【7】VS魔王メルゼベルク

「はああっ!」


 エールは横に逸れ、イクスは真っ直ぐに駆けていく。

 脚力を限界まで酷使することで、発条を一気に解放する。イクスが持つ黒剣と、魔王の手が重なり合った。余力を残すことは考えていない。全力を持ってぶつかり合い、敵の命を摘み取らなければならない。


 その間、エールは再度、魔王の姿を瞳に映し込む。決して瞼を閉じず、ひたすら見続けることで、《壊れかけの眼》の発動条件を満たすつもりだ。


「阿呆めっ、主等に予知はさせぬわァッ!!」


 右手を思い切り床へと向けてぶつける。

 地砕きで塔内に亀裂を呼び起こす。


「……ぐっ」


 足場が不安定に、エールは膝をつく。だがそれでも瞳は揺るがない。魔王を見続ける。

 未来を視通すということは、勝利を呼び寄せることへと繋がるのだ。


「フラクトゥールッ、主は邪魔じゃ!」


 本性を現すことで呪文を必要としなくなった魔王は、イクスの胸元へと手を翳す。

 瞬間、闇の塊が渦を巻き、衝突する。


「――がはっ」


 受け身を取ることもできず、イクスは後方へと吹き飛んだ。

 すると今度は、攻撃の対象をエールに変更する。無防備なまま放っておくはずがない。


「わしの未来は、何人たりとも視通すことは許さぬ――ッ」


 闇を具現化し、黒剣と似た闇の長剣を作り上げると、それを手に勢いよく腕を振り抜いた。

 魔王の手を離れた闇の長剣が、剣先を向け、目にも留まらぬ速さで襲い掛かる。


「《鬼や天狗の隠れ蓑》――ッ!!」


 遠くから、イクスの声が届いた。その直後、エールの眼前に闇の長剣を手掴みする鬼と、宙を舞う天狗が現れた。


「はぁ、はあっ、……ちいっ」


 呼吸さえも困難な状況であるにも関わらず、イクスは回復型の魔法を発動するよりもエールの命を守ることを優先した。だが、エールは死を目前に瞼を閉じてしまっていた。


「もう一度ッ、今度こそ絶対にッ」


 次は絶対に成功してみせるのだ。

 自分自身に言い聞かせ、エールは魔王の姿を瞳の中に映し込んだ。


「くく、無駄じゃ無駄じゃ、人が魔族に歯向かうなど、あってはならんことなのじゃ」


 両方の手を、それぞれイクスとエールに向ける。


「――逝ね、人間よ」


 天井が崩れ落ちる中、舞台の上で魔王の声が浸透する。暗闇が具現化し、竜の姿形を成していく。それが二人に牙を向け、うねりを上げて飛び掛かる。


「ぐっ、……このっ」


 息も絶え絶えになりつつ、イクスは黒剣を振り抜く。黒い粒子が飛び散り、竜の行く手を阻んだ。エールには守る術を持たせていなかったが、今は鬼と天狗が味方についている。闇の竜の牙を、鬼が全身を盾にして受け止めると、天狗が上空より急降下による突撃を試みる。


