Re:bright ~もう一度、輝くために。~Ep.1

川中島ケイ

Re:bright Ep.1 『ハミングバード』

 急な左カーブを曲がり切ると、目の前の視界が突然開ける。


 カーブでのロスを無くして内側に進路を取る馬、外側に持ち出そうとして目の前に来る馬を躱すと先頭を走る馬たちの後姿が見える。距離にして10馬身、といったところか。


「さあ先頭はあと400メートルのマイル標識を通過! ここから後続もどんどん押し寄せる! この中からトップでゴールを切るのはどの馬か!? 」


 ここから加速の指示を出そうと僕がステッキを振るうより早く、フォームが沈み込み一気にスピードが上がる。そうか、乾坤一擲の勝負に関しては僕よりも彼女の方が大先輩だったな。


「先頭を走るのは昨年のこのレースの覇者ナイトカーニバル! だがそこに昨年の桜花賞馬ライズプリンセスもやってきている! 優勝争いはこの2頭に絞られるか!? 後続はどうか!?」

 

 前を走る馬が6頭・5頭と減っていき、先頭までが5馬身・4馬身と縮まっていく。跨っている彼女からはまだまだ底知れぬパワーを感じる。僕が騎手になったばかりの頃に感じたのと同じ、何処までも飛んで行けそうな感じだ。こんな状態になった彼女に、届くかどうか?なんて質問はもはや愚問だ。周りがまるでスローモーションの様で、スピードの絶対値が違い過ぎる。


「なんとなんと大外からブリリアントスター!! 先頭2頭を一気に差し切ってそのままゴール!

 春の女王を決めるヴィクトリアマイルは同期の女王と1歳年下のクラシック馬を下して、輝きを取り戻した2歳女王の復活劇だ!! 」


 どよめく観衆と自分や騎乗馬を呼ぶ声にようやく、勝ったんだなと実感がわいてくる。これまでの自分の努力やこの馬の勝ちきれない日々の全てがようやく報われたんだと思うと、言葉にならない思いがこみ上げてきて僕は思わず右腕を振り上げた。


 

 ……ところで目が覚めた。右腕を天井に振り上げたまま、だ。

 


「また、あの時の夢……か」

 

 

 昼下がりの弱い日差しが薄暗い部屋に差し込んでいる。窓の外からは時折通り過ぎる車の音以外には何も聞こえない。


 引っ越してきたばかりの六畳一間のボロアパートは真新しい畳の匂いでは無く、かび臭い時化た匂いと壁に染み付いた煙草の匂いがした。そんな所だが何1つ気にせず大の字で寝転がりながら、その部屋の主はただ茫然と天井を見上げて考えていた。



「あーあ、これからどうするかなぁ。俺」


 

 男の名は加賀 流星、25歳。

 JRA(日本中央競馬会)関東所属、今年の3月で8年目となるフリー騎手だ。


 フリー騎手、と言えば聞こえはいいが、実際の所は所属厩舎の解散に伴って無所属と成らざるを得なかっただけの話。今、彼がいるこの部屋にしても住まいだった所属厩舎内の部屋を出なければいかず、急いで近場のすぐに入れる安いアパートを借りただけなのである。


 成績は通算1656戦中98勝。重賞2勝、うちGⅠも1勝と決して悪くない成績だが、大きな勝ち星も含めて勝利数の3分の2は3年目まで所属していた新進気鋭の厩舎に居た時のもので、その後は毎年1桁勝利と厳しい数字が並んでいる。なので所属厩舎の解散が決まった時も新人騎手としての減量特典も無い、若手というにも微妙な年齢の彼を自分の厩舎の所属騎手に、という声は何処からもかからなかった。


 そして厩舎が2月末で解散して初の週末である3月最初の土日である今日。彼が引き受けられた騎乗依頼は、たった一鞍も無かった。


 

「すまねぇな、アンちゃん。お前さんに騎乗まで頼める馬はいねぇんだ。

 来週になればまた頼める馬も出てくるとは思うからよ」

 

 元所属厩舎と懇意にしていて普段から調教を手伝っていた厩舎のスタッフからはそう言われたが、この業界に数年も居る身としては何を意味するかは分かっている。新人ジョッキーへの乗り替わりだ。


 毎年3月になると競馬学校の騎手過程を卒業した新人が、ここ関東の美浦と関西の栗東に分かれて何処かの厩舎所属としてやってくる。彼らはレースでの騎乗経験こそまだ未熟な代わりに減量という特典を持っているのだ。

 

 競馬における減量特典とは普段、乗り手と装備を合わせて52キロから56キロほどを乗せて走る競走馬が、条件戦などに限られるが新人で30勝以下の騎手ならば負担する重量が4キロも軽くなるというもの。クビ差ハナ差の違いを競うレースにおいて、背負う重さが4キロ違えば4馬身(馬を横から見て4頭分の長さ)分の差になる。

