第20話 親友と恋人


 広之にお別れを言った次の日の夕方、クラスの友達との再会を済ませて帰ってくると、家の前に見覚えのあるベンツが横付けされていた。

 何これ。

 答えは既に出ていたけど、思い浮かべないようにして玄関のドアを開いた。

「あ、帰ってきたわ! 友也ー! お友達ー!」

 母さん、そいつは友達じゃない、友達じゃなくて――。

「三上!」

「やほ」

 手を上げた三上がうちの食卓テーブルに着いてお茶を出されていた。

「なんで?」

 違和感しかない光景に立ち尽くしてしまう。

「友也を心配して来てくれたんだってさー」

「手土産も山ほど持って来てくれてなあ」

 兄と父さんは酒が入っているらしく既に顔が赤い。

 テーブルには酒だの肉だのフルーツだのが強奪してきた戦利品のように山になって載っていた。

「手土産じゃなくて、お中元の流用なんですけどね」

 アハハと笑う三上に、兄と父さんもアハハと笑った。

「アハハじゃなくて……」

「いやあーこんないい酒をこんなにたくさん」

 父さんが突然感涙を始めた。

「うちはいつも余らせちゃうんで。あ、お母さんも座って下さい、この桃美味しいんで一緒に食べましょう」

「食べる食べる! さっきのメロンも美味しかったわー」

 キッチンから出てきた母さんの手にもワイングラスが握られていた。

 三上の横に立って、すっかり浮かれた家族を残念な気持ちで眺める。

「酒でうちの家族を懐柔したな?」

「懐柔だなんて、仲良くなっただけだよ。さ、友也も早く」

 椅子が引かれて、気持ちの整理がつかないまま腰を下ろした。

「うちの住所なんでわかったの?」

「ここから転送されてきた封筒があったから」

 さらっと種明かしする三上に二の句が継げない。

「本当に友也がお世話になってえー」

「いえいえ、部屋も余ってますから」

 嘘つけ! でかいベッドのある寝室しか無いだろ!

 酒を注がれる母さんに嫌な視線を送ってみるものの、全く目が合う気配は無い。

 俺はやけになって切られた桃を頬張った。美味い。

「あ、そうだ、引っ越しするって聞いたので、幾つか不動産屋から物件情報を貰ってきました」

「え?」

「あらあ、わざわざ?」

 三上が茶封筒から書類を出してみんなに配り、俺にも一部寄こした。

「知り合いの不動産屋に条件がいい物件を幾つか送って貰ったんです」

 三上がにこやかに言った通り、物件はどれも立地が良かった。大学から三上の家の間にあって、交通機関も徒歩圏内。スーパーやドラッグストアも近く、さらにどう考えても価格が見合っていなかった。

「あら! ここってこんなに安いの?」

 母さんが身を乗り出して三上に書類を見せた。

「ええ! 築浅ですし、上階なので見晴らしもいいですよ。直通エレベーターに、コンシェルジュも常駐して――」

 俺は三上の頭を引っ捕まえた。

「コンシェルジュは絶対おかしいだろ!」

 盛り上がる家族に隠れて問い詰める。

「ばれた? あれは俺のセカンドハウス」

「セカンドハウス」

 そんなもんまで持ってたのか。いやセカンドハウスってなに?!

「だからタダでもいいよ」

「やかましい!」

 混乱した俺は三上の頭を捨てた。

「友也がいいならこのまま家で一緒に住みたいんですけど」

「あら、それは悪いわよ」

「家賃いくらだよ! 料理も掃除もしてくれて! 無理!」

 俺は喚いたが、酒が思いの外入っているらしい家族は、引き続き盛り上がって収拾が付かなかった。




 俺の部屋に三上がいる。なんか変な感じだ。

「ここが友也の育った部屋かー」

 きょろきょろする三上にため息が出る。

「俺のとかそういうことじゃなくて、三上が狭い部屋にいるってところに違和感があるわ」

「そう?」

 実際俺の部屋は三上のクローゼットルームよりも狭い。いや普通の六畳間だけど!

