こうして、今に至る

 祖母の葬儀からひと月ちょっと。法事が入るのが週に一度のイベントになっていた中で◆◆子さんは亡くなった。

 まだ祖母の法事が続いている中だったせいか、人と犬との弔われ方の違いみたいなものを目の当たりにしてしまったような気分になった。


 49日からもだいぶたち、日差しも暖かくなった春。

 私はようやく、母との会話から「◆◆子さんの死に関する話を誰も知らない事がつらい」という感覚に気づいた。

 祖母の死は、淡々と受け入れることができた。私の中では既にいない人も同然だったので。

 愛犬の死は、今もちょっと引きずっている。長く生きてくれ、元気になってくれ、と本当に願っていたから。


 世の中、表に出さなければなかったことと同じになってしまう事は多々ある。私がこうして死んだ者の事だと表に出さなければ、去年我が家から二つ命が失われたことなんてほとんどの読者の方にとっては存在すらしない出来事だっただろう。


 だからこそ、許せなかった。私がほんのちょっとでも世の中に出したものは祖母の死に関する物だけだという事が、許せなかった。

 愛の比重は◆◆子さんにあるのに、祖母への送る言葉は少なからぬ親戚が聞いた。

 私がほかの人に見せた愛の比重が、祖母と愛犬で逆転してるかのような状態だと気づいたとき、どうしようもないやるせなさに襲われ当たる先を求めて腕を振り上げかけた。

 しかし、あばれるまでもなくやりようはある。

 人様に迷惑などかけなくとも、愛犬の死でうまれた悲鳴のような文章は、私のPCの中にあるのだから。




 だからこうして、今に至る。

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しんだもんのこつ 黒味缶 @kuroazikan

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