【8】黄泉がえり
頭の中に、声が聞こえた。
その声に反応し、心臓が脈を打つ。
優しげな口調で、普段からは想像もできないような声色で、囁きかける声の主を、エールは知っていた。
体が痛い。胸が痛い。心が痛い。
でも、それはまやかしでしかない。
黒剣に貫かれてから、既に死を迎えたはずだ。痛みなど感じるはずもない。
では、この痛みは何なのか。
声の主は、名を呼んだ。
感情の込められた息遣いが、首筋を甘くくすぐる。それがまた恥ずかしく、心に響く。
まだ、死んではならない。
帰りを待つ人が、すぐ傍にいる。
それがエールの心に火を灯し、生きる希望を、活力を、存分に与えていく。
死んでなんか堪るか、ヒルシュベルク一の魔法使いになる為に、彼に弟子入りしようと決めたんだ。その想いを伝えずに死ぬだなんて耐えられない。
生きたい。
とにかく、生きていたい。
彼の顔を見れば、これから先のことなんてこれっぽっちも不安に感じないんだから。
――そして、エールは目を開けた。
「い、……イクス?」
その名を、口にする。
果たして、名を呼ぶのは何度目だろうか。つい、そんなことを考えてしまった。
「お帰り、エール」
笑みを浮かべるイクスが、エールに声を掛ける。その瞬間、エールは理解した。
自分が、死より舞い戻ってきたということを。
「……ただいま、イクス」
魔王の体内より取り出されたのは、死者を蘇らせることが可能な《黄泉がえり》だ。
エールは死より生還し、再びイクスと顔を合わせることができた。
「未来を視通していたとはいえ、次は無いからな」
無事を確認し、すぐにまたイクスの態度が変化する。
普段通りに素っ気ない言葉をぶつけた。
「なんで?」
だが、エールは気付いている。《壊れかけの眼》を発動し、未来を視通すことで、自分自身がイクスを信頼しているという事実と、そしてその期待にイクスが応えてくれたということを、その身を持って実感することができたのだ。
「なんででもだ、間抜け」
また、間抜けと言われる。
それが何故かエールには懐かしく、そして嬉しく思えて仕方がなかった。
「……なんだ、何故笑う」
「ん? ……んー、たぶん、きみがバカだからかな?」
その言葉に、イクスは舌を打つ。苛立ちを表現したいのだろうが、不自然にしか見えない。
「これを受け取れ」
視線を外し、イクスは胸元へと手を翳す。すると、魔法の欠片が一つ、体外へと排出される。
「これは、お前の両親が託した物だ。大事にするといい」
魔王の記憶の扉を開くことにより、イクスは真実を視た。エールの両親は、アヴェッツェの裏切りに初めから気付いていたのだ。
「……うん」
魔王討伐に失敗し、エールを迎えに行くことができなかった場合を考えて、エールの両親は《記憶の扉》を封印術で封じ込めた。
いつか、エールが心の底から信頼できる仲間を持った時、封印を解き、役立てることができるようにとの願いを込めて……。
「イクス」
「なんだ」
エールは、《記憶の扉》を体内へと取り込んだ。温かな感触が前進へと浸透する。
これが、エールが持ち続けていた一つ目の魔法の欠片だ。
「ううん、なんでもない」
肩を借り、手を取って、ゆっくりと起き上がる。
ラルコスフィアの塔は、間もなく崩壊するだろう。
「変な奴だな」
此処で起きた出来事は、全てが闇の中へと消えてしまう。
けれども、エールは忘れない。絶対に忘れないと心に誓う。
目の前に佇み、自分の手を握る、口の悪い魔法使いの顔を見上げ、頬を緩めながら呟いた。
「ありがとう」
魔法使いの欠片 ひじり @sekijohijiri
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