第4話「第四夜、『サンプル屋の決断、BからCへ舵を切れ。』
『(ケーイ!)』
囁くような女性の声。
字幕『「正月が迎えられない」世界を巡った厄災は、一つの業種を根本から破壊した。』
(♪ででんでんででん どこどこどん♪)
(♪ででんでんででん どこどこどん♪)
虚空に刻まれる紅い「K」の文字、感情を叩きつけたかのような力強い動き。次いですらすらと筆なき筆が踊り「プロジェクト」の白文字が添えられる。
字幕『プロジェクトK』
(♪波の中の水月(みつき) 潮の中の星河(せいか)♪)
(♪みんなどこへ行った 帽を振られる事もなく♪)
賑わう呉の街の様子が、暗転して人気の無い街へと変わる。灰色のフィルターが、深刻な事態が起きていることを示していた。
(♪海原の水馬(ケルピー) 峰上の母神(ガイア)♪)
(♪みんなどこへ行った 身儘で水面に踊る♪)
広島駅構内のお土産コーナーにも人気は無く、閑散としていた。そして菓子箱が並ぶ箇所にスポットが当たる。ガラスのケースに収められていたのは、その販売している菓子を模している「食品サンプル」だった。
(♪波間にある月を 誰も覚えていない♪)
(♪人は深海(ふかみ)ばかり見てる♪)
暗闇の中で呉氏が腕を挙げる、その手が巻き起こした風に「呉氏使用マニュアル」が木の葉と舞う。様々な呉氏デザイン案が、舞う。
(♪鯨よ深い海から 教えてよ波間の月を♪)
(♪鯨よ波間の月は 今どこにあるのだろう♪)
『第四夜、サンプル屋の決断、BからCへ舵を切れ。』
本通りの北の果て近く、ここは呉に出入りするものたちが多く集う四辻。それを見守るように構えるのは「ハンドワーク・レキュウ」だ。ここは店舗で無く、「工房」。ここで多くの「作品」が産み出され、外に羽ばたいていく。
本来BtoB(企業対企業)で行われていた業務は、今大きく変わっていた。
『きっかけは、全世界を覆った新型感染症だった。』
それまで、駅ナカや観光地の「お菓子サンプル」の作成を主な業務としていたが、新型感染症の流行で全ての流れが閉ざされてしまった。一つは、人の流れの停滞。客が来なければお菓子は売れない、売れなければ商品開発が止まる、商品開発が止まれば、新商品はなくなり同時にサンプルは作られなくなる。大海の潮の流れのように、多くの業務は繋がっている。そしてレキュウの制作は止まった。
工房の中、店主である若竹は当時を語る。
「いや本当に仕事無くなりまして、さてどうしよう、となったんです。」
とにかく、なんでも作った。物流は乱れに乱れていた、衛生用品の買い占め転売、行動抑制、全て悪い方に進んでいた。ある時、マスクの長時間着用で耳が痛いと、子供がぐずっていた。若竹の脳裏に、あるアイディアが降りてきた。
(プロジェクトK!)
電気オーブンが加熱完了の電子音を鳴らす。引き戸を開き、耐熱グローブが作品を乗せたトレイを引き出した。トレイの上には飾りの付いた板状のものが鎮座していた。シリコン製のそれはフニフニと柔らかく、自在に動いて見せた。そこに付いた飾りはボルトを模した六角。
若竹は作業のために着用していたサージカルマスクをずらし、いま産まれたてのシリコンの板を、後頭部に回し付けた。果たして、マスクのゴムは板に引っ張られて、耳の裏を圧迫することは無かった。
後日、若竹は市役所の中にいた。扉の横の案内板には「秘書広報課」の文字。青く四角く、呉の文字に目と手足が生えたかのような呉のキャラクター「呉氏」を前面に押し出した部屋、その中に若竹は居た。プレスルーム、各社報道へ連絡する部屋その隣の、上長の部屋。市職員の上長と若竹は、宣伝方法やメディアへの伝手を確認していた。
「『アイディア商品がある』それだけでは人は呼び込めない、報道も呼び込めない。」
呉の宣伝を担当するこの部署には、各所へアピールするノウハウが積層・継承されていた。呉のマスコット呉氏が二人の周りをパタパタと駆け回り、これまで行われた報道各社への連絡方法や、売り込みの仕方そのノウハウを記した書類を運んでくる。上長と若竹はそれを開いて確認していく。市職員と若竹、そして呉氏はお互いに視線を交わし、そして頷き合った。
(プロジェクトK!)
話題が、人の流れがあればマスコミは呼び込める、しかしまだここには「それ」は無い「ここにこう言う話題になりそうなものがある」と逆に呼び込む必要がある。プレス向けの案内を作り流した。まず、地元の新聞社から取材が来た。感染症流行下でのアイディア商品、多くの人が悩んでいたマスク着用時のストレスを軽減できると、希望に満ちた記事を書いてもらえた。ここから、流れが、変わった。
若竹は語る。
「凄かったですよ。メディアの力はやっぱり強いなと。一般からの問い合わせもありましたし、記事をみた違うメディアからも話が来ました。」
記事はネットニュースに転載され、所謂「バズった」状態になった。その記事を見た全国区メディアからも声がかかり、ワイドショーの一コーナーで紹介されるに至った。この間、数ヶ月…春が終わろうとしていた頃、若竹は店の通販サイトを立ち上げた。
最初はボルト、蝶ナットから始まり、花、星、と飾りを拡充させていった。一晩で何千と注文が入った。若竹はこの時、カラーバリエーションを増やしたことを後悔した、作成の手がどうしても足りなくなるのだ。しかし、注文があると言うことは、売り上げがあると言うこと。病院からは百単位の注文が入り、若竹は取れるだけ注文をとって、マスクバンドを作り続けた。後で記録を振り返ってみると、年間売り上げ目標の約半分を、マスクバンドの製造が占めていた。
これで何とか暮らしていける、若竹は胸を撫で下ろしていた。
(プロジェクトK!)
