玄武池

葱と落花生

玄武池

 貧乏神・疫病神・死神の三柱と一人の少女


 杜とされる荒地に社は見当たらない。

 果て無い乱世に、邪念が淀むのを嫌う神々が人を拒み続け、無残に朽果て忘れ去られた。

 道行く人の姿が途絶えて数世紀、既に誰の物ともつかない家が、瓦礫となり土竜塚の様に点在している。

 人が居た頃に神とされていた者達が、幾百年を過ごしたか忘れる程な長閑さの中、杜の主でさえおぼろな記憶の隅っこに、底の計り知れぬ井戸がある。 

 神が欲して釣瓶を下ろせば、桶一杯の水を得られるとされている。

 遠慮なく冗談のきつい井戸だ。


 人が消えれば神への供物は自然任せ、いずれどの神も痩せさらばえ、跡形もなく消えて行くのが定めである。

 まだ人の幾代かを眺めて暮らしたいと願う神は、雑踏の世界へと越して行った。

 人に頼らずとも暮らせる神は居残ったが、それでも井戸近くに居を構える粋狂神は一柱もいない。

 これを良い事に、井戸の周りは邪悪を好む魑魅魍魎が、恰好の寄合場所となっている。

 そして、存在自体が例外的な三柱の神もまた、井戸が見える原野に設えた縁台での与太話を、日々の習わしとしている。


 神とされてはいるが、元を辿れば地獄の鬼である。

 低級ながらも、端くれに成りあがったのを喜んではいるものの、根っから屈折した性格は閻魔の折り紙付き。

 人間を、不信に満ちた世界へ誘えたとしても、何我しか得が有るではないのに、悪行を心地良い戯れとして執り行っている。



 年端もいかない少女が、井戸端で水を求めているのを貧乏神が見つける。

「おい、変なのが来たよー。見てろよー、今にぶっ倒れて死んじまうから」

 迷っても入り込めない山奥の事で、誰かから、何かから逃げて来たに違いない。

「死にませんよー。まだ順番が来てないし、僕が水を飲ませてあげますから、元気に成りますよ」

 親切にも、青息吐息の逃亡者を助けようとするのは、死神である。

「余計な事をするんじゃないよ。とりあえず病気に成ってもらわないと、つまらないじゃないか」


 疫病神が、死神の少女救助を制し、井戸端に伏したのを放置観察する事三日。

 気の長い奴等だ。


「よう、そろそろどうにかしても良いんじゃねえの」

 少女の生き死には興味の無い貧乏神が、痺れを切らして発言する。

「そうだねーと言いたい所だけど、まだ病気になっていないんだよー」

 疫病神にとって、人が病に伏せっている姿ほど感動的な眺めはない。

「のんびりしていると、あの娘は死んじゃいますよ」

 死神は、予定にない者に死なれては困る様子である。


 そんなこんなで、更に様子を見る事一昼夜。


「衰弱するだけだねー。とりあえず生かしておくかい?」

 生きてさえいれば、いつか病気にも巡り合えると諦め、疫病神が音を上げる。

 ここで、死神が瞬時に飛んで行き、少女の口元に井戸の水を置いてやる。

「どこのどなたかは存じませんが、こんな山奥で助けていただけるとは、貴方様は神様ですー」


 巷で煙たがられている奴でも、少女には頗る都合の良い神に見えたに違いない。

 死神が照れ臭そうに「ええ、僕も神の端くれですから」正直が過ぎる与太郎である。

 うっかりいかん事をしゃべったと気付き、慌てて其の場から姿を消す。

 この後、死神は他の二柱から想像を絶する体罰を受けている。


 死神に赤い血が有るか無いかは別として、鼻字も出なくなってから二年。

 健気にも、少女は倒壊した家に住み付き、毎日ゝ、野良仕事に励んでいる。


「元気だねー」

 疫病神が、残念でならないと言った風に呟く。

「そろゝ死んでも良い頃なんですけどね」

 死神は、予定より遅れている死期を気にし始める。

「どうだって良いじゃねえか。それより、あいつが背負ってるのは何だい。気にならねえか」

 泥棒が趣味の貧乏神には、少女が後生大事にしている風呂敷包みが、この上ない御宝に見えてならない。

「それよりも、たいした物を食べてないのに、元気過ぎませんか? 何か妙な力が有ったりしません、あの井戸水」

 自分が水を飲ませたからかと、死神は死んでくれない少女が気になってたまらない。

「昔は生贄になった巫女の骸を投げ込んでいたって言伝えがあるけど、人が絶えて随分になるからねー。てっきり水あたりでもしてくれるんじゃないかと期待してたんだけど」

 病気を見られない疫病神は、何が何でも病気になってもらいたい口ぶりである。

「よう死神、おめえが助けたんだ、ちょいと顔出して、風呂敷の中身を聞いて来いよ。良い物だったら頂戴してやるから」

「貧乏さんの良い物と、僕の良い物は違いますから、出来ない相談です」

「神付けろよ、そのまんま貧乏にするな。聞くだけならいいじゃねえかよ!」

「そうだよ、私も気になるねー。肌身離さず背負ってるんだ、訳がありそうじゃないか」


 二柱にほだされ、死神が少女の家に現れたのは、その晩である。

「あいやー神様ー、いつぞやは偉い御世話になっといて、何の御返しもできませんでー、あいすんませんですー。畑に菜の芽が出て来ましたので、明日にでもお持ちいたします。御社ば、おせえてくだせえましー」

