理想の首筋を持つ彼女に「舐めたい」と言ってしまった俺のその後

BPUG

出会い、そして――



 高校三年のクラスに、俺の理想の首筋を持った女の子がいた。

 平均身長よりほんのちょっとだけ低くて、たぶん標準体重の健康的にぽっちゃりな女の子。

 四月にその首筋に出会い、ずっと見つめていた。


 そんな彼女と、七月の期末直後にあった当番で一緒になった。なんのことはない、七月中に行われる補講の案内用紙を冊子にまとめるという、ただの教師の雑用だ。


「よろしく」

「よろしくー」


 軽く挨拶をして早速作業を始める。

 会議室の長机に並んだ用紙を一枚ずつ取り、最後に縦横交互に変えながら積み重ねていく。

 平均身長より誤差範囲で高い僕の前を、彼女が一枚ずつ丁寧にプリントを手に取って進んでいく。

 俺の目線が、俯いた彼女の首筋に釘付けになった。


 白くてモチっとした彼女の肌


 七月のクーラーがかかっていない会議室


 何度もテーブルを行ったり来たりで少し汗をかいた首筋



「舐めたい」



 ふと、口から漏れた。

 その声に、数枚先のプリントを手に取っていた彼女が顔を上げる。


「ん? 何か言った?」

「いや、暑いなって」


 全然違うけれど、本当のことを言って誤魔化す。

 彼女はふっくらとした頬をふにゃりと緩めて笑った。


「ねー、暑いよねー。汗でプリント汚しちゃわないか気になって」

「誰かに渡す頃には乾いてるよ」

「それはそうだけどねー」


 再度彼女は作業に戻った。

 誤魔化せたようだ。



 全部の用紙を順番に重ねたら、今度はごっついホッチキスで止めていく。

 机に座った彼女が、トントンと紙の束の角を合わせてホッチキスに差し込む。

 

 ガション、ガション


 俺は立ったまま、上から体重をかけてホッチキスを押す。


 下を向いた彼女の、襟足から奥の骨が見えた。

 首の付け根に、浮き上がった影。

 普段は絶対見えない位置にあるその場所を、触ってみたいと思った。


「あのさ」

「うん?」


 不意に彼女が顔を上げる。

 汗ばんだ額にかかった髪を耳にかけながら、少し迷ったように口を開く。


「あの、さっきから、視線を感じるんだけど」

「あー、うん」

「うん、じゃなくって。何か、変なとこあった?」


 制服のボタンを確かめつつ、心配そうに見上げる彼女。

 ふと、頭の中から本音が漏れた。


「首、舐めたいなって」


「ん?」


 彼女が数回瞬きをして、首をかしげる。

 沈黙。


 あ、まずった。


 いや、今のはアウトだ。

 やばい、俺の学生生活終わった。アエナク・ジ・エンドだ。

 三年の一学期ももう終わる時でよかった。

 大学は県外がいいかな。早速進路変更をしないと。


 俺の頭の中を、一瞬で駆け巡った言葉たち。

 彼女は次の束に手を伸ばし、トントンと数回机に落として俺の方に差し出す。


 ガション、ガション


「あ、のさ」


 出来上がった束を横に積み重ねて、彼女がもう一度顔を上げた。


「あんまり、言わない方が、いいと思うな。そう言うこと」

「うん、言わない。ただ理想の首筋が目の前にあって、漏れた。大丈夫。理想の首筋に出合わなければ起こらない。十七年ちょっと起きなかったから大丈夫。あと、もう俺の高校生活おしまいだから、もう二度と出会わないかも」

「えーっと、うん? そんなキャラだった? 一旦落ち着こう。まだ学生生活は長いから」

「うん。でももう終わったから」

「いや、終わってないからね? 落ち着こう、ね?」


 俺は非常に落ち着いているはずだ。

 大丈夫。きっと理想の首筋はしばらく俺の前に出てこない。

 それならば、こんなことを言う機会もないだろう。

 終わってしまったものに、さらに終わりは来ないはず。


「女の子の首が、好きなの?」


 おお、興味を持ってくれた。

 そうか。噂を広めるにしても、ちゃんと他の子にどこを警戒すべきか知っておく必要があるんだろう。


「うん」

「うなじフェチって言うのかな?」

「多分? 男のうなじにはときめかないぞ」

「ときめいたらまた別のジャンルだよ」

「そうか。良かった」

「何が良いのか分かんないけど、良かったね」


 トントン

 ガション ガション


 リズム良く、プリントの束が出来上がっていく。

 

