ひかるとあかり

@LIONPANDA1991

第1話

JPNテレビ、朝のニュースをお伝えします。

昨夜、フィリピンのセブ島から首都マニラに向かっていた西太平洋航空328便は、離陸直後のエンジントラブルにより墜落したと思われます。日本人の乗客も搭乗していたとみられ、詳しい情報を現地日本大使館で確認しています。

では、次のニュースです。

昨夜8時ごろ、北海道中央部で起きた震度5の地震は、直径5メートルを超える隕石が落下したことが原因とみられています。山の中腹に落下した隕石は、周辺の森林を燃やしましたが、現在は沈下している模様です。

隕石の落下による、けが人はありません。

もう一つ北海道からのニュースです。

旭川市内の国道沿いにありますコンビニエンスストアに、80歳の男性が運転する乗用車が、突っ込みました。コンビニエンスストアの前にいた12歳の少女がはねられ、近くの病院に搬送されましたが、意識不明の重体です。車を運転していた男性は、警察の調べで、ブレーキとアクセルを踏み間違えたと供述しています。以上、ニュースでした。



海外旅行に行った両親と弟が、帰らぬ人となった。

中学生だった僕は、夏休み中も野球部の部活があり、家族旅行を諦めて、ひとり家で留守番をしていた。

旅客機の墜落事故がテレビのニュース速報で伝えられた時、いつもと違う嫌な予感がした。

数時間後、外務省を名乗る人から電話があり、墜落した旅客機に家族が乗っていた可能性が高いと告げられた。

一瞬にして、家族全員を失った悲劇の瞬間だった。

涙は出るが、父さんと母さんと弟の智也が死んだことを、心が受け止められずにいた。

他にも被害に遭った日本人がいて、後日親族の人たちが現地に行くことになったらしい。

僕は子供ということで、色々と考慮された上で、現地に行くことはなかった。

その代わり、DNA鑑定で身元を確認するため、家族の私物を引き取りに来た人に渡した。

とりあえず野球部の練習を休み、外務省からの報告を待機することになった。

両親の祖父と祖母は既に他界しており、父と母は互いに一人っ子だったため、頼れる親戚もいない。

今の僕は、天涯孤独ということか。

中学生が天涯孤独になった場合、通常は施設とかに預けられるのだろうが、父親側の祖父が残した資産を父親が受け取っているので、たぶん生活には困らない。

また、古くからの近所つきあいで、近所の人たちにはよく面倒を見てもらっていた。

その後、児童相談所から施設での生活を勧められたが、僕は頑なに断った。

家の外にはマスコミらしい人がいることもあり、僕はクーラーでガンガンに冷えた部屋の中で一日を過ごした。

外務省の人から連絡が来たのは、旅客機の墜落事故から一週間くらいがたった頃だった。

DNA鑑定の結果、家族の死亡が確定し、後日遺体となった家族の亡骸が戻ってくる。

僕の知らない間に、知らない人たちによって葬儀の準備が進められ、弁護士の先生から財産贈与などの難しい話をされて、僕の財産が確定した。

家のローンは、契約者の父親が死亡したため、返済義務は無くなり、幸いにも借金は無い。

父親、母親、弟は、白い布に包まれて、柩に納められて帰ってきた。

家から少し離れた場所の斎場で葬儀を行なった。そこに斎場があったことを、僕はこの時始めて知った。斎場から火葬場にマイクロバスで移動し、三人分の遺骨を骨壷に納め、父方の祖父と祖母のお墓に納骨をして、一通りの儀式は終了した。

父親の会社の人や、両親の友人、弟の担任の先生やクラスメイトなどが焼香をしてくれた。

実質喪主がいないため、香典は受け取らず、祭壇の前に一輪の花を置いていくスタイルの葬儀になった。

僕は、一番前の席に座り、花を置いて手を合わせて祈ってくれた人たちと、無言の挨拶を繰り返す。

葬儀社の人が、遺影の写真などを家に届けてくれたので、リビングのローチェストの上に三人の写真を並べた。

僕は思ったほど悲しさを実感しなかった。

三人が旅行に行ったまま、帰ってこないだけのような感覚でいたのかもしれない。

葬儀が終わって3日が経った日、ひとりの女の子が僕の家を訪ねてきた。

玄関のチャイムが鳴り、インターホンの画面を見ると、僕と同い年ぐらいの女の子が立っていた。

「私、今日からお世話になります、桜咲ひかるです。青山克也くんですよね。よろしくね」

弁護士がメイドを雇ってくれたのかと思ったが、いくらなんでも若すぎる。

「僕、何も聞いてないんですけど」

「そうでしょうね、私しか知らないんだから。とりあえず家に入れてくれないかな、外暑いんだけど」

「ちょっと待っててください」

玄関の鍵を開けて、家の中に入れてあげた。

桜咲ひかるは、玄関で靴を脱ぎ、躊躇なく家の奥に入っていった。

「ちょっと、あなたは誰なんですか?」

僕は彼女の後を追ってリビングに戻ると、3人掛けのソファーの真ん中にどかっと座っていた。

「ごめんなさい。状況を説明する前に、お水くれる。喉カラカラなのよ」

僕が、水を汲むためにキッチンに向かうと、「できれば炭酸が入ったやつ」と声がした。

仕方なく冷蔵庫からジンジャエールをコップに注ぎ、彼女の前のガラステーブルに置いた。

彼女は、一口ジンジャエールを飲むと、生き返ったかのようなオヤジ臭い声を上げた。

「ありがとう。生き返ったわ。君も立ってないで座りなよ」

なんで、僕の家で僕が、座ることの許しを得るのだ。

彼女の態度には不愉快だったが、話を聞くためにダイニングテーブルの椅子を持ってきて座った。

「あなたと私は、同じなの」

何が同じなんだと、首を傾げる。

「先日の旅客機墜落事故で家族を失ったでしょ。私も両親と妹を失くしたってわけ」

なるほど、それは共通しているが、なぜこの家に来たのかは理由がわからない。

僕の心の疑問を読み取ったかのような顔で、桜咲ひかるは話を続ける。

「私ね、家は借家だし、お金持ってないし、ひとりじゃ生きていけないの。そしたら、あなたのご両親が、あなたとここで一緒に住むことを許してくれたの。だから、今日からお世話になりますってわけ」

