第7話 白い羽

「仕方がなかったと思うわ。行動したい気持ちがあっても、足がすくむことはあるもの……」


 リリーはアンに同情した。

 正義感が強いと自覚のある自分でも、祖母と同じ立場であればオリバーを助けることはできなかっただろう。


 アンはリリーに「ありがとう」とお礼を言うと、話を続けた。


「私は次の日、素知らぬ顔をして仕事はしたわ。でも、オリバーのことは気がかりでね。いつものように彼の部屋に食事を持って行ったとき、首元に見えた歯型が見えてしまって、つい『大丈夫?』と聞いたの。そうしたら、彼の表情はいつものました顔ではなくて、驚きと、ショックに変わった。それはそうよね。きっと、知られたくないことを知られてしまったのだから」


「……」


「だけど、私は彼に『私はあなたの味方。できることは少ないけれど』と早口で、でも精一杯気持ちを込めて伝えたわ。そしていつもポケットに忍ばせておいた、地下で拾った羽を素早くテーブルに置いたの。少し血で汚れて赤黒くなってしまった部分もあったけれど、太陽の光の下で見るときれいな明るい茶色の羽をしていたわ」


「オリバーは何て?」


「金色の瞳を大きく見開いて、驚いた顔をしていた。そして、大きくもなく小さくもない羽を手に取ると、『彼女は無事?』と聞くの。きっとその鳥のことを言っているんだと思ったから、私はお皿をテーブルに並べながら首を横に振った。『どうなったか分からないけれど、地下にはいなかった』って。オリバーが『そう……』とだけ短く答えるのを聞くと、私は部屋を出た。聞きたかったことは山ほどあったけれど、時間をかけると、雇い主に勘づかれてしまうといけないから」


「それからどうなったの?」


 リリーの質問に、アンはふうっと息をはくと、ベンチの背にもたれてコンサバトリーの透明な屋根を見上げた。リリーもその視線を追うと、気持ちの良い青い空が見える。


 するとそこに、一羽の白い鳥がすうっと頭上を通過するのが見えた。


 リリーはそれを見て、珍しいなと思った。

 川や海に近ければ白い水鳥がいるが、ここは森に近い住宅地である。そのため、あまり白い鳥は見かけない。


 アンは鳥が通りすぎるのを見たあと、話を再開した。


「それからしばらくは、何も起きなかったわ。私も相変わらず、オリバーとは特に会話を交わすことはなかった。だけど、二週間ほどったころかしら。私が食事を持って行くと、初めて彼から声を掛けてきたの。『ここで会うのは今日が最後だ』と。彼が何かするつもりだと分かったから、私は小さくうなずいて、

『上手くいくといいわね』って言ったの。そしたらオリバーは、これまた初めて笑うと、彼はそっと距離を縮め、黙って私の髪に白い羽を差し込んだのよ」


 リリーはそのとき小首をかしげた。

 地下で拾ったものは確か茶色の羽だったはずである。


「茶色じゃなくて?」


 確認するように尋ねると、アンは特に気にしたふうもなくうなずいた。


「ええ。そして『それじゃあね』と挨拶するから、私も『うん』とだけ言ったわ。そして私が料理を渡し終えて、入れ違いになるように雇い主がオリバーのいる部屋に行った。すると、ほどなくして窓ガラスが割れる音がしたの。驚いて一階の窓から北側のほうをみると、カケスよりは大きくてイーグルよりは小さい、白い鳥が翼をはためかせて飛んでいくのが見えたわ」


 リリーはその意味することに驚き、目を丸くした。


「じゃあ、オリバーはまさか……」


 本物の鳥だったというのだろうか。

 すると祖母は軽く肩をすくめる。


「さあ、どうかしらね。そして私も夏の終わりごろに、ハウスキーパーの仕事は辞めたの。お金が十分に貯まったからね。それ以来その家との付き合いはないわ。――はい、お話はこれでおしまい」


