第13話

 ———長い記憶の底から、黒名は目を覚ます。

 眠っている間に移動したのか、いつもの部屋に彼女はいた。横になったままの態勢で上を見上げると、そこには十六夜の姿があった。

「……ただいま、と言えばいいのでしょうか」

 記憶と現実の差異から感覚を取り戻しながら、彼女は言う。そう言った彼女の表情の奥には、彼が知る以前の黒名がいたような気がした。

「…さぁ。私としても、今の貴方に言われるのは少し変な感じがしますし」

 十六夜ははにかみながら言う。変、とは言っているが、その表情には抑えられない彼女と出会えたことへの喜びのようなものが込み上げていた。

 黒名は一度起き上がると、十六夜の隣に腰掛ける。

「あれが、十六夜さんの知る私なんですね…なんだか、別人のような感じがしました」

 自分のことでありながら、黒名は記憶の中の人物との整合性が取れずにいた。それも仕方のないことで、これは黒名の忘れている記憶を呼び起こしている訳ではない。単に、『黒名翠』という少女の記憶を流し込んでいるに過ぎないのだ。全く別の者に感じるのも当然のことで、辛うじて自分だと感じる程度が精一杯なのだ。

「まぁ、別人と言っても過言ではありませんしね。彼女はいわば、『前世の黒名翠』ですから」

「前世…というのですかね。それにしては名前も生い立ちも、ほぼ全てが同じに思えましたけど。それに、だとしたらこうして十六夜さんが私を知っているのも変な感じです」

 前世だとするなら、あまりにも似通い過ぎている。それに、十六夜と黒名が出会うのはもっと後の話の筈だ。今の時点で彼女のことを知っているのはおかしな話な気がする。それが『吸血鬼』というものなのだろうか。そう彼に聞いたが、真相は少し違うらしい。

「これは私が吸血鬼だから言えることなのですが…。この世界というのは、何度も同じ事象が繰り返される『永劫回帰』と呼ばれる法則の下、成り立っているのです」

 『永劫回帰』。ニーチェが提唱した哲学の概念。同じ経験や同じ人生を寸分狂わず繰り返されるというものだが、その不明瞭さ故、様々な批判を受けている。そして現代においては否定されている考え方だ。その程度の知識なら、彼女も知っている。

 しかし、十六夜が言うのは、その少し先のものらしい。

「一度『黒名翠』として生まれた貴方は、何度死に何度生まれようとその度『黒名翠』として生きることとなる。しかし、全く同じ人生になるという訳ではないのです。やがて少しの差異が生まれ、それは徐々に大きなものとなっていく。結果として、全く異なる人生を送るのです。しかし『吸血鬼』の場合、その者が死のうと覚えている。故に貴方が『黒名翠』だと知っているし、当然これが初対面ではない。貴方からすれば初対面に変わりないでしょうが、記憶を流し込まれた今なら分かるでしょう?」

 なるほどと、黒名は思う。言いたいことがないと言えば嘘になる。しかし、そんなものは聞くだけ無駄だろう。世界の真理など、十六夜でも知り得ない。それこそ、神のみぞ知るというものだ。只、一つは確かなことがある。

「また私と出会った、それも前よりも早い段階で。それはつまり、私との出会いは、十六夜さん…いいえ、待宵月さんにとっても悪いことではなかった、ということでしょう?」

 そうニヤけながら彼女が言うと、彼は恥ずかしそうに頬を掻いた。

「…まぁそうですが、やめてください。それは前にも一度、『貴方に言われたことがある』のですから」

 そう言われて、黒名は思い出した。先程の記憶とはまた違う、『もう一つの記憶』。今の彼の名前は『十六夜』、もう一つは『待宵月』。そして、彼にはもう一つの名がある。そしてその全てが、彼が黒名と出会ってから名乗っているものだ。

「……あぁ。だから、『十六夜』と名乗っているのですね」

 そのことに気がつくと、彼の言葉が至極当然のことであったと理解する。

 ———嬉しい。

 そう思うのは、今の『黒名』か。それとも、前の『黒名たち』か。答えは、どちらもだろう。

「…それで、どうしますか?」

 再会の喜びもそこそこに、話題は切り替わる。

「どうする…と言うのは、『彼女』のことですか?」

「そうです」

 空気は一瞬にして張り詰める。しかし、それもすぐに収まる。

「十六夜さんなら、もう分かるでしょう?」

 黒名は信頼を含んだ笑みを向けて、意思を示す。もう二人の間にはそれだけで十分だった。十六夜も、その言葉に首肯する。

「なら、そうしましょう。時間はあります。それまでは———」

「今までのこと、色々と語りましょうか。さっきの話も気になりますし」

 顔を見合わせて笑うと、二人は改めて会話に耽った。

 二人が出会い、別れ、再会するまでの長い長い物語の話に———。

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メメントモリ 狼月 @unknown07

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