「まぁ、でも、胸をいやらしい目で見られるよりはいい、のかな? あとはスカートから出る足とか」

「そこはロマンがない」


 プフっと彼女の口が膨らんで、笑いながら俺を見上げる。


「首はロマンなの?」

「そう」

「どんなとこが?」


 意外に食いついてくる彼女に、こだわりポイントを教える。


「本人は絶対に自分の目で直接見えないから」

「え?」

「胸や足は自分で見えるけど、うなじは鏡や写真じゃないと絶対見えない。それを俺が見えるって言うのがロマン」

「へ、へぇ……ごめん、よくわからない」

「そうか」


 残念。

 この気持ちが理解されないとは。もし共感してくれたら、俺の学校生活にも未来が見えてきたのに。

 未来はまだ暗い。


 トントン

 ガション、ガション


「私は、手の骨が好きなの」


 不意に彼女が言った。


 手の骨、とな。


 思わず自分の手を顔の前に持ってきて、じっと見てみる。

 ただのゴツゴツした男の手だ。

 ああ、もしかしたら俺に理想の首筋があるように、彼女にも理想の手の骨というやつがあるのだろう。

 小さく頷き、手をホッチキスの上に戻す。

 そこに彼女の視線が行った。


「細い華奢な手より、しっかりと関節の骨が出ている手が好きなの」

「へぇ。白魚よりカジキが好きなのか」

「え、魚? うーん、合ってるのかな? 私が例えるなら、ワルツとヒップホップダンスみたいな」

「ワンツースリーとドゥンパッパ」

「え? リズム? まぁ、そんな感じ、なのかな?」


 俺の表現が変だったのか、ふわりと彼女が笑った。

 首筋の正面には興味はなかったが、なかなかに可愛らしい顔をしていることに気づいた。

 ふむ、理想の首筋だけでないとは、なかなかだ。


「それで、理想の指の骨はヒップホップ?」

「うーん、ヒップホップはどっちかっていうと球技をやる男子の指ね。私が好きなのはサルサダンスとかタンゴみたいな、柔らかさと硬さが一緒にある感じ」

「分からん」

「これでおあいこね」


 もう一度笑った彼女の顔をしっかり見る。

 おあいこ。

 それはつまり、お互いのよく分からない変態要素を共有したと言うことか。

 そしてそれはつまり、俺の高校生活にはまだ希望があるのか? 未来は光り輝いているのか?