「それで、なんで来たの?」

 俺は最初の疑問に立ち返った。

「もちろん会いたくて」

 にっこり言われてしまうと返事のしようがない。

「思ったよりも元気そうでホッとした」

「大丈夫だって言ったろ?」

「本当に? ずっと大丈夫だった?」

 覗き込まれると嘘は言いにくい。

「そう言われるとまあ、時々すごく会いたくなったけど」

 正直に言うと、三上はちょっとびっくりした顔をして、それから嬉しそうに「友也はやっぱり甘いね」とちょいっと肩を上げた。

 照れくさい気持ちがしながら、向かい合って、敷かれた布団の脇に座っている自分たちに笑ってしまう。

 なんだこれは、新婚初夜か。

 昨日は広之の実家でたくさん泣いて、今日はクラスのやつらが俺を心配してシクシク泣くのを見て、気持ちはずっと安らかになっていた。

 今日も俺の知らない広之の思い出を幾つも聞いた。

 この先、広之との思い出が増えることは無いけど、これからも色んな人の思い出の景色の中に広之が存在し続けるんだと実感することができた。

 そして俺も、広之の親友として記憶され続ける。

 深い安堵感が胸に満ちて、これが三上の求めるものなんだとよく分かった。

「友也?」

 黙った俺を三上が心配そうに見る。

 ああ、これからは三上を心配させないように気を付けないと。

 俺が手を出すと、三上は王子様みたいに手の甲にうやうやしく唇で触れた。

 くすぐったくて、あったかい。

 顔を寄せると、三上の顔も寄ってくる。重なる唇の収まりの良さにホッとする。

 俺が積極的にキスを仕掛けると、三上の唇から緊張感が感じられて可笑しい。

 布団に押し倒して、三上の上に跨って困った顔を見下ろした。

「隣にお兄さんがいるんじゃない?」

「あんだけ飲んだら起きないよ」

 三上の口に舌を突っ込んでペラペラの舌に絡める。行きの車の中でされたように、しつこく唇に吸い付いてやり返すのも忘れない。

 大きな手が背中を滑っていって、唇の濡れた音に気分が一段高まった。

「友也」

 キスの合間に名前を呼ばれるのも凄く好きだって言うべきかな。

「んー?」

 あー匂いも堪んない。このやたら高いボディークリームの香り。俺も使っていいよって言われたけど、この匂いが三上から香ってくるのが好きだから使ってない。本当これ興奮する。

 三上のシャツを捲って、汗ばむ胸に鼻を擦りつけた。

「友也」

「なに?」

「ここでするの?」

「ベンツの中でするのか?」

「そうは言わないけど……」

 珍しく歯切れの悪い三上を改めて見下ろした。

「勃ってるよな?」

「勃ってるよ」

「じゃあなに?」

 困った顔の三上に首を傾げる。

「このまましたら、俺と一緒に住んでくれる?」

「そんな交換条件があるか!!」

 俺は思わず声を張った。

「だってさっき無理だってハッキリ言ったから……」

「無理だろ! そりゃ俺だってジェットバスとかおっきいベッドとか美味しい料理とかいつも清潔な空間が恋しいよ!」

「俺と一緒にって部分は恋しくないの?」

 三上が不満顔になる。

「恋しいよ!」

「じゃあ一緒に暮らそう? 今まで通り」

 三上の両手が俺の太腿を撫でさする。

 今まで通り? そんなの、そんなの全然嫌じゃない。

 でも俺はこれまで一般市民として育ってきたんだ。一般市民としての常識的な感覚がちゃんと備わってて、ちょっと不安定になっていた今までは頼ることに言い訳ができたけど、これからはそうはいかない。

「いくら払えばいいんだよ……あんな暮らし」

 唇を尖がらせて呟く。

「お金なんて要らないって分かってるだろ?」

「それじゃあ俺も俺の親も納得できないんだよ! まだ会った事もないお前の両親に申し訳ないだろ!」

「なにが?」

 呆れが過ぎていったん目を閉じた。

「友也?」

「三上のご両親は俺の面倒を見させるためにお手伝いさんを雇ってるわけじゃないだろ! いくらお金があるからって、俺が生きるのに必要な費用をご両親に払わせるわけにはいかないんだよ!」

