第19話 お別れの日
小さい頃、四つ上の兄はいつも俺のナイトだった。
兄が居れば両親は必要なかった。初めてのことも、初めての場所も、兄の手さえあれば少しも怖くなかった。
年上の兄や姉に嫉妬心や対抗心を燃やす弟妹たちが不思議で仕方なかった。俺の兄はいつも優しく、俺を護ってくれるから。
広之のお通夜に駆けつけた時、パニックを起こした俺が頼ったのも兄だった。兄は親友を亡くした俺のために車で一時間半かけて帰って来てくれて、いつも通りに俺の右手を握ってくれていた。
今日もあの日と同じように雨が降っていた。
まとわりついてくる湿気と雨音が、普段よりもゆっくりと世界を回しているように感じる。
俺が逃げ出したあの日の再現のようで、心は少し萎えてしまう。
「いらっしゃい、元気だったかい友也くん」
「はい」
本当はいいえと言うべきだった。それが事実だったし、こんな時に嘘は良くない。でも、はいと言う以外になかった。
父と母が広之の両親と言葉を交わしている横で、俺は線香の香りが漂ってくるリビング横の和室に吸い寄せられるように足を進めた。
そこにいる。行ってしまったっきり帰ってこなかった親友が。
目の当たりにする直前、兄の手が俺の右手を握った。
「広之」
大きく引き伸ばされた写真で笑う広之は、なぜだか幼く見えた。大学入学の時の写真だろうか、見慣れないスーツ姿だ。
ふいに兄の手に強く力がこもって、見ると苦しそうに顔を歪めた兄が遺影に目をやっている。
そうか、兄は俺についていてくれてたから、遺影を見るのは初めてなんだ。
繋いだ手を握り返すと、それに気付いた兄が俺を見て、「大丈夫か?」とナイトに戻った。けれど囁く兄の声の方が細く、力なく聞こえて、俺は少し心配な気持ちになった。
兄が広之に会ったのは数回だ。会話はあったけど、深く関わったわけじゃないのに、どうしてそんなに辛そうなんだろう。
「大丈夫」
幾らかは兄を励ますためにそう返事をして、もう一度広之の写真を眺めた。
やっぱり幼く見える。高校生になりたてみたいだ。
たった一年距離が開いただけでそんな風に見えてしまうものなのかな。
遺影の横には箱があった。光沢のある模様の入った布張りの箱。
俺よりも大きかった体が、燃えてあれだけになってしまったんだと思うと、やっぱり涙が滲んでしまう。
兄にハンカチを渡されて目を拭った。
「友也、大丈夫か」
後ろから父さんの声がして、あったかい手が俺の背中を撫でてくれた。そしてその手に促されて、母と四人で線香をあげた。
沈黙の後、両親が立ち上がってリビングに向かい、俺と兄を置いてそっと和室の引き戸を閉めて出ていった。
広之のご両親との会話が不明瞭な音だけになって耳に届く中、線香で霞がかるような室内で、ただぼんやりと広之と向かい合った。
広之、会いに来たよ。
遅くなってごめん。
すごく驚いてさ、勇気が出なかった。
一年もかよって? そうだよ、それくらい衝撃だったんだ。
言ってなかったけど、実は俺、あんまり大学生活がうまくいってなかったんだ。色々と理由はあったんだけど、楽しそうな広之にも正直ちょっと嫉妬してた。
何もかもうまくいく気がしなくて、広之は帰ってこないしさ。
モチベーションクライシスってやつだって、新入生にはよくあるらしいよ。そんな時に死ぬんだもん、俺のやる気は消滅したよ。まじで空っぽ、すっからかん。意識がどっかに飛んでっちゃうくらい。
でも、お前の方が驚いたよな。
ぐっすり眠ってたんだって? 死んだって分かんなかった? 怖くなかったか? 痛くなかった? そうだったらいいんだけど。
いや、よくねーよ!