「ちょっと待って、僕の両親が許したって言ったよね。僕の両親は事故で死んだんだから、そんなの許可できないじゃん」

「そうか、やっぱり信じてくれないか。実はね、できれば言いたくなかったんだけど、私死んだ人と話ができるの」

僕は意味がわからず、彼女の言ってることを頭の中で反芻して考えた。

「君は霊媒師?」

彼女は怒った顔をした。

「違うわよ。私は本当に死んだ人と話ができるの。どうしたら信じてもらえるかな」

ジンジャエールを飲みながら何かを考えている。

「そうだ、智也くん、お兄さんの好きな女の子教えて?」

突然弟の智也の名前を出して、しかも僕の好きな女の子を聞くなんて、頭がおかしいとしか思えない。

「そうなんだ。わかった、お兄さんに言ってみる。克也くん、初恋は小学校3年生の時の担任の先生で、岡崎さとみ先生だって」

克也は驚いた。確かに、初恋の相手を知っているのは弟の智也だけだった。

「本当に智也と話したの?」

「そうだよ。じゃないと、岡崎さとみ先生なんて私知らないもん」

「もう一つ、智也に聞いてもらっていいかな」

「どうぞ」

「僕のバトルモンスターのキングカードがどこにあるか聞いてほしい」

「智也くん、君がお兄さんから盗んだバトルなんとかのカードはどこ?」

少しの間の後。

「智也くんの机の一番下の引き出しのカードホルダーの中」

僕は、二階の智也の部屋に向かって走り出した。

智也の机の一番下の引き出しを開けると、すぐにカードホルダーが見つかった。

カードホルダーを開くと、僕の探していたバトルモンスターのキングカードがあった。

「カード、見つかった?」

部屋の入り口に桜咲ひかるが立っていた。

僕は、見つけたカードを彼女に向けて見せていた。

二人は一階のリビングに戻った。

「君の言うことは、信じるよ」

「君なんて呼び方は硬いよ、ひかるでいいよ。同い年だしね」

「えっ、君、じゃなくて、ひかるさんは中1なの?」

「ひかるさん、硬いよ。ひかるでいいよ、克也」

「ひ、か、る、僕の両親は僕に何か言ってない?」

「ちょっと待って、聞いてみる」

ひかるが僕の両親に話しかけた後、ニヤケ顔で僕を見る。

「何て言ってるの?」

「あのね、可愛い女の子がそばにいて、変なこと考えるなよって言ってる」

僕はズッコケた。

「本当にそんなこと言ってるの?」

「残念ながら、本当なの」

僕はちょっとふざけて言ってみた。

「僕の両親に伝えてくれないか。可愛い女の子がそばにいたら、変なことを考えないなんて、約束できないと」

ひかるの顔が一瞬真顔になったのを、僕は見逃さなかった。


ひかるの話によれば、死んだ人とずっと話ができるわけではないらしい。

天国と地獄は満員状態で、死んだ人たちが順番を待っているそうだ。

基本、現世で悪いことをした人が地獄に行くことになるのだが、稀に天国の空きがなくて、待ってる期間が長すぎると地獄に行かされることもあるとかないとか。

つまり、天国か地獄に行くまでの間だけ、話ができるらしい。

僕の両親と弟は、今のところ天国にも地獄にも行けてないことになるのだが、できれば天国へ行って、幸せになってほしい。

天国に行けば幸せなのかは知らないが。

僕は自分の部屋をひかるに譲り、僕は智也の部屋に移ることにした。

やはり死んだ人間の部屋より、生きてる人間の部屋の方がマシではないかと気を遣った。

「とりあえず布団は客用に変えておいたから、僕のベッドを使ってくれ。僕は智也のベッドで寝るから」

「サンキュー克也。私、ベッドで寝るの初めてかも」

「前の家ではベッドに寝てないの?」

「畳の上の布団だよ。日本人って、みんなそうだと思ってた。ベッドは外国か、ホテルぐらいだと思ってたから」

「何時代の話だよ。夜は暑くて寝苦しいだろうから、クーラーをタイマーで使うといいよ」

「電気代、大丈夫?」

「それくらいは問題ないよ。ひかるって、出身どこ?」

「フィリピン。親の仕事の関係でフィリピンで生まれ育ったの」

「フィリピンって、言葉は英語でしょ。その割には日本語上手だね」

「家の中では日本語を使うのが、うちのルールだったから、両親と妹とは日本語で話してた」

「フィリピンなら、暑いのは慣れてるか」

「そんなことない。暑いのは嫌い。早く秋になってほしい」

「とりあえず電気消すよ」

「ごめん、私暗いの苦手なの。このまま電気点けててくれない」

「わかった、ひかるっていうくらいだもんね」

「私の名前をダシャレにするな」

「ごめん、じゃあ、おやすみ」

僕は、ひかるに譲った元僕の部屋を出て行った。

眠りに就いた僕は、何となく人の気配で目が覚めた。まだ外は暗い。

なぜかドアが開いて、廊下の光が部屋に差し込んでいる。

僕はふと、横を見ると、人の顔が目の前にあった。

「ぎゃあ〜」と、思わず叫ぶ。

「克也、私、ひかる」

そう言われて、顔をよく見ると、昨日出会ったばかりのひかるの顔だった。

「なんだ、脅かさないでよ」

「ごめん、何か初めての家だから怖くて眠れないの。隣に寝てもいいかな?」

「えっ、中1の男女が一緒のベッドで寝ていいの」

「別に変なことしなければいいでしょ」

「ひかる、一応、僕も男なんだけど」

「じゃあ、変なことするの?私に」

「いや〜、しないけどさ、眠れなくなりそう」

「じゃあさ、背中合わせで寝ようよ。それならいいでしょ」

結局、一つのベッドに背中合わせで寝ることになった。

僕が眠りに落ちたのは、外が明るくなり始めた頃だった。


翌日は昼近くまで寝ていた。

隣にひかるはいない、既に起きて一階のリビングでくつろいでいるのだろう。

僕は寝間着を着替え、一階に降りて行った。

リビングにひかるの姿はなく、家自体が静まり返っていた。

とりあえずクーラーをつけて、他の部屋を確認してみた。ひかるはどこにもいない。

僕は、夢を見ていたのだろうか。

夢の中で、ひかると出会い、両親や弟の話しを聞いていたのだろうか。

現実と想像の境がわからなくなってきた。

玄関に並ぶ靴を見たとき、女性用の靴はなかった。

ふと、玄関のドアを見ると、鍵が開いていた。

ひとりで家に籠っている間は、ずっと鍵を閉めていた。ひかるが存在する可能性が、5割までアップ。

リビングに戻り、とりあえずテレビをつけた。

たまたま両親と弟の命を奪った旅客機事故の原因について、航空評論家という肩書きの人が解説していた。

操縦士の経験不足による操縦ミスが大きな要因と語っている。他にも、エンジンに何らかのトラブルがあった可能性もあるとか、憶測での話がほとんどだった。

キッチンに行き、冷蔵庫を開けると、中に一枚の紙が入っていた。

「ちょっと出掛けてきます。夕方には戻ります。ひかる」と書いてあった。

やっぱりひかるは存在していた。

なんだろうこの気持ち、彼女がいることが嬉しい気がする。

寝てる時に触れた背中の感覚を、母親の温もりのように思い出した。

夕方になると、たくさんの食材が入ったレジ袋を持って、ひかるが帰ってきた。

「ただいま。今日はすき焼きにしよう」と、笑顔で言う。

「夏にすき焼き」

「そうだよ。夏こそスタミナつけなきゃ。鍋とか用意するの手伝って」

僕はひかるの後を追うようにキッチンに向かった。

キッチン用品の場所をひかるに説明しながら、すき焼きの準備をする。

二人で並んで野菜を切るのも、なんとなく楽しく感じた。

テーブルにガスコンロを準備して、夏のすき焼きをクーラーでガンガンに冷えた部屋の中で食べた。

改めて、ひとりで食べる食事より二人で食べる食事の方が楽しいと思った。

「今日は、どこに行って来たの?」と、僕はひかるに尋ねた。

「学校」

「学校?」と、聞き返す。

「9月から通う学校に行って、手続きとかいろいろ」

「僕と同じ学校?」

ひかるは鍋から具材を小鉢に移しながら、首を横に振る。

「克也と同じ学校だと、この状況は面倒でしょ、私立の中学校でスポーツ推薦で転入するから学費無し」

「スポーツ推薦って、何のスポーツやってるの?」

「何だと思う?」

僕は、天井を見上げて考えた。

「新体操とか」

ブッブーと、ハズレの音で答える。

「水泳とか」

「ブッブー、レオタードとか水着って、頭の中がいやらしいわよ」

気づかずに、ひかるのプロポーションから連想していた。その後も思いつくスポーツ競技を言い続けたが、当たらなかった。

「正解は、野球」

「野球?女子のチームがあるの?」

「違うわよ、普通に野球よ」

「男子と一緒にやるの?」

「そうだよ。私、小学生の時、全国大会の優勝ピッチャーだから」

克也は驚いた。まさか自分と同じ野球を、ひかるがやってるなんて思いもしなかった。

「私のボール受けてみる?」

「何キロぐらいの速さ?」

「マックス130手前ぐらいかな」

間違いなく僕よりも速い。野球で女子に負けてると思うと、気持ちが萎えた。


夏休みが終わり、二学期の始業式。

学校までの距離が遠いひかるは、克也よりも1時間早い7時に家を出る。

テーブルの上に、克也の分まで朝食を用意してあった。

ひかるが家を出てから起きた克也は、ひかるの作った朝食を食べて、8時に家を出た。

久しぶりなのと、両親と弟が亡くなったことをクラスのみんなが知っていて、今までと克也との接し方が違うように思えた。

朝礼で、担任の先生からみんなに話があり、ひとりで頑張る僕を励ましているのがわかった。

体育館で始業式が行われ、校長先生の挨拶でも名前を伏せた形で僕のことを話していた。

余計に悲劇のヒーロー的な感じになった。

午前中で解散になり、午後から野球部の練習に参加した。

久しぶりの練習に身体がついていけず、改めて鈍った身体を実感した。

その日の練習が終わり、家に帰ると、ひかるが既に帰っていた。

「部活あったんだ」

「久々で、疲れた。半月以上のブランクは大きい」

「家にいたって、腕立て、腹筋、素振りぐらいはできたんじゃない」

傷心の僕にそれを言うか。

「ひかるは、何かやってた?」

「毎朝ランニングしてたけど、気づかなかった?」

「気づかなかった」

「確かに、よく寝てたもんね。怠けた身体を元に戻すのは大変だからね」

「よし、僕も明日から一緒に走る」

「本当、良かった。朝走ってると、時々不気味な人がいるから心細かったんだ」

「そうと決まったら、今日はもう寝る」

「幾ら何でも6時に寝るのは早すぎるでしょ。それより、これから買い物行かない」

「二人で?」

「当たり前じゃない、二人しかいないんだから」

「学校の友達とかに会ったら、ひかるのこと何て言えばいいのかな」

「そうね。姉?」

「いきなり姉弟は増えないよ。しかも妹じゃなくて、姉?」

「私の方が年上に見えない?お父さんの愛人の子供でもいいけど」

ひかるは、ふざけて笑った。

「死んだお父さんの汚点を増やすのもどうかな」

「でも、兄弟以外で男女が同棲してたら、恋人以外ないでしょう。いいじゃない、訳ありの兄弟ってことで」

やっぱり恋人の選択はないか。

二人でモール型ショッピングセンターに行った。

食材を買う前に店内を物色したいとひかるが言い出し、店内を散策することにした。

洋服屋では、ひかるが選んだ服を自分の身体に合わせて、感想を僕に求める。

正直どんな服も似合っていた。ひかるが着るすべての服は、ひかるによって、より映えて見える気がした。

結局、服は一着も買わなかった。

次に本屋に行き、料理のレシピ本を一冊買った。

「これがあれば克也のレパートリーが増えるでしょ」と、ひかるが笑う。

映画館の前を通った時、ある作品のポスターを見て、ひかるが言った。

「今度、これ見ない」

第二次世界大戦の特攻隊を題材にした作品だった。

「戦争映画、好きなの?」

「私、死んだ人と話せるでしょ、前に戦争で死んだ人と話しをしたことがあるの。私は戦争を知らないから戦争で死んだ人と話が噛み合わなくて大ゲンカ。少しでもその人の気持ちがわかってあげられたらなって思って」

「ひかるの能力って、やっぱり凄い。だけど、何でケンカになるの?」

「その人は、日本が戦争に負けるはずがないって言うから、広島と長崎に原爆を落とされて負けたよって教えてあげたの。それでも、私の話しを認めないの。生きていられたら良かったのにねって言ったら、お国のために命を捧げて本望だって言うの。死んで、負けたら意味ないじゃないって言ったら怒っちゃって、大ゲンカ」

