霊能一家
うちは両親ともに霊能力者だ。
父親は依頼を受けてお祓いや除霊をしたりしていた。詳しくは知らないが、相談を受けるだけでも10万円は取るし、たちの悪い悪霊とかになると、お祓い料は100万はくだらないと母親から聞いたことがある。高額だが、それでもそこそこ人気の霊能力者であったようで、仕事で家にいない日の方が多かった。
ほかにも、置いておくだけで悪霊がほいほいと吸い込まれる壺のリースや販売をしていたようだが、こちらはあまり振るっていないようだった。母親によれば、効果は抜群らしかったようだが霊を吸着させるために材料として飛騨の方の土を使わなきゃいけないとか、壺にした後にも何やら儀式やらの作業工程が必要らしく、結果壺の価格は跳ね上がり、壺の買い手も借り手もなかなか見つからないということであった。在庫は駅前の貸し倉庫に寝かせてある。
母親は、以前は父親と同じ職場で働いていたが、職場恋愛の末結婚。その後ずっと専業主婦をしていたが、最近、退屈だという理由で近所のスーパーのレジ打ちのパートに出ている。
かくいう俺は中学3年生。そろそろ高校受験が迫ってきていることを頭じゃ分かっちゃいるが、まだ夏だしなぁといった感じで適当にだらだらと過ごしていた。
ある日曜日、俺はリビングのソファーで好きな漫画を1巻から読み直していた。ちょうど4巻を読み終わり5巻に手を伸ばしかけたその時、部屋の空気がいつもと違うことに気付いた。エアコンの設定温度より明らかに寒く感じられ、キーンと耳鳴りのような音も聞こえる。
「お礼参りだ」と俺は思った。
霊能力者である父親の仕事は主に除霊やお祓いであるが、それは幽霊の側からしてみれば、力づくでその場所や取り憑いている人から追い出す、いわば地上げみたいなものである。まして悪霊になるような執念深い霊である。恨まないわけがない。そんな悪霊が時々、家に来て悪さをしようとしたり、呪おうとしてくる時がある。家ではそれを「お礼参り」と呼んでいた。
今までは、家に父親がいる時は父親が対処していたし、仕事で父親がいない時は母親が何とかしてくれた。しかし、その日に限っては仕事とパートで父親も母親も留守にしていた。
「今日は俺しかいない。どうすればいい?」
とにかく俺は、嫌な感じがどこから来るのかを探した。その嫌な気配がリビングにまで浸食してきているのは分かっている。問題はどこから来るかだ。
霊がこの家に入ってくるとして、通常の入り口や窓から入ってくることはまず不可能だ。父親お手製のお札でセキュリティは万全になっている。
俺はまず大型テレビの方を見た。テレビの画面ってやつは最近では映画の影響で、霊が出入りするゲートが作られやすくなっている。俺はちょっとビビりながらテレビの画面を見た。しかしテレビには異常はなかった。
とすると、次に怪しいのは鏡だ。何度も言うが、俺の家は家族全員が霊能力者だ。いくらセキュリティをしていると言っても、どっかから霊が入ってくることや、家族の誰かがうっかり家に連れてきてしまうことも多い。そして、鏡を見ると結構な確率で自分の背後にいる幽霊を見てしまうということがあった。いくら霊を見慣れているといっても、やはり自宅でそういうことが頻発するのは気持ちの良いものではない。そういう理由で、家の鏡には全て、風呂場や洗面所も含めて母親が布を掛けてしまっていた。
リビングにも全身を写せる姿見があった。そして、それが嫌な空気を発生させていることがすぐに分かった。俺は覚悟を決めて、姿見に掛かっている布を勢いよく取った。
異変はひと目で分かった。鏡に写ったうちのリビングの景色は大きく歪み、その歪みの中心から黒いものが近づいて来ていた。
俺は鏡を凝視して、その黒いものの正体を見定めようとした。黒い雲、黒い蛇、いや違う。それは悪霊の群れだった。大量の悪霊が大きな黒い塊となって、鏡の中から俺の家のリビングに向かって押し寄せているのだ。
その数一万。
ヤバい。この数はどう考えてもヤバすぎる。ひょっとしたら父親でも対処できない数じゃないのか。
俺はとっさに判断したのか、それとも本能的な行動だったのか、とにかく脱兎のごとく逃げ出した。
俺の家はマンションの2階だったが、俺はリビングの窓を開き、そこから飛び降りた。運良く怪我をすることなく着地に成功した俺はそのまま全力でダッシュしてマンションの敷地から逃げた。
外に逃げた俺は、路地裏のY字路の突き当たりにある公衆電話に飛び込んだ。
うちは両親の方針で、携帯電話は高校生になるまで買ってもらえないことになっていた。まぁ、どうせ霊能体質の俺がケータイを持ったところで、通話中にノイズが入ったり霊からのいたずら電話に悩まされる毎日になるのは目に見えていたし、それらに対する防衛策もまだ中学生の俺は知らなかった。持っている同級生を羨ましいと思わないこともなかったのだが、とにかく俺はまだ携帯電話を持っていなかった。
俺は、名前と自宅の住所、電話番号、そして両親の携帯番号を書いたメモ、あと、少しのお金を入れた袋を母親にパンツに縫い付けられていた。これは友達に変だとからかわれたものだが、その時には大きな助けになった。
俺は袋の口を破り、小銭を公衆電話に入れ、母親の携帯に電話をした。幸いにも母親はパートの休憩中だったようで、コールするとすぐに出てくれた。
「母さん、お礼参りが家に来た」
