4-5
報道か!?
なぜ、民間航空のヘリが突然この場に現れたのか。浅沼さんが来援を語っていた海兵隊はどうなったのか。状況が判然としないまま、俺はとりあえず周囲を見回し、崩れた金網フェンスの端を見つけると意を決してドアを離れ、ダッシュでそれを拾った。
錆びたワイヤでできたそれをドアノブにからませ、傍らの非常梯子にその端を巻き付けて止める。
警戒しながら上ってきたとおぼしき邦香が、ドアにたどり着いたのはそのすぐ後だった。ドンドン、と中からドアが押されるが、俺はそれを無視して下りてきたヘリコプターへと急いだ。
「おーい!」
両手を振って呼ぶと、幸い、小さな機体は素直に下りてきた。
とりあえず、誰でもいい。
この窮地から脱せられるなら。そんな気持ちで駆けよる。
激しいダウンウォッシュによろめきながら、機体に近寄ると、俺は騒音に負けまいと大声で呼びかけた。
「すみません! 報道の方ですか! ……お願いですヘリに、ヘリに乗せてください!」
ゆっくりと屋上に下りてきたヘリコプターは、ローターを回したまま、ガタンと横のハッチを開く。
「今、武装集団から襲撃を、反政治アプリの……自分は……」
だが、
中から姿を現したのは、報道記者でも、テレビカメラのクルーでもなかった。
チクショウ、やっぱり襲ってきた奴らの支援かよ……
単身、中から姿を現したツーピース姿の女性は、小さな拳銃を手にしていた。
一瞬、そう絶望しかける。が、それは俺の早合点だった。
「相変わらず、迷惑をかけているようですね」
風音を貫いて、耳に届く凜とした声。
――おいおい……
この学校で生徒会役員だった邦香と俺の、唯一の後輩。
「お情けで先輩に拾って貰った、お邪魔虫の分際で」
小柄だがピンと伸びた背筋と、形の良い脹ら脛。愛くるしさに溢れた笑顔。その口から無造作に放たれる毒舌。
あれから十年以上が過ぎているのに、キャラが何一つブレていない。
「……八神か」
予想外の人物の登場に、呆気にとられる俺の前で、八神は暴風に乱れた前髪を無造作にかきあげた。
この校舎に通っていた頃と変わらない気丈な態度に、思わず口元がゆるむ。
「そっちも相変わらずだな。元気そうでなによりだよ。今まで一体、どこで、何をしていたのかは知らないが」
「どういたしまして。生憎と、あたしはよく存じ上げています。聞きたくもないのに、先輩が嬉々として語るので」
だがその消息について知らないのは、俺の側だけだったらしい。
「ですが、今、そんな悠長な話をしている余裕はあるんですか?」
「いや、全くないな。……昔のよしみで、そのヘリに乗せてくれないか」
「楽天家で間抜けなのは何一つ成長していないんですね。これが見えませんか?」
八神はオモチャのような、小さな二連装の拳銃をこれ見よがしにつきつけてくる。
「そもそも、先輩にここまで追いつめられているんでしょう? どうして、あたしが加勢に現れたのだと考えないんです」
「あり得ないね。八神は
俺は首を横に振った。
「だから、邦香が唯一、気を許したんだろうし、今も二人の関係は同じだろう? おまえは
「その口から知った風に語られると、虫酸が走りますね」
「けれど事実だ」
八神が、邦香の使いっ走りを務めるなどありえない。
プロジェクトに参加していた、他のメンバーと八神は、決定的にキャラが違う。
「もっとも、そうはいっても俺の味方、なんて筈もないだろうが」
「当然です」
「つまり、ずっと行方をくらましていたお前が、最後になってこの場に現れたのは、それなりの動機がある」
そうしているうちに、背後からは、バン! と大きな物音がした。
どうやら、ついに邦香がドアをこじ開けたらしい。
「俺にしても、邦香の手を汚させるくらいなら、ここで撃たれた方がマシかもな。どうせお前だってそのつもりで……」
「……智成!」
俺が、八神を前に全ての覚悟を決めかけたその時、背後から邦香の叫び声が届く。
次の瞬間、
「駄目っ!」
八神の背後から、ふと人影が飛びだしてきて、
――えっ!?