 

 条件戦を勝ちきれなくてどんな事でも試してみたいと思っているスタッフや馬主にとってコレはまさに渡りに船で、逆に大きなレースには出られず条件戦で戦う馬を主な乗り馬とする中堅以下の騎手にとっては立場を脅かされるものなのである。


 

 現在、中央競馬に所属する騎手は約150名。開催される関東・関西・ローカルで単純に等分したとしても50名ずつとなる中から1つのレースに出られるのは最大でも18名。人気の騎手ならば当然、1日12レースのうちほとんどのレースに騎乗依頼が殺到するが、その裏で『どの開催会場にも、どのレースにも騎乗機会に恵まれない騎手』という者も存在する。

 

 ひとたびそうなってしまえばやはり「騎乗経験の足りない騎手には騎乗は頼まない」と思われて段々と騎乗依頼も少なくなる。当然、若くて勢いのある騎手に騎乗経験も機会も奪われるという悪循環に陥る。その先に待っている結果は……言わずもがなだ。


 一緒に騎手デビューした6人のうち、3人はもう既にそんな状況に追いやられ、人知れず鞭を置き騎手という仕事から離れてそれぞれの生活を送っている。そんな中で必死で彼はもがいていた。



 そもそも彼がこんなにも追い詰められたのは最初に所属していた厩舎を出た時に起こったが原因だ。そのせいでそれまで協力的だった付き合いのある厩舎の調教師や厩舎スタッフからも疎まれ、馬主からも『あの子に頼むのはちょっとねぇ』と敬遠されて全てを失った。


 そんな彼を拾い上げてくれたのは定年まで間も無いひとりの老調教師。そこには噂を鵜吞みにして彼を敬遠するような厩舎スタッフも居なかったが、代わりにもう定年近くなった老調教師の所には大きなレースで勝ち負けになるような期待馬は入ってくることは無く、当然のように勝てるチャンスは極端に少なくなった。そして、その厩舎ですら解散となった彼にはもう、居場所がなくなってしまったのである。


「くそっ……絶対にこんな所で終わってたまるかよ」


 一旦下ろした拳をもう一度、天井に振り上げて誰に向けてでもなく呟く。


 まだ自分は何一つ借りを返していない。自分を貶めたあの調教師に目にもの見せてやると誓って歯を食いしばった事も、自分を拾ってくれた老調教師の為に大きなレースをもう一度勝つと決めた約束も、まだ果たせないままだ。このまま騎手を続けるという道が間違っていないのかも分からないけれど、このまま振り上げた拳を降ろして幕を引くわけにはいかない。


 

 そう決意した彼は週末のレースが終了して『全休日』となった翌日の月曜日、ある厩舎へと足を運んだ。福山厩舎__解散した老調教師の厩舎所属馬がそのまま移転した、開業間もない新厩舎だ。


「お願いします! どうかあの馬に乗せてください! 」


 彼が頭を下げて乗せて欲しいと懇願したのは重賞で勝ち負けになるような馬ではなく、まだ有力馬ではない一頭の三歳馬。


 リブライト・3歳牡馬、2戦1勝。父は自分の騎乗で青葉賞を勝って福山とダービーに挑んだスカイリット。そして母は自分が唯一のG1タイトルを獲った時に乗っていたブリリアントスター。


 クラシックが期待されるような馬では無いけれど彼にとっては特別な馬で、ずっと調教では自分が乗り続けてきた馬だった。レースでは以前の厩舎と繋がりのあったベテランの騎手が2戦とも乗っていたが、厩舎が変わったのだからその縛りも無いハズだ。


「うーん、僕も加賀君を乗せてあげたい気持ちはあるんだけどね、これまで乗っていた横浜騎手さんが何て言うか……」

「俺がこの馬を、必ずG1の舞台に連れていきます。そして絶対、この馬でG1を勝ってみせる。それが叶わないとしたらもう騎手を辞めても良い、今日はそれぐらいの覚悟で来たつもりです! 」


 そう言って再度、帽子を取って深々と頭を下げる。その言葉を聞いて、それまでは若手の必死のお願いに少し困惑気味といった感じだった福山だが、そこまでの覚悟を伝えられると表情が変わった。


「確かに……僕にも『絶対にこの馬で、自分の騎乗で』と思う馬が居たよ。僕は叶わなかったけれど……きっとあの時の自分はこんな顔をしてたのかなって、今の加賀君を見ていたらそう思った。横浜騎手には、僕から何とか言っておくよ」

「ありがとうございます、福山先輩! 」

「おいおい、それはもうやめてくれ。今はもう騎手じゃないんだからさ」


 深々と一礼して厩舎の事務所を出ると、彼は思わず走り出していた。後に彼を象徴する相棒となる「もう一度、輝きを取り戻す」という名の付けられた馬の元へ。


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