時と金

藍沢 明

時と金

 時は金なり、とはよく言ったものだが、実際には時間を使ってお金を稼ぐことはできても、お金で時間を買うことはできない。厳密には鈍行を使わずに新幹線、というような時間の買い方はできるが「一時間いくら」というような時間の買い方はできない。そのため、お金よりも時間の方が大事、というのが真理かもしれない。

 そんな人類の時間とお金の問題を解決する研究が完成した。時間を売買することが出来るようになった。

「どの様な仕組みなのですか?」

研究発表にて記者は開発者の佐伯博士に問う。

「詳しいことは言えないのですが、仕組みを分かりやすく説明すると時間の冷凍庫のようなものです。まず、売りたい人にこちらのボックスに入っていただきます。」

そう言うと中の見えない電話ボックスのような箱を指差した。

「そうすると中の装置が作動しその人の時間を保存します。本人は一瞬寝ているように感じるだけです。そのあと出口から出てくると次の日になっています。買う人はそのボックスの中に入り一日を過ごします。するとこちらの世界では正味十秒も経っていません。」

「人体に害はないのですか。」

「様々な実験の結果により、健康に害がないことが証明されています。また、万が一何かあった際の相談窓口を用意する予定です。」

「中では何ができるのですか?」

「時間を買う人は中に何かを持ち込んで時間を過ごしてもらう形になります。ボックスの中は一人暮らしの部屋のようになっていて机に向かう、テレビを見る、寝るなど基本的なことはできるようになっています。ただ食べ物を食べることは今のところできません。」

「一日単位でしか取引できないのですか?」

「現状はそうです。今のところ保存した時間を分割することも合算することもできないので、買う側も売られた時間をそのまま買い取ることになります。そのため今は一日単位です。しかし普及して時間単位でも受けとる人がいるのならば、それはまた事業として行っても良いと考えています。」

「使用する際の料金はや手数料はどうなりますか?」

「売るとき買うときともに、一定の使用料をいただきます。時間を売ることによって発生したお金は本人のものになります。買う時間に対しても同様で、報酬への手数料などは取りません。」


 初めは時間を売る方も買う方も抵抗があったが、インフルエンサーと呼ばれる人たちが使いだし安全性や利便性を押し出すようになると、皆利用するようになっていった。ボックスの中は基本的にお腹も空かず、眠くもならない。ただし本人が入るときに寝不足だった場合は例外で、その時は中で眠ることができる。ボックスの中で仕事を進める者もあれば、時間を気にせずアニメを見るなど趣味に費やす者もあった。一日寝て時間まで寝過ごしてしまう者もあったが、この場合は職員が起こしに来る。時空の狭間に取り残されるようなことはない。

一日単位でなく、時間単位でも売りたい人、買いたい人の声が挙がった。売りたい人はちょっとした待ち時間をお金にしたい、買いたい人は一日では長いので仮眠などに使えるちょっとした時間がほしいとのことだった。そういった声を受け時間単位や分単位でも取引が可能になった。駅の構内などにボックスが設置され、電車の微妙な待ち時間を売り小遣い稼ぎをする者もいた。その微妙な時間を使い仮眠をとる者もいた。数秒で数時間分眠ることができるので時間を有効に使えるらしい。

さらにボックスは改良され旅行や食事などの疑似体験が可能になった。移動時間なしで各国を回ることができ、世界旅行も短時間で行ける。ボックス内に入っている者同士で会えるようにもなり、お忍びで付き合っている芸能人にボックスが重宝された。別々なボックスから落ち合えるためである。

失業した人や生活保護を受ける人なども利用するようになった。時間を売ることに抵抗がなければ一か月は暮らせるようなお金が手に入るので、その間に落ち着いて職を探すことができる。そういった経済的に恵まれない利用者は使用料を払わなくて良いようになった。佐伯博士は社会貢献になるサービスを提供したとして国から表彰された。