まるでタックルするかのように、俺の腰元へと抱きついてくる。
「撃っちゃ駄目っ! お母さんも、本当のお母さんも」
そのやや小柄な、背の高さは八神とほぼ変わらない人影は、俺に細い体重をあずけたまま、俺の目の前で反転して、まるで庇うかのよに両手を広げた。
「あたしの……あたしのお父さんを撃たないでっ!」
……なんだって? 今、一体なんと……
「どけっ! 智香子!」
「イヤッ! だって、あたしが居なかったらお母さん、本当にお父さんを撃つでしょう!?」
お父さん、って……
「ふふっ。本当に知らされていなかったんですね。先輩も人が悪い」
予想だにしていなかった展開に、凍り付いた俺をみて、八神が人の悪い含み笑いを浮かべる。
「でも、心当たりはあるんでしょう?」
お父さん、なんて呼ばれる心当たり、だと……
八神に指摘されるまでもなかった。
その姿を一目見た瞬間に、走馬燈のように思い出が蘇っていた。
伸びた背筋。整った鼻立ちと、力強くて勝ち気な、けれど透けるように澄んだ瞳。あの頃の邦香を、少し小柄にした姿とうり二つだ。それに……
卒業式の後、邦香と二人きりで過ごした夜。
あいつの、たった一度限りの気まぐれなら、俺からどうこう言うのは野暮だ。忘れるに限ると自分に言い聞かせ続けて、それでもなお消えなかった、甘く苦い記憶。
『ラクシャス』プロジェクトのために再会してから後も、あの一夜が本当にあった出来事なのか、自分の記憶すら信じられず邦香に問いただすことはできずにいた。
何のために、どうして、いったい俺にどんなつもりで……
だけど確か、あの夜は……
「でも、今は安全な時期だから、って」
「呆れるほど初歩的な女の手練手管にひっかかるんですね」
「いや、だって……邦香!」
「……ああ、そうだ」
八神を無視して、俺が邦香を問いただすと、邦香は小さく首肯した。
「智香子はあの夜の子だ。わたしは『ラクシャス』で多忙になると覚悟していたからな。産んでからすぐ、由希乃に親代わりを任せていた。……わたしの予想していた以上に、素直でよい子に育ててくれたようだ」
邦香は苦みを含んだ表情で、その子、智香子を見た。
「とても、こんなにも愚かな親から生まれた子とは思えん」
「どうして! なんで! 俺はずっと、あの一夜はお前のただの気まぐれかと……なんで教えてくれなかった!」
「気まぐれで、男に身を委ねるほど安い女のつもりはない。とはいえ、アイドルとして上を目指すなら将来、身体を張る必要のある場面が訪れないとも限らない。それなら、せめて最初の相手くらい……とあの頃のわたしが考えたのはそんなに不思議か?」
「不思議だよ!? お前とそんな関係だった事なんて、一瞬でもないだろ!」
「そうか。残念だな。……初めて出会ったあの日以来、わたしの側は結構、そのつもりだったんだが」
邦香が当然のように告げるのを見て、俺は絶句した。
「そしてどうせ経験するなら、ついでに妊んでしまったほうが手間が省ける。もっとも、念入りにタイミングを調整したとはいえ、たった一度きりで授かれるかどうかは賭けだった。駄目ならそれでもいいと割り切ってはいたんだ。アイドルになる前に、納得できる相手と済ませておきたかった、というのも嘘じゃない」
そりゃ、俺だってまったく意識しなかったわけでは……だけど……
「しかし、智香子はわたしの元に生まれて来てくれた。正直、心底嬉しかったよ。君に知らせなかったのは、決して悪意からではないつもりだ」
「なら、どんな思惑で……」
「君はわたしと違う。本質的に人が良くて……智香子の存在を承知のうえで、『ラクシャス』に己を全てをかけられるキャラクターではない。であれば、知らない方がいい」
淡々と告げる邦香は、ずっと以前からこの時が来るのを予期して、語る内容を吟味していたかのように流暢だった。
「生まれてきたのが娘だったのも都合がよかった。……女の子には、やっぱり父親の方がいいからな。君に家族を与えてあげたかったけれど、わたしは残れない。智香子がその代わりを務めてくれる。……その筈だった」
「ふざけるな! ……俺が……知った風に、勝手な……なのになんで」
「そうそう」
感情が昂ぶるあまり、言葉に詰まり、途切れ途切れになる俺に、智香子が頷く。
「本当のお母さんは突然現れると、わたしの気持ちなんか一切お構いなしに、一方的で勝手な命令ばかりするよね」
「……すまんな、こればかりは否定できない。だが」
邦香は智香子に向かって苦しそうに微かに頭を下げた。
「智成は理解しているだろう。
「だった、だろ」
邦香の長口上を、俺は端的な一言で切って捨てた。
「もう、誰もお前に何も求めていないよ」
「……ああ。それがどうしても、納得がいかない」
邦香は少し柔らかくなっていた表情を改め、俺を睨めつけた。
「革命は成った、確かに。政治は権力者の手から離れ、一部勢力が独占していた既得権益は解放された。適当に公平で、適当に競争が存在し、適当に経済発展して適当にヘイトを拡散させて。……つまるところ、自らが人身御供に、など意気込んでいたのは、わたしの滑稽な独りよがりでしかなかった。しかし、そんな些事よりも」
