無駄吠え

草森ゆき

無駄吠え


 もうええやんって何回言うたか既にようわからん。俺のことを永崎のストッパーみたいに思うとるやつがたまにおるけども、実際なんもストップさせられへん。永崎は止まらん。ずっと走っとる。俺がこいつを初めて見た中学の頃からノンストップで地獄行きや。

 永崎は中一で、ちゅうことは俺は中三やった。

 まず悲鳴。二階の渡り廊下をぷらぷら歩いとった俺は立ち止まって、悲鳴の方を覗いてみた。渡り廊下には窓とかあらへん。ちょっとした柵だけあるガバガバのやつや。そこの下。中庭って呼ばれる真ん中の広場で女の子二人組が叫んでた。なんやなんや、何があってん。俺の横には知らん生徒が何人も連なって、校舎の窓からもちらほら人が顔出して、えっとかやばいとか何あれとか色んなやつが色んな引いた声出しとった。

 ドン引きの的は男の生徒やった。俺のおった渡り廊下の真下におったからはじめは何も見えんかったわけや。そのうち出てきた。全身見えた瞬間からあーあれはやばいわって俺は納得した。隣のやつはヒッとか言うてた。

 半袖のカッターシャツやったから、左腕の皮膚と肉が捲れて血だらけなんがすぐわかった。だらんとぶら下がってて、骨が逝ってもうたんか神経が逝ってもうたんか、そいつの言うことは聞かん様子やった。右手には細長い棒を持っとった。折れた箒の棒の部分やって遅れて気付いた。そいつは怪我なんかしてへんような足取りで歩いて行って、もう悲鳴も出んようになっとる女の子二人の横を通り抜けて、多分下駄箱に向かってた。病院行くんか? とか思った直後に真後ろからでかめの悲鳴が聞こえてきて、何やねんってそっち行って覗き込んだら俺の口から初めて悲鳴っぽいもんが漏れた。

「うっわ……」

 人が三人倒れてた。こいつらも半袖のカッターシャツで、せやけど白さはあんまあらへんた。血まみれ。そん中の一人は頭から思いっきり流血しとってぴくりとも動かん有様やった。

 そいつらには先生が駆け寄った。それを見てから、さっきの腕折れとる方は? って元の位置に戻って見た。

 こいつはこいつで力尽きたみたいで倒れてた。でも誰も近付いて行かん。当たり前やんな。どう見ても加害者、どう見てもやばいやつ。先生すら行くの躊躇う異様な雰囲気。倒れとんのに手に持った棒は離してへんし、近寄ったらぶん殴られるやろこれとしか思えんかった。

 せやから俺が柵に乗り上げて飛び降りたんは大多数に意味不明やった。

 渡り廊下の位置って二階よりちょい低いくらいやったし、まあ運動神経ええ方やし、そんくらいやったら行けてもうてん。飛び降りて華麗に着地して、ぶっ倒れたままのやばいやつに駆け寄った。抱き起こしたところで初めて名札に目がいって、青色やったから一年生ってやっと知った。永崎。そう書かれてたからそう呼んだ。永崎、お前、何やったん?

 俺は別に助けたらなとか救急車呼ばなとか、慈善の心があったわけちゃうねん。何もかも意味不明やったから、とりあえず何があってどうなって真っ昼間の平和な中学校でこんなことになんねんっちゅう全容が気になってしゃあなかった。オチだけ見てもしゃあないやん。俺漫画とかは最初の方の巻が好きなタイプやねん。

 永崎は気絶してるわけやなかった。血がだいぶ出たんか顔は青白かったけど、俺の言うてることはわかるくらいはっきりしてた。永崎の目は俺の名札の上を滑った。鷹島。名札は緑色。二年先輩の俺に向かって、瀕死まではいかんでもやばめの状態で、俺以外相変わらず近付いて来ん状況で、永崎は笑った。

「絡んで来たから、殴った」

 これ以上ないやろってくらい簡潔な説明やった。倒れてた三人組はまあ、確かに、不良の側の奴らやった。

 救急車の音がした。駆け込んできた救急隊員はだいぶ困惑してたけど、教員の説明聞いて三人組と永崎を担架に乗せた。俺も行った。全然行きたなかったけど、折れた箒放り出した永崎が俺のシャツ掴んで離さんかったからそうなった。