「イクスッ、無事かッ!?」

「当り前だ、間抜け」


 鬼と天狗が闇の竜と共に四散し、エールはイクスへと視線を向けた。

 黒の粒子が闇の竜に標準を見誤らせることで、イクスは首元を斬り落とすことに成功した。

 闇が掻き消えた後に残るのは、ゆっくりと立ち上がるイクスの姿だ。


「やはり、先に消すべきはフラクトゥール、お主のようじゃな……」


 アヴェッツェに命令し、体から魔法の欠片を取り出す。それを己の肉体へと取り込むと、魔王は再びイクスへと標的を定める。


 魔王にとって、エールあは取るに足らない存在だ。様々な魔法を扱うことができるイクスこそ、真っ先に殺しておかなければならない敵なのだ。


 腕に力を込め、指先で空間に亀裂を作る。すると、異空間へと腕を伸ばし、新たな剣を取り出した。片手で振り回し、呪文を介さずに闇を纏わせる。


「……これで終いじゃ」

「それはこっちの台詞だ」


 魔法使いではなく、剣士の如く黒剣を構えるイクスは、時間を掛けて一呼吸する。

 息を吸い、吐く。それを見た魔王は、次の呼吸を行なわせることなく、舞台上を猛烈な勢いで駆け出す。


「お前の攻撃は届かないぞ、魔王」


 闇の攻撃を直接身に受けることになれば、無事では済まない。

 そうならない為にも、イクスはもう一度だけ唇を掠らせた。


「《粘着性の活路》」


 魔王に向けた発動したのは《粘着性の活路》だ。これでイクスの体が魔王との距離を保つことが可能となる。だが、所詮はその場しのぎでしかない。同じだけの距離を移動し、攻撃の手を逃れつつ、少しでも時間を稼ぐこと。エールが瞬きをせずに魔王の姿を見続けるのは、僅か二十六秒間だ。


