第30話 音のあふれる世界

――それから一週間後の事――


「…で、打ち上げの場所がなんで俺の家なんだよ…」

「いいじゃないか。どうせ招き入れる相手なんて他には誰もいないんだろう?」

「おっじゃまっしまーす!」

「…ったく…」


 僕は仕事終わりに遠山を引き連れ、はやとの住む自室を訪れた。彼とは長い付き合いではあるものの、ここを訪れるのは初めてであるので、僕は心の中で新鮮味とワクワク感を感じていた。

 僕たちを迎えるはやとは、口でこそやれやれといった雰囲気を醸し出しているものの、その表情はどこかうれしそうで陽気に感じられた。


――――


「あれから一週間たったわけだが、どうなったんだよ、いろいろと」


 コンビニで買ってきた枝豆を口にしながら、はやとが僕に対してそう問いかける。


「うん。黒田さんは会社を追われる事になったってさ。さらに今後の動き次第では、刑事事件になる可能性もあるって」

「まぁ、妥当だわな。あれほどの事件をひた隠しにしてきた黒幕なんだから」


 それに関しては、僕も全く同意見だ。さやかだけでなく、多くの人たちを苦しめ続けてきたうえに、その事を反省もせず隠蔽し続けてきたような男に、同情の余地などあろうはずがない。


「ほかの連中はどうなったんだ?」


 今度は焼き鳥を頬張りながら、はやとは僕にそう問いかけた。


「滝本さんは事故調査委員会から話を聞かれてはいるみたいだけど、彼は命令のままに仕事をしただけだし、当時から黒田さんに意見書を出してるくらいだから、何事もなく終わるんじゃないかな。…あと、金田さんは結局自分から会社やめちゃったんだってさ」

「…金田さん、今までどんな思いだったのかなぁ…」


 グラスを口に運びながら、遠山がどこか遠くを見るようにしてそう言った。…確かに、結局最後まで分からなかったことを上げるとしたら、金田さんがその本心で何を考えていたことか、だ。

 でも、金田さんはこの一件に満足しているのではないかというのが僕の思いだ。証拠も確証もない、ただの妄想だけれど、最後の瞬間に見せてくれた彼の表情は、きっとそうではないかと僕に感じさせるには十分なものであった。


「そうそう、俺からもひとつ知らせておこう。今回の始まりの男、木田についてだが、この間国税にパクられたんだとよ。人伝いに聞いた話じゃ、やはりあの3000万円は黒田から渡されたもので、渡された理由は木田がフィーレントの秘密に気付いたから、それを口止めするためだったんだと。全額現金で渡されたらしいが、一度に3000万円すべてを口座に入金すると目立つから、100万円ずつ小出しにして入金したと」

「ありゃぁー。木田さんもいずれは会社を追い出されるかもしれませんねぇ」

「だな。どうやら国税が調べたところによると、これまで以前にもあいつは会社の金に手を付けたり、実態不明の金を受け取ったりしていた様子だ。あいつの今後の進退が楽しみだぜ♪」


 はやとはそう言い終えると、グラスに注がれたビールをグビグビと体の中に流し込んでいく。その姿に見惚れ、僕もまた同じことをしようとしたその時、はやとが真剣な表情で僕にこう言葉をかけた。


「…で、つかさよ。これからどうするつもりんなんだ?」


 はやとは僕の目を見据え、そう言った。そんなはやとの隣では、遠山もまた静かに僕の返事を伺っている。 

 僕はそんな二人の表情を順番に見つめ、少しの間をおいてこう答えた。


「僕は、リースリルに入ることに決めたよ」


 …僕の返事を聞いた二人は、最初こそ驚いたような表情を浮かべ、互いに視線を合わせた様子だったけれど、すぐにその表情に笑みを浮かべると、こう言葉を返してきた。


「腐った会社に自ら入って、立て直すってわけか。命知らずだねぇ」

「ほんと、先輩はお人好しがすぎますよー!」


 二人は僕の決意に対し、やれやれといった表情を笑みとともに浮かべた。


「実はあの後、金田さんから話をされたんだ。黒田さんと自分の二人がいなくなった後を、君に引き継いでもらいたいってね。金田さんはリースリルのリセットを望んでいたけれど、それは彼がリースリルを愛しているからこそ。どん底に落とされたこの会社を、君に救ってやってもらいたい。金田さんは僕にそう言ったんだ」

「はぁ…。どこまでも自分勝手な…」

「ですね…。先輩も先輩で、どこまでもお人好し…」

「な、なんとでも言え…」


 そう言いながら、ジト目で僕の事を見つめてくる二人。…分かってるさ。僕だってこれを引き受けるのはどうなんだとは思うよ?でもR926の開発を再開させて、さやかの体に届けるためには、まずリースリルそのものを立て直さなきゃいけないわけだ。…もちろん、そんな簡単にうまく行くわけはないけれど、それでも今の僕にはやるしかないんだから。


