【6】死神の微笑

「えっ、……あ」


 エールは、胸元に手を触れられた。

 こんな時に何をするのかと思ったが、それは魔法の欠片を取り込む為に必要な動作だ。

 イクスは、自身が持つ魔法の欠片の一つを、エールへと託したのだ。


「《壊れかけの眼》だ、お前が持て」


 イクスが渡した物、それは《壊れかけの眼》だった。体内へと取り込まれた瞬間、エールは魔法の欠片の使い方や呪文の唱え方を意識的に理解する。初めから知っていたかのような感覚に陥り、思考の中に流れ込んできた。


 そしてもう一つの魔法の欠片は、攻撃型の物だ。この二つを組み合わせることで、イクスはエールを絶対的に必要な戦力として生まれ変わらせることに決めた。


「奴はお前を無能な魔法使いであると認識……否、確信している」

「こんな時だけど、きみをぶっ飛ばしてもいいか?」


 真面目な表情で貶され、エールは抗議の声を上げるが、イクスはそれを無視して話を続ける。


「だが、そんなお前だからこそ、逆に奴の隙を生み出すことになるだろう」


 そう言い、すっくと立ち上がる。

 魔法使いのローブが風に揺らめき、黒剣が黒々とした粒子を振りまいている。

 その後ろ姿を見上げ、エールは口を動かす。


「……ぼくが、奴の動きを視ればいいんだな」

「よく理解できたな、間抜け」

「間抜けじゃないってば、バカ」


 上出来だ、と更に付け加え、イクスは呪文を唱え始めた。

 と同時に、エールはゆっくりと瞳を閉じる。


「二十六秒間、それが《壊れかけの眼》の発動条件……」


 緊迫した状況で、二十六秒の間、瞳の中にアヴェッツェの姿を映し続けなければならない。

 それは、エールがこれまでに経験してきた何よりも困難な任務だ。


 出来るか否か、ではない。絶対に成功させなければならない。

 だからこそ、エールは頷く。そして瞼を開けた。


「行くぞ」


 それを合図に、イクスは全身に風を纏いながら一気に宙を翔けていく。風の勢いを利用し、対象者一人の許に飛び立つ魔法の一つだ。


「無駄だ!」


 右腕を大きく振り抜き、アヴェッツェは真っ黒な刃を解き放つ。禍々しさに満ちた中距離型の闇魔法攻撃に対し、イクスは黒剣を横に一閃することで掻き消した。


「まだ攻撃は終わらんぞ、フラクトゥールッ」


 長剣を手に、イクスの許へ駆けるアヴェッツェは、もう片方の手で闇を作り出す。それに対抗する為に、イクスは唇を擦り合わせ、光を生み出す呪文を唱えた。


「目が見えないか、アヴェッツェ」


 光と闇を重なり合わせることで、目晦ましの役割を果たす。また、イクスは瞳を閉じながらも黒剣を手に標的を突き刺す。


「そんな攻撃当たらぬわ!」


 瞼を閉じつつ、一切の恐れを持たないアヴェッツェは、瞬時に鉄の壁を作り上げる。

 黒剣の先は、それを貫くことはできたが、アヴェッツェの喉元には届かない。


「そら、身動きできなくなったぞ」


 意地悪そうに口角を上げ、イクスへと手を翳す。

 と、イクスの体が瞬時に反転した。


「――ぐあっ」


 これは《逆さまの王》だ。

 アヴェッツェは《簡易呪文》で呪文を介さず二通りの魔法を発動することが可能だが、それは一度に限ったことだ。発動後は、もう一度簡易呪文を発動し、設定しておく必要がある。


