったか……)


 以前はとてもおいしく感じた。

 全く同じもののはずなのに、今日はひどく味気ない。

 理由を考えたところで、答えなど出ず、味わうことなく食事を済ませた。

 

(さすがにまだ、寝られる時間じゃないな)


 時間を潰す物など、持っていない。

 ふと、先ほど風呂敷のなかの荷物を探った時、覚えのない物があったのを思い出した。

 机の上に風呂敷を広げ、それを取り出す。

 

 見覚えのない白い封筒。

 とても綺麗な、まるで貴族の女が書きそうな字で『ハインスさんへ』と書かれている。

 どうやら、彼女宛ての手紙が紛れ込んでいたようだ。


(里に帰ったら、渡そう)


 再び風呂敷に仕舞おうとした。

 その時、机の上にあった水の入ったコップが倒れ、風呂敷にかかる。

 ふき取るが、風呂敷は湿ったままだ。


「温かな風よ 吹き包め ≪乾燥カティオス≫」


 乾燥魔法をかける。

 温かな風が風呂敷を包んだ。

 その風が封筒に当たり、机から落ちた。

 床に中身が散らばる。

 それを見て息を呑んだ。


「なん、だよ……これ」


 全て、自分が写った写し絵だった。

 でもどれ一つとして、記憶にない。

 

 グラメンツで、ユカタを着て愉快そうに笑っている自分。

 どこかの休憩所で、体をほぐしている自分。

 ノーガスの高級宿で、正装風のシャツを着崩しほろ酔いな顔でワインを飲む自分。

 海辺を歩き、微笑む自分。

 そのほかにも、いろんな場所で、時間で、たくさんの表情を浮かべる自分が写っていた。


「なんで……何も、覚えてないんだ」


 全部の自分が言っている。

 記憶になくとも、自分のことだ。

 目を見れば、わかる。


「なんで……なんで、これを撮った相手を覚えてない?」


 撮影器を構える人物を、心から信頼していた。

 一緒にいることが、何より楽しい。

 そばにいたいと、愛おしいと、伝えてきた。


「アンタは……一体、誰だ」


 この向こうにいる人物を想った。

 息が詰まる。

 頬から落ちた涙が、床にあった便箋を濡らした。

 それを拾い上げる。

 

 ――――――――――――――――――――

 

 この写し絵の処分をお願いします。

 彼の記憶をいじった私に、見る資格はありません。

 キリエ村より、お二人の幸せを祈ります。

 


 エリアーナより


 ――――――――――――――――――――


 そう封筒に書かれたものと同じ字で書かれていた。

 送り主の名を指でなぞる。


「エリ、アーナ……。

 アンタは、エリアーナって名、なのか」


 初めて言ったはずの名に、既視感を覚えた。

 もう何度もそう呼びかけた気さえする。


「キリエ村……。そこに、いる」


 気づけば、手紙を持ったまま眠っていた。

 森の朝は冷える。

 冷たい水で顔を洗うと、身支度を終え監視小屋を出た。

 今から出れば、昼過ぎにはつけるだろうか。

 身体強化をかけ、駆けだす。

 目的地はキリエ村だ。


(思い出せないなら、直接出向けばいい)


 聞きたいことはたくさんある。

 でも今はとにかく、エリアーナに会いたかった。

 


 大きな道に出ると、足を止めた。

 すぐにソリに乗り換える。

 休みなく走ったこともあり、昼前にはキリエ村に着いた。


(ここまで来たものの、どうやって探す?)


 村人の姿は見受けられたが、どうやって探すか悩んだ。

 話しかけて、彼女の住まいを聞けばいいとは思う。

 だが、あまり人と話すのが得意でないジルコには、なかなか難しいことだった。


(とりあえず、歩き回ってみるか……)


 当てもなく村の中を歩いていたら、昼寝をした丘が見えた。

 昨夜はエリアーナのことが気になり過ぎて、よく眠れなかった。


(少し昼寝してから、探すか……)


 眠い中探すより、仮眠を取ってすっきりした頭で探す方が早いだろう。

 丘の上に登る。

 相変わらず、ここの木陰は気持ちがいい。

 大きな木の根元に腰を下ろし、寄りかかった。

 キリエ村の美しい街並みが見える。

 その向こうは大きな海だ。

 青く、美しい。

 その青を見つめているうちに、気づけば夢の中だった。

 


「ジルコ、さん」


 そう自分を呼ぶ声が聞こえる。

 ずっと聞きたいと思っていた。

 長い間待っていたような、そんな声だ。

 

(知らないのに、知ってる。この声は……)


 ゆっくりと目を開ける。

 そこには、海と同じ青を纏う、美しい少女がいた。




――――――――――――――――――――

★お詫び

すみません。今日中に最後まで書きたかったんですが無理でした。

明日こそは、最後話の予定です!

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