「社か……無いんだよ。それに、菜は食わない。礼なんていらない。その代りと言っちゃ何だが、その風呂敷包みの中に何が入っているのか、教えてくれるかな」

 少女がゆっくりと包みを広げると、出てきたのは半人半魚のミイラであった。


 乱れた世の事、住んでいた集落にまで戦火が広がると、略奪の限りを尽くす野党に住人は惨殺されしまった。

 総てを焼き払われている最中、少女は村外れの祠に逃げ込み、守護神とされている人魚のミイラを持ち出していた。

 村から北へ行き尽くした玄武池に投げ込んでやれば、人魚が蘇り、乱世を太平にしてくれるとの言伝えが残っていたからである。

 玄武池を探し求め、幾月もの旅を続けて来たが、ここでとうとう力尽きた。

 そこへ表れたのが死神で、これも何かの啓示と思い、暫くはこの地を耕し暮らして行くと決めたのだと話す。

 世が世ならば、まだ親元で無邪気な遊びに励む年頃である。

 にもかかわらず、子供が思い描く事柄とは思えない、悲壮な覚悟を持って生きている。 



「泣かせてくれるじゃありませんか、野党に消された村を取り戻そうと頑張っているんですよー。応援してやりたくなっちゃったなー」

 死神が涙目になって、事の次第を二柱に聞かせる。




 夜明けの陽が三柱を照らすと


「なーに寝とぼけた事ぬかしてやがんだよ、トウヘンボク! そんな事されちまったら、俺っちの面子丸潰れだ。ちったあ考えろい」

「そうだよー、折角世の中に貧乏人が増えて、疫病が流行って、死人がわんさか出ているってのに、そんな奇跡で平和に成られたんじゃ御まんまの食い上げだよー」

「そんな危ねえミイラはよ、今夜にでも取り上げて、井戸に放り込んじまおうぜ」

「そうだね。貧乏さん、やってくれるかい」

「だからー、神を付けろって」

 貧乏神と疫病神は、死神に一切の発言を許さない会議を経て、夜遅く人魚のミイラを盗み出し、井戸に投げ捨ててしまった。


 翌朝になると、少女が泣きじゃくり乍ら、荒地を掻き分けミイラを探し歩いている。

 手には茨の棘に削り取られた傷から血が滲み、湿地に入り込んで行くと、足と言わず顔と言わず、衣服から何もかも泥だらけになってくる。


「ちょいと気の毒だねー」

 病気で伏せっている者を見るのは楽しい疫病神だが、元気で不憫な人間には弱い。

「しょうがねえさ、下手すりゃ世界中を平和にしちまうって化け物だ、生かして置く訳にはいかねえだろ」

 こう言ってはいるが、貧乏神もまた浮かぬ顔で様子を見ている。

「もう発言していいですか」

 死神が、恐るゝ二柱に許可を申請する。

「何だよ。言いたい事があるなら、さっさとしろよ。何だか妙に気分が悪いや。早く帰りてえんだ」


 貧乏神の苛立った素振りに、尚更恐れ入った死神が話し出したのは、随分と昔に迷子になっていた亡者を、三途の河原まで案内してやった時の事である。

 亡者が道々話したのは、村の生い立ちやら迷信で、人魚のミイラを投げ込んだ井戸についても少しばかり語っていた。


 三柱の神がこの地に来る前、井戸が有った辺り一帯は湿地帯であった。

 これを埋め立てて田圃にする時、北の大池から湧き出る清水を井戸として残していた。

 内乱が起る前には国の北外れにあった事から、玄武村とされた集落の井戸は、玄武池と呼ばれていたとの伝説が、死神の口からずうずうしくも御軽く出て来る。