疲れてたなら行かなきゃ良かったんだよ! 流されるなって言ったろ? あの日は家に俺がいたじゃん! やっぱ行くのだりーとか言ってさ、俺の布団でひっついて寝てたら良かったんだよ! そしたら、そしたら……。
手の甲に三上の唇が触れた気がした。実際には兄の指先だと思うけど。
元気な奴らで行かせとけば良かったんだよ。
もっと一緒にしたいことがあったろ? 俺とさ。
俺はあったよ。だから、お前もあったよな。
兄のハンカチは涙をよく吸ってくれる。
タオルハンカチなんて絶対自分で買わないだろ。白状しろ兄貴。
引き戸が開いて、俺の隣に広之のおばさんが座った。
隣にいた兄が立ち上がって、俺の肩に手を置いて部屋を出て行った。
「お部屋、引っ越すんですって?」
「はい」
鼻をすすって頷く。
「どうしてすぐ出なかったの?」
おばさんがティッシュの箱を取ってくれた。
「なんていうか……帰って来るような気がして」
「そう」
鼻をかむと、線香の香りと、飾られたお花の香りが鼻腔に戻ってきた。
「ちゃんとお葬式に参列できなかったからそんな風に思うのかなって」
「それはどうかな」
「え?」
おばさんは前を見たままちょこっと笑った。
「私もまだどこかで信じられてないの」
「そう、なんですか?」
「そうよ」
おばさんは軽く言って背筋をすっと伸ばした。
「お葬式もしたし、火葬される時も嫌で嫌で涙が止まらなかった。それでも骨を拾って、たくさんお別れもして、色んな人に慰めてもらって、思い出も整理した。でもまだ信じられない」
俺は涙が出たけど、おばさんは泣かなかった。
体が悲しみに慣れてしまったのかな。そのうち心も慣れていくのかな。俺も。
嫌だな。
広之の思い出が薄れていってしまうくらいなら、辛いままでいる方がずっといい。空っぽを抱えたままでいい。時々現実を置き去りにするくらいいいじゃんか別に。
三上は、心配するだろうけど。
悲しみに浸りたい気持ちを三上の存在が阻止する。
俺がいるのは広之の死んでしまった世界で、どう足掻いてもそれは覆らない。息が詰まるほど辛いのに、三上がいることで俺の心は救われている。
また鼻をすすり出した俺の頭を、おばさんの手が優しく撫でてくれた。
桃、ぶどう、メロンにスイカ。ポテトチップスの青のり味。
供えられたそれらを見て、俺はカバンから広之がよく食べていたソーダ味の硬いグミを出してポテトチップスの横に並べた。
角度を変えて見上げると、平面なはずの広之の笑顔が少しだけ変わって見える。
「広之って、時々柔らかい顔で笑いますよね」
「そうね、ごく稀にあるわね」
「ふんわりって感じで」
「そうそう、幸せそうにね」
おばさんが俺が置いたグミに手を伸ばしてパッケージを裂いた。
ティッシュを敷いて、グミをふたつ広之の写真の前に置くと、自分の口にもぽいっと入れた。俺にも一つくれて、久しぶりに味わう酸味がこめかみを痛くした。
「あのこって高校生の時、彼女いたわよね」
「いましたね」
「やることはやったのかしら」
俺はぎょっとしておばさんの横顔を凝視した。
「ちょっと気になるじゃない」
「どっちだったらいいんですか」
「まあ、知らないよりは知ってた方がいいかなあ」
そうか、そういうもんか。
正直まだびっくりしていて、これが正しい判断かは自信がなかったけど、「やることはやったみたいですよ」と報告した。
「へーへーへー」
急に浮かれた声を上げたおばさんに笑ってしまった。
「広之に怒られそう」
「大丈夫、私が一緒に怒られてあげるから」
「本当ですよ」
「私より先に死ぬんじゃないわよ」
もちろんこれも「はい」という以外に無い。
「でも別れたのよね?」
「そうです、クラスの柴田って男子に乗り換えられて」
「うわー不憫な子」
「本人は別れたかったみたいだから、ちょっとホッとしてましたよ」
「浮気されてホッとしてるんじゃないわよバカねえ」
おばさんが嘆いて、俺はやっぱり笑ってしまった。
「一緒にお酒も飲みたかったなあ」
祭壇にはビールも供えられていた。四月生まれの俺とは違って、広之の誕生日はもう少し先だ。
「俺、飲みましたよ」
「あら、あの部屋で?」