「鷹島先輩」

 永崎は狭い救急車の中で俺を覚えた。

「左手、自分でやってん」

 応急処置してた横の人が一瞬手え止めた。永崎は漫画の最初の巻、第一話について話した。三人組が絡んできた。しつこかったから、ぶっ殺そうかと思った。隙が欲しかった。胸ぐら掴まれて壁際に押された時に、立て掛けたったなんかの資材の間に挟んで削った。噴き出した血に三人組はビビった。その間に殴った。殴って、殴って、動かんようになってから、帰ろうと思って歩いてった。

「帰れへんやろ、失血死しかけてたやんけ」

 救急車が止まる。永崎は俺のシャツからやっと手え離して、病院の中に運ばれて行った。

 俺は俺で帰れへんかった。待合室で見上げた時計はもう午後の授業が始まった時間になっとって、制服のポケットに突っ込んだままのスマホは通知がえげつなかったから病院やし切った。老人が多かった。たまに車椅子と担架が走っていった。三歳くらいの子がめっちゃ腹減ってる青虫の絵本読んどった。耳の中で女の子の悲鳴が再生された。渡り廊下から飛び降りた時の俺はあの瞬間だけ主人公やった。少年漫画にようあるやつ。コンビもので、どっちが主人公かわからんようになるやつ。俺多分こん時にはもう、俺の未来より永崎の未来に興味があってん。あいつどんな大人になんねん。それとも大人になんかならんのか。ノータイムで自分の腕抉れる中学生てどんな思考回路っちゅうか、どんな生き方してきてん。

 そん次に登校した俺はそこそこ遠巻きにされた。それまでは中堅っちゅうか、中心グループでもないし最下位グループでもないし、むしろ特にどこにも属してへん流れ雲みたいなやつって感じやったと思う。大体誰とでも話した。女も男も。それが一日で大体誰とでも話されへんやつになってもうた。

 その代わりに永崎がいた。学年違うねんけど、あいつ俺のクラスに俺だけ目当てに顔出すようになった。俺が迎えに行くから三年のフロアに来んなやって言うたら待ち合わせ場所が決まることになった。永崎は大体値札シールの貼ったパン食うてた。俺はおかん特製の弁当や。きんぴらごぼうとか千切り大根とか与えてたら永崎は喜んだ。普通の時は普通の可愛い後輩やった。

 俺が中学卒業した後の永崎のことはよう知らん。中学の中でどうしてたか知らん、ちゅう意味で、それ以外の時間はまあそこそこ一緒におった。

 永崎は暴風雨みたいな犬やった。ほんでまたこの犬がうるさい。言葉やなくて行動が。そやけどそれが気に入っとるとこでもあった。

 なかなか来んなあと思うてたらどっか流血した状態で来るとかザラで、そのへんで喧嘩しとるんかなと思うたら、大体は自分の親父とやり合っとるらしかった。大工やったか配管工やったか、仕事以外は雀荘かパチ屋におる典型的な親父で、永崎は中学にあがった時にいつか殺そうと決めてそれからは喧嘩ばっかしとるみたいやった。

「漫画で言うたら真ん中くらいの巻の話やな、親が関係してくる過去話っちゅうと」

 俺の感想に永崎は笑いながら頷いた。

「鷹島先輩のおすすめ漫画ってなんですか」

「えー? なんやろ、NANAとか?」

 まあまあボケのつもりやった。週刊少年誌ばっか読んでるやんとかちょっと前の少女漫画やないですかとか、喧嘩稼業とかケンガンアシュラとか言えやとか、そういう返しが来ると思うてた。

「どの辺がおすすめですか?」

 びっくりするくらいフラットに聞かれて俺は、

「未完で止まっとるとこ」

 反射で本音っぽい何かしらが漏れた。永崎は頷いて、あれ未完なんや、と顎にできとる擦り傷を爪で掻きながら呟いた。

 未完。そう、未完。一匹の人間を物語っちゅうことにして、どこで完結するか言うたら死んだところやと思うやん? 俺はちゃうと思うねん。死んでも続くとかしょうもない話したいわけちゃうよ。その一匹の人間がここで完結や思うたとこで終わると思う。例えば俺はもうすでに終わったと解釈しとるところがあって、いやまだ続いていっとんねんけど主人公はもう別やん。別やねん。