何度も時間を売る人が出てきて取引額も高額になったため、報酬に税金をかけるかどうかが一時議論になった。しかし、分刻みのスケジュールに追われる首相や国会議員、官僚たちもそのサービスを利用するので供給量より需要量が上回る事態となっていた。そのため売った報酬に税金はかけないことになった。また、学者からも時間を売ることに関してのメリット・デメリットなる研究もなされたが身体に影響がない以上、これといったデメリットも見つからず議論は収束していった。そのうち時間を売るだけで生計を立てる者も現れた。時間を売るだけで億万長者にまでなるのは難しいが、生活していくだけでよければそのようなことも可能だ。月に一回、一日を売るだけで一般的なサラリーマンの月収を稼ぐことができる。政治家も時間を買うので国家事業と化し、報酬に税金はかからない。このような状況で働かない者が急増するのではと思われたが、「時間を売る」という行為自体に抵抗がある者も多く、それだけで生計を立てる者は少数にとどまった。自分でお金を稼いだ達成感を得たい人や家族との時間を大切にしたい人など、時間を売らない側にも様々な人がいた。


 ある男がそれにはまり月に一回一日を売っていた。目を覚ますと次の日になっている。人より一日少ないことを気にしたこともあったが、それをするだけで自分が働くよりも良い月収を稼げる。仕事で一日費やすよりもはるかにいいと男は考えていた。

「仕事に疲れて休みの日に一日中寝てしまうこともあったがこれはいい。他の日を遊んで暮らせる。」

男はそう呟きながら、今日もボックスへ入ってく。

 月に一日売るだけにしていたがもっとまとまったお金がほしくなり二日売るようになった。次の月は三日、次は四日と増えていき、そのボックスを使うようになってから二年経つ頃には月の半分を売るようになっていた。月の半分を初めて売った時、ちょっとした問題が起きた。ボックスを出る二日ほど前から友人のマサキが連絡をくれており、返事がないことを心配して部屋の前まで来ていたのだ。男はボックスを出てからスマホを見てそれを知りすぐに家へと向かった。

「家の前まで来てくれてたのか。申し訳ない。」

家に着いた男はすぐにドアの前にいたマサキに謝罪をした。

「いいよ、なんともないなら。旅行でも行ってたの?」

「実は時間を売りに行っていたんだ。二週間ほど。」

「二週間!連絡が取れないのが二日くらいだったからてっきりそのくらいの旅行かと思ってた。それは長いね。」

「二週間売ったのは今回が初めてだ。知り合いには連絡してから入るようにした方がいいかな。」

「いいよ、次同じようなことがあったら時間を売りに行ってるって答えとくから。」

「悪いね、そうしてくれると助かる。」

そんなやり取りをした後、男はボックスに入っている間に家族から連絡が来たら大変だと思い、頻繁に実家へ出向くようになった。月の前半は仕事が忙しくて会えないという言い訳を両親に伝え、その代わり後半は会いに来ると約束した。実家へ帰るなど実際に仕事をして忙しいころには考えられなかった。

 男は時間を売るようになり考え方が変わった。ボーっとしている人や泣いている人を見ると時間の無駄だと考えるようになった。涙を流すくらいならその時間を売って、好きなものでも食べて切り替えたらいいと思っていた。男は羽振りもよくなった。ものすごいお金持ち、というわけではないが一般の家庭よりお金を持っている。仕事をしているときにはなかなか会えなかった友人たちとも会えるようになった。男はその友人の一人、タカシと飲んでいた。

「なんか急に飲みに誘ってくれるようになったよね。時間にも余裕があるくらいだし。仕事がうまくいってるの?」

男は得意げに答える。

「時間を半月分ほど売るだけだよ。残りの半月は遊んで暮らせる。」

「あー、例の時間を売るやつか。」

「そう。君もやったらいいのに。」

「いや、一時間とかならまだ売ってもいいかなと思うんだけど。正直言って自分の時間を売る気にはならないな。」

「どうして?」

「だって売ったら元には戻らないし。」

「そんなことないよ。ほしくなったら一日買い戻せばいいじゃないか。最近はボックスの中でできることも外でできることとあまり変わらないよ。」

「でも売った時間より高値で買わなきゃいけないだろ。それに時間を売っている間に何かあったら嫌だし。」

「何かって何?」

「それは思いつかないけど。」

「なんだ。やったことないから怖いだけじゃないか。やってみたら変わるよ。」

「そうかもね。でも僕はいいかな。」

「そうか。まあ無理にとは言わないけどね。」

そんなタカシの話を聞きながら男はやらず嫌いなんて心底もったいないと思った。とはいえ、世の中の大半はタカシと同じで時間を売ることに抵抗がある方が大半だった。失業した者も一時的にお金を得るだけで、そのあとは自分で働いて稼いでいる。そういった世間の流れや友人マサキのおかげもあって、男は友人たちの間では「時間を売って生活する男」として認識され、半月連絡が付かなくてもあまり心配されなかった。その証拠に病気で寝込んで二、三日返信が滞っても誰も「どうしたの?」などのメッセージが来ることはなかった。