「ねえ、オリバーはどうなったの?」


 リリーが気になって尋ねると、アンはいたずらっ子のようにふふふっと笑う。


「さあ、どうなったのかしらね」


 祖母はそう言うと横に置いておいた手紙の束から、素っ気ない白い封筒を取り出し、リリーに見せた。差出人には「オリバー・スミス」と書かれていた。


「うそ、でしょ……?」


 リリーの驚きにアンはにこっと笑うと、封筒を開ける。するとそこには手紙のほかに、レターサイズよりも一回り小さいくらいの、白い羽が一枚入っていた。


「……ひょっとして、オリバーはおばあちゃんと文通をしているの?」


 信じられないといった様子で尋ねると、祖母は羽を指先でもてあそびながら答えた。


「私は最初から、手紙のやりとりの人物について話したはずよ。よかったら会ってみたらいいわ」

「ええ?」


 思ってもみないことを言われ、リリーは戸惑ってしまう。


「私の孫娘って言ったら、きっと家に入れてもらえるはずよ」


 そう言ってアンは、封筒に書いてある住所をリリーに見せた。

 ここから車で十五分くらいのところである。近い。


「写真を撮ってもいい?」

「ええ、どうぞ」


 リリーはジーンズのバックポケットに入ったスマホを取り出し、カメラ機能でパシャリと撮ると、「ちょっと出かけてくる」と言ってコンサバトリーを出て行った。


「行ってらっしゃい」


     ☆


「あれでよかったの?」


 リリーがコンサバトリーを出て行ったあと、そう尋ねながら家のほうから入ってきたのはアスランだった。


「帰っていたのね」


 アンはベンチから立ち上がって振り返る。

 学校から帰って、そのまま立ち聞きをしていたのだろう。彼の肩には黒いリュックが掛けられていた。


「オリバーの話をすると思わなかった」


 アスランはどこか不満そうな表情を浮かべている。

 彼はリリーよりも前にオリバーのことを知っていた。それもずっと前から。


「彼は『塔』の管理者の一人で、その『塔』はこの世界のほとんどの人が存在を知らないでいる。それにもかかわらず、ぼくが『塔』のことを知っているのはおばあちゃんに聞いたからで、その管理者の世代交代が必要になっているからだったよね」

「そうよ」

「だったら、何故リリーに話したの? オリバーと代わるのはぼくのはずだよね? もしかして、気が変わった?」


 アスランの戸惑うような問いに、アンは「いいえ」と言った。


「そうじゃないわ」

「だったら、どうして?」

「もう一人必要になってしまったからよ」


 祖母の答えに、アスランは口を閉ざした。つまり、オリバー以外の管理者も交代を迫られているということだ。


「リリーは『塔』についてはまだ何も知らないよね? いいの?」


 アスランの意味深長いみしんちょうな問いに、アンは苦笑する。


「仕方ないのよ。あの『塔』の管理者は正義感がなければ無理なのだから。仮に私利私欲しりしよくにまみれた者が入ったら、は当然、にも悪い影響が大きな波となって襲い掛かる。その点、リリーは大丈夫だと私は思うの」


「だけど……、下手をしたらオリバーたちを捕まえていた実業家の男のように、どこかで聞き耳を立てていて、『塔』を自分のものにしようとする人たちが出てくるとも限らない。リリーにその自覚が必要だし、第一、彼女がこの管理職に就きたいかなんて分からないじゃないか。そんな無責任にできる仕事じゃないよ」


 言いよどむアスランに、アンは優しくほほ笑む。


「アスランの心配もよく分かるわ。それに、私はきっかけを作ったにすぎない。決めるのはリリーよ」


 アンはそう言うと、手紙の束を持ってゆっくりとコンサバトリーから出て行く。彼女の手には、白い羽はもうなかった。



(おしまい)

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囚われの鳥 彩霞 @Pleiades_Yuri

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