「命賭けて戦った人に、最後の言葉はないよ」

「だって、素直に私の話しを聞いてくれないから、私だって怒るわよ」

「あの頃はみんな、自分のことより国を守ることが一番重要だったんだよ」

「やっぱり克也も男ね。奥さんや子供に対する愛情より、世界で戦う仕事を優先するんだ」

「違うよ、昔の話だよ。僕は家族を大切にするよ」

「良かった、克也とはケンカしたくないから」

「でも、平和な時代に生まれた僕たちには、戦争をしていた時代の人たちの気持ちは理解できないよ」

「そう、そうなのよ。だから戦争映画を見て勉強しようと思ってるわけ。克也もそう思うでしょ」

「まぁ、映画がどこまで真実なのかは知らないけどね」

「いいから一緒に行こうよ。お願い」

手を合わせてお願いポーズをするひかるに、断る理由は無かった。

一緒に映画を見る約束をすると、ひかるのテンションが上がり、恋人同士のように僕に腕を組んできた。

心臓の鼓動が早くなるのを必死で抑えた。

そんな時、ゲームセンターから出てきた野球部の友達の高木と佐藤にバッタリあった。

「おう、青山。あれ、彼女さん?」

腕を組んでいたひかるを見て、高木が僕に尋ねる。

想定していたことが本当に起こっただけなのに、僕は動転して何も言い訳が言えなかった。

「お兄ちゃん、お友達?」

ひかるが兄妹を演じる。姉ではなく、妹で。

「青山に、こんなに可愛い妹がいたんだ」

佐藤が興奮気味に身を乗り出す。

「お前らこんな時間にゲームセンターにいていいのかよ」

僕は話の矛先をひかるから遠ざけたかった。

「そうなんだよ、せっかく調子良かったのにさ、追い出されちゃったんだよ。高校生は良くて中学生はダメってズルいよな」

「あっ、こんな時間だ。ひかる、早く買い物して帰らないとお母さんに怒られちゃう。じゃあ、高木くんと佐藤くん、また明日学校で」

僕はひかるの手を引いて、その場から早足に立ち去った。

「佐藤、青山ってお母さんいなかったよな」

「高木、俺、ひかるちゃんに恋したかも」

高木と佐藤は、二人の姿が見てなくなるまで二人の姿を見ていた。


翌朝、ひかるに起こされ、怠い身体を無理矢理ベッドから引きずり出して、約束のランニングに行った。

ひかるが僕のペースに合わせて走ってくれた。

「僕に構わず、先に行っていいよ」

「一緒に走るって約束したでしょ。最初は誰だってキツイけど、段々慣れてくるから頑張りましょ」

何も背負っていない僕に対して、ひかるは何キロあるのかわからないがリュックを背負って走っていた。

川の河川敷の歩道をしばらく走ると、草野球用のグランドが見えてきた。

ひかるは一旦走るのをやめると、背負っていたリュックの中からグローブとキャッチャーミットを出して、キャッチャーミットを僕に渡した。

「私のボール受けてみて」

「130kmなんて捕れるかな?」

「いきなりそんな速い球投げるわけないでしょ。ウォーミングアップからよ」

僕は初めてひかるとキャッチボールをして、最後にマウンドから10球だけ、ひかるがワインドアップモーションで投げた。

回転の良い速球が、心地良い音を立ててキャッチャーミットに収まった。

「克也、キャッチャー上手いじゃない。キャッチャーになれば、名前も克也だし」

昔のプロ野球で名捕手と謳われた選手と同じ名前というだけで、ひかるからキャッチャーに推薦された。

家に戻り、ひかると僕はそれぞれの学校に向かって、家を出た。

学校に行くと、同級生の野球部員が僕のところに集まってくる。

原因は、高木と佐藤が僕の妹こと、ひかるのことを言いふらしたからだ。

「青山、可愛い妹がいるんだって、歳いくつ?」

「一度会わせてくれよ」

「青山の家に行ってもいい?」

同じような質問ばかりでウンザリした。

「ダメ、ダメ、ダメ、妹はこの学校には来ないよ。家に来るのもダメ」

この場は一気に追い払ったが、放課後の部活では先輩からも同じ質問をされた。

さすがに先輩を邪険にすることは出来ず、妹は同じ歳で、他の中学校に通っていることだけ伝えた。ひかるが別の中学校に行ってくれて、本当に良かったと心から思った。


基本正月以外は、野球部の休みはない。

しかし、秋雨の季節、土曜日から雨が降り続き、日曜日の練習試合が中止になった。

ひかるの予定も空いていたので、約束していた戦争映画に二人で出掛けることにした。

特攻隊をメインにした話で、かなり重いシリアスな映画だった。

妻子を残して特攻隊を志願し、戦場の空に飛び立って行く主人公の気持ちを思うと胸が熱くなった。

ふと、隣のひかるを見ると、声を殺してボロ泣きしていた。

僕は自分のハンカチをそっと差し出した。

ハンカチに気づいたひかるが、僕の顔を見て、さらに泣き出した。

僕はひかるの泣き顔につられて、我慢していた涙のダムが崩壊した。

嗚咽が止まらず、ひかるが返してくれたハンカチは、絞れば涙がでるかと思うぐらいに濡れていた。

映画が終わった後、僕とひかるはすぐに立ち上がれなかった。

「残酷だね。死にたい人間なんかいるはずがないよ。愛する家族がいたら、尚更死にたいなんて思わないよ。戦争は残酷だよ」

ひかるの意見に同感だ。僕は感想を言葉にすると、また涙が出てきそうだったので、頷くことしかできなかった。

観客がみんないなくなってから、ようやく僕とひかるは席を立った。

僕もひかるも感情が昂りすぎて、身体も心も疲れ切っていたので、ファーストフードのお店で休んだ。二人とも食べ物は頼まず、飲み物だけを頼んだ。

少し気持ちが落ち着いて、僕はひかるに話し掛けた。

「僕たちは戦争を知らない。だけど、今も戦争をしている国はある。日本でも、長い歴史の中では、戦争をしていた時代の方がずっと長い。平和という幸せに気づいたのは、まだ数十年前のことなんだ。自分だけが良ければ良いなんて思わない日本人って、凄いよね。僕は日本人に生まれてきて、誇りに思う」

「そうだね。戦争でたくさんの人が犠牲になったことで、平和の大切さに気づけたのかもしれない。決して、特攻隊の人たちがしたことは無駄ではなかった。でも、やっぱり生きて家族の元に帰ってほしかった」

「僕たちは、戦争が残した傷痕を忘れちゃいけないんだ。二度と戦争で悲しむ人を増やしてはいけない。みんなが気づけば、この世から戦争は無くなる」

僕はひかると同じ問題を考え、意見を伝え合うことで共感を深め、お互いを尊重することができた気がした。

この時、僕はこのままずっと、ひかるがそばにいてくれることを心の中で望んでいた。


秋の新人戦が始まり、僕は補欠メンバーながらもベンチに入った。

初戦の試合は、一方的な展開でリードしていたが、キャッチャーでレギュラーの先輩が二塁にスライディングした時、足を怪我してしまった。次の回から控えのキャッチャーが守備についたが、パスボールを連発してしまい監督が頭を抱えた。守備のミスから点差を詰められ、監督が僕に声をかけた。

「青山、キャッチャーやれ」

突然の指名で驚いたが、反射的に大声で返事をしていた。

僕はプロテクターやレガースを装着し、先輩のキャッチャーミットを借りて、キャッチャーの守備についた。

ピッチャーの先輩が、ノーサインで投げるから全部身体で止めろとプレッシャーをかけてきた。

速球はひかるより遅く、カーブもひかるより曲がらない。全てのボールを完璧に捕球した。

試合後、監督に褒められ、この日から僕のポジションはキャッチャーになった。

足を怪我した先輩は、骨折をしており、全治3ヶ月と診断されたため、僕は自動的にレギュラーに昇格した。

そのことをひかるに報告すると、「やっぱり私の言った通りになったでしょ」と、自分の才能を見抜く力を自慢していた。

2回戦では先発出場して、ノーエラーはもちろん、9番打者として、3安打2打点とチームの勝利に貢献した。

続く3回戦は、ひかるの中学校が対戦相手だった。

決戦の前日、ひかると夕食の時間に話をした。

「明日の試合、投げるの?」

「当然でしょ、エースなんだから。克也も出場するんでしょ」

「たぶんね。9番キャッチャーだと思う」

「克也だけ、打たせてあげようか?」

克也は、ひかるの言葉に怒りを感じた。

「ワザとそんなことするなよ。もし本気で言ったなら、僕はひかるを軽蔑するからね」

僕の剣幕に、ひかるの笑顔が消えた。

「ごめんなさい、ふざけすぎた」

悲しい顔で謝られると辛い。

「僕も言いすぎた、ごめん。お互い全力プレイすれば、結果は二の次だよ」

ひかるは、少しだけ笑顔を取り戻した。

決戦の朝も、いつも通り二人でランニングをして、河川敷のグラウンドでキャッチボールとひかるのピッチングに付き合った。

その日は、午後から試合が始まった。

ホームベースを挟んで整列した時、僕の正面にひかるがいて、こっそり僕だけにウィンクをした。

ひかるの速球がバットに当たらず、僕のチームは初回から三振の山を築いていった。

反対に、相手のチームの打線は活発で、初回から毎回得点を積み重ねていく。

3回表ツーアウト、ひかると初めての対戦が巡ってきた。

初球はカーブ。ストレートに的を絞っていたので、手が出ずストライク。

2球目、続けてカーブ。カーブの後は絶対ストレートと100%山を張り、意表を突かれてツーストライク。

追い込まれてしまったので、もう山は張れない。

3球目、つり球のストレートが胸元にきた。

ハーフスイングになったが、審判の判定はセーフで、ワンボール。

いつもひかるのストレートを見ていたせいで、不思議とストレートが早く感じなかった。

僕はひかるの心を読んだ。本気なら自信のあるストレートで勝負するはず。

4球目、カーブ。僕は前に態勢を崩されて、空振りの三振。マウンド上で、渾身のガッツポーズをするひかる。

すべて裏をかかれた。逆に僕の心をひかるに読まれていた。

その後もひかるの奪三振ショーは続き、6回の表ツーアウト、2度目の対戦が回ってきた。

7点差以上の得点差があり、この回点が入らなければ僕のチームの敗戦が決まる。

しかも、僕がヒットを打たなければ、ノーヒットノーラン達成となる。

1球目、またもやカーブ。しかし外にはずれてワンボール。

2球目、またしてもカーブ。今度は高めにすっぽ抜けてツーボール。

疲れなのか、カーブのコントロールが悪くなった。

こうなれば、あとはストレートを投げ込むしかないはず。

僕は、的を絞り、ストレートだけを待った。

3球目、真ん中高めのストレート。

キタ!バットを振るが、バットの上っ面に当たりファール。

そして迎えた運命の4球目、ど真ん中のストレート。おもいっきりバットを上から叩きつけるイメージで振った打球は、左中間のフェンスを越えていった。

僕は興奮して、ベースを回りながら何度もガッツポーズをした。

ホームベースを踏んで、ピッチャーのひかるを振り返ると、マウンドにしゃがみ込んで泣いていた。

なんだか悪いことをしたような気持ちになったが、チームメイトは大はしゃぎで、手洗く僕を祝福してくれた。

ひかるはそのままマウンドを降り、別のピッチャーに代わった。

結局は、その裏相手に点を取られ、コールドで僕たちは負けた。

試合終了の挨拶を終え、ベンチで片付けをしていると、佐藤が声をかけてきた。

「相手のピッチャー、青山の妹だよな。どこかで会ったことがあると思ってたんだ。だけど、桜咲って名前だったから気づかなかった」

よりによって佐藤に気づかれたのは面倒だ。

「同じ年齢で、違う苗字ってことは、そういうことか」

高木が納得した顔で、頷く。

「そういうことって、どういうことだよ」

佐藤が問う。

「青山の前で、失礼だろう。そこは、察しろ。それが親友ってもんだ」

「じゃあ、あとで教えてくれよ」と、佐藤が言うと、高木は無言で頷いた。

ここは、無理に否定をすると厄介なので、僕は黙っていた。

佐藤と高木の会話を聞いていた上級生が、「さっきのホームラン、妹に頼んで打たしてもらったんじゃねーの」と、言って笑った。

僕は思わず、その上級生を突き飛ばしていた。

「ひかるはそんなことする人間じゃない。妹のを侮辱するな」

つい大声で叫んでいた。

怒った上級生が立ち上がり、鬼の形相で僕に突進してきた。

その時、僕の前に監督が立ちはだかった。

「お前にあの速球をホームランに出来るか?青山の練習の賜物だ。青山も、暴力はいかん」

僕は先輩に謝り、先輩も僕に謝ってくれた。

監督が僕を救ってくれた。


家に帰ると、先にひかるが帰っていた。

鼻歌を歌いながらキッチンで料理を作っていた。

「お帰り、克也」

「どうしたの?鼻歌歌って、何かいい事でもあった?」

「あったよ、克也が初ホームラン打ったんだから。今日はお祝いだよ」

「ひかる、落ち込んでたから、心配してたんだ」

「そりゃ、打たれたら悔しいよ。でもね、克也が打ったことは嬉しんだ。私、どうしてカーブばっかり投げたかわかる?」

「そういえば、不思議だったんだ。僕にだけカーブを投げる数が多かったから」

「克也、気づいてないんだね。私のストレートを毎日受けてるから、球の速さに慣れてたんだよ」

「確かに、そんなに速く感じなかったかも」

「だからストレートで勝負したら、打たれると思ってたんだ。でも、まさかホームランを打たれるとは思ってなかったよ。克也の努力の賜物だよね」

僕は思わず笑ってしまった。

「何がおかしいの?」

「監督にも練習の賜物って言われたよ」

「克也、本当に凄い選手になるかもね。とりあえず、お祝いはすき焼きよ」

ひかるのお陰で野球が上手くなったのは間違えない。僕は彼女のために、これから何をしてあげられるのだろうか。

その後、ひかるの学校の野球部は新人戦を準優勝した。連投を避け、決勝にひかるは投げなかった。

僕はお祝いに、しゃぶしゃぶをご馳走した。


街がハロウィンで盛り上がってきた頃、ひかるから事務連絡のように話があった。

学校の野球部の人たちと、ディズニーランドに遊びに行くことになったらしい。

男子部員3人とひかると女子マネージャー2人の女子3人の構成だ。

「3対3の合コンみたいだね」

「そう言われたら、そうね。気づかなかった。奇数より偶数の方が都合がいいくらに考えてたから」

「誰が企画したかは知らないけど、みんなそう思ってるんじゃないの」

「そんなことないと思うけど。たぶんマネージャーの女子が誘ったんだと思うよ。よくプロ野球チームが優勝するとハワイに旅行行くじゃない、うちの野球部も新人戦準優勝したからそんな感じよ」

