祖母を送る言葉の裏側
昨年、祖母が死んだ。
危篤の連絡が来た際、長い間施設にお世話になっており祖母のいない生活にすっかりなじんだ私は、「とうとうか」と受け入れた。
もちろん、ついに来たかという緊張感自体はあったがそれは仕事に穴を開ける事に対する連絡回しなどに向けた緊張の割合の方が多かった。
父の兄弟たち……私から見た叔父とその家族がやってきて、少し離れた場所で働いている私の弟も帰ってきた。
最初の危篤の連絡から、実際の祖母の死までにはそれなりに日数があった。危篤だからと最後の別れめいた訪問を行ってからほどなく、祖母は亡くなった。
別れ際の握手があまりにも力強く、もしかしたら復活するのではないかと思わされた日の深夜の事であった。
翌朝。葬儀など諸々の準備をする過程で、私はとある無茶振りを受けた。
「Aちゃん、孫代表で弔辞やって」
「えぇ……いい事なんも言えんよ?」
「そこはなんかいい感じにしてくれればいいから」
「良い思い出とかほぼないよ」
代表して送る言葉を言うには、私は祖母に対して良い感情を持っていなかった。
私は、絶対に嫌だったことというのを忘れられない性質だ。あまり近くにいなかったにもかかわらず、祖母に対してはその“絶対に嫌だったこと”が明確にあった。
うつ病でただ動く事すら苦しかった私を「家にいて何もしない」と腐す事で友人との話題にしてたの、聞いちゃったから。身内を馬鹿にして笑いをとる出汁に使われた事、本当に許してなかったから。
その日から、ごめんなさいじゃなくて「ちがうのそうじゃないの」という言い訳をされてから、私は祖母の事を自分の心の中に置くのをやめてしまっていた。
許せる日は多分来ないから、もう身内と思わずうるさい置物だと思う事にしたし、そのように過ごしてきた。
祖母のボケが介助が必要なレベルまで進行して、施設のお世話になり始めた時。怪我をしての入院でそれが一気に進行して、入居型の施設に移った時。
私は祖母の身を案じるわけではなく、ただ父母の負担が減った事に安堵していた。
それでもやるからには、と、弟の協力を仰ぎつつ書き上げたのが、前話の内容だった。死に行くときに聞いて悲しくならないものにはしたつもりだ。
私の中の虚無と断絶を産んだ怒りはなるたけ入れないようにしたつもりだけど、尊敬してるだとか大好きだとかいう嘘はつかなかった。つけなかった。
でも、十分でしょう?そう思える文章はできた。
弔辞の書式も、今後似たようなことがあった時に困らないようにちゃんと調べてきちんとやった。
実際の葬儀の日、前もって多少練習していたのもあって送る言葉を読む際に、殆ど突っかかりもなくすらすらと読めた。
私の声はどうやらマイク映えするらしく、その後出棺のための移動の時なんかに「良かった」「感動した」と、葬儀に参加した親戚から褒められた。
便箋に薄墨で書いた弔辞は、祖母の棺桶に別れの花と一緒に入れられた。
最後ぐらいはという冷たい温情めいたものでできたそれは、祖母と一緒に焼かれて、骨以外の全てと同じく灰になった。
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