 彼女が下を向いて、最後の束を手に取り、トントンと揃えて差し出す。


 ガション、ガション


 出来上がった束を山の一番上に置いて、彼女が立ち上がった。

 さっきまで見えていた首筋は、俺の視界にはもう入らない。


「これ、次はどうするの?」

「ここに置いておけばいいはず」

「そっか。こんな重いもの持ってこいなんて言われたらどうしようかと思った」


 確かに。

 頷いて、そういえば、さっきの話で気になったことがあった。


「サルサって、映画館で食べるやつとは違うのか?」

「え? あのチップスのやつ?」

「そう。チーズとサルサ。俺はサルサ派」

「へーって違う。サルサはラテンっぽいダンスだよ」


 そう言って彼女がステップを踏む。

 少し広げた両手が左右に振れた。


「ーー分かる?」

「サンバか」

「違うから」


 彼女が踊るのをやめてしまった。

 ちょっと楽しかったのに。


「映画はいつもサルサとチップス?」

「そう。映画館でだけ、食べる」

「あー、分かる気もする」


 彼女はそう言って笑い、お疲れ様と言って軽やかに会議室から去っていった。

 俺の高校生活は、七月以降も変わりなく続いた。




 十月になって、少しずつ寒くなってきた。

 時折彼女の首筋を見る。

 相変わらず理想の首筋をしている。白くてふわっとしている。


 ただ、彼女はたまに首の後ろに手を置くようになった。

 そして教室ですれ違う時に、強い視線が飛んでくる。

 あれは俺のことを心底嫌っているに違いない。あの時は許してくれたと思っていたが、どうやら違ったようだ。

 俺の高校生活はあと半年残っている。

 いや、冬の休みが始まれば登校日数も人数も減るはず。

 よし、あと二ヶ月の辛抱だ。県外に脱出だ。


 そう思っていたら、またなぜか彼女と当番が一緒になった。

 今度はただの日直。黒板を綺麗にして、日誌を書けばあっという間に終わる。

 机に向かい合わせに座って、今日の時間割と一言を書き込む。


「“運動場の朝礼台が眩しかった”? 何それ」

「俺の席からだと、午前中はあの朝礼台がぎらついて眩しい」

「それって、日誌に書くこと?」

「それ以外に主張できる場所がない」

「まぁ、言っても誰も聞いてくれないねー」


 彼女が窓の鍵を確認して、指で丸を作る。

 あとはこれを職員室に届ければ終わり。

 数歩先を歩こうとする彼女が突然ぴたりと止まり、スススッと俺の隣に並ぶ。


「見過ぎ」

「ああ、ごめん」

「今の席、私の方が前だから、すっごい気になっちゃって」

「ああ……ごめん」


 それでか。

 確かに気になるだろう。


「つい、目が吸い寄せられて」

「何それ」

 