 だが、呪文さえ唱えてしまえば、《簡易呪文》を介する必要はない。


「これで終いだ、フラクトゥール」


 立場を逆転されたイクスは、自身が狙いを定めていた喉元に長剣を突き付けられてしまう。

 だがしかし、ほんの少し位置を動かすだけで命を奪うことが可能な状況下であるにも関わらず、イクスは笑みを崩さない。


「間抜けが、既に時は過ぎた」

「何を言って……はっ!?」


 後ろを振り向く。

 そこには、アヴェッツェへと両手を向け、呪文を唱えるエールの姿があった。


「ウムラウトッ、おのれ貴様アアアッ!!」

「《死神の微笑》発動ッ!!」


 イクスから受け取った魔法の欠片は二つ。

 一つは、対象者一人の未来を二十六秒先まで視通すことが可能な《壊れかけの眼》、そしてもう一つは、《死神の微笑》だ。


 何もない空間に亀裂が生じ、その奥から真っ黒な瞳を向けた死神が這いずり出る。

 死神の瞳に囚われたアヴェッツェは、身動きが取れなくなっていた。


「微笑みなさい、哀れな人!」


 その言葉をアヴェッツェに向けると、死神は口元を緩ませる。笑みを浮かべ、驚くことにアヴェッツェの口元も同じ様に笑みを作り出す。


「ぐっ、ぎががっ、……ぎっ」


 強引に英を浮かべさせられて、更には動けない。


「アヴェッツェ、お前の敵はオレだけだと思ったか」


 エールへと授けた魔法の欠片、《死神の微笑》は、呪文の長さが他の妙の比ではないのが欠点だが、それさえ克服すれば、実戦で最高に役立つ武器へと成り変わる。異空間より死神を呼び寄せた後、対象者一人の動きを完璧に止めることが可能なのだ。


