旅人からの手紙

みらいつりびと

第1話 旅人からの手紙

 これは、友人A、友人B、友人C、その他の友人、そして自分自身へ宛てた手紙だ。


 拝啓 みんな元気そうでなによりだ。

 昨日9月9日、イスラマバードに着いた。

 今日10日に、みんなからの手紙を受け取ることができた。

 友人A、友人B、友人C以外にも、親やその他の友人からも手紙が届いており、どれも書いた人の顔などを思い浮かべながら、とても楽しく読むことができた。

 やはり持つべきものは友である。どうもありがとう。

  

 さて、今日は日曜日だ。

 パキスタンはイスラム暦を使っているので、銀行、オフィスなどは金曜日が休日。   

 日曜日、ポストオフィスは開いている。


 私はイスラマバードから約20キロメートル離れたラワルピンディーという街の宿に泊まっている。

 イスラマバードは計画都市のため、安宿があまりない。だからそこには泊まらない。


 イスラマバードにあるインド大使館でビザを取ろうとしているのだが、大使館はイスラム暦で動いてはいないので、土、日曜日は閉まっている。

 明日は月曜日だが、ジンナー記念日というパキスタンの祝日だ。大使館は閉まっていそうな気がする。


 ジンナーというのは詳しくは知らないが、どうやらパキスタン独立の父らしい。

 独立されたインドの大使館は、どうしてジンナーを記念して祝わなければならないのかという気もする。


 明日の祝日にはポストオフィスはたぶん閉まるだろうから、この手紙はあさって出すことになるだろう。


 ビザを取るため足止めされているのだが、寝過ごさなければ火曜日には申請して、遅くとも木曜日には受け取れるだろう。そして、17日の日曜日ぐらいには、ラホールというところからパキスタンを出たいと思っている。


 いつもはハガキを出しているので、なにか書き足りない気がしていた。

 いまは便箋に書いている。

 だらだらと長くつまらんことを書く傾向と対策という本が昔あったような気もする。

 それにしてもきたない字で、さぞかし読みにくかろう。


 ここで一服。


 私はいま、なんとマイルドセブンを吸っている。

 パキスタンでは1箱約65円で買える。

 アフガンからの密輸品らしく、箱にはメイドインジャパンとともにアフガンガバメントモノポリーと書いてある。

「日本たばこ」のマークも付いていて、メイドインジャパンは嘘ではないようだ。


 日本で免税でも確か160円くらいした気がするが、為替や流通経路の関係だろうか、安い。

 フィルター付きのパキスタンタバコともほとんど値段は変わらないし、けっこう人気があるようで、多くの店に置いてある。

 マルボロの方が20円くらい高い。


 私は毎日マイルドセブンを吸っている。

 パキスタン人でも吸っている人がいる。

 ヨーロッパからの旅行者は「安くてうまい」と言って、持っているのを何度も見た。たぶん彼らの本国ではめったにお目にかからないだろうが、変なところからこの味がインターナショナルになり、第2のマルボロになってほしいと思わないでもない。

 そう望むのは、旅行中いつでもマイルドセブンが吸えるようになるからで、日本たばこ産業のためを思っているわけではない。


 キャスターやサムタイムも同じくアフガンから入っていて、キャスターを吸っているイギリス人がいた。これも不思議なのだが、キャスターの方がマイルドセブンより1ルピー安く、たまに見かけるセブンスターはマイルドセブンより1ルピー高い。値段は店によって、都市によってちがうが、だいたいそうなっている。


 インドではまず、アムリッサという国境近くの街に行くつもりだ。

 そこにはシーク教徒の本拠地ゴールデンテンプルがある。

 インド軍がゴールデンテンプルを攻撃して以来、外国人はこのパンジャブ州へは立ち入り禁止になっていたようだが、最近開放されたようだ。そして私は陸路でインドに入れるようになった。

 

