終幕
病み上がりのグレースは、いったいどれほどの仕事が溜まっているのだろうと、戦々恐々としていた。
しかし、いざ己のデスクを覗いてみると、予想外に書類の束は少なかった。
その少なさに驚き、グレースがデスクの前に突っ立っていると、ちょうどクラークが通りかかった。
クラークはグレースの様子を一目見て、彼女が呆然としている理由が分かったようだ。彼はあっさりと、こう言った。
「陛下ですよ」
「え?」
いったいどういう意味かと、グレースはクラークに目で問う。
「ここのところずっと、陛下がグレース様の仕事を代わりにやっていたんです」
「ええっ!?」
思いもよらない回答に、グレースは声を上げて驚いた。
だって、あのベルンハルトだ。グレースが尻を蹴っ飛ばしてようやく仕事をさせていた、病的なサボり魔の男である。
その彼が、グレースの仕事を代理でやっていたなんて、にわかには信じがたい。
「確かに、休養中の私の仕事は上手くやっておくと仰っていたが……私はてっきりその場しのぎの言葉だと思って……」
「まぁ、信じられないのはわかります。私もこの目を疑いました――が、事実です」
「……天変地異の前触れなのだろうか?」
「ハハ……本当に何があったのか。確か、天界との交渉の後のことですよ。妙に陛下が仕事をやる気になったのは」
「そう言えば、アレも陛下ひとりで対応して下さったらしいな」
天界との交渉事とは、ケヴィンのことだ。彼の正体は天界が開発した対人戦用特殊自動人形だった。
天界側の説明を信じるのなら、件の自動人形は元々機能停止していてスクラップ同然だった。それが突如、誤作動で起動し、第七地獄に侵入して暴れまわったらしい。
グレースが耳にした報告では、天界との交渉は
天界側は今回の騒動を謝罪し、自動人形を回収して帰って行ったという。
「まぁ、何にせよ。陛下がやる気になってくださったのなら、それでいいが……」
そう言いつつ、グレースは納得いっていない顔で首を捻る――と、突然ずしりと肩と頭に重みを感じた。
「……」
またコレかと、グレースはじとりとした眼になる。それから、険のある声で言った。
「何かご用でしょうか?陛下」
「グレースに会いに来たんだよ」
案の定、頭上から聞こえてくるのはベルンハルトの声だ。
グレースは内心舌打ちしたい気持ちになる。
「というか、気配を殺して私の後ろに立たないでもらえますか?あと、邪魔です。退いて下さい」
「ええ~」
グレースの頭に自身の顎をのせ、抱き着いていたベルンハルトは「酷いなぁ」と口を尖らせた。
しぶしぶといった様子でグレースから身を離すベルンハルトだったが、すぐにへらりと笑う。
「グレース、回復したようで良かったよ。身体の調子はもういいの?」
「はい、問題ありません。休暇をいただき、ありがとうございました。あと…」
「ん?」
「私の仕事も陛下が代わりにして下さったそうで……ご迷惑をおかけして申し訳ございません。改めまして、ありがとうございます」
殊勝に頭を下げるグレースに、ベルンハルトは鷹揚な態度をみせた。
「そんなこと、気にしないでよ。元はと言えば、俺がするべき仕事まで君に回していたんだから」
「えっと…?」
グレースは目を瞬かせる。
いつものベルンハルトなら、グレースが下手に出ているのに調子づいて、あれこれ要求しそうなものなのに。
少なくとも、数週間の休暇はねだられるだろうと、グレースは覚悟していたのだが……。
いったい、何があったのだろう――グレースは再度首をひねった。
今のベルンハルトの態度は理想の上司そのものので、その対応にグレースは戸惑う……というよりも、心配になった。
「陛下……その、どうかされたんですか?」
「え?何が?」
「……」
グレースがちらりとクラークの方を伺うと、彼もまた何とも言えない表情をしている。やはり、ベルンハルトの豹変ぶりは彼の目にも奇異に映るようだ。
そんな風に困惑するグレースたちを尻目に、当のベルンハルトには自覚がないのか、ただにこやかにしていた。
ややあって、クラークが他の用事で秘書官室を出て行くと、部屋にはグレースとベルンハルトの二人きりになった。
それを見計らったように、ベルンハルトはグレースに尋ねる。
「ねぇ。もし、前の主に会えるのだとしたら、君は会いたい?」
いきなりそんなことを訊かれると思わなかったため、グレースは面食らった。
「突然、何なのですか?」
「ん~、ちょっと気になって。で、どうなの?」
