【3】口の悪い魔法使い
「フラクトゥール、きみが所有する魔法の欠片の中で最も危険なものは、《壊れかけの眼》ではない。対象者一人の胸元に手を翳すことで、その者が持つ魔法の欠片の効力を封印、解除することが可能な《封印されし者の欠片》であることぐらい、理解しているのだよ」
その言葉に、エールはイクスの顔を見た。
「……あんた、封印術が使えたの?」
「ちっ、お喋りな糞ジジイが」
愚痴を吐き、肯定する。イクスは封印術を扱うことも可能だったのだ。
エールはまた一つ、イクスの秘密を知ることとなった。
「無論、相手が私となれば、封印術を扱うことも不可能だ。何故ならば、きみは私に触れることすらできないのだからね」
アヴェッツェは、自身が持つ魔法の欠片の効果に匹敵するものは皆無だと確信している。
イクスの身動きを封じた後、アヴェッツェは何事もなかったかのように話を続けた。
「七日前、きみは何者かに襲われた。その相手とは、次の中、何方でしょうかね?」
一、メルゼベルクの試練の案内人――イクス=フラクトゥール。
二、ライチェック盗賊団の頭領――エドリアード=ライチェック。
三、今話題の二枚目魔法使い――ルブレア=アイレースト。
試練の内容を聞いて、エールの顔が真っ赤になった。
「え……あ、なぜ……、ええっ!?」
見られてなどいない。あの時、確かに窓は閉まっていたはずだ。
だが、それは無意味な思考に過ぎないことを思い出す。アヴェッツェには、ほんの少し触れるだけで、他者が犯してきた罪を知ることが可能な《罪人の牢獄》の力が備わっているのだ。
それに近しい効果を持つ魔法の欠片を所持していたとしても、何ら不思議ではない。
実際に考えた後、イクスが横から口を挟んだ。
「《遠見の真眼》、奴が持つ稀有な魔法の欠片の一つだ」
「……《遠見の真眼》?」
同じ言葉を繰り返し、エールは《遠見の真眼》の効果が気になった。
すると、今度はアヴェッツェが口を開く。
「これまでに瞳に映し出してきた空間を思い浮かべることで、瞼の裏に現状を描き出すことができるのだよ」
たった一度でもアヴェッツェが瞳に映し出してしまえば、その場所に個々人の秘密など存在しなくなる。その全ては、アヴェッツェの瞳の中で監視されているわけだ。
「さあ、早く答えてくれるかな?」
薄らと、不気味な笑みを張り付けたまま、選択肢の中から正解だと思うものを求める。
口調には、アヴェッツェ特有の老人っぽさが感じられるが、その他はこれまでのイクスと同じく、招待された者を嘲笑うかのような態度だ。
「……ふむ、時間切れだ、ウムラウトくん。答えは一のイクス=フラクトゥールに決まっているではないか。そんなことも忘れてしまったのかな?」
どうするべきか、エールは迷った。
しかし、それを待たずに、アヴェッツェは正解を口にする。
「ッ、……でもっ」
「まあ、気にすることはない。今回の試練は特別なのだからね。きみが正解しようがしまいが、私としては僅かな興味も持てないのでね」
舞台の中心には、椅子に腰掛け青ざめた表情を浮かべるエールと、空気の壁に閉じ込められたイクスの姿がある。
その二人と向かい合うのは、アヴェッツェだ。
「それでは、第二の試練を始めようではないか」
気にした風もなく、アヴェッツェはメルゼベルクの試練を続ける。
一方のエールはというと、忙しなく視線を交互していた。イクスの様子が気になるのだ。心中穏やかではなく、不安が渦巻いているのは、誰の目にも明らかだった。
「エール=ウムラウト、きみはメルゼベルクの試練に招待されるために、メルゼベルクの試練の案内人、イクス=フラクトゥールを誑かし、襲われてしまったね。その時、きみが打ち明けた秘密を答えなさい」
