第6話 雨音に紛れる声
「どうして?」
リリーは眉をひそめた。これまでのことを考えれば、いつものように食事のときに話せばいいはずである。
「私が地下に下りた次の日から、雇い主に料理を持って行ったらすぐに帰ってきなさいと言われてしまったのよ。もしかすると、雇い主は私が何かしたことを察してしまったのかもしれない。だから、それまで彼が食事が終わるまで話していられたのが、できなくなってしまったの」
「それからどうしたの?」
リリーが心配そうにしながら尋ねた。
「転機が訪れたのは、思ったよりも早かったわ。一週間くらい経ったころかしら。天候が荒れた日があってね。私は家に帰るのも、ちょっと大変だってことで、雇い主の家に泊まらせてもらうことになったの。素敵な部屋に、素材のいいネグリジェなんかも貸してもらってね。それでいい気分になっていたんだけど、ベッドに入ると、やっぱりオリバーのことが気になってしまってね。もしかすると今なら、話せるんじゃないかと思ったの。私の部屋とオリバーがいる部屋までは、間に二部屋あって、その先へ行けばシャワールームがあるから、もしオリバーの部屋の前でうろついていても、きっとうまく言い訳できるんじゃないかって」
リリーがこくりとうなずくと、アンは言葉を続けた。
「私は足音を立てないように、そっとそっとオリバーの部屋に行ったわ。すると、外のうるさい雨音に
「え?」
「人の声よ。それも、会話じゃない」
リリーはぐっと眉を寄せる。
「どういうこと……?」
「責め立てるような短い声が聞こえて、あと荒い息遣いが聞こえてくるの。
「何が見えたの?」
「オリバーが雇い主に
「え⁉」
リリーは
「それは違うと思うわ。暗くて多分、としか言いようがないけれど、体を噛みつかれていたのよ」
「体を、噛みつかれていた……?」
「ええ。
リリーは目を見開き「どうして……」と呟いたあと、はっとして「雇い主は、吸血鬼だったの?」と真面目な顔をして尋ねた。
だが、アンはあっさりと否定する。
「普通の人間だと思うわ。もし吸血鬼なら日中出歩いて、仕事なんてしないでしょう」
「そ、そうよね……」
「まあ、私たちが知っている『吸血鬼』の定義に当てはめればの話だけれど」
祖母の言い分はもっともだった。
「吸血鬼」が何者で、何が苦手なのかは、
だが仮に、「吸血鬼」が実在するとして、小説に登場する「吸血鬼」と同じ定義であるか否かは分からない。つまり、本物の「吸血鬼」に会い、彼らの生態を調べた者しか知りようがないということを、アンは言っているのだ。
「話を戻すと、あのときは、オリバーだけが上半身が
「つまり雇い主は、オリバーから『塔』へ行くための方法を聞き出そうとしていたってわけ?」
リリーが推理すると、アンはうなずいた。
「そうだと思うわ」
「でも、それにしたって変よ……」
何もかもがおかしい。
どこかの「塔」へ行きたいのであれば、地図で探していけばいい。約六十年前は不便な時代だろうが、金をつぎ込めばよかったのではないか。実業家であれば可能だったはずだ。
また『お前の血が必要なのは分かっているんだ』というのも変である。
雇い主が行きたい場所へ行くために、オリバーの血が必要とはどういうことか。
現代では馬鹿馬鹿しいと
「変だとは思うわね。でもそのときの私には、雇い主のしていることを問いただすことも、苦しそうにしているオリバーを助けることもできなかった。見てはいけないことを見て、聞いてはいけないことを聞いてしまったと思ったから、もしそれを知られたら自分の身が危ないんじゃないかって思ったの。地下にあった血痕と、ちぎれた鎖のように……」
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