「うちの親は払ってないよ?」

「はあっ?」

 いよいよ声が大きくなってしまった。

 三上は俺を太腿に乗せたまま、上半身を起こしてにこにこと笑顔になった。

「俺、会社をひとつ持ってるんだよね」

「……」

 やばい、また意味が分からない話が始まる。絶対に間違いない。

「ちょっと趣味で立ち上げた会社だからそんなに大きいわけじゃないんだけど、みんな若くてやる気もあって、意外とすぐに収益も――」

「もういいです! もういい!」

「え?」

 俺は三上から降りて正座になった。

「あの、つまりそれはどういうこと?」

 三上は少し間を取って、俺が知りたい情報だけを脳内でピックアップした。

「簡単に言うと、俺はすでに一人立ちしてるってこと。まあ大学までは兄弟全員出すって親が決めてたみたいだったから、近いところに通ってる。おじいちゃんが死んで、俺にはたくさんの人との共有が必要だったしね」

「そ、そう」

 頑張れ俺の脳みそ。

「まあとにかく、今の俺の生活は全部自分の収入で賄ってるから、俺の親に気を遣う必要は一切ないってこと。まあ収支は見られてるけどね」

 にこっじゃないよ。

「……つまり俺は完全に三上の世話になってたってことか」

「そういうこと」

 いつ? こいつにいつ会社をやりくりする時間があったっていうんだ?

 てかなんの会社? レザーサンダルを作ってる会社かな。

 気になる、でも知りたくない。

 三上の両手が俺の顔を包む。その手の温かさに混乱は自動的に収束していく。

「ね? 一緒に暮らそう?」

 なにが「ね?」なのか全く理解できないのに、どうして頷いてしまいそうになるんだろう。

 いやどうしてじゃない、分かっている。あの暮らしじゃない、俺は三上にそばにいて欲しい。

 今更別の家に住んで、昼休みに一緒に昼食を食べて、帰りに出掛けたりした後、一人きりの家に送ってもらっておやすみを言うなんて、そんなの堪えられない。

「別の家に住んだって、結局一緒にいるんだったらそれこそお金が勿体ないよ」

 ああどうしよう。でもきっとそうなる。

 両手で顔を覆った俺に、三上が落としにかかるトーンで囁く。

「一緒にお風呂に入って、ちょっとお酒飲んでテレビとか見てさ、気持ちいいことしてそのまま寝るの、友也も好きだろ?」

 あーくそっ! そんなこと言うなよ! 無理だ、好きじゃないなんて言えない。一生それがいいって思ってる。

「……ずるいよそんなの」

「そんなのってどんなの?」

 三上がくすくすと笑って俺の耳に噛み付く。

 あー止めろ! 気が散る!

 はぁ、だめだこれはもうきちんとするしかない。

 俺は決心し、顔を上げた。

「親にちゃんと話す」

「え、俺と付き合ってるって?」

 三上が目を丸くした。

「いい?」

「もちろんいいよ!」

 ぎゅうっと抱きしめられて、俺も三上の背中に腕を回す。いい匂いを吸い込んでみるけど、さすがに性欲は湧かない。

 ああなんて言おう。付き合ってるんで同棲させて下さいって言うのかな。

 結婚を前提にお付き合いしてるわけでもないのに? でもそもそも結婚はできないし、いや違う、まだ大学生だった。同棲ってどうして反対されるっけ? 親に学費を払ってもらってるからだよな。生活費は多分三上が全部払っちゃうんだろうな。そんなの駄目だよな。バイトしたらなんとかなるかな。あー……。