 ゴールデンテンプルには巡礼者のための無料宿泊施設があり、飯をただで食わせてくれるようなので、ぜひとも行ってみたい。

 シーク教徒は絶対タバコを吸わないため、寺院内は禁煙。

 別に1日くらい禁煙してもかまわないが、持ち込みも禁止なのだ。

 パキスタンでマイルドセブンを10箱くらい買ってインドに行きたかったが、ゴールデンテンプルに隠して持ち込むわけにはいかないので、あきらめることにした。ただで泊めてもらって、ただで飯まで食わせてもらって、タブーを犯すのは申し訳なさすぎる。

 パキスタンを出ると、しばらくはマイルドセブンともお別れだ。


 一服の話がずいぶん長くなった。


 ついでに書いておこう。

 私はニューヨークでもマイルドセブンを見つけて買った。

 ラーメン屋に置いてあった。

 このときはなんと2ドルもしたが、なつかしくなって買ってしまった。

 ラーメンもまあまあの味で、確か6~7ドルくらいしていたが、2回食った。

 とても高い気がするが、ニューヨークはすべての物価が高いから仕方がない。


 ニューヨークはドル札をそのまま通貨として使うというわけのわからないところで、金使いを荒くしてしまった。

 アメリカではドルを使うのは当然のことなのだが、私にとってのドルは「金の元締め」であり、「頭の中での換算単位」なのである。

 たとえばパキスタンでは50ドル両替したら、そのルピーを全部使い切っても、50ドルしか使っていないなどと考えるわけだが、アメリカではその元締めがどんどん出ていってしまい、ドルがつり銭として返ってくる。

 そのことがなんだか不思議で、おとぎ話のように感じる。


 インドの話に戻ろう。

 ゴールデンテンプルの次は北上して、ダラムシャラーという街に行こうと思っている。

 そこはチベット亡命政府のあるところで、ダライラマ14世の家がある。

 運が良ければグループでダライラマと会うことができるようだが、ダライラマは海外に行っていることが多いらしい。会えれば本当にラッキーのようだ。

 私の記憶が確かなら、船戸与一はここでダライラマと会見し、その記録を「週刊ポスト」に3週に渡って連載していた。

 戦いを描く船戸と生き仏ダライラマとの会談はなかなか面白かった。

 チベット人が多く住むダラムシャラー。

 行ってみたい。


 その後はたぶんデリーへ行く。

 東へ向かい、アグラへも行こうと思う。そこには有名なタージマハルがある。

 インドは北よりも南の方がやさしい人が多いと聞いたことがある。本当かどうかはわからない。南インドへ行ってみたい気がするが、どうなるかはわからない。


 スリランカへも行ってみたいと思っている。

 タミル人ゲリラのためインドからの船は運休中で、飛行機を使わないと行けない。お金がかかってしまう。

 どうしようか……。


 ネパールは山歩きでもしないと行く意味はないと言う人がいる。

 この行く意味というのは、なんだかよくわからない。意味もなく行ってもいい気がする。きっと行ったら、なにかしら楽しい。意味なんてそれで充分だ。


 バングラデシュはカルカッタから遠くないので、行く可能性は高い。

 モルジブへも行きたい……。

 予定などあってないようなものだ。


 インドは列車の切符を買うのが大変面倒だという話を聞いた。

 面倒なことは嫌いなので、もしかしたら一気に長距離切符を買ってしまうかもしれない。

 デリーからカルカッタまで特急1日だ。


 インドの次はタイかな。

 カルカッタ→バンコクのフライトは最近値下がりしたらしく、安い。

 90USドル。

 スリランカからもシンガポールへ月に1本くらい船があるそうだが、安くはないという話を聞いた。

 たぶんカルカッタからバンコクへ飛ぶことになるだろう。

 インドではそれほどゆっくりはしない気がする。


 私のお金はあまりたくさんは残っていない。

 その金をどう使おうか。

 

