春をひさぐ

スロ男(SSSS.SLOTMAN)

I wanna get you laid!

 立ちんぼには立ちんぼの流儀がある。それは縄張りを守ることであったり、同業の娘といたずらに干渉しないことだったり、そのほかにも様々あるけれど、基本的には自分がマネージャーにして商品であることの自覚をもて、ということだ。

 たとえばトー横などでは、家出少女やホスト狂いや単なる小遣い稼ぎなど色々な子たちが好き勝手に商売しているように見えるけれど、実際には元締めというかケツ持ちみたいな輩が存在している。金の匂いのするところには大体そういうのがく。反社くずれが多いし、モノホンはこんな小銭稼ぎに汲々とすることもないから基本放置、派手にやってたりするのがいれば金銭みかじめを要求することもあるけれど、いかにもチンピラ風の与太者がほとんどだ。

 義理と人情で割り切れぬ人たちの場合は、端金が欲しいのではなく、いつも見ているぞ、という威嚇なのだ。月極駐車場の、無断駐車した場合は十万円請求します、みたいな話。

 中でも本当に怖いのはサラリーマンみたいな風貌の、淡々と話す連中だ。

 これはまずい。

 かかわってはいけない。最悪――本当に最悪の場合だけど、両手両足を落とされ、東南アジアのどこかで穴あき人形として、鼻が落ちるか、そこらじゅうに肉の芽を作りながら朽ちていくことになる。

 そういう、ちょっとゴシップ好きなら知っているような有名な場所の、今風な立ちんぼの話をわたしはしているわけではないのだ。

 これはかつて赤線地帯だった、いまではすっかり掃討されたと思われるような場所の、半数以上がリアルなチンコのついてる異国語を話す立ちんぼが占めるような場所で、金のためではなく快楽のためにウリをする、もう三十路みそじ半ばとなったわたしの話である。



 思えば、わたしは早熟だった。

 確か初めてひとりですることを覚えたのは小学校四年生のときだった。何々ちゃんが赤い顔で机の角っこでモジモジしてますとか、何々くんが誰それちゃんのリコーダーを舐めましたとか、その頃に覚えた。

 いとこのお兄ちゃんが教えてくれたのだ。

 あちらさんは高校生ぐらいだったか。

 男と違って小さいけれど、女の子にもチンコはあるんだぞ、と。

 ああいう、少し知った感じの異性の、誘導する感じはなんなのか。いまにして思えばだけれど、さすってくれないかとか、舐めてくれないかのほうが、素直に手助けしてあげられたように思う。変に知ったかぶって、大人びた雰囲気出しながらこどもに余計な知識を与えて興奮するというのは、獣以下ではなくまさしく人間の営みなのだろうが、だからこそいやらしい。

 それはそれとして、わたしは「え、うそ。マジで?」となった。

 小さいころ、わたしはチンコが欲しかった。お父さんにはあるのにお母さんにはない、その突起物が欲しくてたまらなかった。大は小を兼ねる。わたしは、どこか人間として欠損しているような気がして、しようがなかったのだ。

 もっともお母さんが欠損しているとは思わなかった。胸がある。豊かな乳房がある。お父さんにはないその膨らみは、男の股間にぶらさがる成り余れるものに比しても十分以上の質量があった。

 春をひさぐようになったいまも、わたしにはそれが足りない。

 人よりは若く見えるらしいが、寸が足らない、胸がない、腰の薄いわたしは日増しにロリババア化しつつある。ロリババアなどと一部需要がある感じにいえるのも、あと五年がいいところかもしれない。 その先は、もうヨーダとかETとかファンタジー世界の住人だ。

 半分はロリババアと化したわたしの、使い過ぎてやや肥大した女のチンコでおそらく常人並なのではないか。人様の現物を見たことはないが、ネットにあがる無修正の動画で観る感じでは、そんな感じだ。

 いとこにあらぬことを教えられた頃は、とうていチンコとはいいがたい大きさだった。いわゆる米粒サイズといったところか。たくみの手によればコケシだって書けるかもしれないが、自分の眼でまともに見れる場所でないこともあって、わたしはいとこに騙されていると思った。

 ぼちぼち携帯電話が普及しはじめた頃だった。いとこは自慢げに「こいつはカメラがついているんだぜ」とケータイを見せ、これで撮ってやるよ、といった。

 初めてマジマジと見た自分のあそこは、なんというかいきものという感じだった。大人になる前の、まだ川と海でふよふよと流される不定形のいきもの。ここがそうだよ、といわれても正直わからなかった。鼻息荒く、いとこが「よし、存在を確認させてやる」とわたしのこけし不在の米粒を触った。

 撫でた。

 衝撃があった。

 痛いような気がした。

 痛いだけではないような気がした。

「痛くしないで……」とわたしは息も絶え絶えにいった。


 日課というほどではなかった。折に触れ、思い出したようにわたしは自分のおこめを触った。甘酸っぱいような息苦しいような、変な感じがあった。いけないことをしているような気がした。なんであいつはわたしにこんなことを教えたんだと思った。恨めしかった。一方で段々と覚えていくわたしの体の変化に、これはいいものを教えてもらったと感謝することもあった。そうやって、女は男に捻じ曲げられていくのかもしれない。