「なるべく女子グループで行動した方がいいよ」

「どうして?あー、私のこと心配してるの?大丈夫だよ、男子たち、私のこと女として見てないから。もし心配なら、克也も来る?」

「いやー、僕は行かないけど、とにかくナンパもあるし気をつけないと」

僕より先にひかるとディズニーランドに行く男子たちに、僕は嫉妬をしていた。

ひかるがディズニーランドに行く当日、ひかるは朝からお弁当を作っていた。

「おはよう。お弁当持って行くの?」

「そうなの。中で買うと高いから、女子3人がお弁当を作って持って行くことになったの。男子が飲み物担当。克也の分もついでに作ったから、お昼に食べて」

いつもより女子力アップの服装で、ひかるは出掛けて行った。

僕は朝食を食べながらテレビを見ていたが、ひかるのことが気になって番組の内容がまったく頭に入ってこない。

午後から野球部の練習があったが、モヤモヤした気持ちのまま野球が出来る心境じゃなかったので、監督に「妹の具合が悪いので休みます」と嘘をついて休むことにした。

ある意味、僕にとってひかるの状況が具合悪く、嘘でもない気がしたが、そもそもひかるを妹と言っていることが嘘だった。

僕は、ひかるが作ってくれたお弁当を持ってディズニーランドに向かった。

広い敷地の中から人を探し出すのは困難だ。

また、ハロウィンイベントと休日が重なり、いつも以上に人がいるような気がする。

もしかしたら、ディズニーランドと言っていたが、本当はディズニーシーなのかもしれない。

とにかく、アトラクションを楽しむことなく、男女6人のグループを目印に探し始めた。


「桜咲さんが来てくれるなんて、嬉しい」

「いつもすぐ帰っちゃうから、なかなか話も出来ないし」

「桜咲の服、超可愛くない」

「桜咲さんとディズニーランドにいるなんて、夢みたいだよ」

「今日は特別に、桜咲さんのためにテンションMAX」

ひかるが本当に来たことが、みんなのテンションを上げていた。

「みんな大袈裟だよ。普段は弟と二人暮しだから家事とかがあって、時間がないのよ」

ひかるの学校では、克也は弟として話している。

女子はもちろん、男子もカチューシャをつけて、はしゃぎ回っていた。

どこのアトラクションも混んでいたが、案内用パンフレットを見ながら次々にアトラクションを楽しんでいった。

1列が3人乗りは、男女で別れたが、2人乗りの場合は、ひかるの隣を野球部キャプテンの後藤剛士が独占していた。

2人だけのシチュエーションになると、後藤はひかるに質問攻めだった。

「桜咲は、彼氏とかいるの?」

「いないよ、野球でそんな暇ないよ」

「じゃあ、好きな人とかは?」

「そりゃ、いいなって思う人はいるけど、好きとかのレベルまではいかない」

「弟っていくつ?」

「同じ年」

「双子ってこと?」

「ちょっと、事情があってね。双子じゃない」

「ディズニーランドとか遊園地は好きなの?」

「好きだけど、あんまり行かないかな」

「誕生日は?」

「12月25日」

「クリスマスだね」

「だから毎年、誕生日とクリスマスでプレゼントが一つなの。損した気分」

「そうか、そんなデメリットがあるなんて考えたことなかったよ」

「キャプテンはクリスマスが誕生日じゃないでしょ。普通は別々にプレゼント貰えるもんね」

「今年のクリスマスは、予定あるの?」

「別に何も考えてないけど、弟とクリスマスケーキを食べてるんじゃないかな」

「そうか、家族は大事だもんね」

「うちは二人しかいないから」

「弟さんは彼女とかいないの?」

「どうだろう、そんな話は聞いたことないな」

アトラクションから降りると、ひかるは二人の女子に合流する。

後藤は、告白するなら今日しかチャンスはないと思っていた。

成功すれば、今年のクリスマスはひかると一緒に過ごせる。両親のいないひかるなら、あわよくば初体験も。

昼食をベンチで食べることにした。

三人の女子が、おにぎり、サンドイッチ、卵焼きやソーセージ、唐揚げ、サラダなどをみんなに振る舞った。

後藤は気づかれないように、ひかるのお弁当から多く選んでいた。

食後に男子チームが用意したお茶やコーヒーを飲み終わると、後藤は他の男子に密かに相談して、ひかると二人きりになるシチュエーションを作ってもらうようにお願いした。

二人の男子がマネージャーの女子を誘って、後藤とひかるからはぐれる作戦だ。

ワイロに、一人五千円のお札を手渡した。

「上手くやれよ。桜咲を彼女にできたら、報告するからな」

「後藤、前から桜咲さんのこと気にしてたもんな」

「頑張れよ。キャプテン」

エールを送られて、後藤の決意は更に高まった。

ハロウィンパレードが終了して、一斉に来場客が移動した時、二人の男子が動いた。二人の女子マネージャーを急いで誘導するように後藤とひかるから遠ざかっていった。

「アレ、キャプテンと桜咲さんは?」

「この人混みの中ではぐれちゃったな」

「どうしよう、携帯に電話してみる」

「桜咲さんの携帯番号聞いてない?」

「知らないよ」

「キャプテンの携帯ならわかるかも」

「後藤さ、電源が切れたって、さっき言ってたな」

「そうそう、そんなこと言ってたっけ」

二人の男子が連絡を取るのをを拒む。

「子供じゃないんだから、迷子になっても家には帰れるでしょ。あの二人ならしっかり者同士だし、大丈夫だよ」

「しょうがないね。あとで会えるかもしれないし」

四人は、後藤とひかるを探すことを諦めた。


「みんな何処に行ったんだろう」

「桜咲、人の流れが凄くてアイツらとはぐれたみたい」

「困ったな、こんなにたくさんの人の中から探し出すのは」

「慌てて探しても仕方ないからさ、落ち着いて考えよう。とりあえず落ち着ける場所ないかな、あっ、あそこのベンチまで行かない?」

後藤とひかるはベンチに座り、園内を歩く人々の顔を見ていた。

「キャプテン、携帯電話持ってなかった?」

「あー、さっきバッテリーが切れちゃって」

「私、やっぱり探してくる」

立ち上がろうとするひかるの手を、後藤が咄嗟に掴んだ。

「桜咲、ちょっと話があるんだ。座ってくれないかな」

「どうしたの?キャプテン」

ひかるはもう一度ベンチに座りなおした。

「俺、桜咲のこと、前から好きでした」

「ありがとうございます。えっ、今なんて言いました?」

「だから、桜咲のこと、好きです。付き合ってくれないかな」

「キャプテン、突然コクられても、びっくりして」

「そうだよな、ごめん。でも真剣なんだ」

後藤がひかるの肩に手を乗せ、返事を要求している。

ひかるは、肩をすぼめて下を向いていた。

突然こんな場所で告られても、なんて言ったらいいのか困る。

「ひかる、こんなとこで何してるの?」

突然ひかるに呼びかける声がした。

ひかるは顔を上げ、声の主に目を向けた。

「克也、どうしてここにいるの?」

「桜咲、誰?」

「あー、その、さっき話した私の弟」

後藤は立ち上がり、克也の正面に立った。

「初めまして、お姉さんとお付き合いさせていただいてます後藤です」

握手の手を差し出す。

「ちょっとキャプテン、お付き合いなんかしてないわ」

後藤はひかるを振り返る。

「桜咲、弟さんにちゃんと挨拶しておかないと」

「ごめんなさい。さっきの告白は、お受けできません」

ひかるは後藤に頭を下げた。

「今日は姉がお世話になったようで。姉貴、帰ろう」

「ちょっと待って、弟さんは友達と一緒なんだろう」

「いいえ、姉を迎えに来ただけです。姉貴、行こう」

「キャプテン、さよなら。みんなに会ったら、よろしく言っといてください」

踵を返して歩き始めた克也の後を追って、ひかるがついていった。

後藤は、呆然と立ち尽くしていた。

「ひかる、僕のこと弟って言ってんだ」

「だって、私の方がお姉さんに見えると思ったから」

「僕の友達には、ひかるを妹って言ってるから、矛盾してるよ」

「仕方ないな、嘘に嘘で塗りつぶすか」

「せっかく来たからさ、一つくらいアトラクションに乗りたいな」

「本当に、私を迎えに来たの?」

「そうだね。なんだか知らないけど、嫌な予感がしたからさ」

「克也はきっと、私のこと好きなんだね」

「えっ、いきなりそんなこと言われたら」

「いいじゃない、弟がお姉さんを好きなのは普通よ」

ひかるは克也の腕にしがみつき、恋人同士のように寄り添った。

「姉弟で腕組まないでしょ。さっきのキャプテンに見られたらどうするの」

「その時は、恋人に訂正しておくわ」

ひかるは陽気に笑っていた。


克也はキャッチャーとして、レギュラーを不動のものとした。しかも打順は4番を任されるようになった。

逆にひかるは中学2年の春に肩を痛め、エースの座を失い、その後復活することはなかった。

克也の活躍は甲子園出場の常連校にも知れ渡り、複数の高校から誘いを受けた。

「克也、どこの高校に行くの?」

「公立の高校でいいかな」

「あんなに野球の名門校から誘いがあるのに、もったいなくない?学費も免除されるんでしょ」

「僕は、この家から学校に通いたいんだ」

「もしかして、私のため?」

「違うよ、僕のため」

「そうか、私も同じ学校に行こうかな」

「もしかして、僕のため?」

「違うよ、私のため」

二人はお互いの顔を見て、吹き出した。

「克也、私、青山ひかるになれないかな?」

「えっ、僕と結婚するの?まだ結婚できる年齢じゃないけど」

「違うわよ。一緒に暮らしてて苗字が違うの、面倒じゃない。もし同じ学校に通ったら、兄妹で苗字が違うことを説明して歩くの」

「ひかるは苗字が変わってもいいの?」

「別にいいよ。女はお嫁に行ったら苗字変わるじゃない、どっちみち」

「男が婿になる場合もあるけどね」

「克也は、桜咲克也になるの平気?」

「どうかな?どうしてもって言われたら仕方ないけど、できれば青山克也でいたいかな」

「やっぱり男の子だね。男のプライドが克也にもあるんだよ。だから、私が青山ひかるになれたらいいじゃない」

「でも、兄妹でも誕生日が違うから説明は必要かも」

「克也は釈迦と同じ4月8日で、私はキリストと同じ12月25日だもんね。宗教まで違う」

「法律とかよくわからないけど、役所で聞いてみようか?」

ひかるは首を振った。

「冗談、気にしないで。もしも私をお嫁さんにしてくれたら、青山ひかるになってあげる。克也、実はね、私もう高校決めてあるの」

「えっ、どこ?」

「北海道」

予想をしてなかった地名に、克也は驚いた。

「北海道の高校で、全寮制なの。私たちいつまでもこのままじゃいけないし、一旦ここを離れるのも、いいかなって」

「ここの生活が嫌になった?」

「コラコラ、そんなわけないじゃない。克也と暮らした3年間、とても楽しかったし、克也には本当に感謝してるよ」

「淋しくなるな」

「克也、甲子園行きなよ。克也なら行けると思うよ。私も北海道で頑張るからさ」

僕の気持ちは、すぐに立ち直ることができなかった。

「私はいつでも、克也のこと応援してる。私の決断を理解して、私たちは本当の兄妹じゃないし、いつまでも嘘はつけない。だから、離れて過ごす時間が必要なの。これからの私と克也のために決めたことなの、わかって」

