episode.1 私と先輩の共通点 後編
「着いたぞ」
そう言って先輩が私を起こしてくれる。
「……もうあと5分……」
「冗談。早く降りろって」
先輩が容赦なくドアを開けた。
冷たい風が吹きすさんできて、私の身体を強制的に起こす。
随分乱暴なやり方に抗議しようとして、そういえば私は今、死体の処理をお願いしている立場だと思い出し、素直に従った。
「あれ? ここ私の家の前ですよ?」
私たちは富士の樹海に向かったはずだ。
これは一体どういうことだろう、私がまだ寝ぼけているのだろうか。
そう思いながらぼんやりと先輩を見つめると、先輩は私の無言の問いかけに答えずにトランクを開けた。
中には毛布の塊が。
そうそう、こうやって死体をぐるぐる巻きにしたはずが……そこでふと私は違和感に気づく。
いくら痩せぎすと言ったって、成人男性一人を隠したにしては、明らかに中身が詰まっていない。これは空洞だ。
「死体はな、最初から無かったんだよ」
「どういうことです……?」
「お前が、『俺たちの死体が目の前にある』なんて言うから、合わせてた。でも流石に、ここまでくると行き過ぎかなって」
「合わせたってどういうこと」
「もっと言うと、俺の頭の中には最初から死体は無いんだよ。……ずっと騙していてごめん」
頭を殴られるような衝撃。
次いで眩暈がやってきて、脳内がちかちかする。
「……は? だってほら、あんなに何度も確かめ合ったじゃないですか」
「最初は出来心だったんだ。いつも通りそれらしく聞こえる答えを返したら、お前が、私の頭の中にも死体がいてってペラペラ語り出して……その話に、なんだか妙に惹かれてさ。作り話だったとしても面白いし、しばらくこの狂言に付き合ってみようって」
そしたら、いつの間にか後に引けなくなってた。ごめん。
そう言って、先輩が深々と頭を下げる。
「そんな……じゃあ私たちが共有していたものって、何なんだったんですか」
声が震える。
ずっとずっと、頭の片隅で、男の死体が項垂れていて。
どんな綺麗な景色を見ようと、どんな華々しい舞台に立とうと、ふと横を見れば常に死体が──理由なき死の気配が付きまとっていた。
小さい頃、それを親に訴えたらカウンセラーの元に連れていかれた。
「貴方は何も変じゃないのよ」という白々しいカウンセラーの慰めと裏腹に、親は私の見えないところでこっそり泣いていた。
自分の育て方が間違っているせいでこんな妄想に憑りつかれてしまったのではないか、と責任を感じて。
そんな親に申し訳なく思い、親には何も言わなくなった代わりに友達に訴えると、今度は虚言癖だ、人の注目を集めたいがためにそんなことを言っているのだと陰口を叩かれた。
私が、巷でよく言われるように、親の愛情が足りないだとか、人の注目を浴びたいだとかの理由で死体を幻視していたのだったら。
それならきっと対処法はある。
少なくとも薬とか、何かしらの対症療法はあるはずだ。
しかし、私は自分の人生に概ね不満は無いし、特に大きなトラウマもない。
他の人と何も変わらない平々凡々な人間のはずなのに、ただこの「死体」だけが、どうしても他人と共有できない。
その孤独を、先輩は、先輩だけは。
「先輩も『視えない側』の人だったなら、正直にそう言ってくれたら良かったのに」
「それはその……うん、まぁ、そうだな。本当にごめん。最低だよな」
なんだか急にぽろぽろと泣けてきてしまったので、
「もう良いんで、帰ってください。今までありがとうございました。さようなら」
そう言って、私は半ば無理やり先輩を追い出した。
人前で泣くのは苦手だったし、このままだと先輩に酷い言葉を投げつけてしまいそうだったから。
そうして無事先輩を追い出してから、私はあられもなくわんわん泣いた。
行き場のない思いをぶつけるように、何度も何度も毛布を殴る。
この中に本当に死体が入っていれば、私の言っていたことは、見えていたものは事実になり、世の中がひっくり返るのに。
犯罪者だと間違われて、牢屋に入れられても良いから、男の死体は本当に在ったのだという証明が欲しい。
そんな捨て鉢な気持ちで、私は毛布を殴り続けた。
今まで感じたどの瞬間より「孤独」だった。
結局あれから、先輩とは疎遠になってしまった。
先輩は私を騙していた罪悪感に苛まれていたんだろう。
学内で会うたびこちらをちらちらと気にしていたし、たまにメッセージが来ることもあったけど、私はそれを頑なに無視した。
それぐらい私の絶望は深かった、ということを先輩にはたっぷり理解って欲しかったからだ。
今度こそ、私の孤独をたっぷり理解した上で、その上でどうするかを決めてほしかった。
ただ、私というやつは、長らく先輩の後輩をやっていたくせに、先輩の根が軽薄なことをすっかり忘れてしまっていた。
先輩は段々と、他の楽しいことに夢中になっていき、いつしか先輩の心は私から離れていった。
それを私が正しく理解したのは、彼が大学を卒業して暫くして、彼の映画から、あの「無意味な死体」が消えた時だった。
ところで私自身も、あれから男の死体が、綺麗さっぱり脳内から消えてしまった。
最後まで、なぜ脳内に存在していたのか、なぜ現実に姿を移したのか、そしてなぜあの日消えてしまったのかも、全てが謎のままだが消えてしまうと案外あっけない。
とにかく、私もようやく他の人と同じ、死体とは無縁の世界を生きるようになったのだ。
「あれ、この人さぁ、あんたが前仲良かった先輩じゃない? すごい、また賞を受賞したんだって」
「へえ、すごいね」
「まだ連絡とか取ってないの?」
「取ってないねえ。連絡先消したし」
「えー、何それ。勿体ない」
先輩が評価されていたのは、やっぱり単に謎の死体を片隅に置いているばかりではなかったらしい。
インタビュー記事では、似合わないスーツを着て、先輩がぎこちない笑みを浮かべていた。
私と一緒にいる時は常に軽薄にもにやにやしていたのになと思いつつ、斜め読みをする。
『──ところで、常に死体を画角に収めるという、あの独特のスタイルを辞めたのには何か理由があるんですか?』
『最初は単に、なんか捻ったことがしたいぐらいの気持ちだったんですけど……途中からなんか、理解りたいなと思ってしまいまして』
『──理解りたいとは?』
『常に死体がそこにある、そんな人生をですよ。でもやっぱり最後まで理解らなかったので辞めました。理解らないものは理解らないままでいる方がいっそ誠実なんだろうなって』
私達の頭の中には常に死体が居る @nemuiyo_ove
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