新しいことを始める日

尾八原ジュージ

ハッピーバースデー

 新しい一年の初めには、なにか新しいことに挑戦したいものだ。あなたも御多分に漏れず、誕生日に何かやったことのないことを始めようと思い立つ。

 でも具体的に何を始めるかといえば何も思いつかなかったものだから、あなたはとりあえずホームセンターに向かう。ホームセンターには色々なものがあるからだ。本来なら今日は出勤日だが、昨夜のうちに職場に爆弾をしかけておいたので、無断欠勤しても大した問題にはならない。

 あなたはホームセンターに到着する。入り口に並べられたプランターや花の種などを眺めながら、ガーデニングも悪くないなと夢想する。でも、ホームセンターは広い。せっかくだから、もっと色々なものを見てから決めたい。

 あなたはホームセンターの中に入り、様々なものを物色する。自転車、時計、家具やカーテン、水槽と小さな魚たち、セメント、工具、鎧、拷問器具、爆薬まで置いてある。万が一街にゾンビがあふれたらここに立てこもろう、とあなたは決める。

 ぴかぴか光る大きなチェーンソーが壁にかかっていて、あなたにはそれがとても素敵なものに見える。あなたはチェーンソーを購入し、レジに立っている店員に「今日、私の誕生日なんですよ」と軽く自慢をする。店員は我がことのように喜び、バースデーカードと花の種、そして充電済のバッテリーまでおまけにつけてくれる。

 あなたは自分の背丈ほどもあるチェーンソーを肩に担ぎ、小粋なステップを踏みながらホームセンターを出る。春だ。空は青く、空気は暖かく、小鳥が鳴いている。とてもいい日だ。早くこのチェーンソーで何かを切ってみたいが、切るのにちょうどいいものが見当たらない。

 切るものを探して辺りを見回しながら歩いているうちに、あなたは公園にたどりつく。首からタオルを下げたランナーが汗を拭いながら通りすぎ、ふわふわのポメラニアンがお尻を振って飼い主と歩いていく。噴水が透明な水をきらきらと噴き上げ、その手前で若い男女が、恥ずかしげもなくべたべたと口づけを交わしている。ディープキスを交わすうちに盛り上がってきたと見えて、男は女の胸を揉みしだき、女は男の股間を撫でまわし始める。幼い子どもを連れた母親が顔をしかめ、幼子をさっと抱き上げて遠ざかるが、男女は気にも留めない。

 白昼堂々えーかげんにせーよと思ったあなたの肩には、ぴかぴかのチェーンソーが載っている。まさに天からの導き、これこそ神が我に試し切り用の生肉を与えたものである。そう感じたあなたは、肩から降ろしたチェーンソーを両手に持ち、高鳴る鼓動を胸に感じながら、一歩一歩カップルに近づいていく。胸のときめきに震えながらチェーンソーのスターターロープに指をかけたとき、突然巨大なサメが噴水から飛び出してくる。

 鋭い歯が並ぶ大きな口が、カップルの上半身をまとめてバクンと飲み込む。男と女の下半身が、鮮血を噴き上げながら敷石の上に転がる。

 サメは水のあるところにならどこにでも出没する。あなたも御多分に漏れずそのことは承知している。でも、この時ばかりは裏切られたと感じる。一年に一度の誕生日、そして一生に一度の試し切りを邪魔された恨みは深い。

 サメの蛮行を目撃した人々の間から悲鳴が上がる。このままでは罪なき一般人までも犠牲になりかねない。

 あなたはチェーンソーのスターターロープを引く。勇ましい音をたてて、チェーンソーの刃が回転する。あなたはチェーンソーを振り上げ、サメの血まみれの顔めがけて振り下ろす。

 しかしそれよりも早く、猛烈な衝撃があなたを襲う。あなたはチェーンソーごと吹き飛び、敷石の上に叩きつけられる。サメが大きな尻尾であなたの胴体を横から殴ったのだ。理解したときには、サメはもうあなたを標的に決め、血まみれの悍ましい顔をこちらに向けている。

 あなたは起き上がろうとするが、強打した腰が痛む。持ちなれないチェーンソーはとっさに構えるには重く、サメは速い。牙が眼前に迫る。間に合わない! あなたは頭を覆い、目を閉じる。辞世の句を詠もうとする。

 だがそのとき、あなたは自分のものではない悲鳴を聞く。サメの悲鳴だ。そう、こういうサメは吼えるものだから。

 あなたは目を開く。サメの頭部が燃えている。青い炎が鮫肌を焼いている。その向こうに、先ほど幼子を連れて通りかかった母親が、火炎瓶を手にしているのが見える。最近の幼子をもつ親というものは、子供をあらゆる危険から守るため、なにかしら武器を持っているものである。特に投擲武器を持つ親は多く、出産祝いとしても人気を集めている。実はあなたも、友人のために一箱購入したことがある。

 それはともかくサメは悲鳴をあげ、たまたま頭を覆っていたあなたは無傷である。しかし護身用の火炎瓶ひとつでは巨大なサメを倒すには至らず、サメは頭部から焔をあげながら、なおもあなたに噛みつこうとする。

 その横面に、走って戻って来たランナーが飛び蹴りを入れる。牙を剥きだしたポメラニアンが、涎を垂らしながらサメに襲いかかる。

 その間にあなたは立ち上がる。偶然居合わせた皆が作ってくれた隙に感謝しながら、あなたはふたたびチェーンソーを構え、サメに切りかかる。回転する刃を掲げて高くジャンプし、天を向いたサメの鼻面から地面へと一文字に切り下す。あなたの手で両断されたサメはまっぷたつに裂け、敷石を真っ赤に染めながら絶命する。

 あなたの素晴らしい活躍に、居合わせた人々が拍手をする。あなたは照れて真っ赤になりながら、チェーンソーの動きを止め、「こちらこそありがとう」と言って頭を下げる。

「素敵なチェーンソーですね」

 ポメラニアンの飼い主が声をかけてくる。改めて見ると、大層なイケメンである。彼はポメラニアンを拭きながらチェーンソーを褒めそやしたあと、「もちろん、あなたもとても素敵です」と付け加える。

「どうもありがとう」

 あなたは大層照れながらお礼を言い、「実は誕生日なんです」と言い足す。

「それはそれは、おめでとうございます」

「おめでとう」

「おめでとう」

 人々があなたを囲んで拍手をする。通りすがりのストリートミュージシャンがギターをかき鳴らし、皆はあなたのために『ハッピーバースデー・トゥー・ユー』を歌う。

 あなたはホームセンターでもらった花の種を、巨大なサメの死体の上に撒いてやる。種はあっという間に死肉の中に根を下ろし、物凄い勢いでタンパク質を分解して土に変えながら、色とりどりの花を咲かせる。こうしてできた花壇にはあなたの名前がつけられ、子々孫々までその名を伝えるのだが、それは後々の話だから置いておくとして、あなたはチェーンソーを担いで家に帰る。帰宅した家族と美味しい食事をとり、プレゼントを受け取り、楽しい時間を過ごしたあと、あなたは寝る前に日記に「すばらしい誕生日だった」と書いて、今日という一日を終える。

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