「わかった。ひかるが何処にいても僕を見つけられるぐらい、野球で頑張ってみるよ」

「信じてる、大好きよ、克也」

「僕も好きだよ、ひかる」

僕とひかるは、二人の再開を誓って、初めてキスをした。

僕は公立志望をやめ、野球推薦の誘いがあった高校の中から、条件の良い関東大学付属第一高校に進学した。

ひかるも桜の開花が待ち望まれる中、北海道へ旅立った。

僕は空港へ見送りに行かなかった。

さよならの言葉を言いたくなかったからだ。

きっと、ひかるもわかっていると思う。

桜前線が北海道に届くのは、ゴールデンウィークのあたりだろうか。


高校3年間は、まさに野球漬けの毎日だった。

家から通学していたが、朝練のため朝5時に起きて、30分で家を出た。駅前のコンビニでおにぎりを買って朝ごはんを済ます。

放課後は、午後7時まで練習し、近所のスーパーで値引きになった惣菜で夕飯を済ます。

元旦以外は休みなし。

最後にひかると撮ったツーショットの写真を枕元に置いて、おやすみを言って寝る。

かろうじて季節の変化は感じたが、月日の感覚までは麻痺していた。

入学して4ヶ月は、球拾いなどの雑用がメインで野球の練習をした時間はわずかしかない。リビングのテーブルを片付け、寝る前に30分素振りをすることが毎日の日課だった。

夏の東東京予選をベスト8で終え、涙を流した3年生の先輩たちが野球部を去った。

2年生の中から新キャプテンが選ばれ、新チームが秋季大会に向けて始動した。

真夏の暑さの中、ようやく本格的に野球の練習をした。

練習試合にも出場する機会が増え、打撃と守備で監督へのアピールに必死だった。

2学期が始まる頃、秋季大会のメンバーが発表されて、僕はキャッチャーのレギュラーの座を掴んだ。

報告を兼ねて、僕は初めてひかるにメールを送った。

北海道に行く前、ひかるがメールや手紙を書くと余計に淋しくなると言ったので、連絡をするのを控えていた。

すぐに返信が来たが、「おめでとう」の一言だけだった。

秋季大会は、東京都ベスト4止まりで、春のセンバツのチャンスを失った。

冬場はウエートトレーニングで筋力アップを図り、打球の飛距離が格段に伸びた。

僕は、春季大会ではチームの4番を任されていた。

順当に勝ち上がり、東京都の春季大会を優勝し、夏の東東京予選の第一シードを獲得した。

久しぶりに、春季大会を優勝したことをひかるにメールした。

すぐにはメールが来ず、一週間後に「おめでとう」の一言だけ返信があった。

夏の東東京予選、第一シードの特権で序盤に強豪校との対戦がなく、順調に決勝に進出した。

克也の打撃も好調で、アベレージが5割を超える活躍を見せていた。

決勝戦の前日、軽めに練習を切り上げ、早めに帰宅することになった。

帰りの電車の中で、メールの着信に気づき、ひかるからの激励のメッセージを期待して確認した。

ひかると見知らぬ男子高校生が寄り添っている写真画像が添付されてあった。

「彼氏の隆彦くん」とメッセージ。

どういうこと?北海道で彼氏ができたってこと?それをわざわざこのタイミングで報告?ひかるって、そんなことする子じゃないよね?

アドレスはひかるのもので間違えなかった。

すぐに電話をかけたが、いくら呼び出しても電話に出る様子がない。

僕はゆっくり寝ることが出来ず、体調不良のまま決勝戦の試合に向かった。

最悪の結果となった。

タイムリーにつながるエラーが2つ。スコアリングポジションにランナーがいる場面で3度打席が回ってきたが、すべて三振。しかも1回は満塁だった。3対5で甲子園への切符を手にすることができなかった。

試合後、監督に怒られた。自分が情けなくて涙が止まらなかった。

悔しくて、その責任の矛先をひかるに向けてしまった。

その日の夜、僕はひかるにメールを送った。

「隆彦って誰だよ( *`ω´)僕を苦しめて楽しい?」

返信が届く。

「お前だれ?あかりとどういう関係?」

このメールは、ひかるじゃない。

おそらく昨日の写真に写っていた男子高校生だろう。しかも、ひかるじゃなくて、あかりって誰のことだろう。

ひかるのアドレスが変わったのだろうか?

いや、昨日の写真に写っていたのは間違いなくひかるだった。

このメールの先では、どういう状況で、ひかると男子高校生が僕を見ているのだろう。

初歩的なことから質問してみようと思い、メールの内容を変えてみた。

「僕の名前は青山克也です。君の名前は?昨日の写真に写っていたのは誰と誰ですか?女の子は、桜咲ひかるさんではありませんか?」

返信が来た。

「俺は今井隆彦。昨日の写真に写っていた女の子は、桜咲ひかるさんではありません。俺の幼馴染の五十嵐あかりです。あなたは、あかりを知っているのですか?」

返信した。

「僕はあかりさんを知りませんが、写真に写っていた女の子によく似た女の子を知っています。そして、その子のメールアドレスが今送信したアドレスのはずだったのですが」

すぐに返信が来た。

「電話で話せますか?」

僕は、「もちろん」と返信して、電話で話すことになった。

僕はひかるの電話番号に、電話をかけた。

「もしもし、今井です」

「青山です」

「青山さんに聞きたいことがあります。写真の女の子といつからいつまで一緒でしたか?」

「僕が知ってる女の子は、桜咲ひかるさんといって、5年前から2年前の間、僕が中学生の頃の3年間一緒に暮らしていました」

「本当ですか?」

「もちろん、本当です」

今井はしばらく沈黙していた。

「わかりました。青山さんのこと、信じます。青山さんは、北海道の旭川まで来ることはできませんか?」

「今は難しいです。高校で野球部に所属しているので」

「では、あかりのことをお教えします。実は、5年前、交通事故であかりは病院に運ばれました。脳死の判定が出る直前、あかりの身体が行方不明になっていたんです。3年間。あなたが一緒にいたひかるさんと同じ期間です」

「じゃあ、僕と一緒にいたひかるは、あかりさんだったかもしれないってことですか?」

「信じられないことですが、そうとしか思えない気もします」

「今、あかりさんは何処に?」

「病院のベッドに寝ています。人工呼吸器をつけて」

「突然消えて、また突然現れたってことですか?」

「現実的には、そうなります」

「そこは北海道の旭川ですか?」

「そうです。旭川にある道央大学旭川病院に入院しています」

「あかりさんに会ってみたいです」

「あかりは常に生死を彷徨っています」

桜咲ひかるは、一体何者なのだろう。僕と同じく、旅客機で家族を失ったと言っていた。

僕はインターネットで当時の事故の犠牲者を調べ始めた。

当時の新聞記事の中に、犠牲になった日本人の名前が記されていた。

桜咲ひかる(12)の名前を見つけた。

ひかるは旅客機墜落事故の犠牲者で、その時に死んでいる。

頭の中が混乱して、わけがわからない。

5年前に交通事故で脳死状態になった五十嵐あかりの身体の中に、旅客機墜落事故で死んだ桜咲ひかるの魂が入って、僕の前に現れたってことになるのか。まるでSFだ。

僕は都合が出来次第、旭川に行くことを約束して、今井との電話を切った。


翌日、新チームになって初めての練習に行った。

練習前に監督から新キャプテンの発表があり、新キャプテンに克也が指名された。

昨日の不甲斐ない成績の後で、まさか自分が野球部のキャプテンに選出されるなんて思ってもみなかった。

監督に呼ばれ、みんなの前に立ち、新キャプテンとしての挨拶をすることになった。

当然何も考えていなかったので、しどろもどろの挨拶で終わった。

「まだまだ頼りないキャプテンかもしれないが、みんなで青山キャプテンを盛り上げてやってくれ」と、監督が締めくくった。

いきなりキャプテンに指名され、ますます忙しい日々が始まった。

僕の気持ちは、早く旭川に行きたい。

この夏休み中に行かなければ、チャンスが遠ざかる。

意を決して、監督に相談した。

「監督、実は親戚が事故で入院しまして、危篤らしいので、北海道の旭川に行って来たいのですが、3日間休みをください」

「そうか、心配だな。すぐに行ってこい」

言い出すのに色々悩んだ割に、あっさり許可されて、悩んでいた自分が滑稽に思えた。

すぐに帰宅し、駅にある旅行会社で旭川までの飛行機の往復チケットと宿泊の予約をお願いした。明日の朝、羽田から旭川へ向かうことになり、ひかるの電話で今井に連絡した。


東京も暑いが、旭川も暑かった。

しかし、空気が澄んでいるのと、ここは北海道だと思う気持ちが、幾分涼しく感じさせてくれてる気がした。

空港からシャトルバスで市内まで移動し、土地勘がないためタクシーでひかるのいる病院に移動した。

空港に着いた時、今井に連絡してあったので、今井は病院のロビーで待っていてくれた。

一度写真で見ていたが、実際に会った今井は身長が高く、爽やかな感じの好青年に感じた。

「はじめまして、青山です。電話では色々ありがとう」

「今井です。案内します」

早速、ひかるのいる病室に案内してもらった。

エレベーターで脳外科エリアの病棟に行き、五十嵐あかりの名前が記されている病室に入っていく。

「あかりの脳波に、わずかながら反応があるそうです」と、今井が話す。

ベッドに横たわるあかりさんの顔を見ると、間違いなくひかるだった。

左目尻の少し下に小さいホクロがあるのも共通している。

「間違いない、僕と一緒にいたひかると同一人物です」

僕は、ひかるが北海道に旅立つ前に撮った携帯の画像を今井に見せた。

携帯を掴み取り、画像を食い入るように見た今井が、「信じられない。けど、疑いようもない」と言って、携帯を返した。

「失礼ですが、青山さんとあかりはどういう関係だったのですか?」

僕は、一瞬なんて答えるべきか考えたが、自分の気持ちのままに答えることにした。

「彼女は、僕のフィアンセです。3年間一緒に暮らし、将来を約束していました」

一瞬、今井の表情が変わった。

「でも、あなたが一緒にいたのは、ひかるさんで、あかりではない。ここに眠っているのはあかりで、ひかるさんではないことを忘れないでください」

明らかに僕を牽制している。

「ここには何時までいられますか?」

「面会時間は夕方の5時までです」

「それまで、ここに居てもいいですか?」

「構いませんが、あなたを信用したわけじゃありませんから、僕も一緒にここに居ます」

「あかりさんのご家族の方は?」

「あかりは幼い頃に母親を亡くしてるので、父親がいますが、父親は地元で会社を経営しているので、いつも面会時間後にいらっしゃいます」

「失礼ですが、今井さんはあかりさんとどういうご関係ですか?」

今井は、答えに困っているようだった。

おそらく、僕がひかるのフィアンセと答えたことにより、どう答えるか考えているのだろう。

「今はまだ、親友です。でも、近いうちに告白するつもりでした」

「よかった、恋人ではないんですね」

「これからそうなる予定でした」と、今井が慌てて返事をする。

「変なことをするつもりはありませんが、手を握ってもいいですか?」

「ダメです。あかりはひかるさんではないんだから」

「お願いします。なんとなくですけど、なんか伝わるような気がして」

「ただあかりに触れたいだけでしょ」

「違います。僕は彼女に蘇ってほしいと思ってるだけです。僕はひかるとキスもしてますから」

今井は、克己の圧力に押されていた。そもそも自分に否定する権利がないことを感じ、単なる嫉妬心で拒否してるような気がした。自分の了見が小さいと思われるのも癪なので、自分なりにカッコつけた。