 既に、達成しているかもしれない。だが、まだ未来を視通すには十分ではない。油断を生み出してこそ、《壊れかけの眼》は最大級の威力を発揮する。

 だが、油断していたのはイクスの方だった。


「わしが呪文を唱えぬとでも思うたか? ――……《魅惑心》発動じゃ」

「――ッ、しまっ」


 魔王が口にした《魅惑心》は、対象者一人の心を自在に操る魔法だ。メルゼベルクの試練で、二度目の罪人として招待された二枚目魔法使いのルブレアが欲していた物だ。

 それを今、イクスは自身を対象に効果を発動されてしまった。


「ただの傀儡と成り果てよ、そして自害するのじゃ」

「……あ、ぁ」


 意識が、朦朧とする。

 それは《魅惑心》によるものだ。


「イクスッ」


 エールの呼び声が耳に届くが、意識的に返事をすることができない。まさか《魅惑心》がこれほどまでに恐ろしい効果を秘めているとは、思ってもみなかった。

 成す術のなくなったイクスは、黒剣を首元へ近付けていく。


「くふっ、他愛もない……。さあ、早く死ぬのじゃ」

「あ……ぐ」


 魔王の命令に逆らうことができず、イクスは死を恐れずに腕を横に引く。

 が、そこに影が差す。


「このバカッ、止めろ!」


 エールが、イクスの許へと駆けていた。


「いっ、……うううっ」


 黒剣を取り上げる為に腕を掴み、剣身を素手で握る。

 地に染まる手の平と黒剣が、エールに痛みを齎した。けれども一向にイクスの意識が元に戻ることはなく、《魅惑心》の影響下にあった。


 死を止める為に手を出したエールを、魔王が見逃すはずがない。

 だからこそ、エールは最後の手段に出ることを決めた。二人して生きる覚悟を持つことができたからこそ、死を覚悟することができる。


「……イクス、もし生き残ることができたなら、ぼくをあんたの弟子にしてくれ」


 その言葉を最期に、エールは両手で黒剣を掴み取り、剣先を己の胸元へと突き刺した。


「――ッ!!」


 すると、虚ろな瞳をしていたはずのイクスが、目を見開く。

 目の前の出来事に、驚きを隠せない。


「……え、エール……?」


 名を呼ぶ。

 だが、エールは返事をしない。ずるりずるりと、その場に倒れ込んでしまった。


「主め、一体何を……」


 エールの行為に驚いたのは、魔王とて同じだ。

 何故、エールは自ら命を捨てるようなことをしてみせたのか。

 その答えは、すぐに分かることとなる。


「……ッ、ごほっ」


 血が口元を汚し、エールは苦しそうに顔を歪めた。

 まだ、死んではいない。けれどもこのままでは命が危ないのは事実だ。


「エールッ、しっかりしろ!」

「よ、よかった……目が、覚めたんだな……」


 ゆっくりと瞬きを繰り返し、瞳の中にイクスの姿を映し込む。そして、徐に胸元へと手を翳した。エールの手に握られているのは、《壊れかけの眼》の魔法の欠片だ。


「間抜けめ、何故こんなことをっ」

「未来を……視通したんだ。……それで、な。……イクスを助ける為に、ぼくが……命を懸ける姿が、……視えた」


 エールは、《壊れかけの眼》の発動条件を既に終えていた。

 魔王の未来を視通すことで、現状を映し出すことに成功したのだ。


「……イクス、一つだけ、頼みを聞いてくれ」

「何だ、言ってみろ」

「生きる為に、……ぼくを、解放しろ」


 その言葉は、決意の表れだ。魔王討伐を果たし、生き延びる為に必要不可欠な条件だ。


「お前が視通した未来を、オレは無条件で信じよう」


 そう言って、イクスは《壊れかけの眼》を己の体内へと取り込む。


 とここで、エールの胸元が淡い光を放ち始めた。人が死ぬ間際、これまでに得た魔法の欠片が体外へと排出されていく。それが今、始まりを迎えたのだ。


 エールの体から出てきたのは《死神の微笑》一つ。他には何もない。

 だが、イクスは知っている。エールの体には、もう一つ、魔法の欠片が存在する。


「……何処じゃ、何処にあるんじゃ……?」


 止めを刺すことも無く、二人の許へと歩み寄る魔王は、エールの胸元に視線を向ける。

 何かを探しているのだろう。しかしながら、それは決して見つからない。

 何故ならば、魔王は封印術を扱うことができないからだ。


「《自己犠牲の風》――ッ」


 舌を動かし、唇を掠らせ、イクスは呪文を唱える。

 それは、ルブレアが扱った魔法の欠片の一つだ。全身を覆い尽くすほどの風の波を生み出し、魔王との間合いを瞬時に取ることが可能となる。


 エールを抱き寄せ、二人揃って魔王から距離を取る。

 不可解な行動を取ることで、魔王の手を止めた。これが正真正銘、最後の好機だ。


「魔王、お前が欲する物は、此処にある。……だが、それを手にするのはオレだ」


 エールの胸元には、白銀の紋章が刻まれてある。

 それは、封印術を施された者の証だ。


「――《封印されし者の欠片》、発動」


 胸元へと手を翳し、イクスは封印術の呪文を唱える。

 すると、死を目前にしながらも体外への排出を拒んでいた物が、エールの胸元から姿を現す。

 封印術によって、エールの体内に封じ込まれていた魔法の欠片だ。


「エール、少しの間だけ、お前の大切な物を借りるぞ」


 既に、意識はなかった。それでもイクスは耳元で囁き、エールの体内で封印されていた魔法の欠片を取り込んでいく。そうすることで、また一つ、新たな魔法を手に入れる。


 体内へと取り込んだ後、イクスは瞬時に理解する。魔王とアヴェッツェが何故、この魔法の欠片を奪おうとしていたのか。それは、圧倒的な脅威に成り得るからだ。


「《記憶の扉》――……それが、エールの体内に封印された魔法の欠片の正体だ」


 エールを抱きかかえ、離れた所へと運んでいく。

 それから、イクスは舞台の中心に佇む魔王の姿を視界に捉えたまま、言葉を操る。


「《記憶の扉》は、対象者一人の記憶を探ることが可能であり、同時に欠落させることも不可能ではない」


 仮に、エールが《記憶の扉》を発動した場合、アヴェッツェは自らが犯した罪を記憶ごと知られてしまう。今の地位を失うことは、魔王にとっても利益とはならない。生きた屍と化したアヴェッツェの意識を探ることで、魔王は《記憶の扉》の存在を知り、それを奪い取ろうとしていたのだ。