 そう心の中につぶやいていた時、二人が続けて僕に対し言葉を発した。


「…で、俺たちはいつから出勤したらいいんだ?」

「まさか先輩、一人で抜け駆けするわけじゃないですよね??」

「…へ??」


 …一瞬、僕には二人の言葉の意味が分からなかった。しかし、頭の中で言葉を整理すればするほど、二人の表情を目で見れば見るほどに、二人の思いがひしひしと僕の心に伝わってきた。


「大銀行でそこそこの立場を持ってるんだ。リースリルじゃ財務担当の良いポストを用意してくれるんだろ?製剤開発部の新統括さん?」

「僕だって研究職なんですから、役に立てますよ!」

「ふ、二人とも……」


 二人の思いは、僕にとって想像だにしていなかったものだった。これから先、一人でリースリルを立て直さなければならないというプレッシャーを、言わないまでも心の奥底に抱えていた僕。…二人はそんな僕の事を思ってくれるばかりか、ともにリースリルで戦ってくれるのだという…。二人の思いに、僕はなんとお礼を言ったらいいのか…。


「おいおい、しんみりされても困るぜ。今日はいわば新しい道への門出を祝う会だ。さぁ、もう一度乾杯しようぜ」

「ですね!!さあ先輩、今にも泣きそうな顔してないでさっさとグラス持ってください!!」

「わ、分かってるよ!!」


 これから先の道は、これまで以上に過酷なものになることだろう。けれどこの瞬間、僕は未来を確信した。この仲間たちが集まってくれたなら、リースリルを立て直し、さやかに”音”をプレゼントすることなど、赤子の手をひねるよりも簡単な事なのだから。







――?年後――


「そういえば高野さん、今日は昼上がりじゃなかったですか?」

「ああ!!そうだった!!!」


 すっかり研究に夢中になっていた僕は、滝本さんからの言葉を受け、頭の中にある約束を思い出す。


「先輩、後の事は僕と滝本さんが片付けておきますから、早く行った方がいいですよ!!」

「あぁ、すまない遠山!ありがとう!」


 共に働く遠山と滝本さんからの手助けを受け、僕は最速で自分の荷物を片付け、退勤の準備を進める。


「滝本さんも申し訳ない!せっかくこうしてリースリルに戻っていただき、研究に手を貸していただいているというのに、なんだかバタバタとしてしまって…」

「いえいえ、お気になさらず。私はここで本当に楽しくやらせていただいておりますので(笑)」


 そう言いながら笑みを浮かべる滝本さん。あの一件の時は暗く悲しい表情しか見せていなかった滝本さんのことを思うと、こうして明るい雰囲気を醸し出してくれていることが、僕は本当にうれしかった。


「それじゃあ、僕はこれで失礼します!あとの事はお願いしますね!」


 僕は二人に早口でそう告げると、急ぎ足で会社出口を目指して駆け始めた。早歩きで廊下を駆けるその途中、僕は財務担当部の部屋の前を通り過ぎた。その時。


「おいおい、部長の俺になんのねぎらいの言葉もなく早上がりか?研究統括はうらやましいねぇ~」


 にたにたと気持ちの悪い笑みを浮かべながら、はやとが僕に対してそう言った。僕は足を緩めることなく部屋の前を通り過ぎると、振り返ることなく彼に向けこう叫んだ。


「今日は特別なんだよ!じゃあ!」

「特別、ねぇ…(笑)」


――――


 時刻はちょうど13時を示そうかという頃、僕はぎりぎり約束の場所にたどり着くことができた。


「(今日はイルカのショーの日だったか…。ほんと良かった~間に合って…)」


 そう、今日は僕がよく知る動物園でイルカのショーが行われるのだ。土曜日だけあって人だかりができており、入場前からすでに混雑ムードが漂う…。


「(…これじゃあ、落ち合うのも難しそうだなぁ…。今はどこにいるんだろうか…?)」


 集まる場所は動物園の中としか言っておらず、具体的な場所を決めてはいなかった。目印のある分かりやすい場所に集まろうと考えた僕は、周囲を見回し、なにか集合場所になりそうないい場所はないだろうかと考えてみる。その時…。


ピシピシ

「(…???)」


 頭の横のあたりに、なにか小さなものが当たっているような感覚を覚える。…一体なんだろうと思い足元を見まわしてみると、なにやら米粒ほどの小さな小さな石が投げつけられているようだった。

 …その射線上と思わしき方向に視線を向けてみると、速攻で容疑者が見つかった。


「…さやか!よくもやったな!(笑)」


 僕は数メートルほど先に、いたずらっ子のような表情を浮かべるさやかの存在を視界にとらえた。そしたら彼女もまた僕に気づかれたことに気づいたのか、はっとした表情を浮かべてその場から足早に離脱を始めた。

 僕はそんな彼女の後姿を見ながら、大きめの声を上げて彼女に向けこう言った。


「さやかー!走ったらあぶないよー!」


 すると、さやかは自身の足を止めて僕の方へと振り向いた。

彼女は僕の事を目でとらえながら、明るい口調でこう言葉を返した。


「はやく行かないと!イルカのショー始まっちゃうよ!!!」


 そこには、これまで以上のにまぶしく輝く彼女の笑顔があった。

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失われた君の音を取り戻す、その日まで 大舟 @Daisen0926

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