 最近、旅行者からラオス、カンボジアが個人ツーリストを受け入れ始めたという話も聞いた。

 今年の夏はバンコクの格安航空券屋にラオスやカンボジア行きのチケットを求める日本人が多くいたと話す人もいた。

 直接行った人に会ったわけではないので、はっきりしたことはわからない。

 バンコクで確かな情報を入手したいと思っている。

 行けるのなら、ラオスとかにも行きたいな。

 インドで金を使うより、そちら方面で使いたい気がする。

 個人ツーリストに開放されたばかりなら、その国の人は海外旅行者慣れしていないだろう。きっと素朴な人がいる。私は素朴な人に会いたい。


 アジアは総じて居心地がいい。

 アジアの居心地……。それが私は好きだ。

 バンコクからさらに足を伸ばせるように、お金を残しておきたい。

 ベトナムやミャンマーにも行きたいし……。


 さて1夜明けて11日になったが、今日は祝日で、やはり大使館は閉まっていた。

 今日はビザの申請はできない。


 ところで、長く旅をしていると、歯で悩むことがある。

 さし歯が取れてしまったときは、瞬間接着剤で着けた。強力に接着されて、その後取れたことはない。

 奥の金歯が取れたこともあった。自力で押し込んで、強く噛んだ。これもその後は無事だ。

 最近、それとは別の奥歯の金属も取れた。はめ込んだが、飯のときにはずれてしまう。瞬間接着剤を使ったが、その歯はうまく着かず、すぐに取れてしまうのだ。大量に接着剤を使い、いまは3日ほど保っている。

 さらに別の奥歯が、うずくように痛いときがある。

 もっとひどい痛みになったら、歯科医院へ行かねばならないかもしれない。

 帰国しなければならないかも。

 そんな感じだ。


 急に思い出したが、私はイランの国境のタフタンというところからパキスタンのクエッタまで砂漠をゆくバスに乗った。18時間くらいかかった。そのうち3時間はバスの故障で止まっていた時間だ。

 このバス旅行は苦しかった。

 バスの車体はそれほどボロいわけではなかったが、サスペンションはないに等しかった。しかも運悪く、一番後ろの座席だった。揺れるんだ。

 バスは道なき道を高速で飛ばす。

 私は10分に1度の割合で、座ったままの姿勢で30センチくらい空中に浮いた。

 最後部の座席は狭い5人掛けで、天井は低い。

 5人そろって浮かぶ。

 天井に頭をぶつけないかと心配だった。ぶつけなかったが……。

 他の座席も満員で、みんなの荷物も通路いっぱいに詰め込んである。

 揺れが激しく、本当に苦しかった。

 海外旅行者だけでなく、現地人にとっても苦しいらしく、たまの休憩のときには、乗客は全員生き返ったようになって、お茶などを飲んでいた。

 私の隣に座っていた人は、なにかヤバそうな白い粉を舐めていたような気がするのだが、あぶないと思って、なるべくそちらの方は見ないようにしていた。

 この長距離バスはいつでもこんな状態らしく、後に日本人旅行者から聞いた話だが、世界3大地獄のひとつとされているそうだ。

 他のふたつはタンザニアのどこかの電車と中国のどこかのバスらしいが、確かではない。

 私はクエッタ行きのバスで全身打撲になった。

 2日間くらいは全身が痛かった。


 できれば移動は快適な方がいい。値段との相談になるのだが……。

 苦しい思いをしてでも安く行くか、楽な道を選んでお金をたくさん使うか?

 私の金銭感覚は、日本にいたときとはかなり変わっている。

 快適な移動手段は、ずいぶんと高価に感じる。

 基本的にはがんばって我慢して、安く移動せざるを得ないのである。


 ときどき日本食が食べたくなる。

 サンパウロでは、日本よりも安く日本食にありつけた。

 中華料理を食べて、日本を思い出すこともある。

 パキスタンの飯はけっこううまい。そして安い。

 ふと思ったのだが、ヨーロッパやアメリカ合衆国を貧乏旅行する人は、食費がかかって大変だ。 

 物価の安いところなら、多少いいレストランに入ってもたかが知れているが、高い国なら、あっという間に旅費が吹っ飛んでゆく。

 いまは節約していかないと、この先、ろくなものが食べられないということになってしまうかもしれない。

 お金の問題は、いつも貧乏旅行者の悩みの種だ。

 日本へ帰り、思い切り日本の飯が食べたい。

 だけど、できるだけ長く旅をつづけたい。

 どちらも本音だ。

 お金は大切に使おう。


 私は「根っからの旅人」と人から言われたことがある。

 根っからの旅人ってなんだろう。

 私はそんなものではない。

 生まれたのは日本で、生まれたときから旅をしていたわけではないから、根っからの旅人ではないのだ。


 長い手紙になった。

 読んでわかると思うが、私は全然前と変わっていない。

 旅をして、特に成長したわけでもない。

 変わらない。

 