俺を見るおばさんと目を合わせて、「いいえ」と首を振る。おばさんが首を傾げた。
「じゃあいつ?」
「高校三年の冬です。二人とも大学に受かって、うちに泊まりに来たとき」
おばさんは視線を浮かせた。
「……あー、ご両親が泊まりに行くって言ってた」
「そうです」
「悪いことしてたのね」
くすっと笑われて、俺は身を縮めた。
「酎ハイを一缶だけですよ」
「二人でこっそり祝い酒してたんだ」
「すみません」
「いいわよ、いい思い出が聞けて嬉しい」
「いい思い出になるか分かんないですけど、そのとき酔っぱらった広之にキスされました」
おばさんは笑って天井を仰いだ。
ごめん広之。でもおばさんが笑ってくれたから許して欲しい。
「あの子、本当に友也くんのことが大好きだったもん。本気のキスだったかもしれないわよ」
「そんなんじゃないと思いますけど」
「そうかしら、一緒に住みたいんだって言った時なんてすごかったわよ。テーブルに向かい合って座らされて、いったい何を言い出すのかと思ったら、友也と一緒に同居したいんだけど! って。プロポーズでもするのかしらってくらいの真剣さだった」
「俺に言うときもそれくらいの勢いでしたよ。クリスマス一色のデパートのカフェで」
クスクス二人で笑いながら、おばさんの思い出と俺のが共有される。
クリスマスソング、大人の香水の香り、反省会。
思い出が鮮やかになって、口の中にあの時のアイスティーの味が蘇ってきた。
「デパートで何してたの?」
「彼女のクリスマスプレゼントを選びに」
「あー」
おばさんは嬉しそうにして頷いた。これもいい思い出に分類してもらえたらしい。
「何を買ったの? アクセサリー?」
「いいえ、手当たり次第に細々したものを。ハンカチとか、バスボムとかチョコレートとか」
「色気の無いお楽しみ袋ねえ」
あれを綾香は喜んでくれたけど、愛美ちゃんはどうだったんだろう。
あの時にはもう柴田とそうなっていたのかな。そうだったとしたらアクセサリーは買わなくて正解だけど、アクセサリーじゃなくてお楽しみ袋だったのが原因という可能性も無くはない。
まあいいか、別れたかったんだし。
おばさんには別れる前提だったのは黙っておこう。
「ところでどうして広之はあんなに人付き合いに自信が無かったんですか?」
「え?」
「いじめとかそういうことがあったわけじゃなさそうなのに、異常に自己肯定感が低いというか、自分は存在価値が低い、みたいなことを言うことがあったから」
おばさんはお尻をずらして脚を崩すと、「んー」と記憶を辿るように首を傾ける。
「確かに小さい頃からそういうところがあったわ」
「そうなんですか?」
驚いた俺におばさんは頷いた。
「そう、だれだれくんは誘うのに自分は誘われなかったーとか、自分だけ呼ばれなかったーとか、じぶんだけ選ばれなかったーとか、そういうことを訴えてくることは頻繁にあった気がする。別に意地悪とかじゃなくて、偶然だったと思うんだけど」
「え、それじゃあ――」
「生まれつきそういうことに敏感だったんじゃないのかしら」
「生まれつき」
直せるわけが無かった。初めからあれが広之だったんだ。
「そっか、そうだったんだ」
「人の意見に流されやすい子だったしね」
「それも生まれつき?」
「多分。まあ親としては楽だったけどね」
笑ってますけど俺は心配でしたよおばさん。流されてやることやっちゃってますからね。これも言わないでおくけど。
「死んじゃったから聞ける話もあるのは不思議ね」
「確かにそうですね」
性行為を済ませた話は絶対そうだ。
死んでしまってからも知らない広之がいる。あの空っぽなスペースに、少しだけ親友の新しい情報が保存される。
「これ、広之のですか?」
簡易テーブルに置かれた見覚えのあるスマートフォンを見つけておばさんに訊ねた。
「そう、無傷で戻ってきたの。お金を出せばパスワードを解除することもできるらしいけど、どうしようかなって。プライバシーだし、でも写真とかは見たいし」
俺はスマホを手に取った。見覚えのあるカバーにも確かに傷一つない。
広之の一番身近な持ち物が唐突に手の中にあることが、胸の中を熱くした。