 そもそも会わせるときにはちゃんと言おうって思ってたのに。ちゃんと心の準備がしたかった。突然来やがって、三上のばかやろー。

 心がぶるぶると震える。

 俺も広之みたいに一息で言わないと無理かも。

 俺は目を閉じて、あの日の広之から勇気を分けてもらった。



 意気込んで朝を迎えたものの、父さんと母さんは二日酔いになって寝ていた。

 気が抜けて兄と三人でフルーツ多めの朝食を取る。

「お兄さんはお酒が強いんですか?」

 すっきりと目覚めた兄に三上が訊ねた。

「いいや普通だと思うよ。あの二人が飲みすぎなだけだよ」

 兄が三上に笑い掛ける。俺は首を傾げた。

「なんであんなに飲んだんだろ。そんなにいいお酒だったの?」

「まあそれなりのお酒だと思うよ、送ってくれた人的に考えて」

 三上が送り主のことを思い浮かべる表情をした。

 送った人もまさか見ず知らずの庶民に飲まれているとは思っていないだろうな、申し訳ない。

「お酒もあるけど、友也が思ってたよりも元気になったからだよきっと」

 兄が俺を見てそっと笑った。

「そうなの?」

「お金を気にして引っ越しを言い出したんじゃないかって心配してた。広之君の家に行くのも、本当は無理してるんじゃないかって、俺も心配だった」

「……そうだったんだ」

「あんな風にしがみついて泣くのなんて、子どもの時にも無かったから。お前は度胸があったし」

 兄の細められた目に、去年のあの日が脳裏をかすめる。

「そうじゃないよ、兄貴がいつも一緒にいてくれたから平気だったんだよ」

「そうだったのか?」

「うん。お通夜も、お葬式も、おとといも、兄貴が手を繋いでくれてたから大丈夫だった」

「そっか、まあ、兄だからな」

 ちょっと照れくさそうにする兄に、つられて俺も照れくさい。

「そういや、どうしてあんなに辛そうに広之の遺影を見てたの?」

「どうしてって?」

「兄貴はそこまで広之と交流があったわけじゃないから」

 兄は視線を彷徨わせた。

「そうだな、知っている年下の若者がっていうのももちろんあるけど、友也だったらって、そう考えたからかな」

 ああ、そういうことか。

「広之君のおじさんとおばさんの心中を考えると本当に胸が裂けそうだった。こんな悲しいことが起こるんだって。遺影を見てたら友也が心配で堪らなくなった」

「そうだったんだ」

「うん。だから、無理はしなくていいからな? 自分を大切にするんだぞ?」

 そっか、うん。分かったよ兄貴。

「俺さ、三上と付き合ってるんだ」

「……えっ?」

 兄が変な声を出して、俺と三上を見比べた。

「この流れで?」

 三上も驚いて、俺は笑ってしまいながら兄と目を合わせた。

「俺、三上がいなかったら今もあの部屋から出られてなかった。広之に会いに行けてたかも分かんない」

「そう、なのか」

 驚く兄に、しっかりと頷いて見せる。

「三上はさ、俺に色んなことを話してくれるんだ。なんてことない話も、大切な人を亡くした話も。俺も思い切って話したらさ、自分の中でただずっと抱えてても、寂しいのは消えないって分かった。三上がこのままじゃダメだよって言ってくれたから、ちゃんとお別れしようって思えたんだ。これ以上、三上に心配かけたくなかったしね」

 俺はテーブルに乗った三上の左手を握った。

「心配なんて、いくらでもかけていいのに」

 眉を寄せた三上に、首を振る。

「俺がそうしたかったんだよ」

 ガタっと椅子が音を立て、兄が立ち上がった。

 兄は無言で俺が掴んだ三上の左手と、俺の右手を離した。

「え、ちょ……」

 まさか、そんなのダメだと言われるのかと思ったが、兄は俺の左手を引っ張って三上の左手に握らせると、自分は俺の右手を握った。

「兄貴?」

「こっちは、俺のだから」

「は?」

 兄はむっと口を閉じて、俺の手をぎゅうっと握った。それから三上に鋭い眼差しを送ると、「三上くん、友也をよろしく」と頷きながら言った。

「は、はい!」

 返事をした三上に、兄はほっと息を吐いて、俺をふんわりと微笑んで見た。

「兄貴……」

「友也が元気でいられるなら、俺はそれでいい」

 俺の腕は意味不明に交差して二人に繋がれていたが、兄が認めてくれたようだから、嬉しかった。





 結局、南と綾部との旅行は叶わなかった。二人が気を利かせて俺たち二人きりで別邸に行かせたからだ。

 サプライズだったそれに俺は怒ったけど、大きな窓から海の見えるそこで、カーテンもせずに一日中いちゃつきまくったのは最高に幸せな時間だった。

 一周忌の墓参りも済ませ、広之と、そして両親にも俺と三上の関係を告白した。

 予想通り一緒に暮らすことには難色を示されたけど、三上が自分の会社についての詳細と、経営状況についてのスピーチを決め、さらには兄の口添えもあって、幾らかの家賃と、家の家事を俺がやるということで同居が許可された。いや同棲か。


 それからは、人生が上向いていると感じられる毎日だった。

 夏休みが明け、三上は毎日俺の元にやってきて俺を笑わせて去って行く。

 俺だけじゃなくて、俺の周りにいる人間みんなを笑顔にする。

 いつも三上の視線の先に自分がいるのがわかった。顔がニヤついてしまいそうで、一番遠くに座ってみたりするけど、三上は俺にだけわかるように微笑んで見せたり、まるで手品みたいなタイミングでメッセージを送ってきたりする。そして名残惜しいくらいのタイミングで去っていく。

