【4】敵討ち
「キスをしたのは、男女含めてお前が初めてだ」
「……は?」
今此処で、何を馬鹿なことを言っているのか。現状を理解しておきながら、不埒な台詞を投げつけるとは、無神経にも程がある。
そう思い、エールは顔を上げた。
「汚い顔だな、涙と鼻水でぐちゃぐちゃだ」
「う、……うるさい」
汚れを指摘されたエールは、恥ずかしそうに服の袖で顔を擦った。
その仕草を見て、イクスは口元を緩める。
「だが、それでいい。……怒った顔の方が、お前らしい」
そう言われて初めて、エールは気付いた。いつの間にか、悲しみが薄れていることに。
魔法にも似た言葉で意識を変えたのは、イクスだ。
「《簡易呪文》には、条件を満たした二つの魔法を発動することが可能だが、欠点がないわけではない。あれは、一度でも発動すると、次に発動する為に呪文を唱えなければならない」
舞台奥に視線を向け、イクスは口だけを動かす。
準備運動が終わったのか、アヴェッツェは二人の方へと向き直していた。
「つまり、今の奴は《簡易呪文》で《空気の牢獄》を発動することができないってことだ。その意味が分かるか」
イクスにとって、《逆さまの王》は驚異的な効果ではない。敵の不意打ちを躱す為の罠のようなものだ。けれども、《空気の牢獄》だけは絶対に発動を許してはならない。一度発動を許すと、全ての行動が制限されてしまうのだから当然だ。
仮に、イクスが《空気の牢獄》を破ったとしても、もう一度発動されては堪らない。
「《空気の牢獄》を、撃たせるなってことか?」
頭を悩ませ、エールは呟く。
その言葉に、イクスはゆっくりと頷いた。
「その通りだ。《空気の牢獄》の他にオレの動きを止める魔法の欠片を、奴は持たない。それは奴自身が《簡易呪文》で選択した二つの魔法が物語っている。……だから、今からオレがすることに怯えるな。そして、お前はすぐにこの場から逃げろ」
「……い、嫌に決まってるだろ、なんでぼくだけ逃げなきゃならないんだ」
「弱いからだ。魔法を一つも扱えない魔法使いなど、ただの足手まといだ」
「でも、あの時は一緒に連れて行ってくれたじゃないか!」
あの時とは、ラルコスフィアの城下町で、魔法の欠片の専門店が襲撃された時のことだ。
確かに、エールも同行を許可されていた。
「間抜けが、時と場合を考えろ。今現在、オレとお前の相手をするのは何処のどいつだと思っているんだ。魔王メルゼベルク討伐を果たした英雄だぞ」
「そんなことぐらい知ってるよ……。だけど、だからこそぼくは逃げたくない。ヒルシュベルク一の魔法使いになる為には、あいつを倒さなくちゃならないんだから」
エールは、怒りに満ちた瞳を向けている。それは逆恨みが描き出したものか、それとも別の何かか。イクスは息を吐く。
「ヒルシュベルク一の魔法使いになる意味は無くなったはずだ」
「ぼくの両親は、あいつを殺そうとして、返り討ちに遭った。それが真実なのか否か、ぼくには分からない。でも、もしそれが事実なら、ぼくは両親の敵を討つ!」
一切、迷いを持たない。エールは言い切った。
死んだ両親の為に、ヒルシュベルクで頂点に立つ魔法使いに立ち向かうというのだ。
「正気の沙汰とは思えんな」
「なんとでも言えよ、ぼくの考えは変わらないぞ」
真っ直ぐな瞳をぶつけ、エールは自分の想いを伝える。
絶対に引けない場面が、今この時だということだ。
「……手出しは無用だ。それと、オレの傍を離れるな」
ふう、と溜息混じりの声を上げる。
やはりと言うべきか、エールは期待通りの反応を示した。もしかすると、エールが傍にいることを期待していたのかもしれない。
そんなことを考えてしまい、イクスは自分を殴りたくなった。
「ああ、少しだけ訂正する。今しばらく、オレの傍を離れておけ」
「え? ……う、うん」
紳士的にも二人のやり取りに手や口を挟まなかったが、これ以上の時間を掛けることはできそうにない。久方振りの実戦に、アヴェッツェ自身も興奮を抑えきれないでいた。
「フラクトゥール、そしてウムラウトくん。今回は無観客の特別戦だ。場外での負けは認めない。私か、それともきみ達二人が死する時まで、戦いに決着は無い」
死を口に、アヴェッツェは心底楽しげに笑う。魔王メルゼベルクを倒し、ヒルシュベルクの英雄として名を馳せた人物とは、到底思えないものだ。
とはいえ、他者の評価などお構いなしといった様子である。
そんなアヴェッツェを視界の端に映し込み、イクスは呪文を唱え始めた。
「《闇の支配者》――発動ッ」
声が、辺りに木霊する。
