ふうふ見ず知らず

@zawa-ryu

第1話

 ふと目覚めると、そこは見知らぬ部屋。

 ベッドサイドの窓から差し込んだ光が、カーテンの隙間をぬって真新しいシーツを照らしていた。

 その白さが眩しくって思わず目を細める。

 見慣れない家具。白すぎる壁紙。ああ、ここはどこ?いったい僕は何故こんなところに?


 と、劇団員ぽく思ってはみたが、ここは間違いなく自分の部屋だ。

 正確には昨日から、自室マイルームになったところ。

 急展開で話が進んで、夜中から荷物を搬入したり、後片付けやら整理やらゴタゴタやっている間に、いつの間にか疲れて眠ってしまったようだった。

 まだこの家に馴染んではいない自分自身に困惑しながらも、寝起きの頭をクシャクシャと掻き上げて布団を払いのける。


 ピピピピピピッ

 ほどなくしてスマホのアラームが鳴り出した。

 しまった!起こしてしまわなかっただろうか?

 慌てて電源をオフにすると、スマホを枕の下に投げ入れ、着崩れたパジャマの襟を申し訳程度に直して部屋の扉をそっと開いた。


 キッチンに立ち込める穏やかなコーヒーの香り。湯気でうっすらと曇った窓ガラスを背にし、立ったまま両手で抱えたマグカップにそっと口をつけていた彼女と目が合った。

 4月の朝日が、緑色のTシャツからすらりと伸びた細い腕を照らす。腰近くまで伸びた黒い髪を一括りにして、こちらを見る大きな茶色い瞳は、少しだけ戸惑いの色を帯びていた。

「す、すみません!」

 その白い横顔に思わずドキッとして、悪くも無いのに謝ってしまう。

 彼女は少し困ったような顔をしてマグカップをテーブルに置くと、

「あ、いえ。こちらこそ……すみません」

 そう言って軽く頭を下げた。

 ……気まずい。

 場を取り繕おうとなんとか言葉を探す。

「早起き、なんですね。あっおはようございます。」

「いえ、ちょっと作業していたもので、寝てないんです。おはようございます」

 彼女の動きに合わせて揺れた髪から、ふわっと僕の周りに甘い匂いが漂った。

 そっか、寝てないんだ。

 彼女は確か……そうそう作家さんだって聞いた。クリエイティブな仕事をしているからきっと、朝も夜も彼女には関係ないんだろうな。

 それにしても引っ越した当日から徹夜って……。

 そう言われれば、目の下にうっすら疲労のあとが見えるが、化粧もしていないのに目鼻立ちはくっきりとして、見れば見るほどキレイな人だな、とあらためて思う。

 顔なんて僕の半分ぐらいしかないんじゃないかと思うぐらい小さい。

「あの、お湯沸いてますから。よかったら、どうぞ」

 ぼうっと突っ立っている僕に、彼女は相変わらず困ったような顔のまま、コーヒーを勧めてくれた。

「いえいえいえ。もうバイトに行く時間ですのでお構いなく!」

 我に返って手をぶんぶんと振る。

 そのままダッシュで部屋に戻ると、薄手のパーカーとチノパンにサッと着替えて、リュックを手に取り、僕は顔も洗わず玄関から飛び出した。


「はあ~っ」

 歩きながら思わず長いため息が漏れる。

「早く慣れないとなぁ」

 ガランと静まり返った早朝の商店街。閉じたシャッターの前に寝そべっていた猫は、僕の独り言など興味なさげに欠伸して、のそのそとお店の隙間に消えて行った。

 寝床の確保が最優先だったとはいえ、見ず知らずの人と、それも相手はあんな飛び切りの美人。

 ほんの一月前まで、こんな同居生活が始まるなんて思いもしなかった。



 二月も終わりに近づいたその日、

「冬から春に変わって欲しかったらこれでもくらえ!」

 と言わんばかりに外は強風が吹き荒れていた。

 部屋の窓ガラスはガタガタと揺れ、今にも窓枠ごと飛んで行ってしまいそうだ。

 居候の分際で、窓どころかこのボロアパートが吹き飛ばされやしないかとヒヤヒヤしていた時、ふいに家主であるバイト先の先輩が田舎に帰ると言いだしたのがそもそもの始まりだった。


