少女帝国外伝 青空と君のアペリティフ

菖蒲ヶ丘菖蒲

第1話 そのことに君は気付いたんだ

 人々の口から、どす黒い煙が立ち込める。

 親の口から。友の口から。通り掛かる全ての人間の口から。石炭で走る汽車のように。

 そして勿論、俺の口からも。

 嘘をついている。



 暖かな春から、初夏にかける頃。過ごしやすい気温だからなのか、たまに空間そのものが微睡んでいるような錯覚がする。時間が少しだけゆっくり、止まっているんじゃないかと思わせるように漂っている。

 北校舎の三階、第二音楽室の前には屋上へ出る為の扉がある。実際にそこが開いているところなんて見たことは無かったが——

 扉の窓からははっきりと屋上のど真ん中で寝そべっている生徒が見えた。

「……?」

 当然、「関係者以外立ち入り禁止」の張り紙は存在している。近付いて凝視するが、光の反射でそう見えたとかそういうことは無く、そこには変わらず男子生徒が居て、両手を頭の下に敷いて足を組み寝ている。

 生徒の肌は、直射日光に当てられているのを加味しても真白く、細身で、目を閉じていても美しい顔をしているのが見てとれた。

 薄く開いていた扉のノブに手を掛け、大きく開ける。外は雲一つない快晴で、太陽の光が眩しく、目が焼けるように痛い。

 生徒は全くの無反応だった。

「……こんなところで、何してるんですか?」

 思い切って、少し声を張って尋ねる。ようやく生徒は左目だけを開き、目線をこっちへ寄越した。

「何?」

「屋上って立ち入り禁止ですよね?」

「ああ……そうだね」

 軽くため息をつき、また瞼を閉じてしまう。それが何? と思っているだろうことは言われずとも分かった。

 ただ——別に彼を糾弾しようとして踏み入った訳じゃない。

 屋上を大きく横切って、端の網フェンスまで進む。

 網に手を掛けて寄りかかり、地面を見やる。薄灰色のアスファルトが所々黒ずんでいる。率直に言って——汚いとまでは言わないが、綺麗でもない。

 網の目は靴先が引っかからないほど小さく、フェンスを登って越えるにも骨が折れそうだ。

「ああ、そういうこと。君、飛び降りる為に来たの」

 振り返ると、生徒が上半身を起き上がらせ、口元に薄い笑みを浮かべながらこちらを見ていた。

 彼の瞳は光の中で金色に輝き、半透明に透けて、…………この世界で一番美しい物体だった。それに気付いた途端に、彼の白く艶のある髪、白魚のような手足、細長く上品な指、人を嘲笑う表情、その全ての美しさが視界に入ってくる。

「……だったら、何か、問題が?」

「別に。でも、良くこんな薄汚い、悍ましい場所で死のうなんて思えるね。他にもっと良いの、あるでしょ」

 彼の口からは煙が立ち上らない。

「……身近で、高い建物は、ここしか思い付かなくて……」

「ふうん」

 高い場所から落ちるだけで死ねるなんて、道具の準備が要らなくて手軽じゃないか。

 それに、みじめでぐちゃぐちゃの死体を……、この学校に通っている人間全てに突き付けてやりたい。見せびらかしてやりたい。初めに発見する人は一体どんな悍ましい心地になるのか、想像するだけで少しの達成感がある。

 振り返ると、美しい男は我関せずと寝そべる体勢に戻っていた。俺に興味無さ過ぎだろ。別に心配して欲しいわけでもないが、自殺志願者を前にここまで太々しく昼寝が出来るものなのか。

「何も言わないんですね」

「はあ……? 何か言われたいの?」

「まあ、一言くらいは」

「…………、興味ない」

 彼の口からは煙が立ち上らない。

「もっと何か……、喋ってください」

「はあ? 一言って言ったでしょ」

「お願いします」

 必死だった。顔を顰めてこちらを見やる彼の瞳を、一生懸命に見つめ続けた。

「……どうせ、もう少ししたら人類は滅ぶんだから、どうでもいい」

 彼の口からは煙が立ち上らない。

 それがあまりにも衝撃的で、俺は、初めて本当の人間と出会った、と思った。送って来た人生で、彼だけが輝いていた。すごい。ひどい。くらくらする。俺は膝から崩れ落ちた。


 

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少女帝国外伝 青空と君のアペリティフ 菖蒲ヶ丘菖蒲 @jemaucean

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