翌年、注文は大幅に減っていた。無理もない、必要とする人に回って仕舞えば、壊れない限り再注文は無い。そう、必要とする人に回ってしまった、話題の熱もおさまっていた。若竹は腕を組み天を見上げていた、このままでは来年の正月は迎えられない。
いつものように工房に入ると、その中に四角くて青い者が居た、呉を代表するマスコット呉氏。呉氏は音楽も無く、ただリズムに身を任せる様に、工房の中でゆらゆらとビートを刻んでいた。見つめる若竹に気付くと、嬉しそうにパタパタと手を振った。若竹の中に、新たなイメージが浮かんでいた。市役所であれこれ宣伝ノウハウやプレスへの文章を学び考えていた時に見た、呉氏のマニュアルの存在を思い出していた。呉氏のデザインを取り入れたアクセサリーは、受けるかもしれない。
セルフォンで呉氏のホームページ「呉氏の部屋」を見る、呉氏のデザインコレクションがあった。呉氏デザインの使用マニュアルもあった。その中で目に留まったデザインがあった、それが…「呉氏の鏡餅」だった。これは、立体化したら絶対に面白い。若竹の決意が、固まった。
正月に向けて「呉氏の鏡餅」の立体化。コンピュータで作図し、型を作り、試製を重ねる。想定以上に、塗装の手間がかかった。
若竹は語る。
「この形なので、窪みを付けて呉の文字に白を流し込むようにしたんです。でも、これだと少しずつ塗料を流し込むので、数をこなすことが出来なくなったんです。」
大量生産できるか分からない、だが年の瀬が迫る中、作るしか…作り続けるしかない。工房には若竹と妻が常に作業を続けていた、いつ終わるとも分からない作業、しかし折れぬ心と夜遅くまで灯る光…それは工房の熱そのものだった。
(プロジェクトK!!)
十二月に入った。試製に一週間、市役所へ呉氏使用許可申請に一週間、その裏で大量生産の準備、そして三週目から量産。注文を取りつつ、制作を続ける。実質一週間の制作期間はは、砂時計の砂のように減っていく。
「いやもう、ほんと大変でしたよ。」
当時の写真を見せてもらった。作業卓に並ぶ、小さな呉氏の鏡餅が十、二十、百を超える。サイト注文からの住所の確認、発送準備。材料が足りなくなり、業者へ追加の発注…しかし年末で即対応は難しいと言われ、何度も頭を下げた。
再現映像で工房の中、若竹の手で「呉氏の鏡餅」最後の一つにミニチュアの橙が乗せられた。セルフォンに映し出される日付は十二月二十九日、正月まであと三日、何とか…間に合った。
年が明け、SNSでは「呉氏の鏡餅」を使った写真の報告が溢れていた。セルフォンでそれら一つ一つを確認しながら、若竹は達成感に笑みを浮かべていた。この後若竹は呉氏シリーズを数多く作っていく、呉と呉氏の認知のために。その上で、レキュウだけの商品を模索…挑戦はまだ続いていく。
工房の中、呉氏シリーズを並べた卓の前でカメラが若竹の方へ向く。アイスキャンディー、アイコンキーホルダー、ダイス…そして始まりの鏡餅。若竹は居住まいを正したが、ほっと一息吐くと、肩の力を抜き安堵の笑みを浮かべた。
「自分を取り巻く世の中のビジネスの流れはすっかり変わってしまったけれど多くの方々の支えのおかげでレキュウは生きていける、生きていて良いんだという希望が持てるようになりました。」
若竹の言葉に、音楽が重なっていく。
(♪話(わ)を紡ぐ人もなく 荒れ狂う波の中へ♪)
(♪混ざり散らばる潮の名は 忘れられても♪)
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
呉を行く観光客の背に揺れるキーホルダー、それは「#KURE」とSNSのハッシュタグを模したもの。カットが変わるたびに異なるキーホルダーを身に着けた観光客の姿を見せる。むき身のミカン、フライケーキ、エビフライ。
(♪引き波はさざなみと 流る時の中へ消え♪)
(♪讃える鬨は 海神のために響いても♪)
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
レキュウの前に行列が出来ていた。その数は二十を超えた。開店時間を迎え、工房に入り出た客たちは新作を手に笑顔を浮かべて呉の街に広がっていく。その手にはかつての日本軍航空機の機体色を真似た「#ZUIUN」のハッシュタグキーホルダー。
(♪右舷(みぎげん)を照らすのは 水平線の果ての夢♪
(♪左舷(ひだりげん)を照らすのは 暁の夢♪)
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーン
ライト) 旅はまだ終わらない♪ )
現在、ハンドワーク「レキュウ」は個人向けアクセサリーの制作の傍ら、食品サンプル作成教室を開き昔ながらの作成方法とレキュウ独自方法でのサンプル作り体験を提供している。
そして、対企業向けの食品サンプル作成も再開していた。最新作は東京で店を開くと言う「呉冷麺屋」の食品サンプル。レキュウの挑戦は、今日も続いている。
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
(♪ 左舷灯(レッドライト) 右舷灯(グリーンライト) 旅はまだ終わらない♪ )
*
第四夜、了
プロジェクトK〜呉の挑戦者たち 白狐びゃっこ @byakko-shirokitune
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