「就職が決まったんだ」

「へ?」

「親が帰って来いってうるさくてさ。ずっとはぐらかしてたけど向こうも強硬手段に出やがって。知り合いの会社に頼み込んだからって」

 風はなおも激しく窓を叩き、勢いそのままにアパートを揺らす。

「そ、そうなんだ」

 かろうじてそう応えはしたが、僕は衝撃のあまりアパートが揺れているのか自分の頭が揺れているのか一瞬わからなくなった。

「田舎だからね。就職するにもツテやらコネやら使うわけよ。まあ自分でもいつまでもこんな生活してたらマズイなって思ってたとこだったし。結局鳴かず飛ばずで終わっちゃったけど、この齢まで夢を追いかけさせてもらったんだから、後悔は無いかな」

 嵐が街路樹を激しく揺さぶる窓の外に目をやって、先輩はあっけらかんとそう言った。

 こういう場合も一応、おめでとうございますと言えばいいのだろうか。

 アマチュアバンドのボーカルで、もう何年もデビューに向けて頑張っていたのに、

吹っ切れたその横顔にはもう、未練のかけらも見当たらなかった。

「まあ、そっちは頑張んなよ。田舎から応援してるし、たまには連絡するから」

 そんな風に言われると寂しさがこみ上げてくるが、残された僕には現実がずっしりとのしかかってくる。

「それで、アパートはいつ引き払うの?」

もっと先に言うべき言葉があるだろ。とは自分でも思ったが、切羽詰まって勢い込んで尋ねる僕に、少し目を反らして先輩は答えた。

「悪いけど、来月の末には」

「……そっか、わかった」

 家賃のつもりでわずかばかりの金額は渡していたけど、居候させてもらっていた手前、素直にそう応えるしかなかった。


 高校を卒業してすぐ、親の反対を押し切って半ば勘当同然で上京してきた僕に、ねぐらを与えてくれた先輩には感謝しかない。取っ払いの日雇いバイト先で、初日に色々と教えてくれたのが、僕と先輩との出会いだった。

「なんでいっつも同じ服着てんの?」

 バイト現場に毎日上下スェット姿で登場する僕に向かって不思議そうに先輩が尋ねてきたのは、確かその現場の最終日だったように思う。

 着る服も住む場所も無い。そう話す僕に、

「なら、ウチに来なよ」

 先輩は事もなげにそう言った。

 申し訳ない気持ちが無いわけではなかったが、これでもう公園のトイレやお寺の軒下で寝なくて済む。その時の僕は藁にもすがる思いで先輩の家に転がり込み、以来もう2年もここでお世話になることになった。

