第11話 失くしもの
「紅くんは一人で大丈夫かな」
宮路さんが少し背を屈めて俺の顔を覗き込む。耳の前の姫カットのようになっている部分がサラリと降りる。俺は咄嗟に目を逸らしてしまう。ちくしょう、なんだかよくわからないけれど負けた感じがする。
「今頃、お目当ての歌集でも見つけてドゥフフしてるんじゃないですかね」
目を逸らしたまま答えるが、声が上擦る。
俺はLINEで紅に「今どこ?」と連絡を入れた。しかし、一向に既読がつかない。紅が興味を持ちそうなエリアを見て回るも、それらしき人物は見当たらない。五分、十分、十五分と時間だけが過ぎていく。
「紅くんから返事あった?」
「いえ、全然」
誰がに誘拐でもされたのでは。いや、まさか。小学生じゃあるまいし。それでも俺は次第に不安になる。
「入口に本部があるから、一応聞いてみる? 呼び出しとかしてくれるかもしれないよ」
宮路さんは入場口の方を指さし、首を傾げる。
「そうですね。音羽さんもしばらく手が空きそうにないですし」
俺は頭を掻きむしる。まったく、どこ行きやがった、紅のやつ。
俺と宮路さんは、もと来た通路を戻り、運営本部のテントへと向かった。テント内では、何やらお取り込み中のようで、黄色いTシャツを着た長身の男性スタッフが客と思しき人物が話し混んでいる。会話をしている相手はここからでは視認できない。
「あれ? 紅くんじゃない?」
「え、マジっすか?」
そうだった。宮路さんは俺より頭一つ以上は背が高い。人混みの向こうでは、どうやら紅が身振り手振りでスタッフに何かを訴えているようだ。
俺と宮路さんは「すみません、すみません」と手刀を切りながら人の波を掻き分け、本部テントへと辿り着く。
「紅!」
俺は紅の肩を掴んだ。振り返った紅はいつになく慌てた様相をして眉を下げている。
「やまちゃん。僕、生徒手帳とPASMO失くしちゃったかも」
紅は眉を八の字に下げて目を泳がせている。紅でもうっかりすることがあるのかと、俺は意外に思った。
「それで本部にいたんだね。ありそう?」
宮路さんも紅に合わせて眉を下げ、心配そうな顔をしている。少しあざとい表情だなと、俺は思う。
「それが、届いてはいないみたいで。絶対内ポケットにファスナー閉めて入れてたはずなのにな」
紅は納得がいかないような顔で、遺失物の届けを記入している。確かに、俺がいつも見ている限り、紅は財布やPASMOなどの貴重品は、落とさないようにわざわざリュックを開けて内側のポケットに収納していたように思う。今回はたまたま違うところへしまったか、会計時に落としでもしたのだろうか。
「それでは、拾得物がこちらに届きましたらお電話いたします。引き取り時に身分証が必要になりますが、失くされた生徒手帳の他に、本日身分証等はお待ちでしょうか」
男性スタッフはマニュアル通りといった具合に今後の流れをアナウンスする。
「保険証があります」
紅、偉いな。保険証とか俺、どこにあるのかも知らんわ。そもそも、親の父親がその辺ちゃんと管理しているとも思えない。俺、病気になったらどうするんだろう。
「引き渡しの際で結構ですよ。お渡しする際に、念のため身分証の確認が必要となりますので」
財布から保険証を出そうとする紅をスタッフが両手で制した。
本部テントを後にした俺たちは、連絡が入るかもしれないからと、会場に隣接したコーヒーチェーンに入り、時間を潰す。この状況では正直、寝子のことなど探っている場合ではない。
「思うんだけどさ」
宮路さんが左手で頬杖をつき、右手でアイスコーヒーのストローを掻き混ぜながら呟く。カランカランと氷の混ざる音がする。
「盗まれた……ってこと、ない? 個人情報が欲しくて」
「「!?」」
俺も紅も、予想外の可能性に驚き、顔を見合わせる。もしそうだとしたら、一体、誰が何のために? 個人情報さえ手に入ればターゲット誰でも良いのか。それとも、紅に狙いを定めていたのか。紅の家、ちょっと金持ちだからか? いや、考え過ぎ。
「そういえば、会計してるときに誰かにぶつかられたかも……。混雑してたから、気に留めてなかったけど」
紅は腕を組み、左斜め上の虚空を見つめている。
「もしかして、寝子に狙われてるのって紅くんだったりして」
「え!?」
紅がアイスティーのグラスを強い音を立ててテーブルに置いた。俺も目を丸くする。
「じょうだーん。ごめんね、紅くん今めっちゃ困ってるのに」
宮路さんが目を細めると、美しさも相まって狐の妖か何か、この世のものではないように見えてゾクっとした。冗談に聞こえないじゃないか。もしかして、この人はあざといだけじゃなく意地悪もするタイプの人なのだろうか。
「〜♩」
そのタイミングで紅の携帯からメロディーが流れ、俺たちはビクッと身体を震わせた。
「運営さんかな」
紅は通話ボタンを押し、「もしもし」と応答する。
「あれ、何も聞こえない」
紅は一瞬携帯から耳を離し、俺たちの方を見遣る。
「スピーカー、スピーカー!」
俺は小声で紅にスマホをタップするジェスチャーを交えながら伝える。紅は頷き、スピーカーボタンをタップした。無音がしばらく続く。
「ねえ、何か音しない?」
宮路さんに言われて耳を澄ませると、微かに何か音のようなものが聴こえる。音量を最大にしてみると、ガボゴボという水から空気の抜けるような音だけが鳴り続けていた。
しれもの文藝部 浦桐 創 @nam3_
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