待たせてゴメンナサイ
下東 良雄
待たせてゴメンナサイ
カタンコトン カタンコトン カタンコトン
一定のリズムを電車が刻む。
のんびり走るこの電車は、ゆったりしたリズム。
心に暖かくて優しいリズムだ。
電車に乗るとこの単調なリズムで眠くなるひとも多いと思う。
でも、私は目が冴えていた。
また彼を待たせているからだ。
高校時代からの付き合い。
昔から待たせるのは私の方。
五分のこともあれば、一時間待たせたこともある。
でも――
「待たせてゴメンナサイ」
――この一言で、彼は笑顔で私を迎えてくれる。
彼の好きな無糖の紅茶のペットボトルを差し入れれば、もうこぼれんばかり笑顔だ。その笑顔が大好きで、彼の優しさにも甘えてしまい、ついつい遅れてしまう。許してもらうことで、彼の愛情を試しているのかもしれない。私はいつまでたっても幼稚だな。
でも、今回はかなり待たせてしまっている。
電車にももっと早く走ってほしいけど、もちろんそんな無理が通るわけがない。私はただ早く着くことだけを祈っていた。
カタンコトン カタンコトン カタンコトン
電車は一両だけでトコトコ走っている。
車内を見渡したけど、私しか乗っていない。
青いロングシートに私ひとり。
だから車内はとても静かだ。
車窓の景色がスッと黒く塗り潰された。
どうやらトンネルに入ったようだ。
私の正面の窓ガラスに自分の顔が映る。
そっと自分の顔を撫でる私。
(待って……くれてるかな……)
彼を信じていないわけじゃない。
でも、今回は随分と長く待たせてしまっている。
普通だったら、去っていてもおかしくない。
それくらい待たせている。
でも、彼の笑顔を見たい。
彼が大好きだから。
涙をこぼす車窓に映った自分の顔。
こんな顔は見せられない。
私は涙をぬぐった。
カタン コトン カタン コトン カタン コトン
トンネルの中で電車のスピードが落ちていく。
きっと駅が近いのだ。
早く着いてほしいという気持ちとともに、大きな不安も湧き上がってくる。彼がいなかったらどうしようと。
そんな私の気持ちを無視するかのように、電車は無情に駅へと近づいていく。
カッタン コットン カッタン コットン
さらにスピードを落としていく電車。
そして、トンネルを抜けた。
しばらく暗い中にいたせいか、外がとても眩しく感じる。
駅が近づいてきた。
屋根もない小さなプラットホームにそっと滑り込んだ電車は、そのまま揺れもなく停車した。
車内アナウンスはない。
車掌さんが出てくるわけでもない。
プシュー ガラガラガラガラ
ドアが開いた。
着いてしまった以上、もう降りるしかない。
私はロングシートからそっと立ち上がり、ゆっくりと電車から降りた。
その時だった――
「
――私の名前を呼ぶ彼の声。
声のする方を向いた。
「
彼は待っていてくれていた。
ずっと、ずっと私を。
私は笑顔で声を震わせながら、いつものセリフを口にした。
「待たせてゴメンナサイ」
にっこり微笑む弘さん。
「僕の言いつけを守ったようだね」
弘さんの言葉に涙が止まらない。
「はい、精一杯……精一杯生きてきました」
「三十年もここで待ってたよ」
気がつくと、私は高校生の頃の姿になっていた。
電車から降りるまでは、しわしわの老婆だったのに。
そして、弘さんも高校生の頃の姿だ。
先程まではシルバーグレーの大人の男性だったのに。
「弘さん」
「なんだい?」
「頑張ってきた私に、ご褒美をいただけませんか?」
弘さんは微笑みながら私を優しく抱き寄せ、そして唇を重ね合わせた。
三十年の時を越えて交わした口づけ。
銀の糸を残しながら離れていく弘さん。
「洋子、待たせてゴメンな」
私がこの口づけを長い間待っていたことを、弘さんは分かってくれていた。
その言葉に、私たちはもう一度熱い口づけを交わすのだった。
「さぁ、行こうか。チケットも取ってあるよ」
「一緒に行けるのね」
「当たり前だろ。ここであの列車に乗り換えだ」
「うん!」
「ちょっと長旅になりそうだけど、大丈夫かい?」
「弘さんが一緒だもの」
「僕も洋子が一緒だからどこまででも行ける」
「無糖の紅茶、持ってきてるからね! 列車の中で飲みましょ」
「おぉ、すっげぇ嬉しい! やったね!」
光につつまれた雲の上のホーム。
私たちは腕を組み、笑い合いながら隣のプラットホームに停まっている列車に乗り込んだ。
プラットホームの案内板には『十万億土方面』の表示。
そして、列車の行先表示には『西方浄土』と書かれていた。
待たせてゴメンナサイ 下東 良雄 @Helianthus
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