「遊び人って聞いてたけど、もてるのわかるわ、すげーいいやつ」

 俺も心からその意見に同意した。でも同時に、あまりに俺の心を盛り上がらせるのが上手い事実が、遊び人という可能性も肯定した。悪い気はしてないけど。


「三上は、ほんとうまいよね」

 キスの合間にそう言うと、「今の好きなの?」と繰り返して舌が絡む。

「そうじゃなくて、みんな三上を誉めてたよ。面白いしいい奴だって。何人かの女子は君を好きになったかも」

 見る目でわかる。期待が彼女たちの目に浮かんでいる。こんなにも自分を楽しませてくれるならと期待している。

「まあね」

 三上は笑って俺の髪に手を差し込む。

「まあね?」

 笑う俺の頬を三上の視線が撫でた。

「いいやつになることが俺の一つの目標だからね」

「いいやつになることが?」

「そう、誰からも好かれるいい奴。結構難しいんだよ? 空気を間違うとふざけた奴だと思われるし、気の多い奴だと思われたりする。実際、俺のことをよく知らないやつはそう思うだろうしね」

「そうだね、俺も思ってた」

「今は?」

 頬を嗅がれて目を瞑る。

「思ってないよ」

 三上の視線が俺のと合わさった。

「俺は友也が好きだ。友也だけが好き。友也のために周りのみんなを楽しませるよ」

 三上の目の色が変わる。俺は言葉を失って、その不思議な色にすっかり見惚れる。

「そしたら俺がいない時も、友也は楽しくいられるだろ?」

 いない時も。

 その言葉だけで胸が痛い。俺はもう三上いなくなると想像するだけで辛くなるほど彼を好きになっている。

 やっぱり三上は遊び人の才能があるんだろうな。その気になれば誰だって三上のものになってしまう。

「もっと……」

 一緒に居たいという言葉は、わずかに残っていた羞恥心で飲み込んだ。

 三上は俺の言葉を勘違いして本格的に俺の体を撫でまわし始めた。

 一緒に居たいという言葉とセックスを求める言葉と、いったいどっちが大切な言葉なのかな。

 同じ家で暮らしているっていうのに、これ以上どうやって一緒にいるつもりなんだ俺は。

 好きの底知れない欲深さに心が震えた。


 そばにいないと疎遠になる。それが嫌で俺と広之は一緒に暮らした。でも結局俺たちの人生は分かれた。

 俺は広之を信頼していた。だから彼の人生に疑問を抱いたりはしなかった。

 彼の判断を尊重していたことを間違っていたとは思わないけれど、死んでしまった。

 三上は俺を知ろうとする。俺に三上を教えてくれる。感情のままに自分を変えて、正しいと思えば俺を連れ出す。

 もし、俺が広之が好きだと自覚していたら、きっとあの先輩を良く思わなかっただろうし、疲れた広之を送り出したりしなかったろう。悔しくてやるせない。けれどももうその感情に爆発的なものは付随しなかった。





「俺は変わったのかな」

 乗りなれたベンツが信号につかまったところで、三上が呟くように言った。

 それが会話の始まりなのかただの呟きなのか判断しかねた。

 三上は前を向いたままで、右手をハンドルのてっぺんに握らせ、続きを溜めた。

「なにが?」

 耐えかねて返事をすると、「独占欲の話」と三上の言葉が返ってきた。

「俺が前の自分に戻るってことは、この関係が終わるってことだ。それとも俺はもう独占欲を知ってしまったから、前のようには戻らないのかな」

 信号が変わって、少し乱暴にアクセルが踏まれる。

「友也はそうならないで欲しいと思ってくれる?」

 独占欲か。

 三上を変えてしまったことには今も少し罪悪感がある。明らかに前よりも関わる人の数は減ってしまっただろうし、俺はそのおかげで立ち直ることができたけど、三上にとってはそうじゃない。

 でも前のように自由にいろんな人と関わって欲しいとは思えない。そこに体の関係は無くても。

「嫌だよ」

「え?」

「俺は前にも言った通り、たった一人の特別になりたいし、相手もそうであって欲しい。三上がそれじゃあ物足りないならうまくはいかない。だからこのまま俺だけを想っていて欲しい」

