落英草子
ねこつう
第1話
◆
西暦一〇一七年、三月八日の夕刻。その通りの通行人はまばらだった。
しかし、覆面姿の男たちが、その屋敷の周囲に集まってきたので、そのまばらだった通行人も血相を変えて散っていった。
氏綱は配下に「
氏綱と配下の者は、致信と邸内の男の使用人とおぼしき五名、住み込みの武士四名を殺害。一味は、悲鳴を上げていた致信の妻とおぼしき女性や下女などは放置して素早く逃げ去った。
が、十日ほど経ったとき、
「
「確認したいことがあるのだが、時間は取らせぬ……ご子息、氏綱殿の配下に、湯浅という者がおるであろう」と言った。
秦親子は、顔を見合わせた。湯浅は、襲撃の人員集めを手配をした者だったからである。
◆
氏綱が「確かに、それがし配下に湯浅という家人がおりますが……しかし、数日前から、行方知れずとなっております」と言うと、景信が続けて言った。
「湯浅は強盗を働いた嫌疑で、
秦親子は内心慌てた。
「湯浅が? 何をしたというのです」
景信は涼しい顔で答えた。
「湯浅は、徒党を組み、さるお屋敷に押し入ったのだ……」
「……そ、そんなバカな……」
氏綱が言うのも気にとめず、景信は続けた。
「三月八日の夕刻、
「金品など奪っていない……」と思いながら、氏綱は叫んだ。
「確たる証拠もなく、そのようなことを!」
景信は、なおも言う。
「いや、本人が白状したのだ」
氏綱の目が泳ぎかけた。
「湯浅は、口を割る男ではない」といいかけたが、思いとどまった。
景信は、また、意外なことを言いだした。
「致信だけでなく、居合わせた致信の妻や妹御まで手にかけた!」
「いや、女は殺した覚えがないのだが」と、氏綱は心の中で苛立った。
「湯浅は、妹御に『なんだ老いぼれか!』と罵ったら、その女性は《無礼な! 馬の骨を買えぬ
「馬の骨を買う? 女??」
話が、おかしな方向に向かっているので、氏綱は頭が追い付かなかった。
◆
「ああ、こんな無学の
大陸の古い書物に『死んだ名馬の骨も大事にした』という賢人の話があるのだ。教養のない、お主には、意味などわかるまいが」
「いったい……何を言っておられる……」
「湯浅ごときに、もったいない最期の問答。お主は知らなかったのか?
引退されたとはいえ、あの才気気品、溢れる御方を殺害するなど、言語道断!」
「
なぜ見てきたような嘘を言い立てなさる。
女など斬らせておらぬ!
ましてや、清少納言とやらなどは、おらなんだぞッ!」
氏元が顔色を変えた。
「氏綱ッ!」
景信がにやりと笑った。
「その言い様……さては氏綱殿も、現場におったと見える。氏綱殿も、御同行願おうか」
氏綱が、叫んで刀を抜いたが、座敷に同行していた景信配下の男も素早くすぐに刀を抜いた。そして、峰打ちで氏綱の腕を打ち、氏綱はうめき声をあげて、刀を落とした。
景信は、なおも続けた。
「……この景信が邸内に入ったらば、伏せていた検非違使所属の手練れ五十人がこの屋敷を取り囲む手はずになっておる。
この景信を斬れば、謀反人として一族郎党ことごとく斬り死にの憂き目を見るがそれでもよいか?」
◆
秦親子は捕らえられ、指示を出していた
後日、景信は、清少納言と会って話をした。彼女は言う。
「……やはり黒幕は、
兄の主君、
一人暮らしをしていた、この老いぼれのために、
「妹の懇願に負けました。『あれだけの
いやはや、しかし、あのような計略を立てられるなど、諸葛孔明にも匹敵する知謀」
清少納言は笑いながら言った。
「御冗談を。わたくしは
「……最近、怪しい形跡があったのは、湯浅とかいう
しかし、捕らえた湯浅は強情に口を割らぬ……。
が、それで却って罠にかけることができたというもの。
ただ
……されましたが、
清少納言殿は後ろ盾のない個人。
差し出がましいですが、もし、よろしければ、清少納言殿、わが館で暮らされませぬか」
「もとより隠れ住む覚悟はできておりましたが、兄の仇を討てれば、もはや、この命など惜しくはありませぬ。
それに、わたくしが殺されましても、人々の噂にのぼることもありますまい。時というものは残酷。
枕草子のことを覚えていてくだされたのが、せめてもの慰め……」
清少納言は寂しそうに笑った。
「無粋な顛末になってしまいましたが、これが、私の最後の草子にございましょう。
こののちは、亡き主と、兄の菩提を弔いながら過ごします。
歴史書によると、西暦一〇一七年、三月八日の夕刻、平安京、
この事件は、
隠棲していた清少納言を馬鹿にしてきた若者がいて、彼女が「馬の骨を買う者はいないのか?」と
……が、彼女がいつどこで亡くなったのかについては謎に包まれている。
※落英……花びらが散ること
※草子……短い作品
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落英草子 ねこつう @nekonotsuuro
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