epilog


椎名正明、海外で活躍する日本人選手に聴く

(インタビュアー:山本豊次)

>山本

 今回はツールド※■※、第4ステージ~第6ステージで1位を獲得。チームの優勝に貢献した椎名正明選手にインタビューを行います。

 椎名選手は、現在※■※国籍の24歳。世界的に有名なロードレースであるツールド※■※に通算七人目の選手として出場し、現在メディアにて話題になっています。

>椎名

 そこまで言うほどではありません。最近は少し自転車が流行っているので、僕の功績ではなく偶然です。


―――――

 車両がいくつかの街とイ界を抜け、三瀬中央部の平野へと差し掛かる。1ヶ月近く森ばかりみてきた目には、遠くまで広がる平原や、時折現れる奇妙なオブジェ、そして壁に囲まれることなく成立している街の姿が新鮮に映る。

 三瀬南部樹海をひとたび出れば、イ界と現実は曖昧に繋がっているし、人はイ形のすぐ隣で生活圏を構築している。三瀬にはそれでも生きられるだけの技術が積み上げられている。

「あと2時間程度ですね」

 自分たちの街に戻れるという実感がわいてきたのか、猿田の口調は明るく、対照的に顔は青白く変わっていく。疲れをとるために、豪勢な弁当を買ったはずなのだが、それが却ってよくなかったのだろうか。

「サル、酔ってる?」

「どうでしょうね……ちょっと身体が冷えていますね」

「酔ってるね。2時間の辛抱だ。耐えろ」

「はい……」

 猿田は窓に頭をもたれて何度かため息をついた。譲葉は残念だが彼の酔いを醒まさせる術を持たない。様子をみつつ、改めて手元の雑誌に視線を落とすことにした。

「そういえば、姐さんが持ってるそれ」

 譲葉の視線を追ったのか、猿田が初めて雑誌に目をやった。

「持ってきちゃったんですか? たしか蔵先の“図書館”で借りたんでしょう」

「ついたときには街中で狩りが始まってたんだぞ。返すタイミングがなくてさ」

「いや、えぇ……」

「これ1冊くらいなくたって文句はいわないよ」

「返ったら石神に渡しにいきましょうね」

 変なところで融通が利かない。

「膨れたってむだですよ。それに、そこに書いてある話は昔の話なんでしょ」

 そのとおりだ。椎名正明。彼が活躍したのは50年近く前のことだ。記事では南蔵田へ戻ってきた椎名に、インタビュアーが当時の話と今後の抱負を尋ねている。

 椎名は自分への注目を様々な偶然が重なっただけだと話す。しかし、彼が注目されたのはその輝かしい大会成績によるものだと譲葉は思う。もっとも、彼の脚は欧州レースで全霊を尽くしてしまったのか、大会直後に帰国。以来、この雑誌が発刊されるまでの8カ月、地元である南蔵田にて療養をしていたとある。

「ロードレーサーには戻れなかったんだな」

 記事内では、脚の調子は快復傾向にあり、リハビリも良い結果が出てきていると語っている。療養地に南蔵田を選んだのは、温厚な気候と郵便局近くの崖から見える海の景色が好きだからと語り、椎名をきっかけに街中がロードレースに興味を持っていることを喜んでいる。

 土産物屋の敷地に立てられた自分の所属チームを描いた応援看板を前に、自転車と共に立つ椎名正明の写真で、記事は締めくくられている。

――椎名正明、奇跡のC-7復活まであと半年!

 記者が入れた煽り文も、椎名正明への期待を込めた内容である。

 だが、彼がこの雑誌の発刊時に南蔵田で療養していたのだとすれば、次回のレースへの復帰は絶望的だ。雑誌発刊の1か月後、南蔵田は“イベント”に巻き込まれ、立入禁止区域として三瀬に組み込まれてしまうのだから。

 彼が生きていたとしても三瀬からの脱出は困難だったろうし、そうでなかったなら、彼の行方を知る者すらいない可能性が高い。実際に、椎名正明の足取りは“イベント”をもって途切れている。

 椎名正明は独り、実家のある南蔵田地区で療養していた。母親と共に三瀬とは別の場所で暮らしており、椎名大海も偉大な父のことをほとんど知らないと自身のインタビューに答えていた。

「結局、彼はどうなったんですかね」

「どうなったんだろうね。“イベント”に巻き込まれたのだとは思うけれど、私たちが想いを馳せられるのはそこまでだ」

 椎名正明は消えて、南蔵田はコライドの“衝突”に襲われた。

 南蔵田に現れたコライドたちは、犬を避けて樹海へ逃げ蔵先市街を作り上げた。

 蔵先市街では、椎名正明の夢の続きと言わんばかりに、ロードレースが流行った。

 それらの事実が何を意味しているのかは、当事者にしかわからない。

「この雑誌は石神伝手で蔵先に帰すよ。だから、サル。少し眠ったらどうだ? その体調でこんな古い雑誌を読んだらますます酷くなるぞ」

 雑誌を閉じて、隣の席においたバックパックにそれをしまう。

 先ほど以上に青白い顔をした猿田が目を閉じて眠りにつくのを見届けると、譲葉は窓枠に肘をあて、頬杖をついた。

 外を流れる遠くの山々では徐々に緑が薄くなってきている。

「今年の夏も終わりだな」

 目的地まで1時間30分。譲葉は久しぶりの森以外の景色を楽しむことにした。

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犬の鑑定法 若草八雲 @yakumo_p

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