見えない壁に閉じ込められたイクスの姿を、闇が覆い始めた。
「な、……何が起きてるんだ……?」
目の前の出来事に目を丸くして、エールは息を呑む。
すると、見えない壁の中でひしめき合う暗闇が、より一層、濃さを増す。
「……ほう、それを使うか、フラクトゥール」
感心した表情を向けるのは、アヴェッツェだ。イクスが何をしているのか気付いている。
アヴェッツェは身構え、警戒する。
「――あっ」
やがて、エールが声を上げた。見えない壁に充満していたはずの闇が、外に漏れ始めたのだ。
勢いを増す真っ暗な闇の中から姿を見せるのは、勿論イクスだ。
「……き、きみ、無事なのか?」
恐る恐る声を掛ける。イクスは大きく息を吸い、頷いた。
「平気だ、少し胸が苦しくて死にそうだがな」
「それは平気って言わないだろう、バカ!」
イクスは、全身真っ黒になっていた。闇に覆われたのが原因だ。
「《闇の支配者》は、術者の体力と引き換えに、一定時間に限り全ての魔法効果を受け付けなくすることが可能だ。その中には、奴が発動した《空気の牢獄》も含まれる」
魔法を発動する代償として、たとえ体力を奪われたとしても、無抵抗に死を待つよりは希望を持つことができる。同時に、それはエールと共に戦うことを決めた故の行為でもある。
「ぼくも、何かの役に――」
「もう、十分役に立っている」
悔しそうに呟くエールの口を、イクスは手で塞ぐ。
目と目を合わせ、更に一言、エールに送る。
「お前は、ユベインの敵を討つ為の、絶好の機会を与えてくれた」
「ユベイン? ……って、前任者の……?」
ああ、そうだ、とイクスが頷く。
ユベインとは、メルゼベルクの試練の案内人を務めていた男の名だ。更なる試練において、イクスとの戦いに敗れ去り、案内人としての任を解かれていた。
「ユベインは、同じ村で育った仲間であり、親友だった。メルゼベルクの試練の案内人に抜擢されたと聞いた時、オレは自分のことのように喜んだ」
昔を思い出し、話を続ける。
辛そうに顔を歪め、声を絞り出す。
「だが、奴はユベインが持つ魔法の欠片を手に入れたかっただけだ。メルゼベルクの試練の案内人が決闘に敗れると、自身が持つ魔法の欠片は全て押収される決まりだ。そしてそれこそが、アヴェッツェが持つ魔法の欠片の数々だ」
「だから、あいつは魔法の欠片をいっぱい持っていたのか……」
言われてみれば確かに、おかしな点は多々あった。
魔王メルゼベルクの首を獲った英雄といえども、稀有な魔法の欠片を無数に所持するのは、不自然極まりない。
アヴェッツェは、稀有な魔法の欠片の所有者を探し出し、メルゼベルクの試練の案内人に仕立て上げ、更なる試練で敗れ去るのを待ち続けていた。そうすることで、アヴェッツェの許には苦労せずに魔法の欠片が集まる仕組みとなっている。
「奴は、オレが持つ《壊れかけの眼》と《闇の支配者》、そして《封印されし者の欠片》の存在を、ユベインを利用することで知ったんだ。その時点で、次の標的はオレになっていた」
新たな標的が生まれた時、現案内人は既に用済みとなる。
メルゼベルクの試練に招待される者は、そのほとんどが罪人として認識されているが、例外的に罪のない人物が招待されることがある。だがそれは、新たな案内人となる為の生贄でしかなかったというわけだ。
「あいつは、きみの友達から何を奪ったんだ……」
「《黄泉がえり》だ」
それは、死者を一度だけ蘇らせることのできる魔法の欠片だ。
稀有な魔法の欠片の中でも、生死に干渉することが許されるのは、《黄泉がえり》を除いて未だに発見されていない。それ故、アヴェッツェの目に留まった。
ユベインは《黄泉がえり》を手中に収め、体内へと取り込むことで、死への免疫ができてしまった。それがアヴェッツェに付け入る隙を与え、結果的にメルゼベルクの試練の案内人になるように、と唆されてしまった。
「……じゃあ、あいつを倒したら《黄泉がえり》を取り返そう」
エールの言葉に、イクスは目を向けた。
特に何を考えて言ったわけでもなかったが、その台詞が、イクスには嬉しく思えた。
「ああ、そうだな……」
口元を緩め、少しだけ笑みを零す。それが、エールが見た二度目の笑みだ。
「お前のおかげで、オレは奴に歯向かう度胸を持つことができた。……礼を言うぞ」
黒剣を構え、イクスはアヴェッツェと向かい合う。
丁寧にもそれを確認した後、アヴェッツェは唇を掠らせた。
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