「俺、30分くらい外の空気を吸ってくるから、あとは頼んだよ」と言って、今井は病室を出て行った。

克也は、今井の言葉の意味を自分なりに解釈し、ひかるの左手を両手で握って目を閉じた。

心の中で、繰り返しひかるの名前を呼び続けた。

「克也なの?」

ひかるの声が聞こえたような気がして、克也は目を開け、ひかるの顔を見る。変化はない。

もう一度目を閉じて、ひかるに話しかけた。

「そうだよ、克也だよ。北海道までひかるに会いに来たんだ」

「じゃあ、私の正体もわかっちゃった?」

「うん、旅客機墜落事故の新聞記事を見つけた。桜咲ひかるの名前が書いてあった。つまり、ひかるはあの飛行機に乗っていたんだね」

「そう。事故の直後は、私の家族と克也の家族と一緒にいたの。智也くんともお話をして、たまたま克也の初恋の人や、大切にしてた何とかカードの隠し場所を聞いたりしたの」

「ひかるは、どうして五十嵐あかりさんの中にいるの?」

「私もよくわからないけど、家族たちとはぐれて、目が覚めたらあかりちゃんの身体に入っていて、そのままそばにあったスーツケースを持って外に飛び出したの。そして自分が北海道の旭川にいることがわかって、途方に暮れていた時、克也のご両親から聞いた克也のことを思い出して、東京に向かった」

「北海道からどうやって東京に来たの?」

「そりゃ、お金がないんだから、ヒッチハイクだよ」

「12歳の女の子が一人でヒッチハイク?」

「そうだよ、大変だったんだから。何度貞操を失いかけたか。その度にトラックのオヤジを突き飛ばして逃げて、次の車を探して、ようやく東京まで行ったんだよ」

「どうして北海道に戻ったの?」

「新聞で意識不明の重体だった少女が行方不明になってるって記事を見たんだ。誰かが盗んだみたいに思われてて、写真も掲載されてて、いつかバレるかもしれないと思って、一旦あかりちゃんを元に戻した方がいいと思って北海道に戻ったの」

「でもどうして、意識不明になってるの?」

「わからないのよ。ベッドに戻って寝てたら、身体が自由に動かせなくなってたの?」

「どうしたら動けるようになるんだろう?」

「さぁ、おとぎ話なら王子様のキスで目が醒めるんじゃない」

「そんな冗談言ってると、本当にキスしちゃうぞ」

「でも、どうしていいかわかんないしさ、キスしてみなよ」

「してみなよって、軽くない?」

「克也ならいいよ、私」

「ちょっと待ってて、心の準備が」

「早くしないと、今井とかいう男が戻って来ちゃうよ」

克也は目を開けて、大きく深呼吸して、人工呼吸器を外して、ひかるの唇にキスをした。

ガラガラ、病室の扉が開いて今井が戻って来た時、克也があかりにキスをしているのを見て、頭に血が上った。

「お前、何やってんだよ」と、今井が叫ぶ。

その時、ひかるの唇が動いた。

「克也、会えて嬉しい」

ひかるが両腕で克也を抱きしめた。

「ひかる、動けるの?」

「動いた。まるでおとぎ話みたい」

今井は呆然と、二人のことを見ていた。

医師と看護師が駆けつけ、ひかるの様子を確認したが、何の支障もなく、驚いていた。

ただ一つ、あかりの記憶がない五十嵐あかりだった。

五十嵐あかりの父親にも連絡がいき、夕方病院に駆けつけてきた。

しかし、父親の顔を見ても誰だかわからない。

その理由を知っているのは、克也とひかるだけだった。

記憶がなくても、無事意識が戻ったことを五十嵐あかりの父親は喜んでいた。

今井はずっと複雑な顔で、少し離れた場所から見ている。

ひかるは、医師に僕を紹介した。

「先生、私の王子様こと、克也よ。野球が上手くて、来年はきっと甲子園に出場するわ」

「そんなに凄い人が、あかりちゃんの王子様なんだ」

「違うよ。私はあかりちゃんじゃなくて、ひかるだよ」

医師は首を捻りながらも、ひかるちゃんと訂正して呼び直した。

その日は一旦みんな帰ることになった。

僕は、旅行会社で予約してもらった市内のビジネスホテルに、五十嵐あかりの父親に車で送ってもらった。

車の中で、少しだけ会話を交わした。

「あかりは、もうあかりじゃないのかもしれないね」

「でも、姿はあかりちゃんのままですが」

「自分のことを、ひかると言ってたし、君もひかるって子だと思ってるんだろう」

「お父さん、僕の推測ですが、あかりちゃんは生まれ変わったんだと思います。記憶はありませんが、あかりちゃんはちゃんと生きてます」

「そうだな。君が言う通り、あかりは生きてる。それだけは間違えない」

ホテルの前で車を降り、お礼を言った。

朝東京を出て、旭川で奇跡とひかるに再会できた長い一日が、ようやく終わった。


翌日も当然ひかるが入院する病院に行った。

この日は、ひかる及びあかりちゃんの精密検査が行われ、医師の診断では何の異常も確認することができないとのこと。二つの人格が一つの体に存在すること以外身体的には問題がないので、主治医から退院の許可が出た。

僕とあかりちゃんの父親と今井は、あかりちゃんの家で、これからのことを3人で話し合った。

とりあえず、ひかるのことをあかりちゃんの名前で統一して話すことにした。

「当然、あかりの気持ちを優先したいと思うが、私は娘のあかりには、そばにいて欲しいと思っている」

あかりの父親は、素直に自分の気持ちを話した。

「当然、あかりはここにいるべきだ」と、今井が加勢するように意見する。

二人は僕の意見を求めている。

「正直、彼女にとってベストの選択は、今の僕にはわかりません。ただ、僕は彼女のことが好きです。いずれは一緒に生きていきたいと思ってます」

僕の発言を聞いた今井の顔には、怒りの感情が現れている。

「青山くんは、彼女があかりじゃなくて、ひかるさんだと思っているからだろう。今はひかるさんがあかりの身体を支配しているけど、もしかしたら、いつかあかりの意識が蘇るかもしれないだろう。そうなったら、状況は変わってくる」

ひかると話した感じでは、あかりちゃんの魂は肉体には宿っていない。ひかるの魂があかりちゃんの肉体に宿らなければ、あかりちゃんの肉体は滅びていただろう。

「ならば、しばらく様子を見るしかないでしょう。ただ、事故から5年以上が経っても、あかりちゃんの記憶が蘇っていない。これから元に戻る可能性は低いと思います」

あかりの父親も考えていたことだろう。克也の話を聞いて、俯いてしまった。


北海道に来て3日目、ひかるが退院する。

あかりの父親と今井と3人で病院に駆けつける。

「ひかる、準備はできた?」

ひかるは、キョトンとした顔で僕を見ていた。

「どうしたの、ひかる?」

「あなた、だれ?」

「えっ?克也だけど、ふざけてるの?」

「パパ、この人だれ?」

あかりの父親がひかるに近寄る。

「あかり?あかりなのか?」

「そうだよ。私どうしてここにいるの?」

今井も駆け寄ってきた。

「あかり、僕のこと覚えてる?」

あかりは今井の顔を見て、笑う。

「隆彦くん、何言ってるの。覚えてるに決まってるじゃない。ごめんなさい、こちらの人は、誰ですか?」

僕は言葉を失った。

またまた奇跡が起きたのだろうか。

五十嵐あかりの魂が蘇った。ということは、ひかるの魂が消えてしまった。

「おめでとうございます。元気になられて良かったです。五十嵐さん、あかりに戻って良かったですね」

あかりの父親が、僕の顔を見つめて言った。

「君には申し訳ないが、あかりに戻ってくれて、私は嬉しい」

涙を流していた。

大切な娘が5年ぶりに生還したんだ、当然の思いだと思った。

僕は心の中で、どこに消えたのかわからないひかるに話しかけた。

ひかる、本当に消えてしまったの?

どうして突然あかりちゃんの魂が蘇ったの?

ひかるにもう会えないのかな?