「どうもこうも…」
あまりウィルフレッドについて触れられたくないグレースは言葉を濁したが、どうにもベルンハルトは引かない。じっと返答を待っているベルンハルトに、グレースは根負けした。
「会いません。というか、会えません」
グレースはベルンハルトと取引をして、ウィルフレッドが地獄に堕ちないよう取り計らった。
だが、それはウィルフレッドにとって裏切り以外の何物でもない。彼は、あくまで共犯者として、グレースと同じように、死後は裁かれるべきだと考えていたからだ。
そのことをグレースは十分理解していた。自身の行為が単なるエゴだとも自覚している。
それでも――たとえ、ウィルフレッド本人が望まなくても――グレースはどうしても彼を地獄に堕としたくなかった。
地獄に堕ちた多くの亡者の魂は業火に灼かれ、消滅してしまう。
グレースやクラークは例外であり、ウィルフレッドの魂が助かる保証はなかった。
誰も飢えない、幸せな国を作る――ウィルフレッドはグレースの夢を叶えてくれた。
そんな彼の魂が消滅してしまうなんて、グレースには耐えられなかったのだ。
きっと、ウィルフレッド様は怒っているだろうなぁと、グレースはぼんやり考える。
彼を慕う心は今も変わらないが、もう二度と会うことはないだろう。なにせ、己は裏切り者だ。会わせる顔なんてない。
ウィルフレッドのことを想うグレースの横顔は、いつになく優しく穏やかな表情をしている。
ソレを見て、ベルンハルトは小さく呟いた。
「俺にはそんな顔しないくせに…」
「え?」
グレースがハッとして、ベルンハルトの方を見る。
「すみません。考え事をしていて、聞き逃してしまいました。何か?」
「ううん。何でもないよ」
明るい笑顔のベルンハルトは、それからもう一つグレースに尋ねた。
「ねぇ。俺が良い王サマになったら、君は俺のことを好きになる?」
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【あとがきのようなもの】
ここまで読んでいただいて、ありがとうございました!
ピュアな恋愛ではなく、ドロドロしたものを書きたいなぁと思いチャレンジしてみましたが、難しかったです。登場人物の心情面とか伏線の出し方とか、色々と。
以下、登場人物についての補足です。
【グレース】
ウィルフレッドに対して強い忠誠心を持っていますが、恋愛対象としては見ていません。というか、彼女にとって忠誠心>>>恋愛感情という感じですね。
ベルンハルトについては、昔よりは態度を軟化させています。
全く
尻を蹴っ飛ばしたら仕事をする今のベルンハルト←しょうがないヤツ。
……てな、感じです。
今後、ベルンハルトの行動によってはデレがくるかもしれません。
【ベルンハルト】
ただの好奇心でグレースを拾ったら、いつの間にかドツボにはまり、本気になってしまった残念魔王。
能力はありますが、性格は悪いです。腹黒です。歪んでいます。
ウィルフレッドとのやり取りで自分の本心に気付きましたが、この物語開始前にはすでにグレースに惚れていました。
他人を真剣に愛せるような性格ではないと自己認識していたため、まさか人間に本気になるなんてと、本人もびっくりといった心境です。
今後は、グレースを振り向かせるため、政にも熱心に取り組む様子。
また、あの手この手でウィルフレッドの邪魔はすることでしょう。
【ウィルフレッド】
グレースのことは大事な部下であり盟友だと思っている反面、女性としても好きでした。ですが、グレースが全く自分のことを恋愛対象として見ていないことを知っていたので、アプローチはせず。
グレースに対する想いは純粋な愛情だったはずですが、彼女の裏切りで徐々に歪み、怒りやら悲しみやらが混ぜ込まれたクソデカ感情に仕上がっています。
グレースが(恋愛感情ではありませんが)誰よりも己のことを想っていることは自覚していて、そこに絶対的な自信を持っています。
この先は、ベルンハルトからグレースを取り戻すため、天界で出世して力をつけていくことでしょう。
ちなみに、回収した自動人形はケヴィンとしての人格を消さず、手元に置いています。理由は、ケヴィンの口からグレースの地獄での様子を聞くためです。
悪女、魔王の秘書官になる 猫野早良 @Sashiya
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