 俺がどうなるんかよりも永崎がどうなるんかの方が見たなってもうてるんやから完結しとんねん。

 永崎は俺のいる高校に入学した。俺は県内の適当な大学行って適当に暮らす算段を立てながら、相変わらず永崎に犬みたいに引っ付かれとった。いつの間にか身長越されてた。先輩のきんぴらごぼうが効いたんですかねとか言うて自分の頭触っとった。親の離婚話が出とるらしかった。どっちについて行くねんとか聞いてもうたけど永崎はなんも言わんかった。どっか遠くの方をじっと見て、その目の奥がめっちゃ吹き荒れとって、俺は大体わかってもうた。

 離婚させる前に殺したるわってことやねん。実際にそうやった。永崎は止まらん。俺の言うこと聞くには聞くけど、しょうもないことだけや。ポイ捨てはあかんやろとか消費期限切れたパン食うなやとか、あの先生のテスト範囲くそ甘いからこの辺だけ勉強しといたら追試なんかならんわとか。

 卒業したらどうすんねんとか大学行くんかとか、この高校就職も割と手厚いねんから内申それなりにしといて推薦してもらえるようにしたらええねん工場が多いやろうけど前に流れ作業みたいなぼんやりできる作業好きや言うててんからそうしとけやっちゅうような、俺のみみっちい頼むからまだお前は俺の主人公でいてくれやって言う頼み事は一つも聞かへん。まあそれが永崎ってやつで、そういうとこがおもろくて、もう高校卒業やなあって時期まで連れ回してるんやけども完結っちゅうもんには打ち切りが存在してもうてるねんな。

 全身から真夜中のオーラ発しとる永崎が俺に真っ直ぐ頭下げて来たんは俺が大学二年、永崎が高校三年の秋やった。

 土曜の昼間で、めっちゃ好物なファーストフードのポテトすらなんの味もせんかった。鷹島先輩、ほんまにごめん。なんも言わんとおれに付き合ってもらえませんか。

 付き合った。付き合ったわ。黙っとる永崎の後ろについていって、ほとんど来たことない住宅街まで一緒に行った。あばら屋ってこういうやつ? 言うような家がめっちゃあった。築三十年超えたやろって外観のあほほどボロいアパートが目立ってた。永崎はアパートの敷地内に勝手に入って、その奥の破れたフェンスを潜り抜けた。俺もついていった。なんの手入れもされてへん庭っぽいもんが広がってた。雑草が生え放題で俺らの胸くらいまで伸びとった。永崎は躊躇いもせんとその中を進んでく。俺も続く。一階建ての木造の、外の壁がすでにちょっと崩れてもうてるボロい家が雑草庭園の向こうにあって、俺は聞かんでも永崎家やろうなとわかってもうた。

 玄関の鍵は壊れてた。昭和やんっちゅう引き戸はガリガリ言うて、家の中は埃っぽかった。永崎は玄関先にあった長い棒を掴んで持った。鍬やった。ほんまやったらあの雑草庭園で家庭菜園とかするためのもんやろうなと思った。永崎は一回だけ俺を振り向いて見た。俺はどんな顔しとったんやろう。永崎は一瞬だけ驚いた顔になった。初めて見た表情やった。せやけどなんも言ったりはせんと前向いて、鍬を右手で引きずったまま部屋の奥に歩いていった。

 仏間があった。その真ん中に、父親っぽいおっさんが転がってた。何か言うたけど何喋っとるかわからんかった。猿轡噛まされてぐるぐる巻きにされとる人間を漫画やら映画以外で見たんは初めてやった。

「俺、なんか手伝った方がええ?」

 意外にも冷静な声が出せた。せやけど永崎は首を振って、

「一番最後に頼みがあんねん」

 そう重い声で言うてから、振り上げた鍬を親父の腹の上に思いっきり振り下ろした。んぶうっ! って叫び声が聞こえた。親父は体をグネグネ捩って逃げようとして、俺は病院でキッズが読んどった青虫の絵本を思い出した。せやけど腹ペコなんはずっと永崎やった。親父は弛んだ腹から汚い血と肉を垂れ流しとって、痛いんか知らんけど大きく痙攣した後に細長い腸をどろっと出した。意外とピンクやった。あと黄色かった。脂肪分? モツって割と黄色いもんな。そんなこと考えとる間に永崎は腹に飽きたんか股間に鍬を突き刺した。もうその時点で死んだやろと俺は思った。悲鳴も出んかったみたいやった。生臭さにつんとした刺激臭が混じった汚物の極みみたいな悪臭がして、ちょん切れたアレがチョロチョロ垂らす最後の尿は仏間の畳に吸い込まれていった。顔を上げると遺影と目が合った。声出しそうになった。白黒のおじいちゃんの遺影があって、その隣には明るい色の色彩豊かな笑顔があって、その更に隣には薄紫の袋に詰められた縦長の箱が置かれとった。