僕はこれからどうやって生きて行ったらいいのかわからないよ。こんな別れ方、辛すぎるよ。

一緒に東京に帰れると思っていたのに、このまま一人で東京に戻って、立ち直れる自信がありません。辛いよ、辛すぎるよ、こんな別れ方、僕は受け止められないよ、ひかる戻って来てくれよ、お願いだから、ひかる、返事をしてくれよ。

僕は身体の動かし方を忘れてしまったように、ただただ流れる涙をそのままに立ち尽くしていた。

病院から空港まで、どうやって移動したのか記憶がない。

飛行機に乗りながら、この飛行機が墜落してほしいと心で願ったが、無事羽田空港に到着した。

空港から自宅まで、タクシーで帰った。

かなりの金額がかかったが、ショックでどうしたら自宅まで帰れるのか、思考がまったく働かなかった。

僕はベッドの上で、眠りに就くまで泣いていた。


翌朝、携帯が光っていたので確認すると、メールが届いていた。

「克也、泣かないで、私は消えたわけじゃないから。あかりの魂が目覚めたのは確かだけど、今は一つの身体の中に二つの魂が宿っているの。私とあかりは、おそらく脳の中で会話ができるの。克也のことを説明したら、病室で号泣していたと教えてくれた。また、連絡するから、元気出すんだよ克也キャプテン」

ひかるのメールを見たことと、昨日の夜から10時間以上寝たことで、昨日の悲しみの中から少し元気になれた。

ひかるに早速返信をした。

「ひかる、会いたい。ひかるともう会えないと思ったら、涙が止まらなかった。父さんと母さんと弟に謝らなきゃなんないよ。ひかるを失うことが、人生で一番辛かった」

素直な気持ちをメールに込めた。

なんとか立ち直れるような気がする。

秋季大会に向けて、キャプテンとして新しいスタートが待っている。

ひかるのために、絶対に甲子園に行く。

自分のためより、ひかるのための方が頑張れるような気がした。


「隆彦くん、色々ありがとう。私が入院していた時、すごく手伝ってくれたって、パパが感謝してたわ」

隆彦に呼び出されて、あかりは家の近くのコーヒーショップに来ていた。

「そんなこと、当たり前だよ。あかりとは幼馴染だし」

「でも不思議よね、私の知らない間に私、東京に行っていたなんて。しかも、野球してたんだって、信じられる」

「本当、不思議だよね。もう、体調は大丈夫なの?」

「うん、全然平気。むしろ事故に遭う前より調子良いかも」

「あかりの貴重な5年間は失ったけど、生きていて良かったよ」

「ありがとう、まだこれからどうなるかわからないけどね。でも、せっかく助かった命なら、頑張って生きたい」

今井隆彦は、きちんと椅子に座りなおし、あかりに向き合って、呼び出した目的を実行した。

「あかり、俺と付き合ってくれないか?ずっとあかりのことが好きだった。病院で寝たきりのあかりの顔を見てて、自分の素直な気持ちに気付いたんだ。どうかな?」

「びっくりして、私まだ意識が戻ったばかりだし、精神的にはまだ中学生のままだから、男の人と付き合うとか考えたことがないの」

「でも、もう俺たち今年で17歳なんだぜ。あかりは親の許可があれば、結婚だってできるんだ」

「そうかもしれないけど」

「お願いだよ。俺と付き合ってくれよ」

「隆彦くん、そんなすぐ答えられないよ」

「あかりの身体の中に、もう一人、ひかるっていう女の子がいるんだろう。彼女は、この間東京に帰った男のことが好きなんだ。このままじゃ、あかりも一緒に奴に取られちまう」

あかりの強張った表情が、緩やかに穏やかに変わった。

「隆彦くん、あかりのことは諦めな」

今井は驚いたが、あかりの顔を見て、ひかるだと思った。

「君は、ひかるさん?」

「そうだよ。あかりは優しいからはっきり言わないけど、あかり、君のこと好きじゃないから」

「どうして、ひかるさんにそんなことがわかるんだよ」

「だって、私とあかりは一心同体だもん。あかりの気持ちが嫌でもわかるよ」

「嘘だ、君が青山のことが好きだから、あかりを巻き込もうとしてるんだ」

「あかり、ダメだな。あかりから言ってやんないと、納得してくれないよ。どうする、自分で伝える?‥‥わかった、ちょっと待ってて」

ひかるは今井に向かって言った。

「あかりに変わるから、あかりの気持ちをちゃんと聞いてあげてね」

ひかるの表情が緩やかに変わった。

「隆彦くん、私、好きな人がいたの。でも、それは隆彦くんじゃないの。ごめんなさい」

あかりは頭を下げて、今井に謝った。

今井は、あかりの気持ちを受け入れざるを得なかった。


秋季大会が始まり、順調に勝ち進んでいった。

上位チームが残ったトーナメントでは、もう油断ができない試合の連続だ。

疲労なのか、エースピッチャー森の調子が悪くなっていく。

失点も増え、1年生ピッチャー金子の救援登板が増えていた。

東京大会の準決勝、監督が先発に金子を指名した。

春のセンバツの出場権利を得るため、関東大会に出場できるかできないかの重要な一戦にエースの森を外した。

速球派の森に対して、技巧派の金子は、ボールを低めに制球して、ゴロのアウトを積み重ねていった。

終わってみれば、被安打3の完封で勝利を収めた。克也としても、コントロールの良い金子はリードし易かった。

勝利でチームが喜び合う中、浮かない顔の森がいた。

今は声をかけるより、そっとしておいた方がいいと克也は思った。

こうなると、勝てば春のセンバツ出場がほぼ確定する決勝戦も、先発は金子が指名された。

試合は息詰まる投手戦となり、ロースコアで進行していく。

5回表に1点を先制したが、7回裏に同点にされる。9回の表に克也がホームランを打ち、1点を勝ち越して最後の守備についた。

先頭打者をゴロに打ち取ったが、ショートがファンブルしてランナーを出す。

次の打者はバントの構えをしていたが、ストライクが入らず四球を与え、ノーアウト一二塁のピンチを迎える。

ここで監督は金子を諦め、森をマウンドに送る。

「森、たぶんバントをしてくる。落ち着いていこう」と克也は森に声をかけ、キャッチャーの定位置に戻る。

森の制球を考えると、四球を出すのが怖いので、速球のサインで外角いっぱいにミットを構えた。

案の定バントを決められ、ワンアウト二三塁になった。

次の打者は金子から二安打している好調の三番打者だ。四番打者がノーヒットだったので、敬遠して満塁策を取りたいところだが、森の制球を考えるとリスクが高い。

ベンチの監督を見ると、勝負の指示だった。

相手は初球から積極的に打ってきた。

打球は、森の球威に押され浅いセンターフライだった。

ランナーは自重し、ツーアウト二三塁で四番打者を迎える。

粘られフルカウントの10球目、外角低めいっぱいのストレートが克也のミットに収まった。

克也はミットを動かさずストライクをアピールしたが、主審の判定はボールだった。

それを見た森が、思わずはめていたグローブを外し、マウンドの上に叩きつけた。

すぐに主審から注意をされ、それを見ていた監督が森の交代を指示した。

急遽ツーアウト満塁でマウンドに上がった公式戦初登板の1年生ピッチャーはストライクが入らず、二者連続の押し出しでサヨナラ負けを喫した。

森は監督から叱責を受け、関東大会のメンバーから外された。

一回戦は、金子の粘りの投球と堅実な攻撃で得点を奪い勝利した。

しかし、二回戦で金子が終盤に打たれ、逆転で負けてしまった。

春のセンバツ出場は、どちらとも言えない微妙な状況で大会を終了した。

年が明け、センバツ出場校が発表され、我が校は推薦されなかった。

センバツ出場を期待していた二年生の部員は、森が審判の判定に逆らったことがマイナスになったと、落選結果で森を責めるものもいた。

完全に森は、野球部内から孤立していた。

僕はキャプテンとして、どうしたらいいのか毎日悩んでいた。

明らかに、雰囲気が悪い。こうなってしまったのはキャプテンの僕がみんなをまとめることができないからだ。

一人で苦しみ、頭がおかしくなりそうだった。

ひかるに会いたいな。僕の悩みを話したら、ひかるは何て言うかな。だらしないと叱るかな?頑張れって励ますかな?何を言ってもいいから、ひかるに何か言って欲しかった。

僕は我慢できずに、携帯電話を手に取った。

「もしもし、五十嵐あかりです」

今は五十嵐あかりさんなんだ。

「突然ごめんなさい、青山克也です」

「こんばんわ。ひかるさんから青山さんのこと、聞いています。野球で甲子園を目指してるんですよね」

「はい。春のセンバツは残念ながら選抜されませんでしたけど」

「じゃあ、夏が最後のチャンスですね」

「そうですね。夏は必ず甲子園に行くつもりです。ひかると約束したんです」

「ごめんなさい、ひかるさんにご用なんですよね」

「すみません。ひかるに変われますか?」

「ちょっと待っててください」

1分くらい無言が続き、ひかるの口調で声がした。

「克也、何にかあった?」

「どうして、そう思うの?」

「今の克也が、私に連絡してくるってことは、私の助けが必要だからでしょ」

「鋭いな、ひかるは」

「エースピッチャーのこと?」

「どうしてわかるの?」

「克也の学校の試合は、チェックしてるのよ」

「じゃあ、秋の東京大会の決勝戦のことも?」

「当然よ。森くん、自分に自信がなさ過ぎよ」

「どういうこと?」

「審判の一つの誤審で崩れるなんて、気持ちが弱いのよ。一つ、二つ誤審があっても勝つぐらい自信のあるボールを投げなさいよ。って、私なら言っちゃうかな」

「確かに、見た目より気持ちの優しいやつだからね」

「金子君が結果を出して、焦ってるだけでしょ。でもね、金子君にはないスピードボールがあるくせに贅沢よ。スピードがあるだけで緩急も使えるし、スピードよりコントロールの方が練習で補えるじゃない。むしろ金子君の方が森君に嫉妬してるのよ。だから、コントロールや球種で一生懸命対抗してるんでしょ。森君はもっと自分を冷静に見れたら、どれだけ自分が恵まれてるいるかわかるわ」

「さすが元ピッチャーだな。僕が気づかなかったことばかりだよ」

「最後にもう一つ、克也、あなたが一番自信を持ちなさい。監督が克也をキャプテンにしたってことは、あなたにはみんなを笑顔にする力があるってこと。克也が頑張れば、きっとチームは甲子園に行けるはず。私は知ってるよ、克也の本当の力を、だって私が育てたキャッチャーだからね」

最後にひかるは、冗談ぽく笑った。

「忘れてたよ。僕がここまで来れたのは、ひかるのお陰だってこと。僕はひかるのために頑張る。だって、僕の師匠で、僕のフィアンセだろう」

「克也、甲子園行けなかったら、婚約解消だよ」

「マジか!史上最大のプレッシャーだな。ひかる、ありがとう。やっぱり、電話して良かった。今日はグッスリ眠れそうだよ」

「甲子園、私も行きたい」

「一緒に行くぞ!約束だ、ひかる」

「克也なら大丈夫。私、信じてるから。おやすみ、克也」

電話を切ると、かなりの時間が経っていた。

ひかると話していると、永遠に話していられるような気がした。


僕は練習で、積極的に森に声をかけた。

ロードワークに付き合ったり、ピッチング練習でたくさんのボールを受けた。

「アウトコースの低めに続けて投げて。ここのコントロールが良くなれば、格段にピッチングの幅が広がるし、困った時の決め球になる」

森の制球が良くなっていくのが実感できた。

春季大会は、金子がエースでベスト4まで進んだ。他の3チームは、西東京エリアの高校だったので、夏の東東京予選では関東大学付属第一高校は、優勝候補筆頭の第1シードになった。