 まだいくらか先のことになると思うが、帰国したら、またお金を稼ごうと思う。

 その金を使って日本で暮らしつづけるか、また外国へ行くかは、いまは予測できない。

 もう1度か2度、世界一周をしたいような気もするし、もう短期旅行だけでもいいような気もする。


 私は15か月前、100万円というお金を持って、日本を出発した。

 オーストラリアで働いたので、もっと額は大きくなったが、このお金はずいぶんと使い出があった。 

 私の旅はまだつづいているが、だんだんと日本に近づいている。

 旅も終盤にさしかかったという気がする。

 どんなに節約をしようとも、半年以上もつことはなさそうだ。

 もしかしたら歯痛が耐えがたくなって、すぐに帰ることになるかもしれない。


 きみたちにこの手紙を書く気になったのも、旅が終わりに近づいたからかもしれない。

 単に昨日今日の気分で書いているだけかもしれない。

 自分でもよくわからない。


 オーストラリアで働き、ニュージーランドを見てから、南アメリカ大陸へ入った。

 南アメリカへ行った最初の頃はメルボルンがなつかしく、ときどきメルボルンへ帰りたいなどと思った。

 南アメリカを出てしまうと今度はそこがなつかしく、スペイン語圏へ帰りたくなった。

 人々の陽気さ、ときには人生適当と思えるような明るさがたまらなくよかった。

 オーストラリアでは、私の英語の発音が悪いと聞いてもらえないような感じもあったが、南アメリカでは、私のハチャメチャなスペイン語を現地の人が懸命に理解しようとしてくれた。


「スペイン語をどこで習った?」とたずねられたことがあった。

「旅をしながら覚えた」と私は答えた。

「ムイ ビエン!」と言ってもらえた。ベリーグッドという意味だ。 


 リオのカーニバル、ナスカの地上絵、カラファテの氷河、ボリビアの化石探し……。

 この時点でお金が尽きても、私は充分に満足しただろう。楽しかった。


 しかし、お金はまだあり、私はニューヨークへ行き、そこからエジプトへ飛んだ。

 紅海でシュノーケルをつけて泳いだ。

 ハンガリーへ行き、ルーマニアにも足を伸ばした。

 さらにトルコ、イランへ。イスファファンのモスクはきれいだった。

 そしていま、パキスタン。

 

 明日猛烈な歯痛に襲われ、日本に帰ることになったとしても、十二分に満足できる旅だった。

 この旅の思い出を詳しく書き始めると、終わらなくなる。

 つづきは帰国してから、ゆっくりとすることにしよう。

 またハガキは出すつもりだが、こんなに長い手紙はもう書かない気がする。


 今回の旅には満足した私だが、なにに満足したのかはよくわからない。

 なんのために旅をしたのかもわからない。

 いろいろな経験をして、成長するために旅をするという人もいるが、私はそうでもない。

 私は出発前とたいして変わっていないのだ。成長?

 旅が好きなことは確かだ。

 好きなことをしているだけなのかもしれない。


 帰国後、なにをしようか。

 お金を稼ごうとは思っているが、なにをして稼ぐかはわからない。

 就職するか、アルバイトをするか、船に乗って働くか……。

 

 私がまた旅に出たいと思ったときに出られるようにするために、なにかをして稼ごう。

 そしてまた旅先から手紙を書ければよいと思う。


 この手紙は保管しておいてほしい。

 日本に帰ったら、きみに会いにいく。

 そのときにこの手紙を見せてほしい。

 なにを考えて書いたかを思い出したいから。

 旅の手触りを思い出したいと思うだろうから。


 この手紙は、友人A、友人B、友人C、その他の友人、そして自分自身へ宛てた手紙なのだ。

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