「これはオレの推測だが、《記憶の扉》はエールの身を守る為に、エールの両親が授けたのだろう。……それが、裏切り者と魔王を倒す術になることを信じてな」


 一歩、前へと近づく。魔王が身構えた。

 だが遅い。既に発動条件は満たしている。


「オレはお前を殺さない。死よりも辛い恐怖を脳髄に染み込ませてやる」


 二十六秒が経過し、《壊れかけの眼》が発動した。

 魔王の未来を視通すことで、イクスは何をすべきかを理解する。


「《発条の解放》ッ!!」


 唇を掠り合わせ、呪文を唱える。

 その動きを見た魔王は、剣を手に闇を味方に宙を舞う。


「――その動き、全て視えているぞ! 《旋風》発動ッ」

「うぬうっ、おのれええっ!」


 風の刃が闇を斬り裂き、魔王の体を曲げる。その瞬間を見逃さず、イクスは足の発条を限界まで酷使することで、空高く飛び上がった。


「阿呆めっ、主は人間であることを忘れたかっ! 人は宙を舞っていては攻撃を避けることができないからのう!」

「お前に次は訪れないんだよ、間抜けが」


 魔王の台詞を遮り、イクスは腕をしならせる。左手に持つのは、エールの命を奪った黒剣だ。

 黒の粒子が塔内を彩りながら、その中心を黒剣の先が抜けていく。狙いは勿論、魔王だ。


「ぐっ、ぐぅうううっ!!」


 魔王は剣を横に振り、黒剣を弾き飛ばす。だが、今のイクスには一拍あれば十分だった。


「《鬼や天狗の隠れ蓑》――発動ッ!!」


 再度、呪文を唱える。

 地には鬼が、そしてイクスの背には翼を持った天狗の姿が具現化されている。


「確かにお前の言う通りだ、魔王。人は宙を舞うことはできない」


 けれども、魔法を介することで、人は宙を舞うことが可能となることも事実だ。


「全てをぼうきゃくするがいい、永遠に苦しみ続けるんだな」


 天狗の翼を借り、一気に距離を詰めていく。そのまま、イクスは魔王の顔面に左手を翳す。


「がっ、ぐ……ががっ、があああアアアアッ!! フラクトゥウウウルウウウウウ――ッ!!」


 魔王の断末魔が、塔内に響き渡る。

 それは同時に、魔王メルゼベルクが全てを忘れ去った瞬間でもあった。


 地に落ちた魔王は、鬼によって取り押さえられる。しかし、もはやその必要もないのかもしれない。舞台を見下ろせば、魔王は既に虚ろな瞳をしていた。


「魔王メルゼベルク、お前の唯一の敗因は、人を媒体としたことだ」


 天狗と共に舞い降りた案内人は、魔王の傍へと向かう。

 魔王は、魔法の欠片と同じく、ナアの体の中に入り込んでいたのだろう。そうすることで、ナアの意識を奪い取り、生活していた。


 だが、それは同時に魔族としての長所を消し去ることとなり、ひ弱な人間として生きていかなければならなくなっていた。


「一瞬のうちに奪い取ったからな、まだ記憶の整理をし切れないわけだが……」


 魔法の欠片の扱い方を奪われた魔王は、自身がこれまでに得た全ての魔法の欠片を、強制的に排出していく。死を迎えるまでもなく、魔王は何もかも失うことになったのだ。


「……こいつだけは、忘れちゃいけない」


 数え切れないほどの魔法の欠片を、魔王は体外へと排出し続けるが、その中から一つ、今最も必要な物を手に取った。それを大切に運び、イクスはエールの許へと向かう。


「死の間際、人は魔法の欠片を手放す。……だが、こいつだけは例外だ」


 エールの体を抱き寄せ、そっと胸元に手を翳す。

 ゆっくり、ゆっくりと、魔法の欠片がエールの体内に入り込んでいく。


 本来、死を覆すことはできない。それが自然の摂理であり、必然なのだ。

 けれども魔法の欠片には、当たり前の認識を覆すだけの力が秘められている。


「……エール、目を開けろ、……エール……」


 だからこそ、イクスは声を掛ける。エールが目を覚ますことを信じて……。

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