 月の半分を売り、残りを友人たちと旅行やクラブで遊ぶ。そんな生活のサイクルになれたある日。男が起きぬけに顔を洗い、ふと鏡を見ると映った自分の姿に驚いた。

「こんなに老けていただろうか…。」

なぜこんなに急に、と思ったがはたと気づいた。時間を売っていたからだ。ひと月のうち半月を売っているので一年が実質半年になる。時が経つのが速く感じ自分が年を取るのもあまり自覚がなかったようだ。

「いや、仕事ばかりで何もせず年を取ってしまうことのほうが多い。遊んで暮らして年を取っているのだから有益なはずだ。」

そう言いながらもう一度顔を洗った。若い顔は美容整形などをすれば手に入る。少し多めに時間を売って費用に充てよう。男はそう考えた。

 テレビをつけるとニュースで総理大臣が変わったことがニュースになっていた。

「いつの間に代わっていたんだ。」

時間を売りながら残りの時間を遊んでいたので、碌にニュースも見ていなかった。スマホのニュースを見ると知らない芸能人のゴシップであふれている。ゴシップが多いのは相変わらずだったがその中に出ている人を誰一人知らない。

「そうか。自分が遊んでいる間にこんなにも世の中は変わっていたのか。」

しかし、自分に影響のあるわけではないし、どうってことはない。ただ時間を売り遊んでいるだけの自分に世の中の変化はあまり関係ない。手に入るお金で遊ぶだけだ、と男は思った。

 その後、男はいつも通り半月分の時間を売りに行った。ボックスから出るといつも通り月日が経っている。何気なくスマホを見るとも何十件もの着信履歴があった。何かと思い履歴を確認すると姉からだった。帰り道に急いで折り返すとものすごい剣幕で言い放った。

「やっとつながった。今まで何してたの!」

「いや、ちょっと色々あって。それよりなに?」

しまった、姉には月の前半連絡が取れないことを言い忘れていた、と慌てていると思いもよらないことが起こっていた。

「色々あってじゃないわよ。いい、よく聞いて。お母さんが亡くなったの。二日前に倒れて、そのまま。倒れてから何回も連絡したけど全然連絡がつかないし。お父さんに聞いたら月の前半は忙しくて連絡が取れないっていうし。でも一日一回スマホ見るくらいできるでしょ。本当にどこで何してたの?」

姉はそう捲し立てた。母が亡くなった。唐突にそう言われ男は頭が追い付かなかった。

「いや、そんなこと言われても。先月会ったけど元気だったしそんな風に見えなかった。」

「前に元気でも突然、ってことは誰でもあるでしょ。それでもお母さん二日は持ってくれたから間に合わせようと思って何度も電話したのよ。で、二日も何してたのよ。」

姉に聞かれ男は口ごもりながら答えた。

「時間を売りに行ってたんだよ。」

「二日も売りに行ってたの?」

「いや、二日分くらいいいじゃん。」

本当は半月分だがそこは怒りを買いそうなので黙っていた。

「そんなことしなければ死に目にも会えたかもしれないのに。」

「でも時間を買い戻せば……。」

男は本気でそう思っていた。高値にはなるかもしれないが時間は買える。

「馬鹿じゃないの?買い戻したところでお母さんは戻ってこないわよ。お母さんが生きていたその時間は戻らない。当たり前でしょ!」

「いや、時間を買える時代になったって……。」

「何寝ぼけたこと言ってんの?あんたが時間を売ってる間も現実の時間は進んでるのよ。お母さんはその機械の中じゃなくて現実を生きてたの。その時間はもう返ってこない。そんなことわからないの?」

姉に言い立てられ男はようやく気が付いた。その人と一緒にいた時間は戻らないのだと。母との時間は買い戻せないのだと。

男は肩を震わせた。二度とは買い戻せない、売った時間を悔やみながら。男が無駄だと思っていた涙を流して。

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