 一対一であれば、《死神の微笑》が決まった瞬間、勝利を手にしたようなものである。


「さあ、死ぬ用意はできたか」


 背後へと回り込み、イクスが問い掛ける。

 アヴェッツェは強引な笑みを作り上げたまま、苦しそうに呻き声を上げていた。


「――ッ、逃げろっ」


 だが、戦いはまだ終わりを告げてはいない。


 エールの声が舞台上に響いたのを頼りに、イクスはアヴェッツェから距離を取る。

 すると、瞬き一つする間もなく、それまでにイクスが立っていた場所と、死神が存在していた位置を対象に、足元から闇が溢れ出す。そして、一定空間を呑みこんでしまった。


「なんだ、あれは……」


 エールの許へ戻ると、イクスは眉根を潜める。

 念には念を入れ、イクスはエールに《壊れかけの眼》を取り込ませていた。そのおかげで、予測不可能な事態に反応を示すことができた。


 が、しかし、


「ただの人間が、わしら魔族に歯向かうなど愚かなことを……」


 聞いたことのある声が、闇の中に響く。

 今までにイクスとエールの目に見えていた人物とは別に、小さな男の子が闇から姿を現す。


「……え」


 何故、此処に。

 エールだけでなく、イクスも同じことを思った。

 けれども、すぐに気を引き締める。一瞬の油断が命取りになることを知っている。


「ナア=ナイデン、お前は何者だ」


 闇が掻き消え、中に立っていたのは、アヴェッツェとナアの二人だった。

 先ほどまで存在しなかったはずのナアが、舞台の上に立っていることが、実に奇妙でおかしく思えるが、勿論それだけで終わるはずがない。


「……いや、お前、……人間か?」


 掻き消えたと思われた闇を身に纏い、薄く笑みを零す。

 ナアは、禍々しさを増した存在として、イクスとエールの胸にざわめきを起こした。


「否――、わしは魔族を統べる王――メルゼベルク――……」

「め、……メルゼベルクだと?」


 視界に映し出すだけのことが、脅威に思えた。

 見た目は変わらないのに、何かが異なるのを肌で感じ取っている。


 ナアが現れたと思ったら、アヴェッツェがその場に倒れ込む。意識を失ったかのように見えるが、何が起こったのか定かではない。


「ど、どうなってるんだ?」


 魔王メルゼベルク。

 その名を知らぬ者は、ヒルシュベルクには存在しない。魔王メルゼベルクとは、かつてヒルシュベルクを恐怖で支配した魔族の王の名だ。

 ナアは、己をメルゼベルクと名乗った。


「簡単なことだ」


 塔内に、新たな闇が漂い始める。

 心なしか空気の流れが悪くなり、エールは息苦しさを感じ取れるようになった。

 そんなエールに対し、イクスは淡々と口を開く。


「今現在、オレ達の目に見える人物は、ナアの皮を被った別の何者か……魔王メルゼベルクってことだ」

「……そ、そんなっ」


 驚愕の事態に目を見開くエールだが、ここでふと、アヴェッツェの言葉を思い出す。


「あ、貴方が仮にメルゼベルクなら、どうして生きているんだ……」


 エールは、疑問を口にする。

 アヴェッツェの話では、メルゼベルクは死したはずだ。


「くく、わしは嘘を吐かぬ。じゃが、此奴は嘘を吐くがのう」


 ナアではなく、メルゼベルクが、床に倒れたアヴェッツェに視線を向ける。


「此奴は、主の親と共にわしの首を獲りに来たのじゃ」

「ぼくの両親が、アヴェッツェと一緒に……?」


 エールは一歩前へと踏み出す。

 しかし、肩を掴み、イクスがそれを制した。


「そうじゃ、主の親はわしを死の間際へと追い詰めよったわ。……じゃがのう、残念なことに、仲間には恵まれんかったようじゃの」


 アヴェッツェの頭部を踏み、足に力を加える。

 物言わぬ状態ではあるが、苦しそうに見えるのは気のせいではない。


「此奴は手柄が欲しかったのじゃろう、主の親を殺し、横取りを目論んでおったわ」


 今にも頭部を潰されてしまいそうだが、それは実に奇怪な光景だ。

 小間使いのナアが、主を足蹴にしているのだ。


「わしの首を獲る前に、此奴は主の親を殺した。その隙に、わしは此奴の息の根を止め、生きた屍として利用することにしたのじゃ」


 その言葉が本当ならば、本物のアヴェッツェは既にこの世にはいないことになる。

 改めて事実を知り、エールは愕然とした。


「それじゃあ、その体はどこで手に入れたんだ」


 イクスが問う。

 ナアの姿形をしたメルゼベルクに、一つの疑問をぶつけた。


「簡単なことじゃ」


 すると、メルゼベルクはくつくつと笑いながらもエールを見やり、互いの顔を指差した。


「この小娘は、エールの弟じゃ」

「――今、なんて?」


 もはや、何が何やら分からない。

 思考が乱れ、エールは助け舟を待つ。


「主の親は、わしの首を獲りに来た時、この餓鬼を孕んでおったわ。故に、此奴よりも新鮮な体に移動することができた。実に好都合じゃった」


 エールの母親は、子を宿した状態で魔王討伐の旅に出て、帰らぬ人となった。

 そして、メルゼベルクは腹の中の子の体に入り込み、人として生きてきた。


 表向きは、メルゼベルクは死したことになる。アヴェッツェは英雄として崇められ、その名をヒルシュベルクに知らしめた。だがその裏では、ナアとなったメルゼベルクが暗躍し、メルゼベルクの試練を作り上げ、アヴェッツェを利用して魔法の欠片を集めていた。


「此奴は、生きた屍であり、わしの操り人形じゃ。思考の全てを読み取ることが可能でのう、主を最も恐れておることを理解した」

「……ぼくを恐れる? アヴェッツェが……?」


 何故、魔法の一つも扱えない人間を、アヴェッツェは恐れる必要があったのか。


「同時に、わしも主を殺さねばならん。……何故ならば、主の親には辛酸を舐めさせられたのだからのう」


 エールの両親は、メルゼベルクの首を獲る寸前で裏切りに遭い、死に絶えた。そして今、メルゼベルクはエールの命を狙っている。


「さあ、死を覚悟するがいい……」


 見た目は子供だが、中身は人ではない。魔族を統べる王、メルゼベルクだ。

 弟を相手に戦うことができる否か、考える余裕はない。ナアの意識は、初めから残ってなどいなかったのだ。ナアに成り変わることで、人間世界からヒルシュベルクを支配しようと試み、けれども化けの皮が剥がれ落ちた。


 だが、事実を知るのはイクスとエールの二人だけ。この二人さえ始末すれば、メルゼベルクは今後も同じように生きていくつもりだ。

 ナア=ナイデンとして、アヴェッツェを操りながら。


「……英雄に、成り損なったってことか」


 とここで、イクスが呟く。

 言われてみれば確かに、その言葉の通りだ。魔王の首を獲る間際、仲間に裏切られ、更には英雄としての地位や名誉を手に入れることも叶わずに死したのだ。


 そして何より、娘のエールに真実を伝えることも適わなかった。


「だがまあ、それならそれで今度はお前が魔王の首を獲り、英雄になればいいだけの話か」

「……ぼくが?」

「他に誰がいる」


 肩を竦め、イクスが笑う。


「死を恐れなければ、奴に立ち向かうことはできない。……だが、そればかりでは今以上に前へと突き進むことは不可能だ」


 呪文を唱え、イクスはメルゼベルクへと目を向けた。

 空気が震え、塔内がゆらりゆらりと軋み始めている。


「生きる覚悟はできたか、エール」


 初めて、名を呼んだ。

 それが何故か嬉しくて、エールは口元を緩める。


「当然だろ、イクス」


 エールもまた、イクスの名前を口にする。それがとても恥ずかしく、しかしながら何処か心地よくもあった。


 声を掛け合い、互いの意思を再確認する。否、イクスとエールの二人ならば、確認するまでもないことだ。


「さあ、英雄になれ」


 魔王メルゼベルクの首を獲らなければ、イクスとエールに未来はない。

 このまま諦めるわけにはいかないのだ。


「残念じゃが、わしを討つことは不可能じゃ、何故ならば――……」


 全身に力を込め、体内から暗闇を噴出させる。それが辺りを囲み始め、より一層濃さを増す。


「わしは魔族を統べる王、メルゼベルクなのだからなァアアアアッ!!」


 再び、魔王が手を翳す。

 魔法の欠片では無く、己が持つ闇の力を扱ったのだ。

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