殺人衝動
八六
第1話殺人衝動
朝、目が覚めると、自分がどうしようもない劣情を抱いている事に気がついた。どうにも感情のはけ口が見つからなくて、とにかく部屋を荒らし尽くした。息が切れる。埃が霧のように舞っていた。垂れ流されているテレビを眺めて、呆然としていた。
喉が渇いていた。机の上に置いてあるビール缶を手に取る。振れど振れども一滴たりとも落ちてきやしない。昨日やけになって、なけなしのビールを飲んだことを思い出す。ちっ。誰に宛てるでもなく舌打ちをして、ビール缶を壁に投げつけた。
喉が渇いていた。枕元に置いてある煙草の箱に手を伸ばす。箱は空。箱を床に落とし、踏みつける。兎角、煙草が必要だった。俺は踊るように、パジャマを脱ぎ捨てて、くしゃくしゃになったシャツと、くたびれたジーパンを履いて、ゴミ袋が積み上がった家を後にした。
外に出ると、嫌になるほど暑かった。もう夏は終わったってのに、この暑さはなんだ。シャツが汗で滲む。朝の街は、人が多くて嫌になる。どいつもこいつも幸せそうな顔をしていやがる。街を歩けば歩くほど、鬱憤は溜まるばかりだった。俺は、ふと思った。煙草を買うのを止して、包丁でも買って、人を殺してやるのはどうだろう。俺は頭の中でその光景を想像する。ギラギラと光る包丁、だらだらと流れる鮮血、その只中に立つ俺。俺は恍惚としていた。ぼんやりとした頭で、俺はコンビニを通り過ぎた。
俺は、いつの間にか包丁を買っていた。頭はまだぼやけている。トイレの中でパッケージから包丁を取り出して、むき出しのまま鞄の中に入れた。
お店の外に出ると、そこいらにいる誰も彼もが俺を糾弾しているような気がしたし、陽の光はフラッシュライトのように感じた。心臓の鼓動はどこまでも響いていく。
はぁ、はぁ。息が荒くなる。どいつを殺してやろうか。俺を軽蔑してきたやつを殺せば、少しは気持ちも晴れるだろうか。
俺は来た道を歩いていた。街行く人は、俺に軽蔑どころか興味を抱くことすらなかった。奴らは俺がいない世界を生きていた。俺はほとんど透明人間だった。
ついぞ、誰も殺せないまま家まで来てしまった。感情が心臓のあたりで渦巻いていた。汗が目に入って痛かった。
洗面所で顔を洗い流して、顔を上げる。眼前には鏡があった。鏡には、すべてを見下したような、虚ろな眼をした男の顔だけが映っていた。
殺人衝動 八六 @hatiroku86
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