 これは一般的な欲求だって思っていた。でも今は少し胸が痛い。

 これは我儘だ。たくさんの人が広之を覚えててくれるんだってことに俺は救われたのに、三上がそれを求めてるって分かってるのに。

「ごめん」

「違うよ、それでいいんだ」

 三上が俺の手を取って指先に口付けた。

「俺さ、うずうずしてるんだ。今までずっとオープンに生きてきたから。俺の今をぺらぺら誰かに喋りたくて堪らない。俺は今人生が変わるほど友也が好きだーって、誰彼かまわず教えて回りたいんだ」

 俺の喉がくつくつと鳴った。

「なんで笑ってんの?」

「三上は何も変わってないよ、俺のために無口でいてくれてるだけだよ」

「いや厳密には違うんだよ。ぺらぺら喋りたいのは、オープンにして友也は俺のだって周りに釘を刺したいんだからさ。独占欲のその先に行っちゃいそうなんだよ。どうかしてるよ」

 だから、俺を誰かが取ったりするはずがないんだってば。

 でもそうか、それなら三上の望みも叶うのか。関係をオープンにすれば。

 心の中に、父さんと母さんと、兄の顔が浮かぶ。二人の友人と、綾香。

「言ってもいいよ」

「え?」

「俺は三上が好きだって、誰に知られても構わない」 





 空っぽになった本棚を退けて、隠していたドアを開いた。

 何もない部屋に、窓を開けて空気を通す。

 一緒に暮らした五カ月、そのうちの一体何日を思い出せるだろう。

 止めよう、きっと悲しくなる。


「友也がいると頑張れる気がする」


 そう言って、それが最後になってしまった。

 俺はその言葉に素直に喜んだけど、あの時すぐに「俺もだよ」って、そう言えてたら、広之はきっと少し笑って俺を見ただろう。そんな一瞬でも広之を引き留めていたら、何かがかわったのかな。

「友也」

 振り返る隙も無く後ろから抱き込まれた。

「一人で泣かないで」

「ごめん」

「ここの荷物も積んでいいですか?」

 後ろからハキハキとした引っ越し業者の声がして、俺たちを見つけて戸惑った間を空けた。

 三上は俺をかばうようにして、「はい、そっちに出てるので全部ですから」とハキハキ返事をした。

 引っ越し業者はほっとしたように、「かしこまりました」と踵を返し、気を利かせて部屋の戸を閉めていった。

「ごめん、すぐ泣き止むから」

「いい、ちゃんと泣きなよ。引っ越しは俺が全部やるから」

「頼りになるね」

 ぎゅうっと腕に力がこもって、「任せろ、俺は金持ちの三男坊だ」と得意の文句を言った。

「三上がいると頑張れる気がする」

 思わずそう口にしていた。

「俺もだよ」

 すぐに返ってきて、顔を上げた俺を不思議そうに覗き込んでくる。

「どうした?」

 ああ……違う、俺はこんな風に広之を見ていなかった。

 あの時、俺は迷ったわけじゃない。そばにいられないことは寂しかったけど、友達がたくさんできた親友に、充実した毎日を楽しんできて欲しかった。

 あの日も俺は広之の親友だった。心の底から。


「三上、好きだ」

「うん、俺も友也が大好きだ」





***





 広之、俺は今オーロラを見にカナダに来てるよ。

 了解を取ったって俺の恋人は言い張ってるけど、どう考えても寝ぼけてる時間の話だったよ。

 まあものすごくいい席で、快適な空の旅だったけどね。

 オーロラは出るかな。

 出るまで粘るって言い張ってるから、さっさと出てくれるといいんだけど。

 そういえば天国に夜ってあるの? 天国なんだし、オーロラくらいバンバン出て欲しいよな。流れ星もバンバン降ってきてさ。

 ここはそんなわけにはいかないから、俺は出るまでみんなに絵葉書でも書くことにするよ。 





***





 友也、俺は今……にいるよ。

 さっき着いたんだ。結構な長旅だったよ。まあ疲れたりはしないんだけど。

 とっても景色のいいところだよ。のんびり待ってるからゆっくり来て。絶景スポットを調べつくしておくから。

 桜も咲いてるんだよ、高校の卒業式を思い出すよ。懐かしいよな。


 あ、だめですよ川俣先輩!

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