プライバシーの言葉は胸に残ったけど、これもおばさんと一緒に謝って許して貰おう。
「俺パスワード知ってます」
「え?」
驚いたおばさんに頷く。
「俺の生年月日なんです」
「そうなの?」
「自分のじゃバレちゃうからって俺のにしてたんですよあいつ」
「なるほどね!」
おばさんはまた浮かれた声を上げた。
「開けます?」
おばさんは多分プライバシーについて少し考えたあと、悪戯っぽい笑顔を見せて、「開けちゃおう!」と頷いた。
スマホの電源を入れ、求められたパスワードを入れると、アイコンが並ぶ画面が現れた。
「やっぱりアルバムよね」
「そうですね!」
二人で息を吸って、写真のアイコンをタップした。
「んー」
おばさんの頭のてっぺん辺りから声が漏れた。
広之が撮った写真ばかりだから、広之の姿は多くなかった。それでも広之が見た景色なんだということが強く胸を掴む。
ざっとスクロールすると、見たことのある写真や、話にだけ聞いていたような場所。何処かのラーメン、球場、ユニフォーム姿の知らない笑顔、とぼけた顔の寝起きの俺や、ピースを突き出すおばさんもいて、一気に体温が上がって胸がいっぱいになってしまった。
「くるわね」
「そうですね」
そんなに思い出を写真に収めるタイプでは無かったはずだけど、俺にメールをくれる時は必ず今を添付してくれた。
「この人が川俣先輩ね」
おばさんの指がサムネイルに触れる。心臓が少し早まる。
「そうですね、こっちは彼女ですね」
写真の日付は事故の当日だった。
背の高い広之にぶら下がるようにして二人が笑っている。酔っぱらって現れた、あの夜の印象よりもずっと気のいい二人に見えた。広之も楽しそうに笑っていて、雑だと怒っていたあの夜に俺が抱いた、『広之は二人を疎ましく思っている』という印象とは違った。
自然の多い背景の向こう、重たい色の雲が悲しみの予感のように笑顔の三人に忍び寄っている。
「ご両親に泣きながら謝られたわ」
ハッとしておばさんに顔を向けた。
「お母さんと、お父さんの方はご病気でとても痩せていてね、必死に謝られてとても心苦しかった。もういいですって何度も言って帰ってもらった」
「怒ってますか?」
おばさんは沈黙してからすうっと息を吸い込んだ。
「初めはね、怒りが湧いた。居眠り運転って聞いて、どうしてって。でも、本人だって死にたかったわけじゃないだろうし、広之も眠ってた。痛みは無かったと思うから、それはちょっとホッとした。
「そうですか……」
そう思うまでにどれくらいかかったんだろう。
川俣さんのご両親は、彼女の親族は、生き残った女の子は、今どんな思いでお盆休みを迎えているのかな。
俺に三上が現れなかったら、今俺はどこにいて、何を思っていたんだろう。
三上は今、何をしてるのかな。
突然おばさんがふふっと笑った。
「ねえ見てこれ、友也くんの写真だけお気に入りになってる」
「え」
見ると、確かに俺の写っている写真にだけ星のマークが点灯している。
「え? え?」
どこまでスクロールしても俺が写ってる写真と動画にだけお気に入りが付いていた。
「照れくさっ!!!」
おばさんがアハハとまた天井を仰いだ。
「あの子、本当に友也くんが好きだったんじゃないかしら」
おばさんは冗談でもないような調子で言った。
「そうなのかよ! 言えよ!」
声を張って責めたけど、目の奥が痛い。今にも涙が噴き出しそうでやばい。
お気に入りだけの一覧を開くと、高校生時代の俺と広之の、子どもみたいな笑顔が並んでいる。
「あ、これお酒飲んだ日です」
「あーほんと! 顔が赤い!」
おばさんが手を叩いて写真を覗き込む。
初めて見る酔っ払った息子を、広之に似たふんわりとした笑顔で目に焼き付けている。
目じりに溜まった涙を爪で引っ掛けた。
「あ」
見つけたのは、卒業式に綾香が写した動画だった。
タップすると、あの日が再生された。
──はいかっこつけてー
なんだよそれ。綾香またビデオモードにしてるだろ!
え?
俺と綾香のやり取りと、広之の間抜けな声。
綾香に請われた抱擁の代わりに、広之が俺を簡単に持ち上げる。
どこが抱擁だ!
あーいいですねー卒業おめでとー!