 永崎は親父の首に鍬を刺そうとして、失敗して鼻と口のラインを縦に割った。その後にパッと手を離して、畳の上に座り込んだ。親父の死体はたまに痙攣したけどすぐに動かんようなった。体液は出たそばから畳に吸われていって仏間は静かやった。永崎の息切れだけ。胸で呼吸しながら仏壇を見てた。俺は聞いた。

「お母さん、いつ死んだん」

 永崎は二ヶ月前って息の合間に吐き出すように言うた。

 俺は自分の主人公の親とこうして対面を果たしたんやけど、何言うたらええかなんてわかるわけはない。永崎。なあ永崎。一番最後にある頼みってなんやねん。それだけやっと聞いたら永崎は仰向けに倒れ込んで俺を見上げた。めくれた前髪の下、汗ばんだ額の更に下、ぱっちり開いた両目は嬉しそうやった。おれうまくやったやろと言わんばかりやった。永崎はポケットを弄ってスマホ取り出して、操作してから俺に渡した。はい警察ですて言われて泣きそうになった。泣かんかったけど、完結やった。後輩が親父殺してまいましたって、俺が通報する意味あったんか。すぐ向かう言うた警察との電話切ってから永崎にそう聞いた。永崎は頷いた。

「おれの交友関係、先輩だけやから、変な疑いとかある前にさ、通報者になった方がええやん」

 ほんまか、ほんまにそう思うんか。

 お前それは俺にだけは迷惑かけたないて、自分のことはもうええって、そういう最後のお願いなんか。

 警察は思てたより早く来た。永崎はさっさとパンダカーに乗せられて、俺は色々質問受けた。もう永崎おらんしと思うたら我慢できんかった。涙腺がぶっ壊れたんほぼ初めてやった。女の警察の人にめちゃくちゃ宥められて、その横では惨殺死体の処理やっとって、永崎は赤いランプ回されながら連れて行かれた。

 

 高校生やから実名報道はされへんし、少年院に行くことになったらしい。面会行ったけどあのアホ普通に拒否しくさった。せやからなんもできん。大学でぼんやりして今日は永崎連れてどっか行こかなとか思うてもでけへんようになってもうた。俺の読みたい漫画の主人公はほぼ行方不明みたいなもんやった。

 半年後くらいに永崎の親戚から連絡来た。部屋片付けたいけどめんどいから手伝って、あんたあの子の友達やろ、みたいな連絡やった。

 まあええわと思うて行った。雑草だらけの庭が綺麗になっとってびっくりしたけど、刈られた草の間がめっちゃゴミだらけやったことの方がびっくりした。そういや空き缶踏んだわ。値引きシールついとるパンの袋は永崎家のゴミやろ。コンドームあるやん。なんなんか調べとうない錠剤の袋も。荒み過ぎやろこの地帯。

 そんなん思いながら永崎の部屋に入った。部屋言うたけど、まあ、物置やった。二段組みの物置。膝折ってやっと寝転がれるくらいのスペース。布団っぽいタオルと枕っぽい鞄が下段にはあった。上段には制服とかシャツとかそういうやつ。そういうやつだけやと思いつつ、中学ん時のカッターシャツが埋もれとんの見つけて無意識に手に取った。その下にあったなんかがバタバタっと崩れて出てきた。NANAやった。現時点の最終巻まで揃ってた。裏には古本屋のシールが貼ってあったけど値段読めへんかった。この家に入るときは泣いてばっかでなんもならん、俺の様子見て引いとる親戚のおばはんはなんかあったらいうてっちゅうて逃げよった。永崎。なあ永崎。お前NANAの続き読みたいやろ。俺もやねん。未完なとこがええけども、これで終わりちゃうやんなって思う気持ちもやっぱあるやん。無駄かもしれんけど。最後かもしれんけど。お前二度と俺んとこに顔出さんかもしれんけど。でももし出てきて会うことにするんやったらそん時は連載再開してくれよ。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

無駄吠え 草森ゆき @kusakuitai

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る