私達の頭の中には常に死体が居る

@nemuiyo_ove

episode.1 私と先輩の共通点 前編


私と先輩の頭の中には常に死体がいる。


それは死体なので当然生気が無く、いつもだらんとしている。

頭の片隅に腰掛けるような形で死んでおり、それはまるで、燃え尽きた後の「明日のジョー」のようにも見えなくもない。

瓜実顔とでもいうのか、平安時代ならイケメンだったであろう印象の薄い顔の男。

それがどこの誰かなんて知る由もなく、驚くことに先輩も心当たりが無いそうだ。


つまり私たちは、全くの見知らぬ他人の死体のイメージを、常に頭の中で共有していることになる。

それは同じ俳優が好きだとか、同じ作品を愛しているだとかとは違った、全く理不尽で不可思議な共鳴だった。

でも、私たちの脳内に常に居座るそれを、微に入り細に入り描写すればするほど、奇妙な一致を見せるのだから、こういうこともあるのだと受け入れるしかない──。


その数奇な連帯に気づいたのは、ある映画からだった。

先輩が自主制作した映画は映像にかぶれた大学生がよく作るような代物で、よく言えば長尺のフランス文学のよう、悪く言えば退屈だった。

ただ、画角の隅に常に男の死体が置かれていて、それが全く映画の内容と関係が無く最後まで説明もされない、という一点が彼の映画を特異にしていた。

大体、死体というのは現れたら物語が展開するモチーフで、例え展開しないにしろ何らかの意味を持つものだ。

そういう先入観に対するアンチテーゼとして、その「何も語らずただ傍らに在り続ける死体」は持て囃され、何らかの賞を取ったようだった。


私は権威主義ではないし、そもそも映画の良し悪しなんて分からない。

順当にハリウッドの超大作が好きだし、どれだけ大衆的と言われたって、興行収入が100億円を超えるようなアニメ映画の方が観ていて断然楽しい。


だからもしかすると、そんな私の感性では理解できなかっただけで、その映画は通にとっては退屈でなかったのかもしれない。

その悪ふざけみたいな死体の存在以外にも、その映画が評価されるに足る理由があったのかも。

とにかく、インディーズ映画に縁のない大衆ど真ん中の感性を持つ私がその映画に釘付けになってしまった理由は、意味のないはずの「死体」に他ならなかった。


「あの死体はなんだったんですか」

初対面の挨拶もそこそこに私が聞くと、先輩はああ、と鬱陶しそうな態度を隠しもせずに答えた。

きっと百回目ぐらいの問答だったのだろう。

あるいは、自主制作した映画が思いの外評価されて、少し調子に乗っていたのかもしれない。

「特に何も。あれが僕の世界で、視え方というだけです」

そういう答え方をすれば、人々が有難がってくれる。

きっと目の前にいるこの子もそうだろう……そう思っていたのかもしれない。


「私もそうなんです」

だから、私の返答を聞いて先輩の顔は訝し気になり、

「私もちょうどあんな感じの男の人が、常に死んでいるんです。頭の中で」

そう私が告白したら、あんぐりと口を開けた。


先輩は、軽佻浮薄に見えて、案外警戒心が強い。

最初は私の言うことを信用せず、その男が一体どういう風貌をして、どう死んでいるかをつぶさに質問してきた。


しかし、先ほども言ったように、私の頭の中では常にその男が死んでいる。

自分の頭の中で死んでいる死体を観察して言語化するのは容易なことだった。

映画の死体は「あんな感じの男」であって、あくまで「脳内の男そのもの」の再現ではない。

だから、どこが映画の死体と似ていて、どこが違うかを私は丁寧に説明していった。


映画では描かれていなかったけれど、左の目の下に泣き黒子があることに言及したあたりで、

「もういい、どうやら君は本当のことを言っているみたいだ」

と、先輩は止まらない私を制した。

「でも、なんで」

先輩が幼子みたいな声と表情で言う。

途方に暮れるとこんな幼くなる人なんだな、と思いつつ、私もジェスチャーでさっぱりだと伝える。

「僕たちはもしかすると、以前出会ったことがあり、同じ死体を見ていたんじゃないか?」

そうして物心ついてから今までの、それぞれの過去を紐解く作業が始まった。


しかし、私と先輩の過去はまるで交わることがなく、綺麗に私たちは分かたれていた。

共通の知人、なんてものも居なかったし、好きな俳優も、好きな作品も被ることがない。

ありとあらゆる手がかりを探そうとしても、結局死体の謎は迷宮入りで、ただ、お互いのことを非常によく知ったという事実だけが残った。


そこから、なんとなく私たちは一緒に居続けている。

お互いの事を非常によく知っているから楽なのかもしれないし、先輩が相変わらず映画を撮っているというのも大きいかもしれない。


先輩は何を撮っても頑なに死体を出し続ける。

それが先輩にとっての日常で、世界の見え方なのだから当たり前の話だ。

先輩の網膜で何かを映し取り、それを脳内で展開すると、そこには常に男の死体が付きまとうわけで、それを素直にアウトプットしているだけ。


しかし世間はそれを当たり前だとは思わない。

結果、先輩の映画は一種のカルト映画みたいな扱いになって、熱心なファンがじわじわと増えていった。

私からすると、相変わらず先輩の映画のどこが良いのかは分からなかったけれど。

だって、その死体は私にとっても日常だったから。


そんなありふれた日常が崩れ去る出来事が起こった。

いつものように家に帰ると、そこに待っていたのは、男の死体が現実になった姿だった。


脳内の死体と現実の死体が見事にオーバーラップする。

ぴったりと重なると、後はもう二重にぶれることはなかった。

私の脳内から死体が消えた代わりに、現実に移ってきたというわけだった。


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