コーヒー農園でつかまえて

愛工田 伊名電

The Catcher in the coffee


 こうして話を始めるとなると、君はまず最初に、僕がどこで生まれたかとか、どんなみっともない子ども時代を送ったかとか、僕が生まれる前に両親が何をしていたかとか、その手のデイヴィッド・カッパーフィールド的なしょうもないあれこれを知りたがるかもしれない。


 ふう。いや、コレ一回やってみたかったんだよね。悪いね、おおよそ100文字も付き合わちゃって。

 いや、僕自身、ぜんぜんホールデンみたいな感じじゃないんだよ。『インチキ』って言ったこと1回も無いし。小説家のお兄ちゃんも、死んだ弟も、かわいい妹もいないし。妹と動物園に行って、雨の中、妹がメリーゴーランド乗ってるの眺めて、幸福感を感じたことも無いし。


なんなら、今から始める話はああいう『青年の社会に対する反抗』的な話よりか、もっとSFとか、ファンタジーな感じだと思う。

 それか、そういう賢い設定より、もっともっと馬鹿馬鹿しい感じの。


 えっと、信じてくれなくてもいいんだけど、僕が風呂に入ったらね、風呂がコーヒーになるんだよ。

 いや、汚さの比喩表現じゃなくって。本当にコーヒーになるんだよ。ブラックの。

 そうそう、カフェオレにも出来るし、コーヒーゼリーにも出来るし、そのコーヒーでティラミスも作ってもらったよ。うん、美味しかったよ。何せティラミスだからね。


 で、なんでこんな体になっちゃったかっていうと、僕は大学受験の勉強の時、ずっと、ひたすら無糖のコーヒーを飲んでたんだ。

 本当にずっとだよ、一日中さ。だって、一日中勉強してたからね。


 いや、じわじわとコーヒー豆になっていった訳じゃなくて、急にコーヒー豆になったんだ。 だから、知らない間にお風呂が真っ黒になっていた。そりゃ、両親はとっても驚いてたよ。 僕が変なイタズラをこんな時期にするような人間じゃないってのはもちろん知ってたから、焦った顔で「病院で診てもらおう」って言ってくれたんだ。

 でも、大学受験っていうのは、人生が決まる大事な時期だから、どっかの大学に合格したのがわかってから、病院で診てもらおう、ってことになった。


 で、嬉しいことに第一志望のコロンビア大学に合格して、その日は家族と友達でパーティーをしたんだ。

 自分がコーヒー豆だってことなんか忘れて、めいっぱい楽しめたよ。食卓にコーヒーも出なかったしね。

 そして、入学式とかが色々終わってある程度時間がとれた日に、病院に行って、僕の体を診てもらったんだ。


 お医者さんは、平均的な18歳の男性のデータと大差ない体です、お宅の息子さんは健康です。って言ったんだ。でも、ちゃんと調べたいものですから、息子さんが入った風呂の残り湯を調べさせてください、って言ってくれた。

 もちろん、うれしかったよ。僕がコーヒー豆になっちゃった理由が分かるかもしれないんだからさ。


 そして、お医者さんが言うには、僕の体から出る細かな垢は、全部コーヒー豆のDNAを持って出てくるらしいんだ。

 でも、僕の皮膚組織の中にはどこにもコーヒー豆のDNAは入っていないんだよ。親戚にコーヒー豆はいないし、人間が突然変異でコーヒー豆に近づく可能性は0に限りなく近いだろうし。


 両親はそうとう焦ってたようだけど、だんだんどうでも良くなったのか、僕がお風呂に入る順番を最後にする、ってことで解決してる感じにしたんだ。

 その後診てもらった病院からも、お医者さんからも連絡が来ることもなかった。

 どっか偉い機関で研究してるんだろうな、何年後かに研究結果を知らせてくれるんだろうな、何年後かにノーベル賞を受賞してるお医者さんの横に立ってるんだろうな、とかうっすら考え続けて、結局、7年が経ってたんだ。


 これからも、僕がコーヒー豆ってことはずっと治らないまま、生きていくんだと思う。

 子どもとお風呂に入る時も、お父さんになった僕だけは、子どもの世話はお嫁さんに任せて、僕だけリビングに居て、テレビを見て、やり過ごさなきゃいけなくなってしまうと思ってる。

 でも、なんでか悪い気はしてないんだ。子どもをあやすのは僕じゃないからね。


 ちょっと馬鹿げたこと言うけど、僕にはなりたいものがあるんだ。とにかくね、僕にはね、広いコーヒー農園やなんかがあってさ、そこで小さな子どもたちが、みんなでなんかのゲームをしてるとこが目に見えるんだよ。何千っていう子どもたちがいるんだ。そして、あたりには誰もって大人はいない。誰もってだよ。僕のほかにはね。で、僕があぶない崖のふちに立っているんだ。僕のやる仕事はね、誰でも崖から転げ落ちそうになったら、その子をつかまえてやることなんだ。『コーヒー農園のつかまえ役』、そういうものに僕はなりたいんだよ。馬鹿げていることは知っているよ。でも、ほんとになりたいものといったら、それしかないね。馬鹿げていることは知ってるけどさ。


 そりゃ、無理のある妄想だとは思うよ。コーヒー農園の中に崖があるのかとか、子どもはコーヒー農園を走り抜けることに楽しさを見出すものなのかとか、そもそもこんな都会に住んでていきなりブラジルに行って大丈夫なのかとかね。

 僕としては、大丈夫な気がするんだ。実際僕は今カフェオレを飲んでるけど、健康に害を及ぼしてる、っていう風には見えないでしょ。


 まあ、僕みたいな人間が人生を楽しめてるんだから、君だって大丈夫だと思うよ。

 問題を早いとこ解決するのも大事だろうけど、流して見て見ぬふりっていうのも、案外いいもんなんだよ。

 気持ちが一瞬で楽になるっていうのかな。


 じゃあ、僕はこれで。

最後にもう一回言うけど、君は大丈夫だよ。だって、僕が大丈夫なんだからね。

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コーヒー農園でつかまえて 愛工田 伊名電 @haiporoo0813

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