【5】VSアヴェッツェ

「《泥人形の悲劇》――……ふむ、まずはメルゼベルクの試練の案内人のお手並みを拝見させていただこうかな?」


 呪文を唱えると、アヴェッツェの周りに泥で作られた人形が姿を現す。計六体の泥人形は意思を持たず、傀儡としてアヴェッツェの命に従う。


「私の可愛い人形達、彼等の命を奪い取ってくるのだ」


 標的を定め、合図を送る。すると、六体の泥人形は、その身に似合わず俊敏な動きでイクスとエールに襲い掛かる。


「一歩も動くな、すぐに終わる」

「ああ!」


 言葉を交わし、互いの意思を疎通する。


 先陣を切った泥人形は勢いよく飛び上がり、両腕を限界まで振り上げながら圧し掛かる。視界の上に映る姿を意識せず、イクスは上唇と下唇を掠らせ、一瞬で呪文を唱え終える。


「――《氷の防御壁》」


 エールを中心に、氷の壁が生み出された。

 泥人形は受け身を取らずにぶつかり、砕け散る。


「まず、一体」


 声を出し、再認識する。

 残る五体の位置を目視し、直線上に駆けていく。


「意思の無い人形に後れは取らないぞ、アヴェッツェ?」


 更に二対、思考を巡らせることなく突進する泥人形を相手に、イクスは体を翻す。

 振り向きざまに黒剣を横に一回転、それだけで二対の泥人形は互いを巻き込み、上半身と下半身に斬り別けられてしまった。


 流れに身を任せ、イクスはローブを脱ぎ去る。

 それを目隠し代わりにして、魔法の欠片の力を扱い、足の筋力を増幅させた。

 イクスは、防御への反応が遅れた一体を、黒剣で貫いた。


「残すは二体」


 後ろ側へと回り込んだ二体の泥人形は、泥に塗れた拳を思い切り振り抜く。

 しかし、今のイクスは《発条の解放》の発動下にあった。遅すぎる攻撃に身を委ねるほど間抜けではない。左手から右手へと黒剣を持ち直し、その場にしゃがみ込んだ後、イクスは泥人形達の足を斬り落とした。


「ぐうううう」


 意思のない泥人形が呻き声を上げ、うつ伏せに倒れる。泥が付着した剣先を一振りし、黒の粒子を辺りに飛び散らせた。


「準備運動にもならんかね、フラクトゥール?」

「当り前だ、糞ジジイ」


 お前が直接掛かってこい、と言い、イクスは再度、呪文を唱え始めた。

 今度の呪文は、一瞬では終わらない。


「それでは、僭越ながら私がお相手させていただこうかね」


 首の骨を鳴らして、アヴェッツェは舌先を動かす。

 力量を図る意味もなかったと言いたげに、右の手の平をエールへと向ける。


「《落盤発火》――……」


 塔内に、アヴェッツェの声が響き渡ると、突如エールの真上に巨大な岩石が出現した。

 それは炎を纏いながらも重力に従い、急降下する。それも一つではなく、無数に存在する。


「――ッ、くそっ」


 魔法の形状を視認して、即座に《氷の防御壁》では対処し切れないことを悟った。

 すぐさま《氷の防御壁》の発動を解除し、《発条の解放》で上昇した足の発条を最大限に発揮することで、直撃を防いだ。


「むぐっ、……ぐ、苦しい……ッ」


 身構えることなく、イクスの突進を受け、エールは思わず咳き込んだ。

 だが、瞬き一つ終えてみれば、つい先ほどまでエールがいた場所は、炎に焼かれた岩石で埋め尽くされていた。


「ほら、フラクトゥール。守りながらでは満足に戦えないよ?」


 一息吐く間もなく、更なる追撃が二人に襲い掛かる。


 アヴェッツェは長剣を手に距離を詰め、槍の如くイクスの胸元目掛けて力任せに貫く。

 だが、イクスは全身を横に逸らすことで、間一髪受け流すことに成功した。


 しかし、左手にはエールの手が握られており、思うように体勢を整えることができない。


「ッ、――これでどうだ」


 ヒルシュベルクの英雄を相手に、手加減など一切無用だった。

 死を与えるつもりで腕を捻り回転を掛け、勢いに乗って足元へ剣先を伸ばす。


「無駄だよ、私には全てが視えているのだからね」


 イクスの動きに反応し、アヴェッツェは真横に回避する。得意の台詞を先に言われてしまったイクスは、大きく舌を打つ。


「まずは右腕を貰おうか」


 そう言って、アヴェッツェは長剣を手にイクスの右肩を突く。

 真横にずれた次の瞬間には、イクスの姿を視界に捉え込み、点ではなく線で描き出す。


「させるかっ」


 発条を活かすことで、地を蹴り飛ばしながらも無理矢理方向転換を可能とし、アヴェッツェが持つ長剣の剣先を回避する。単純な攻撃のように見えなくもないが、その実、自身の身体能力に絶大な自信と信頼を寄せていた。


 アヴェッツェの剣の扱い方はそれほどではないが、勢い任せに攻撃を仕掛けられては、イクスと言えども堪らない。


「むっ」


 腕を振り下ろし、黒剣を一閃することで、黒の粒子を発生させる。それが目晦ましとなり、アヴェッツェの動きを少しばかしではあるが鈍らせた。


 長剣を手に、構え直そうと試みるアヴェッツェだが、その身にイクスが呪文を唱える。


「《旋風》――ッ」


 風の刃が足元へ襲い掛かり、視線を逸らした時を見過ごさず、発条を活かして追撃を仕掛ける。流れに身を任せ、次はイクスから距離を詰めると、黒剣の先をアヴェッツェの心臓に突き立てた。


「ぐあっ」


 黒剣を握るイクスの手には、確かな感触が得られた。

 だが、すぐにそれが罠であることを悟る。貫かれたはずのアヴェッツェは、薄気味悪い笑みを浮かべたかと思うと、両手で黒剣を力強く握り締め、更に奥へと突き立てていく。


「……き、貴様ッ」

「アイレーストが披露した分身なんぞと同格には見ないでもらえるとありがたい。これは何もかも私の体内へ吸収することが可能な《異次元への入口》の効果なのだからね」


 そう言って、アヴェッツェは自身の胸元へと視線を移す。

 そこには、真っ黒な渦を巻いた闇への入口が姿を現していた。その中に、イクスが持つ黒剣が取り込まれようとしていた。


「きみの武器は中々に良い性能をしているからね。私がいただこう」


 魔法の欠片を習得する時と同じく、アヴェッツェは黒剣を体内に取り込んでいく。それ以上、黒剣を手にしていては、己も取り込まれてしまいかねないが、イクスの得物は魔法を除けば黒剣一つ。絶対に手放すわけにはいかない。


「呪文を唱えようとしても無駄だよ、既に射程内へと入っているのだからね」


 油断したわけではない。だが、攻撃を命中させた後のことを考えていなかったのは、詰めが甘かった。イクスは黒剣を引き抜こうと力を込めてみるが、ずるずると暗闇の中に入り込む。


「退けっ」


 と、そこに、エールの声が届いた。

 ふと後ろを振り向けば、赤黒い岩石を両手に抱えながら駆け寄るエールの姿があった。

 一体何をしているのかと目を丸くするイクスだが、それは至って単純なものだ。


「これで潰れろおおおっ!」


 火傷などお構いなしと言いたげな表情で、エールは岩石を放り投げる。それはのんびりとした円の軌道でアヴェッツェの頭部目掛けて落ちていく。


「――ぬうっ、ウムラウトめがっ」


 目を見開いたのは、アヴェッツェも同じだった。

 思わぬ伏兵の存在に、何をすべきか思考を巡らせるべき時間を失った。それが好機となり、イクスは隙を見て唇を掠らせる。


「《韋駄天使》――走れっ」


 舞台上にイクスの声が木霊し、それが瞬時に魔法へと変換される。

 呪文を認識した魔法の欠片は、何処からともなく光を掻き集め、イクスの背後に眩い輝きを放つ天使を生み出した。けれどもその天使は翼を持ってない。そこにあるのは、二つの足だ。

 イクスが生み出したのは、己の足で自在に動き回る天使だった。


「アヴェッツェ、敵は一人ではないことを忘れたか?」


 全身を逸らして岩石の襲来を躱したまではよかったが、その後が疎かになっていた。

 イクスの声を聞いたアヴェッツェは、すぐに視線を前へと戻す。しかし既に遅い。天使の両足蹴りが暗闇の入口を避けて炸裂した。


「がっ」


 初めて、アヴェッツェが苦悶の表情を浮かべる。それは、イクスとエールの力を合わせることで得られたものだ。


「……きみ達、この代償は高くつく」


 喉の奥から声を絞り出し、更には口元を不気味に捻じ曲げる。

 赤紫に燃える炎の塊を手の平に生み出した後、アヴェッツェは動作もなく解き放った。


「避けろ!」


 エールに声を掛け、イクスは黒剣を炎の塊に向けて突き出す。

 黒の粒子に混ざり合い、炎の塊は四散し、辺りに熱気を振りまいた。


「遅いよ、フラクトゥール」

「っ、ちい」


 だが、いつの間にか、アヴェッツェが真上にいた。

 重力に身を預け、落ちてくると同時に、剣先を顔面へと向けている。

 寸でのところで横に逸らしたイクスは、体勢を崩してその場に倒れ込んだ。


「きみ自身を取り込むことは避けておきたい。何故ならば、私はきみが持つ魔法の欠片が欲しいのだからね」


 長剣に重心を置き、両足を上げて体を持ち上げる。不可思議な恰好でイクスの背後へと回り込んでみせると、アヴェッツェは一連の動作の中で流れるように右足を突く。


「――ッ」


 苦々しい顔で、イクスが体を震わせる。


「動きを止めるには、それで十分かな?」

「……ぐ、アヴェッツェめ」

「無駄口を叩く余裕はないだろう、フラクトゥール?」


 回復型の呪文を唱える隙を与えるはずもない。

 アヴェッツェは追撃とばかりに今度は左足を突き刺そうと試みる。……しかし、


「こっちにもいるぞ、バカッ」


 エールが、またもや石を投げてきた。

 それは見事にアヴェッツェの後頭部へと直撃し、反応を鈍らせる。


「糞共が……どいつもこいつも私に逆らう糞ばかりだ……糞が糞が糞が糞が……」


 止めを刺そうとすれば、横から手を出されて失敗する。二度に亘り意識が途切れたことで、アヴェッツェの顔が歪みを増していく。

 言葉の端々から、呪詛の如く得体の知れないものを垣間見た。


「溺れろ、糞ジジイ」

「むっ、……これはっ」


 ほんの僅かな時間の中で、イクスは唇を掠らせる。

 すると、イクス共々襲い掛かるように、天井部に水の円が発生し、その中から水柱が一直線に飛び出す。水力を得た柱が、二人の距離を強引に引き離していく。


「おのれっ、フラクトゥール!」


 声を上げ、アヴェッツェは両手を上へと翳す。水柱から身を守る為の壁が現れ、攻撃の方角を逸らした。けれどもそれだけの時間があれば、怪我をした足を回復するには十分だった。


「大丈夫か!?」


 水に流されたイクスは、エールによって受け止められ、場外へと落ちずに済んだ。

 そこでイクスは頷き、少し長めの呪文を口にする。


「……あ、傷痕が」


 見る見るうちに、治っていく。その様子を珍しそうに見つめるエールは、まるで子供のような瞳を向けていた。


「傷は治るが、体力自体が回復するわけじゃない。だから、何れはオレの体が持たなくなるだろう。そうなってしまう前に、奴を倒さなければならない」


 そう言って、イクスは己の胸元へと手を翳す。

 すると、淡い光が生み出され、魔法の欠片が二つ、取り出された。


「初めから、こうしておけばよかった」


 エールを守りながら戦うのではなく、エールと共に戦う。

 それを今、イクスはアヴェッツェとの決闘の最中に悟った。

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