またもやと言うべきか、第二の試練の内容は、エールの思考を掻き乱すものだった。
「……何故、そんなことを聞くんですか」
これ以上、心の傷を抉られるのは、精神的にも負担が掛かる。
エールは、胸の鼓動が不安に高まるのを無理矢理抑え付け、目の前の敵に問い返す。しかしだ、アヴェッツェは首を傾げた。
「何故? ……はて、きみはきみ自身が置かれた立場を未だ理解していないようだ」
やれやれと肩を竦め、アヴェッツェは溜息を吐く。それから、真っ直ぐにエールの姿を見た。
「フラクトゥールに願い出たことで、メルゼベルクの試練に招待されたと考えているのであれば、それは大きな間違いだね。……ウムラウトくん、きみはこれまでに招待された罪人と同様に、ただの罪人でしかないのだよ」
「ぼくが?」
先ほども言われたことだが、エールには全く身に覚えがない。
両親に先立たれて以降、ヒルシュベルク一の魔法使いになる為に、必死に努力を重ねてきた。
それを否定する人物が現れたことに、胸が締め付けられていく。
「耳を貸すな、奴の術中に嵌るぞ」
すると、すぐ傍で見知った人物の声が響く。
横を確認してみれば、イクスがエールの瞳を見ていた。
「ああ、残念。時間切れになってしまったようだ」
二人を視界に映し、アヴェッツェは口角を上げる。
「正解は、自分を捨てた両親の話だろう?」
「いい加減にしろ、こいつが何をしたと言うんだ」
見えない壁に拳をぶつけ、イクスが声を荒げる。
肉体的にではなく、精神的に苦しめられる姿を見るのは、イクスとしても耐え難い仕打ちと化していた。その事実は、既にエールが他人ではなくなった証拠でもある。
「ウムラウトくん、きみはヒルシュベルク一の魔法使いになりたいそうだね」
「……はい」
反撃の手段を持たない相手には、耳を傾ける必要もない。
アヴェッツェは、舞台上にイクスが存在することを忘れたかのような態度を取り、エールに話し掛ける。
「その願いは万に一つも叶うことはないだろう。何故ならば、きみの前にいる人物こそ、ヒルシュベルク一の魔法使いなのだからね」
自身を指し示し、くっくと喉を鳴らす。
挑発か、真実を述べただけなのか、エールにはすぐに答えが分かった。
「お言葉ですが、ぼくは必ずヒルシュベルク一の魔法使いになってみせます。たとえそれが貴方を倒すことになろうとも」
だが、それを受け入れるつもりない。
エールは、己の意志をアヴェッツェへとぶつけた。
「……それは、私に対する挑発かね」
「先に言い出したのは、そちらです」
既に、エールの額には玉のような汗が浮かんでいた。ヒルシュベルクに現存する魔法使いの中でも、頂点に君臨するであろう人物に反論しているのだ。可能であれば、今すぐにでも此処から逃げ出してしまいたい、とエールは考えていた。
しかしだ、それは不可能な願いである。アヴェッツェを相手に無傷で生還できた者はいない。
「愚かなところばかりが、きみの両親にそっくりだ」
愚痴を漏らす。その言葉が、エールの耳にも聞こえた。
「ぼくの両親を……覚えているんですね」
ヒルシュベルク一の魔法使いを目指すのは、死んだ両親の亡骸を見付け出し、故郷に埋葬することと、一人でも大丈夫だと報告する為だ。共に旅をした仲間のアヴェッツェであれば、居場所を知っているのは間違いない。是が非でも聞き出しておきたかった。
「ああ、勿論知っているよ。彼等は私と共に旅をした仲間なのだからね」
エールからの問いかけに、アヴェッツェは昔を懐かしむように天を仰ぐ。けれどもそれもほんの僅かな時間でしかなかった。
「さあ、私は無駄話をするつもりはないのでね。それでは第三の試練へ駒を進めさせていただこうかな」
まだ、聞きたいことは山ほどあった。それでもエールは声を出すのを我慢する。現状を把握すれば、それは当然のことだ。