 ふふふっと笑う声。

 どうやらキモいとかは思われていないようだ。これで、俺の高校生活も平穏に終わらせることができる。


「この前、映画見に行ったよ。ちゃんとサルサも食べてきた」

「それはパーフェクトな映画鑑賞」

「でも映画は微妙だった。吹き替えじゃなくって字幕にしたほうがよかったかも」

「映画は、字幕派?」

「ミュージカルとヒューマンドラマは字幕派。アクションとホラーは吹き替え派」

「何のこだわり?」

「没入感」

「……分からない」

「そう言われて、友達とロマンスの吹き替えを見たんだけど、やっぱりキザな台詞は日本語じゃない方がいいと思う」

「あー、そういう感じ」

「そう、そう言う感じ」


 彼女が得意げに言うので、思わず笑ってしまう。

 よく分からないこだわりは、やはりよく分からない。けど、ちょっとだけ分かってもらえた時の嬉しさは、とても良く分かる。


「大学は、県外?」


 聞かれて、ふと考える。


「平穏に終われば県内。家から通えるとこ」

「平穏にって何それ。第一志望が危ないの?」


 ふっくらした頬が上がり、彼女の大きな目が細くなった。

 やっぱり、理想の首筋の正面もなかなかだ。なかなか、良い。


「高校生活が変態と後ろ指を刺されてデンジャラスになったら、県外に逃亡する予定」

「えっと、変態っぽい発言をま(・)た(・)したの?」

「ま(・)た(・)はしていない。理想はまだ超えられていない」

「それは、良かった。うん? 良かったのかな? まぁ、良かったのか」


 彼女は首を左右に傾けて、よく分からないことを呟く。何かが良かったらしい。

 それは良かった。


「他で変態発言しなければ、多分平穏に終われるんじゃない?」

「そうか」

「うん、頑張ってー」

「頑張る」


 あまり心がこもってないが励まされたので、とりあえずそう返しておく。

 理想の首筋をもつ、首筋の正面もなかなか良い女の子は、中身もそこそこ良い子のようだ。





 三月、平穏な高校生活のおかげで、県内の大学への合格が決まった。

 職員室に報告に入れば、担任の前に理想の首筋が立っていた。違った。理想の首筋を持った女の子がいた。


「お、お前も結果報告か?」

「はい。受かりました」

「おー、おめでとう。お前は心配してなかったけどな」

「そうですか」


 心配されるそぶりも見せられたことなかったなと思いながら、隣に視線を移す。

 こっちを見ていた彼女と目があい、彼女が微笑んだ。


「おめでとう。無事、平穏に県内?」

「そう。平穏だったから。そっちは?」

「私も合格。平穏だったのは私のおかげ?」


 揶揄うように言われ、少し考えて頷く。

 確かに、彼女のおかげだ。

 ここは何か礼を言うべきか。

 そう思ったところに、また別の生徒たちが数人で入ってきた。さすがにこれ以上人が集まったら邪魔だと、俺たちは揃って職員室を後にする。


 下駄箱に向かう途中で、彼女がマフラーを首に巻いた。

 理想の首筋は隠れてしまった。


「えっと、流石に冬は寒いから」


 なぜか言い訳をする彼女に、腹がグッとした。

 なんだ、これ。


「いい。タートルネックじゃなければ」

「えっと、それも何かのこだわり?」

「タートルは悲しい」

「そう、悲しいの。マフラーはオッケー?」

「うん。外す時が最高」

「外す時?」

「ラッピングを剥がす感じがしていい」

「うーん、分からない」

「そっか」


 分からないといいながら彼女が笑った。

 理想の首筋は、チェックのマフラーに包まれている。これが外されて、白い首筋が見える瞬間は今日の合格発表よりも尊い。いや、合格発表はそもそも尊いものではないけど。


 そういえば、お礼をしたかったんだった。


「お礼を」

「うん?」

「俺の学校生活が平穏に終われそうだから、お礼をしたい」

「えー、いいのに」

「後は、合格祝い」

「あ、それはいいね。どこか食べに行く?」


 腹の奥がぐるっとする。

 どこかに行くと言うことは、彼女はそのマフラーを俺の前で取るのだろうか。きっと取るのだろう。

 アリーナ観戦だ。


 じっと首筋に目がいく。

 彼女がマフラーをぎゅっと握って、上目遣いで睨んだ。


「見過ぎ」

「ごめん」


 咄嗟に謝る。

 彼女は口を尖らせつつ、スニーカーに足を入れてトントンと爪先を地面に当てた。

 

「私、サルサ、食べたいな」

「それはいいかも。字幕?」

「うーん、ラブストーリーじゃなくてアクションの気分」

「それじゃ、吹き替え版か」


 スマホで駅に近い映画館の上映時間をチェックする。

 アクション映画で且つ吹き替え版の上映時間が見つかった。それは高校からはぎりぎりの時間で、俺たちは早足で映画館に滑り込んだ。

 暑いと言いながら首からマフラーを外して笑った彼女。

 その笑顔に目が行って、残念ながら肝心な首筋が見えなかった。それに気づいたのは、もう上映が始まってサルサをつけたチップを口に入れた時だった。




 夜、台所に立つ彼女が鍋を覗き込んでいる。

 俯いた首筋が見えて、そこに視線が行った。


「見過ぎ」

「うん、舐めていい?」

「ねぇ、私の言葉聞いてる?」

「うん」


 軽い返事に、彼女が笑う。

 赤い顔が、もう一度下を向く。


 白い首筋が、少し赤くなっている。

 理想の上をいく理想形態だ。


 平均身長より数ミリだけ大きい俺が、平均身長よりちょっと下の彼女の後ろに立つ。

 カウンターに乗せた俺の手に、彼女の視線が向いた。


 最近気づいた。

 リモコンを操作する時とか、お好み焼きをひっくり返す時とか。

 彼女がじっと俺の手を見ているのを。

 多分、俺は彼女好みの手の骨をしているのだろう。


「サルサみたいなのかな」

「ん? 映画が見たいの?」

「そうかも」

「じゃ、今週末にでも行く? 字幕のやつ」

「ドラマ?」

「ラブストーリー」

「恋愛ものか。サルサが合うなら」

「合うよ、きっと」


 彼女が笑った。

 目の前の理想の首筋に唇を寄せ、ついでにペロリと舐める。


「ちょっ!」

「上映時間、調べてくる」


 そそくさとキッチンから逃げ出して、スマホを手に取る。

 週末は映画デートだ。



 俺の、理想の首筋を持った奥さんと。

 





後書き

男子高生: 首筋フェチ。「うなじ」よりも「首筋」の方が何となく好き。筋の響きがいいらしい。白くてふっくらしてるのが好み。友達はいるが大騒ぎはあまりしない方。


女子高生: 手の骨フェチ。ある程度骨ばっているけど細くて長い手が好き。男子高生の手は理想に近い。健康的にふっくらして見えるが、ダンスが好きでそこそこ筋肉もある。


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理想の首筋を持つ彼女に「舐めたい」と言ってしまった俺のその後 BPUG @bigpughug

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