 あの時の先輩は天使に見えたが、今では神様に見える。

 後光の射す先輩に向かって、僕はがばっと頭を下げた。

「先輩、今までありがとうございました!故郷で末永くお幸せに」

 僕が涙ぐみながらそう言うと、

「なんだそりゃ」

 先輩は苦笑いしながら、ギュッとハグしたあと僕の頭を優しく撫でてくれた。


 次の日から僕は、新居探しを始めた。

 もういっそ田舎に帰ってしまおうかとも考えたが、いまさらノコノコ帰ったところで両親にあわせる顔も無いし、なによりまだ、僕は先輩のように夢を捨てきれない。

 そう、僕には夢があるのだ。

 いつか大観衆で埋め尽くされた舞台に立ち、主役を演じる僕に観客は拍手喝采。  鳴り止まないカーテンコールに手を振って応える。

 そんな壮大な夢が。

 今はまだ超がつく売れない舞台俳優だけど、いつか、きらきらと輝くステージに立って、僕もそれ以上に輝いて見せる。

 そのためにもまずは棲家を確保しない事には何も立ち行かない。 


 近場にある不動産屋から手当たり次第に当たったが、ほとんどの不動産屋は門前払い。たまに話を聞いてくれるところはあっても、5分ともたず追い返された。

 そりゃそうだろうなと自分でも思う。身元を保証してくれる人などおらず、バイトを掛け持ちしてなんとか食いつないでいる僕に、部屋を貸してくれるところなんてそうそうあるわけがない。

 散々歩き回って最後にその不動産屋にたどり着いたのは、先輩が部屋を引き渡すという日の前日の夕暮れだった。

「なんでもご相談ください。あなたの街の不動産屋」

 どこにでもあるような文句の幟が立つお店は見るからに辛気臭く、誰も寄り付かない雰囲気を醸し出していた。


 そこに彼女がいた。

「希望条件シート」と書かれた用紙を手に持ち、俯いてカウンターに腰掛けていた彼女。


 氏名:五條莉乃 

 職業:作家

 家賃の上限:2万円まで


 用紙にはとても小さなかわいらしい字でそう書かれていた。

 客観的にみると、「貸してもらえる部屋なんかないよ」と思われるような内容は、僕とほぼ同条件だった。

 僕の希望条件を聞いて、不動産屋は、今日は厄日だとも言いたげに大きくため息をついた。

 しかし、次の瞬間彼の眼鏡がキラリと光った。

「お二人で、ルームシェアというのはいかがでしょう?」

 ちょうど老夫婦が住んでいた平屋の一軒家で諸事情があり、借主を探していると言うのだ。

「今、ドラマとかでも流行ってるじゃないですか。これならお家賃も希望通りになりますし。ねっ?ぜひそうしましょう!なんと言っても家具付き、保証人不要ですよ。もうここしか無いです。決めましょう!」

 無理くり話を進める不動産屋に、彼女は何も言わなかった。

 本当に住む場所に困っていたのだろう。

 それは僕とて同じだったけど。

 でも、いくら何でも今まで見ず知らずだった男女がいきなり一つ屋根の下で暮らすなんて、無茶苦茶だ。女性なら特に身の危険も感じるだろうし。


「あの……」

 だけど、それまでずっと黙っていた彼女の口から出てきたのは、予想外の言葉だった。

「正直に言います。私としては、ぜひルームシェアでお願いしたいです。頼る身内もいないし、お家賃のことを考えると……」

 僕は驚いたが、彼女の表情からは、硬い決心が伝わってくるようだった。

「えっと、僕も正直に言います。ここがダメだったら、もう路頭に迷うしかないんです。それと、この際なのでお伝えしておきますね。僕はゲイです。なので、あなたにその、変な事考えるとかは無いですので、えっとその点はご心配なく」

 僕の言葉に今度は彼女の方が驚いた顔をした。

 不動産屋は少し引きつった顔になったが、すぐに営業スマイルを取り戻すと、すぐさま手続きを始め、僕は書類にサインした。

「えっ?同じ苗字?」

「はい。五條大夢っていいます。これからよろしく」

「五條莉乃です。よろしく……」

「へえ!何とも珍しい。他人同士が同じ苗字で、さらに同じタイミングで共同生活とは。こりゃ将来夫婦になってもおかしくないですなぁ!」


 不動産屋の軽薄な意見は無視して握手を交わすと、僕たちはこうして新しい生活をスタートさせた。


 ほんの昨日まで、見ず知らずだった僕たち。

 今はまだ、この先どんな未来が待っているのか想像もつかないけれど、今はただ真っすぐ前だけを見ていかなくちゃ。


 肩に背負ったリュックの紐をぎゅっと握って、僕は駅に向かって走り出した。

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