今現在、イクスは見えない壁に閉じ込められており、エールの力では助け出すことができない。今はとにかく、アヴェッツェの目がイクスへと向けられないように注意を引きつけるべきなのだ。
「きみたち二人は当然のことだが、ヒルシュベルクに存在する全ての人々が存知する通り、ヒルシュベルクで最も偉大な魔法使い、つまり私は、その昔に魔王と呼ばれた異形の者の首を獲りました」
何かと思えば、アヴェッツェは過去を話し始めたではないか。
試練の内容は、全てが招待された者との関係性を求められるはずだが、どういうことなのか、とエールは考えた。だが、それはすぐに修正されることとなる。
「その功績を奪い取る為に、ウムラウトくん、きみの両親は私の隙を突き、暗殺を試みたのだ。……さて、その後、きみの両親はどうなったのだろうか?」
「あ、……あん、さつ……?」
エールは、開いた口が塞がらなかった。
真実とは到底思えない台詞に、呼吸すらも忘れてしまいそうになる。
「……おや、きみは何も知らされていなかったのだね?」
わざとらしく、アヴェッツェは驚く素振りを見せる。ただ、エールには真実か否かを見極める術はない。アヴェッツェの言葉を聞き続けることしかできないのだ。
「ということはつまりだ、きみは第三の試練も乗り越えることもできないのだね」
残念だよ、と言い捨て、大げさに落胆する。
それからゆっくりとエールの許へ歩み寄り、耳元でそっと囁く。
「正解は――……死だ」
「う、……嘘だ」
両親は死んだ。それ自体は知っていた。でも、アヴェッツェの口から聞かされた真実を前に、エールは何も信じたくないといった様子で視界を黒に染める。
「因みに、彼らの遺体は跡形もなく消し飛ばしてやったから安心したまえ」
魔王討伐の手柄の独占を企み、返り討ちに遭ったとは聞いていた。しかしそれが事実だとは到底思えなかったし、信じてはいなかった。
「真実を知るのは辛かろう。けれどもそれが偽りではないことは、私が今此処に存在することで証明されているのだよ。……だがね、よかったとは思わんかね? 裏切り者の彼らの遺体を探す手間が省けたし、何よりヒルシュベルク一の魔法使いを目指す必要も無くなったのだ」
そう、エールは両親だけでなく、胸中に秘めた目的までも同時に奪われた。
もはや、エールは此処にいる意味を見い出すことができない。
「これにて、メルゼベルクの試練は三つ目を終えた。……さて、それでは今より最終試練へと駒を進めていただこう」
杖をクルクルと回しながら舞台の奥へと向かうアヴェッツェは、左右へ首の骨を鳴らし、肩を解していく。準備運動のつもりだ。
その姿を視認し、エールへと視線を戻したイクスは、見えない壁に阻まれた空間で、思考を巡らせる。
「……顔を上げろ、間抜け」
「うるさい。放っといてくれ」
死が寸前に迫っているというのに、エールには戦意の欠片すら見当たらない。このままでは、最終試練が始まると同時に首が飛ぶ。
エールとは、出会ってまだ間もない。だがしかし、罪のない人間が殺されるのを黙って見過ごすわけにもいかない。それは、イクスの建前だ。
「お前に死なれては困る」
「……意味が分からないよ」
目を瞑ることで、視界を真っ暗な闇に閉じ込めたエールは、耳を澄ませていることに気が付いた。今の自分には、何も残されていない。両親が死んだ理由を知り、ヒルシュベルク一の魔法使いを目指す理由もなくなったのだから当然だ。存在自体を否定されたようなものなのだ。しかし、エールは一人ではない。
すぐ傍に、口の悪い魔法使いがいた。
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