 ところで。

 わたしが思春期を迎え、わりと堂々と抱き枕に腰をこすりつけたりしていた頃、部活が一緒の男子から告白された。

 同じバスケ部の男子で、基本的には男女共同で練習するようなことはなかったけれど、体育館の一面と二面で練習しているし、たまの朝練などでは校庭にあるやや傾いた可動式のバスケットゴールに男女入り乱れてシュート練習などしていたので顔見知りだし、たまに話すこともあった。

 だがそれだけだ。

 なぜに彼はわたしに告白したのか。

 いまにして思えば彼はロリコンだったのではないか。小学生に手を出すわけにはいかないからわたしに告白した。いや、本当のロリコンなら本物の小学生に手を出すか、さもなくば小学生を神格化して第二次性徴前のあのすらりとした脚に欲情しつつ、視姦のみでよしとしたのではないだろうか。

 神はいった。

 汝、視姦するなかれ、と。

 視姦ぐらいでうるさいこというな、これだからヨッドヘーバウヘーは、とヘブライ人にならっていってみたりする。名前をいってはならないあの人は、何もヴォルデモートだけではないのだ。

 それにしてもユダヤ旧約の神とキリスト教新約の神は違いすぎる。なんでだ。神はほんとはいないからか? 原始宗教の神はたいていレイプするし、宗教的興奮を意味するラプチャーの、語源がレイプと一緒だと知ってわたしは慄いたものだ。

 アダムは基本的にレイピストなのだ。それは聖書にも書いてある。産めよ増やせよ、と。神からの祝福のろい。変にディセンシーやらナイーブやらで自分から手の出せない男は、神からは自由かもしれないが、生物としては間違っている。いやよいやよも好きのうちだから、といけしゃあしゃあという男は真正のレイプ魔で、レイプ魔でない男は逆に「ダメ」「やめて」というと本当にやめてしまう。萎えてしまう。本気で「やめて!」といった時にはやめてくれて、それ以外にはちゃんと来てくれる塩梅あんばいのいい男はいないものか。人生ままならない。

 とはいえ、金で女を買うような男だからといって、金を払ったんだからいいだろといわんばかりの感じで汚いチンポを押し付けてくるのばかりでもない。金を払ってるくせにこちらから誘わないとよくわからないひとり語りをして無駄に時間を消費して、こっちは立ちんぼだからいいけど、おまえ風俗いったらもっと時間シビアだぞ、出すもの出せずに金無駄にするタイプだな、と余計な世話を焼きたくなる。正直、男としてどうなんだ、と思わないでもない。女として未完成なわたしが、男として未完成なあなたに。失礼かもしれないが。



 わたしは最初にいったように、快楽が欲しいから春をひさいでいるのであって、金銭面には特に興味はない。昼間にまっとうな仕事についているし、総合職でもなければバリキャリでもないけれども、つつましく生きるぐらいのお金は稼げている。たまにアフタヌーンティーでティーセットを頼むぐらいの贅沢しかできないけれど、それでわたしには十分なのだ。

 けれど快楽は違う。

 自分で自分を慰める快楽も決して嫌いではないけれど、いやむしろ単なる快楽の度合いでいえば実際のセックスより上等かもしれないけれど、それでもどこかにぽかりと空いた穴を埋められないもどかしさを感じ、そうして成り余れる誰かのソレで、成り合わぬところを塞いでほしいと切実に願ってしまうのだ。

 本当であれば、愛し愛される人のチンコで、わたしのこの空虚に蓋をしてもらいたい。そうは願っても、考えたらわたしは本当の意味で他人を愛したことはないし、愛されたこともないのだ。

 それを悲しいことだと、きっと愛したと、愛されたと思う人はいうのだろう。でもそんなのはくそくらえ、だ。人はひとりで生まれ、ひとりで死んでいく。一緒に入水じゅすいして情死したところで、死ぬタイミングも行先もべつべつだ。わたしがいっているのは、愛されてると気持ちよく錯覚したところでがっつりと押し入ってもらいたい、そのときの快楽をむさぼりたいと夢想するだけだ。

 けれど、一時の快楽を求めれば、その錯覚もいよいよ遠のく。すれたあばずれを生きながら、いつかリチャード・ギアが現れないか、と心のどこかで願ってしまうのである。

 現実は映画と違い、ハッピーエンドのあとも続く。

 ずっとハッピーエンドの映画なんてものは存在しないし、ましてや人生なんて。

 ただ続いていくだけだ。




*****



「……優しくして、」

(早く、もっとケモノみたいに)



「痛くしないで……」

(激しく、もっと拡げて、押し上げて)



「そのまま、お願い、一緒に」

(怖い、やだ、やめて)



 気持と裏腹に、しがみついて離さない、からだ。まだまだこの先続くというのに、刹那で歪めようとするのは、誰?


 ほかならぬ、わたしだ。


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