わずかに下がっていた銃口が再び、正面からつきつけられる。娘、智香子の背の届かない高さ、俺の顔面に。
「先ほども問うた問題だ。再び訊ねよう。……決して完璧ではなくとも、あの頃より政治の質は全てにおいて、確実に上回っている。人々もそれを実感して喜んで受け入れている。……なのになぜ、彼らはあのような濁った瞳をしている?」
「お母さん! そんなの、お父さんのせいじゃないでしょう!」
「まだそんな段階の疑問とは、無駄に聡明なお前らしくないな。……本当は気づいているのに、認めたくないだけじゃないのか?」
「なんだと?」
「つまり、誰より一番愚かだったのは、結局俺たちなんだよ」
俺は、そっとその小さな肩を掴み、娘の身体を脇へと除けた。
「公平で効率的な良い政治は、あくまで政治分野に限っての局所解でしかない。正しい政治は正しく人の理想を叶えるが故に社会的には正しくはなかったんだ。あの日、すでに
しがみつこうとする娘の手を、無造作に振りはらう。
「愚かな政治家が個人的な正義感を実現しようと非効率的な政策を強行し、小役人が弱者を虐げて庶民の鬱憤を晴らす。一見、非合理的で愚鈍な政治のようでいて、それは実のところ社会が歳月をかけて導き出した大域最適解だったのかもしれない」
「なんで……お父さん」
「『ラクシャス』と『ナーサティア』。動作原理こそ正反対でも、人の全てを肯定的に扱う、という点では同じだ。『ラクシャス』に関しては、過去の政治は善意に基づいている、という仮定が必要だが」
ヘリのローター音に負けぬよう、そして邦香に気圧されぬよう、背中に娘を庇いながら、声に力を込める。
「つまり我々の目指した政治は、そもそも人の欲求を肯定するために存在している。人々がこうしたい、と願うならそれを実現しよう、というシステムだ。プログラム任せにしたからといって、これは何も変わりはしない」
「だからどうした。それではなんの答えにもなっていない!」
「落ち着けよ。まだ続きがある。……つまり政治が効率化され、社会の潤滑油としての役目を果たせば果たすほど、人は生き物としての本来の姿を取り戻す。ならばアプリが政治を整えた結果生じた問題は、それまで社会に押しつぶされて隠れていた、本性が露呈してきた故に登場したと考えるべきだ。人間とは、どんな生き物か……獣なのか、というね」
銃口を目の前に、俺は微笑んだ。
「技術と経済の発展、それに伴う福祉行政の充実により、いまや世界中の誰もが週に3日か4日、働けば充分暮らせるようになった。けれどそうして生じた余暇を皆が人間らしく有意義に、積極的に楽しめる訳ではない。むしろ、たとえ意に沿わぬ内容であったとしても、仕事に忙殺されていた方がまだマシだった、という者も少なくないくらいだ」
くだらない、つまらない、意味がない、最低の上司だ……そう嘆きながらも、人にとって労働は人生最大の楽しみでもあった。
「大半は、既存のコンテンツを無為に消費して過ごしているし、一部は時間をもてあましてネット上で誹謗中傷を繰り返したりもする。残念ながら誰もが、音楽を奏でたり絵画を描いたりと、人生を主体的に謳歌できるわけじゃないんだ。 ……見ろ!」
俺は、両手を広げて背後の海を、その向こうを指し示した。
うっすらとかすんで並ぶ、あの頃より遙かに数を増やした、臨海沿いに林立するタワーマンションの群れを。
「まるで、家畜の厩舎じゃないか。働き蜂の巣のようでもある」
「政治が整理され、社会が潤滑に回るようになり……余裕が生まれた結果、それが人の選択だと言いたいのか!」
苛立ったように、邦香が左手を伸ばして俺の襟元を掴んだ。右手に握った銃口が不気味に揺れる。
その背後では待ちかねたかのように、ヘリのローターが止まった。騒音が消え、奥から複数の足音が聞こえてくる。
小銃を構え駆け寄ってくる迷彩服の影がちらついた。
「それが、時間と経済的な余裕を得た、人の選んだ解答だと!」
「ああ。本当はもっと早くに気づかなければいけなかった。昔から、判りきっていた事実だったんだ。功なり財を成した小金持ちたちの邸宅が証明している。奴らは意気揚々と、自分専用の刑務所を建てては牢に閉じこもっているじゃないか」
拳銃を構え、血走った目で俺を睨めつける邦香に、俺は告げた。
脇で智香子が拳銃を構えようとするのを、手を伸ばして制する。だが、その腕を振り払って智香子は銃口を突き出す。
「誰も、もうそれ以上近寄らないで!」
「格差が解消され、差別が消滅し、人は安定的で公平な社会にたどり着いた。俺たちの『ラクシャス』がそれをもたらした。……理想に近づいた社会で、ついに人は理想の生き方を手に入れようとしている」
「このまま……お父さん!……ダメ、お母さん! やめて、もうこれ以上は……本当に撃つからね!」
「人間の理想……人の本性は所詮、ただの動物にすぎない。その瞳が暗く濁っているのも当然だろう……自ら牢屋を築いて引きこもるのが、人の真の性で」
「智成っ!」
「人間の究極の望みとは……ただ、屠殺されない家畜になりたいだけなんだよ」
パーン!
革命アイドル 早狩武志 @hayakari
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