煽りの角度で映された俺たちは、光る雲を背景に、桃色の花弁がふつふつと千切れて舞って、まるで夢の中にいるようだ。
記憶にある、笑って俺を見上げる広之のふんわりした笑顔と、一つになったロウソクみたいな影。
「いい動画ね」
お母さんの声が震えて、俺はうんうんと頷いた。
本当だな綾香、もうすごく懐かしい。
「もう一年も経っちゃうんですね」
「そうね」
「もっと、一緒にいろんなことしたかった」
「そうね」
「俺が好きなら俺といろよばか!」
「そうね、ばかタレよね」
そのまま俺だけ広之の家に残った。
広之のスマホの写真をおばさんと一緒に全部印刷して、おじさんと三人でアルバムに収めた。
俺と広之だけのアルバムが一冊出来上がって、俺のスマホの写真にいた広之も印刷したけど、どう考えても俺の方が多く写っていて笑ってしまった。
午後になって、ぽつぽつと広之の親戚やいとこたちがやって来た。
初対面の彼らが話す広之の思い出話を共有してもらいながら、もしかすると生きていたら知ることがなかったかもしれない親友の姿を記憶に残していく。
大抵はやらかし話で、お漏らしして着替えた途端、またお漏らしをしてパンツを取り上げられたとか、枝豆が大好きで、テーブルの下に隠れて独り占めにして食べていたとか、木登りをしたら蟻にたかられて大泣きしたとか。
広之がいたら「やめて!」って言って止められそうな話ばかりで、俺もくすくす笑いながら、時々みんなと一緒に涙をこぼした。
「高校の時に彼女がいたんでしょ?」
「はい。愛美ちゃんっていう可愛い子で、クラス中の前で告白されて付き合うことになったんですよ」
「えー?! なにそれすごい!」
「凄くまめな子で、お弁当作ってきたり、お菓子を焼いてきたりして、とても好かれてたんですけど、広之は困っていました」
「あー押しの強い子苦手だったもんねえ」
「押しに負けちゃうからな」
「そうそう! いっつもミカちゃんに命令されてた!」
「結局別の男の子に取られちゃったんだって」
おばさんが言うと、えー! と声が上がった。
「なーにやってんだよアイツ」
「本人はホッとしてました」
「アハハハ!!」
「大学生活はどうだったの?」
広之を従えてたとは思えないほど穏やかそうな女性に成長したミカちゃんが俺に訊ねた。
「充実してましたよ、いっつもスマホが鳴ってました」
「そうかあ」
「楽しそうな写真ばかりだものね」
作ったばかりのアルバムがめくられて、みんなに広之が共有されていく。
「でもやっぱ、早いよな」
「……そうだなあ」
大学生になってたったの五ヶ月。二十歳にもなっていない。
俺もこの人たちも、これから広之のいない人生を何十年と生きていく。
この光景もあの部屋に保存して、ずっと忘れないでおこう。
夕暮れの道を歩きながら三上に電話を掛けた。
「友也、大丈夫?」
「うん、さよならしてきた」
「……外にいるの?」
「そう、ちょっと歩きたくて」
広之の家からうちは徒歩だと三十分くらい掛かる。それでも車だと五分ほどの距離だから、わざわざ迎えに来てもらうのは申し訳ない。それに、言った通り少しだけ歩きたい気分だった。
「この時間が車から一番見えにくいから気をつけてね」
「うん」
三上の声を脳に響かせながら、ぽてぽてと歩く。
雨が上がったばかりで湿度が高い。でも空はすっかり晴れて、向こうには一番星が見える。
胸の中に切なさと清々しさが混在している。三上と繋がっているから、少し心地いい方が勝ってる。
「本当に大丈夫なの?」
「うん」
大丈夫だよ三上、ちゃんとみんなと共有してきた。空き領域がちょっと埋まったよ。あの世で広之に話すことができた。きっとこれからも増えていくから、これからはそういう場所にしていこうかなって、そう思ってるんだ。
「友也、喋って? 心配で電話切れないよ」
「話してて、声聞いてたいから」
「良いけど……」
心配そうな声が、ぽつりぽつりと今日の出来事を共有してくれる。
俺は時々目から出る涙をすっかりくたびれてしまった兄のタオルハンカチに染み込ませながら、親友のいない夏の夕暮れを恋人の声に相槌を打って歩いた。
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