episode.1 私と先輩の共通点 中編

人間、奇想天外なことが起こると、妙に冷静になってしまうのかもしれない。

私は奇声を発することもなく、コンマ3秒で次の行動を決める。

先輩に電話すると、3コール目で先輩が出た。

「おお、どうした後輩」

「その後輩って呼び方、やめてくださいよ。ところで先輩、先輩の死体はご健在ですか」

「ご健在って呼び方が正しいかは分からないが、今日もちゃんとうなだれてるよ」

「そうですか。私の方はですね、現実になりました」

「……は? どういう意味?」

「文字通りの意味です。私たちの脳内にいた死体が、現実となって目の前に存在しているんです」

「……今どこ」

「家です」

「とりま、行くわ」

低い声で唸るように先輩が言い、電話が切れた。


いよいよ、頭がおかしくなったと思われたかもしれないな。

でも、先輩だって大概頭がおかしい仲間だったのだ。

急に一人だけまともぶるのはずるい。

そんなことを考えながら、先輩の来訪を待つ。

秘密を共有できる人が居るのは良いことだ。幾分気持ちが楽になる。


「お前これ、見えるのか」

「見えますよ、当然。これ、私たちの死体ですよね。ほら、黒子の位置から色の白さから、顔の形まで全部、私たちが散々話し合ってきた死体」

「……本当だ。本当に、俺たちの死体だ」

あの時以上の幼子みたいな声で先輩が言う。

第一発見者である私よりもよほど、何かが精神に堪えたみたいだった。

まぁ、映画を撮るぐらいだから繊細な人なんだろう、とまるで他人事みたいに思う。

「ってかお前、死体を前にして落ち着いてんな」

「私が殺したわけでもないし、なんというか、死体がそこに現れただけですから」

この先どうしようという悩みと、不可思議な現象に対する戸惑いはあるけども、罪悪感みたいなのはない。


それに何より、

「私たちにとっては見慣れた光景じゃないですか」

「まあな」

常にこの死体と私たちは共にあったわけで、それが空想なのか現実なのかそれしか違いは無いのだ。


「どうする、この死体。埋めるか」

「ええ、物騒なこと考えますね」

「だってこのままにしておくわけにはいかないだろう。腐るし」

そうか。脳内の死体は永遠に腐らないけれど、現実の死体は腐るのか。

恐々と近づいてみる。鮮度が良いのか、今の所は何の匂いもない。

「お前それ、薬品の嗅ぎ方」

「いやだって直は……エンッてなるかもしれないじゃないですか」

「本当いつも通りでいいな」

先輩も落ち着きを取り戻してきたのか、いつもの大学生の顔になった。

斜に構えていて程よく軽薄で、余計なものをくっつけて悩んでいる癖に、妙に大人びたがる青年の顔。


「これ、警察に通報したら我々が殺った、みたいに受け取られるんですかねえ」

「さらっと俺を共犯にするなよ。分からんけど、でもお前の家で死んでんだから、そう思われるんじゃね」

「それは困るなあ」

「だから埋めるかって聞いたんだ」

「なるほど。でもどうやって」

「車に詰め込んでどこかに運ぶしかないだろ」

「通行人に見られたら終わりません?」

「そこはほら、毛布でぐるぐる巻きにでもすればいい。それで引っ越しのフリでもしてさ」

さっきまで、幼子のような心細い顔をしていた癖に、年相応の顔に戻った瞬間、私より頼りになるのは止めてほしい。


実家から持ってきた使い古しの毛布を捨てようと思っていたところなので、ちょうどいいという話になった。

幼少期からかれこれ10年近く一緒に過ごしてきた毛布が、男の死体を包むのに使われるのは嫌な気分だけど、よく考えたらこの死体とも、それ以上の長い歴史がある。

「うわ、かた。死後硬直ってやつですかね」

男の死体に触れると表面はずぶりと柔らかく、その奥は確かに固い。

相変わらず現実味は無いが、予想外の温い吐き気がこみあげてきた。

先輩もよく見ると、大変渋い顔をしている。

きっと口内に、同じような酸っぱい味が広がっているに違いない。胃酸の味だ。

なんとかお互い致命的な逆流はせずに、そのまま死体を無言で毛布で簀巻きにし始める。


不思議な気分だった。

ずっと脳内で共有していた私たちの死体のイメージが、こうやって現実に表出し、それを二人で処理することになるとは。


男の死体は小柄だった。痩せぎすでいかにも不健康そうな体つき。

私たちはかつて、ああでもないこうでもないと散々死因について話し合ったのだけど、脳内に居る間はとんと結論がつかなかった。

今こうやって現実にいる彼をくまなく検分すれば、ようやく死因が分かるのかもしれない。

でも、それをやる気にはならず、お互い黙々と処理を続けた。


先輩は「少し待ってろ」と言い、自宅まで車を取りに行った。

死体と二人で取り残されると、急に寒々しい気持ちになった。

空虚な感覚に堪えられず目を瞑って、胎児のように丸まり、ひたすら先輩を待つ。

先輩が居てくれて良かったな。

だって私一人じゃこんなの到底耐えられない。


「……おう、どうしたどうした、子供還りか」

三十分も経っただろうか、先輩が戻ってきた。

よく考えたら先輩に私を助ける義理はない。

こんな面倒ごと放り出して、見て見ぬフリをしても良かったのに、困っている後輩を放っておけず、自分が共犯になるというリスクを背負ってまで戻ってくるとは、なんと律儀なんだろう。

そして、このまま先輩が逃げてしまって、自分一人で死体を処理するという最悪のシチュエーションを思いつきすらしなかった自分にも驚く。

自分で思っているよりずっと、私はこの先輩を信頼している。

まぁ先輩の過去を知り尽くしているからな。

先輩がそういうことをする人ではない、というのは過去の話を一通り聞けば分かるのだ。


幸いにも、夜更けだったし元々人通りも少ない通りだったので、特に誰に見とがめられることもなく、私たちは死体をトランクに積み込むことができた。

「どこが捨てやすいのかなぁ、富士山の樹海とか?」

そう言いながら、先輩はカーナビで「青木ヶ原樹海」と打ち込む。


「ここから二時間……ですね」

「二時間か。退屈にならないよう、音楽でもかけるか」

そう言って先輩がスマホを弄り出す。

こんな時に不謹慎にもラブソングが、先輩のスマホから流れ出した。

それどころか先輩は、流れる曲に合わせて鼻歌を歌い出す。

「……先輩って結構大物ですよね」

「そうか? お前も相当だと思うけど。ってかほら、俺ら今、映画の主人公みてえ」

助手席の私に向かってにやっと笑う。

「先輩そんな運転上手くないんですから、ちゃんと前見て」

私はいつも通り、憎まれ口を叩く。

「うーい」


本当に、私たちは不自然なほどいつも通りだ。そう思いながら目を閉じると、

「……ぐう」

「おーい、運転を先輩に任せて寝ようってどういう料簡だ」

「仕方ないじゃないですか、バイトから疲れて帰ってきたら、死体が置いてあったんですから……ふぁーあ」

「ったく、仕方ないな。樹海についたら起こしてやる」

私は、深い眠りに落ちていく。

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