監督からベンチ入りメンバーの発表があった時、エースナンバーの1番を監督は金子から森に変更した。

「森、三年生だからエースナンバーにした訳じゃない。今のお前の実力で選んだつもりだ。期待してるからな」と、森に声をかけた。

その後、森は金子に声をかけた。

「エースナンバーは一つだが、一人で勝ち抜けるほど甘くないのはわかってる。協力してくれ、頼む」

「先輩、一緒に甲子園行きましょう」

森と金子はガッチリ握手をして、微笑み合った。

東東京予選では、森と金子の併用で勝ち進み、克也を中心に打線も活躍し、危なげなく決勝戦に駒を進めた。

ひかると約束した、甲子園出場をかけた戦いが、青空の下の神宮球場で今始まる。

相手は2年連続の代表校、帝北高校。

森と相手投手が好投を続け、5回まで互いに無得点だった。

グランド整備の時、克也がみんなを集めて円陣を組んだ。

「みんなにお願いがある。俺、好きな子がいるんだ。今は訳あって北海道にいるんだが、絶対甲子園に連れて行くって約束してるんだ。頼む、俺を甲子園に連れてってくれ」

二年生の金子が答える。

「先輩、僕も甲子園、行きたいです」

「よし、絶対甲子園行くぞ!」克也の掛け声に、全員が雄叫びを上げた。

6回裏、3番高田が四球を選んで出塁し、4番の克也に打順が回ってきた。

克也は初球から積極的に攻め、フルスイングで振り抜いた打球はセンターバックスクリーンに飛び込む先制ツーランホームランになった。

その後、8回に追いつかれなおもツーアウト三塁のピンチが続いた。

ここでピッチャーが森から金子にスイッチされる。

金子が投げた低めのフォークがベースでワンバウンドして、角度が変化した。

克也は身体で止めに行ったがボールがそれて後逸してしまった。

三塁からランナーが生還し、終盤に来て逆転を許してしまった。

8回の裏、9回の表は無得点に終わり、いよいよ1点ビハインドで9回裏最後の攻撃に移る。

先頭の打者がヒットで出塁する。

次はバントの上手い2番打者だったが、相手ピッチャーのフィールディングに二塁を刺され、ワンアウト一塁。

次のバッターの高田はバントが下手だったが、監督はあえてバントのサインを出した。

スリーバント失敗でツーアウト。

打席に向かう克也に監督が声をかけた。

「青山、今までの想いをこの打席にぶつけてこい」

大きな声で返事をした。

僕はその時なんとなく、360度のスタンドをゆっくり見渡した。

どうしてそうしたのか、自分でもわからない。

たくさんの観客の顔を見ていると、その中に僕はひかるを見つけた。

僕と目が合ったひかるは、Vサインを僕に掲げて、微笑んでいた。

この打席、僕は自分のためじゃなくて、ひかるのために打つと決めて、僕は大きく頷いた。

ピッチャーの投げたボールは、外角低めの少し外。しかし、主審の判定はストライク。

2球目、内角にすっぽ抜けたボール。しかし、ボールを避けた動作がスイングに取られ、ツーナッシングと追い込まれてしまった。

僕は一度目を閉じて、ひかるが言った言葉を思い出す。「一つ、二つの誤審があっても勝つぐらいの自信」

しっかり目を開け、3球目のボールに集中した。

高めの釣り球、僕は思い切ってバットを振った。バットの上っ面でボールを擦ったような感覚があった。ボールは高く上がり、万事休すかに思われた。

さっきまで無風だった上空の風が、ホームからレフト方向に吹き、ボールは風に乗って飛んでいく。ボールはギリギリでスタンドに入った。

サヨナラホームラン?一瞬頭の中が真っ白になり、わけが分からなくなったが、一塁ベースコーチが僕に教えてくれた。

「キャプテンやったー!サヨナラホームラン!甲子園出場だ」

僕は感動で、涙を流しながらダイヤモンドを一周した。

両校ホームベースを挟んで整列し、試合終了の挨拶を交わし、相手のキャプテンからエールの言葉を受け取った。ホームベース上で横一列になり、球場に流れる校歌を聴きながら歌った。校歌斉唱が終わると、ベンチ前に整列して応援団に感謝の挨拶をした。

スタンドにひかるの姿を探したが、目の焦点が涙でぼやけて見つけられなかった。

その後、表彰式と閉会式がグランドで行われ、僕は優勝旗を受け取り、チームメイトに掲げて見せた。金のメダルを首にかけ、観客の拍手の中、一糸乱れぬ行進でグランドを後にした。

ロッカールームで、みんなと抱き合い改めて甲子園出場を実感した。

一旦学校に戻り、校長室で校長に優勝報告をして、監督からの指示を聞いて、やっと帰宅した。

家に帰る間、ひかるの携帯に電話したが、電話に出る気配がない。

身体の疲労を感じていたので、寄り道することもなく家に帰った。

玄関の鍵を開けようとすると、鍵が開いていた。僕がすぐに家の中に入ると、靴脱ぎ場に女性の靴が揃えて置いてあった。

気持ちを抑えきれず、急いで靴を脱ぎ、リビングへ駆け出していた。

「お帰り、今日はお祝いだからすき焼きだよ」

エプロンをつけてキッチンに立つ、ひかるの姿があった。

「真夏なのに」

「うちは季節に関係なく、お祝いはすき焼きなの。文句ある?」

「文句ない」

「とりあえず、シャワー浴びて、着替えないと」

「ありがとう。ひかるのお陰だよ」

ひかるは野菜を切りる手を止めて、首を横に振る。

「お礼を言うのは、私の方。こんなに嬉しい気持ちになれたのは、克也のお陰だからね」

「すぐにシャワー浴びてくるから」

「そんなに慌てなくても、逃げないわよ」


克也は急いでシャワーを浴び、着替えてリビングに戻った。

「じゃあ、座って」

ひかるに言われて、いつもの席に座る。

「大人なら、お酒で乾杯なんだけど、私たち未成年だから、シャンパン代わりにジンジャエールで我慢して」

シャンパングラスに冷えたジンジャエールを注いで、祝杯気分を味わった。

「今日、来るって知らなかったから、スタンドで見つけた時、びっくりしたよ」

「飛行機の時間がギリギリだったから、最初から試合を見られなかったの。でも、克也のホームランが2本も見られるなんて思っても見なかった。しかも劇的な逆転サヨナラホームランだもんね」

「自分でも信じられない。でもね、ひかるを見つけた時、なぜか勝てる気がしたんだ」

「何で?」

「はっきりはわからない。でも、あの打席は、自分のためじゃなくて、ひかるのために打ちたいって思った。ガムシャラにボール球を打っちゃったけど、あの時だけ風が吹いていた」

「克也の努力を風が味方したんだね」

「ひかると出会ってから、すべてが変わったんだ。家族は失ったけど、その代わりひかると出会えた。本当に君には感謝してる」

「ありがとう。そう言ってもらえると、とても嬉しい。高校野球を引退したら、次はどうするの?」

「まだ先のことは考えてないし、考えられない。普通に考えれば、大学に進学だろうけど」

お腹いっぱいすき焼きを食べた後に、ひかるがコーヒーを淹れてくれた。挽きたてのコーヒーは香りが強く、とても美味しかった。

「今日はね、克也に話があるの」

「もしかして告白とか?」

「ちょっとだけ真剣な話」

「なんか怖いな、改まって話なんて」

「もしも私が消えても、克也には悲しまないで欲しいの」

「ひかるが消えるって、どういうこと」

僕は動揺した。

「落ち着いて聞いて、もしもだけど、いつまでも私とあかりがこの身体を共有することはありえないと思うの。いずれは片方の人格だけが残ると思う。どっちが残るかはわからないけど、元々この身体はあかりのものだから、普通に考えたらあかりが残ると思う」

「そんなのヤダよ。あかりちゃんには悪いけど、ひかると会えなくなるなんて、考えたくない」

「だから、もしもの話。でも、覚悟をしておいて。克也が一人で悲しんでる姿を見たくないから、お願い」

僕は冷静にはなれなかった。

ひかるがいなくなったら、僕も死ぬと思っていた。

「私がいなくなったら、自分も死ぬなんて、絶対に考えないで。克也がそうなったら、私悲しいから」

「今は何も考えられない」

「約束だよ。私、帰らなくっちゃ」

「えっ、帰るの?」

「当たり前でしょ。若い男の子の家に、こんな可愛い女の子が泊まったら問題じゃない」

「3年も一緒に暮らしてたのに」

「あの時とは状況が違うでしょ。もう兄妹じゃ通用しないよ。じゃあね」

荷物を持って、ひかるは玄関に歩いていった。

「こんな時間まで、飛行機あるの?」

「これから空港に移動して、早朝の便で帰る」

「空港まで送るよ」

「明日も練習でしょ。ここでいいよ」

「ひかる、甲子園で待ってるよ」

ひかるは振り向いて、克也の顔をじっと見つめた。

「そうだね。克也の活躍してる姿が楽しみだよ。そうだ、今日の優勝のプレゼントがあったんだ。克也、両手を前に出して、目を閉じて」

僕はひかるの言う通り、目を閉じて、手のひらを上に向けて両手を前に出した。

「これでいい?」

僕の唇に熱い感覚が触れた。

僕は目を閉じたまま、ひかるが消えないように強く抱きしめた。

唇が離れた瞬間、ひかるは玄関のドアを開けて、出て行った。

僕が追いかけてこないように、ドアを強く閉めたように感じた。


ひかるは泣いていた。

「本当にこれでいいの?」

「いいの。今まで、ありがとう。克也と三回キスしちゃったけど、許してね」

「私の初キスをひかるちゃんに奪われた感じ」

「もう最後だから許して」

「でも、克也さん、ひかるちゃんが居なくなったら立ち直れないんじゃない?」

「大丈夫、克也は今までも辛いことを乗り越えてきた男だから、きっと新しい幸せを見つけるわ」

「ひかるちゃん、本当に克也さんのこと愛してたのね」

「そうだよ。克也は最高にいい奴だもん。本当は、本当の私と普通に恋人同士になりたかったな」

「本当はこのまま」

「ダメだよ。あかりはあかり、私とずっと一緒になんて無理。当然の選択なんだよ。あかり、ありがとう。じゃあ、お別れだよ」

「ひかるちゃん」

あかりの身体の中からひかるの魂が消えた。

飛行機の中、あかりはハンカチで顔を覆って、声を上げずに泣いた。


JPNテレビ、朝のニュースをお伝えします。

羽田発旭川空港行き、新日本航空4781便は、先ほど羽田空港を離陸しましたが、上空で隕石らしき物体とあわや衝突する状況だったことがわかりました。パイロットから管制官に入った情報ですと、機体から約500mの位置を赤く燃えた隕石らしき物体が通過したとのことです。旅客機はそのまま飛行を続け、予定通り旭川に向かっています。日本周辺に隕石が落下した可能性は低く、大気中で燃え尽きたものと思われます。


「全国高校野球選手権大会、閉会式を行います。大会委員長、挨拶」

関東大学付属第一高校の皆さん、優勝おめでとう。9回ツーアウトからの逆転勝利、10点差からの大逆転など、今大会では奇跡的な試合が数多く見られ、高校野球の醍醐味、面白さを感じる歴史的大会となりました。特に、優勝した関東大学付属第一高校は、キャプテンを中心にチームの結束力が非常に高く、最後まで諦めない不屈の精神で、優勝候補の高校を次々に倒し、誠に素晴らしいチームでした。清々しい感動をありがとう。大会委員長として、大会を盛り上げてくれた全国の高校球児、学校関係者、ご家族の皆さま、高校野球ファンの方々に感謝を申し上げます。


閉会式のあいだ、克也は深紅の優勝旗を持って、ずっと天を仰いでいた。

青く広がるあの空の向こうに、ひかるが喜び、笑う顔が見えていた。

「僕は、ひかるより誰かを愛する自信がない」

と、心の中で呟くと、ひかるの声が聞こえた。

「私は、克也しか愛してないよ」

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

ひかるとあかり @LIONPANDA1991

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