「数は?」
「一万」
「そりゃまた凄い数ね。わかった。お父さんにも連絡入れておくね。あんたはどうする?一回お店来る?」
母親はパート先のスーパーに来るか俺に尋ね、俺はそれに従おうと思った。そして、家の方角をちらっと見たとき、全身の血の気が引いた。
黒い影の集団。一万体の悪霊の群れがこっちに向かって来ているのを見たのだ。悪霊が家ではなく俺を目的にしていることを理解した。
「こっち来てる」
「え?あんた今どこに――」
最悪なことにその瞬間、電話が切れた。今からまた小銭を入れて、番号をプッシュしている余裕はなさそうだった。
電話ボックスは裏路地の突き当たりにあり、悪霊は俺の逃げ道をふさぐかたちで迫って来ていた。
「やるしか・・・ないのか・・・」
俺は霊能力者の修行をしているわけではなかったが、両親から受け継いだ結構いい守護霊がいる。そんじょそこらの小悪霊程度なら追い返せる自信はあった。しかし、今回は相手が悪い。なんてったって一万。父親でさえどうにもできないかもしれない数なんだから。
それでも、やらなきゃやられる。俺は自分の守護霊を展開させた。その数六百。その守護霊を電話ボックスを守る形で布陣した。
悪霊は俺が守護霊を展開させたのを見て一瞬ひるんだ様子を見せたが、こちらの数がせいぜい六百体しかいないのを認めると、またゆっくりとこちらとの距離を詰めはじめた。こころなし、さっきよりも黒い影が左右にゆらゆらと揺れながら近づいてくる。
「遊んでやがる」
俺は悪霊が、数の上で有利なことが分かって余裕を見せていることを悟り、歯軋りをした。奴らはじりじりと俺を追い詰めて、俺が恐怖を感じるのを楽しんでいるのだ。
それでも実際、この圧倒的な数の差はどうしようもない。悪霊が本気を出せば、こちらの守護霊など一瞬で蹴散らされてしまうだろう。こんなのとても除霊とは呼べない。
徐々に狭まっていた悪霊と電話ボックスを守る守護霊の距離が縮まり、そして接した。一万体の悪霊の圧に押し潰されそうになる。
路地が細かったために守護霊と悪霊とが接する面積が狭くなり、包囲されることは避けられたが、袋小路で逃げ場がないことには変わりない。
「もうだめだ」
そう思った時、急に悪霊の群れに変化が起こった。
明らかに押し込まれるような圧が弱まっている。そして、前線の悪霊達が目に見えて動揺している。
母親が来たのだ。母親は自宅から電話ボックスのある裏路地方面、つまり敵の背後をつく形で悪霊に攻撃を仕掛けたのだ。
母親の守護霊の数は三千。しかし奇襲に数は関係ない。急に後ろから予期せぬ攻撃を喰らった悪霊は当然混乱した。
「今だ」
その機を逃さず、俺は電話ボックスを飛び出し、守護霊六百で突撃をかける。数の上では未だ悪霊の方が優っているとはいえ、狭い路地で接敵面積は小さく、敵の前方と後方からの挟み撃ちになっている。しかも悪霊は混乱している。
悪霊は電話ボックス側から俺に、自宅方面から母親に押され、Y字路のもう一方の道に押し出された。そして俺は母親と合流することができた。
「助かった」
俺が安心してそう言うと、母親は
「何言ってるんだい、やっつけるよ」
とやる気まんまんであった。
「やるっつったって相手はあの数だよ。俺と母さんの守護霊を合わせても勝ち目はないよ」
俺は母親に、悪霊が態勢を整えて反攻に転じる前に逃げることを提案したが、母親はその場から動こうとしなかった。
そして、もう一つの路地に逃げていた悪霊の群れの動きがピタッと止まり、再びこちらに向かって来た。
「ああ!来たよ!」
と俺は情けない声を出しながら、パニクって母親の服を引っ張って逃げようとしたが、やはり母親は石のように動かない。
「あぁ、どうやら来たみたいだね」
と母親は顔に不敵な笑みを浮かべている。
様子がおかしい。こちらに向かってくる悪霊は攻めてくるというより、てんでばらばらに逃げて来るといった感じで、まったく指揮が執れていなかった。
そこで俺は見た。悪霊が逃げ出したY字路の最後の道の先に父親の姿を。
父親の守護霊の数は八千。しかも日々の修行を怠っていないし、実戦経験も豊富な精鋭揃いだ。
前面には父親の守護霊八千。後方には母親の守護霊三千と俺の守護霊六百。挟み撃ちだし、数の上でもこちらが上回っている。完全に形勢逆転。今度は悪霊の側が逃げ場のない状況に追い込まれていた。
「ごめんなさい」
除霊が終わった後、俺は両親に家を守れずに逃げてしまったことを謝った。そんな俺に父親は
「よく頑張ったな」
と言って頭をクシュクシュと撫でてくれた。
その日は久しぶりに家族三人でファミレスに行って夕食を食べた。俺はハンバーグの定職にデザートでアイスを食べた。
らくだ奇譚 らくだよだれ @rakudayodare
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
フォローしてこの作品の続きを読もう
ユーザー登録すれば作品や作者をフォローして、更新や新作情報を受け取れます。らくだ奇譚の最新話を見逃さないよう今すぐカクヨムにユーザー登録しましょう。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
関連小説
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます