初恋の君へサヨナラ
碧月 葉
初恋の君へサヨナラ
美しいフォームから放たれた球は乾いた音と共にミットに吸い込まれた。
浅野先輩の投球……眼福過ぎる。
試合開始以降私の胸は高鳴りっぱなしだ。
今日は会社の職場対抗野球大会。
感染症の影響で、ずっとできずにいたため4年ぶりの開催となる。
これは社員とその家族のための交流イベントで、マウンドでは熱戦が繰り広げられているが、周囲ではレジャーマットを広げてピクニック気分で応援に来ている家族も多い。
私はこの日をずっと心待ちにしていた。
何故なら小学、中学、高校と憧れ続けた初恋の人、浅野先輩が出場するからだ。
また彼の野球姿を見る事ができるなんて、思わなかった。
いや嘘だ。
下心があったからこの会社に入ったのだ。
あわよくばまた見る機会があるのではと。
そしてようやくその時が巡ってきた。
決勝戦は我が「総務部&人事部」vs浅野先輩もいる「営業部&技術部」の戦いだった。
浅野先輩の投げる姿、走る姿、ガッツポーズ、雄叫び。
ああもう、これがもう一度見れるなんて。
ありがとう社長……あなたは神様です。
勝ち負けなんてそっちのけで、ただただ幸せに浸っていた私の背後に悪魔が忍び寄っていた。
「おい原田、出るぞ」
振り向くと人事部長がニヤリと笑っていた。
「はい?」
「この試合勝ちにいく。女性が1回分入れば1点もらえる事になっている。相手チームにその用意はない。最終回うちはお前で獲りにいく」
試合は5–5の同点。
いくら営業部に負けたくないからって部長、ここにきてその作戦⁈
「何で私ですか?」
「よく見ろ、うちの部でガチのジャージで来ている女性社員はお前だけだ。それにな……俺の目に狂いはない」
人事部長は不敵な笑みを浮かべた。
部長の意向には逆らえない。
私は軽く柔軟をしてベンチに向かった。
「よし、来たか原田。ショートに入れ」
ベンチに行くと、大リーグチームの野球帽を被った総務部長にそう指示された。
—— ショート⁈ 守備の花形ポジションでしょ⁈ アナタ野球分かってますか?
「心配するな原田。セカンドとサードが守備範囲広めにしてカバーするから、お前は立っているだけでいい」
こっちの部長もニヤリと意味深な笑みを浮かべた。
くそう……我が社きっての腹黒コンビめ。
「お、お願いしまーす」
「原田さん、怪我しないように気をつけてね」
「はいっ、お邪魔にならないように頑張ります」
私はトコトコとショートポジションに入り、腰を落としてマウンドを見つめた。
急なメンバーチェンジに相手チームもソワソワしている。
わー、技術部長がこっち見て睨んでる。絶対卑怯な手使いやがってって思っているよ〜。
9回表、ゲームカウントは5-5。
ノーアウトランナー無し。
ワンストライク、ツーボール。
甘く入ったストレートは強烈に打ち返されて。
スパアンッ
と私のグローブに飛び込んだ。
球場にどよめきが起こる。
「ナイスキャッチだよ。原田さん大丈夫?」
サードの岡村先輩が気遣うように声をかけてきた。
「びっくりしました。手がじんじんしてます」
私はえへへと笑顔で応えた。
しかし、次のバッターにもストレートが甘く入り、ホームランを浴びてしまった。
そして、続くバッターには変化球を上手く捕らえてヒットを打たれた。
4人目。
ワンアウトランナー一塁。
ツーストライク、スリーーボール。
ピッチャーの投げた変化球はバットに当たった、しかし飛ばずに転がってくる。
ショートゴロ!
私は飛び出すと、その球を拾いセカンドベースに向かって放った。
私の球をキャッチしたセカンドは素早くファーストへ送球。
「アウト!」
よっしゃぁ。
我ながら鮮やかなダブルプレー‼︎
アレ?
せっかく社会人デビューして「可憐な総務の原田さん」ってポジションを築きつつあったのに! 良いのか私?
「原田さん、ひょっとして経験者?」
「アハハ……昔、リトル・リーグのチームに少し……ソフトも少々……」
「じゃあ、打席も期待だね。逆転優勝しよう」
チームメイトとハイタッチをしてしまった私。
そして打席は、本当に逆転の場面で回ってきた。
ゲームカウントは5-6で、特別ルールのポイントを加えても6-6だ。
そして、ワンアウト2、3塁。
一打逆転のチャンスだ。
ピッチャーマウンドには浅野先輩。
大分疲れが溜まっているようだが、その目は闘志に燃えている。
ゾクゾクするほど格好良い。
一球目、伸びのあるストレートが入ってきた。
良い。容赦のない一球。良い!
はぁぁ、浅野先輩との対決だなんて、リトル・リーグ以来……10年以上ぶりだ。
人事部長、総務部長……悪魔だなんだ思ってすまなかった。あなた方は天使だよ。
この打席に立てたなんて幸せ過ぎる。
会社の「素敵なお嬢さんポジション」なんて霞んじゃうくらい、かけがえの無い瞬間だ。
ボールがくる。
ほら、そろそろくると思ったよチェンジアップ。
私は、ほんの少しタメを作って準備し、ボールをバットにのせた。
それは浅野先輩の頭上を弧を描いて飛んでいき、サヨナラヒットになった。
後日、野球部から入部の誘いがきた。
そんなつもりは無かったので、これは正直どうしようか迷っている。
そして、浅野先輩から昼ごはんに誘われた。
これは嬉しい誤算だった。
11時55分。
胸は高鳴り、お腹はグウと音を立てた。
サヨナラから始まる恋……そんな風になったら良いな。
と今日のランチに夢を膨らませてしまう私なのであった。
初恋の君へサヨナラ 碧月 葉 @momobeko
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