「やい死神。我慢して聞いてりゃ、あの井戸はー、ミイラの体に大変よろしい玄武池だとかになってるじゃねえか」

「そうじゃなくて。玄武池が井戸になったんですよー」

「同じ事じゃねえかよ! 何でそんな大事を言わなかったんだよ、ようようよう」

「だってー、『四の五の言わねえで、黙って見てりゃ良い』って言ったの、貧乏さんですよ」

「神をつけろって。どうするよ疫病、この野郎殺していいか」

 貧乏神の怒りはもっともである。

「異論はないけど、それよりさ、膨れる前に、井戸のミイラを引き上げてもらおうよ」

「それもそうだな。やい死神、気合入れて引き上げねえと、痛い殺し方するからな」

「痛いのは嫌ですよー。頑張りますよー」


 かなり強引な方法だが、死神を綱に括り付け、井戸の底へと降ろして行く。

「駄目ですー。水が張っていて、底まで行けませんよー」

「しょうがねえな、疫病、何か考えはねえかい」

「私にも、神付けて欲しいよね。水を全部汲み上げるしかないんじゃないかい」

「おーい、死神。てめえの力で、井戸の水を全部汲み上げられるかー」

「飲み込んで、そのまま排泄すれば何とかなりますけど、長い筒がないと、地上まで持ち上げられませんよー」

「それなら、ほら、竹藪があるじゃないか。あれを切って、繋げてやれば良いよ」

 疫病神が竹を切ると、貧乏神が繋げて降ろす。

 井戸の底で水を飲んだ死神が、どこに竹筒を繋いで水を送ったかは、悍ましいので描写を自粛する。


 一晩かけて水を汲み上げると、井戸の底が見えて来た。 

 しかし、底には何もない。

 気付けば、辺り一面に水が張られ、見事な田圃が出来上がっている。


「人魚に逃げられちゃいましたね」

「てめえのせいだよ」

 貧乏神が呆れて、死神の頭に拳固を落す。


 夜明けの陽が三柱を照らすと、田圃の真ん中が騒がしく泡立ち、地面が激しく揺れる。

 一転俄にかき曇り、地上は漆黒の闇に包まれると同時に雷鳴が轟き、稲妻が井戸を直撃した。

 たちまち玄武池の底から空を目掛け、青白い光の束が眩しく伸びて行く。

 この光へ巻き付く様に、一柱の龍が瞬く間に天空へと登り着いた。


「おいおいおい、人魚じゃねえよ。どう見ても龍じゃねえかよ」

「話が、違ってきちゃいましたね」

「驚きだねー。龍だよー」

 三柱神が腰を抜かして動けずにいる所に、龍がヌウーっと顔を寄せて来る。

「ありがとう御座います。御かげで生き返りました。お礼に、この地を楽園にして差し上げましょう」


 龍が再び天空に舞うと、倒木は蘇り、花を咲かせ実を付ける。

 枯草の大地は、あれよあれよと言う間に緑の草原と化し、牛がのんびり草を食む。

 寂れた廃墟は活気ある村に変わり、少女の死に別れた家族や、盗賊に殺された村人が現れる。


「オー! 俺っちの楽園とは大偉いだぜ。価値観ってのが違うんだからよ。これじゃ地獄の方がましだろう、何とか言ってやってくれよ。疫病ー、よー」

「無理だねー。あのとんちきには、百年説得したって分かりっこないさ。あきらめなよ」

 思いもかけない展開に、時を経れば何れ病気になる者も出て来ると、疫病神は内心ほくそ笑んでいる。

「そうですよー、貧乏さん。人が暮して行けば、必ず貧富の差が出来るものですよ」

 人が居てくれさえすれば、確実に死人が出る。死神が、今からワクワクした表情を隠せないでいる。

「貧乏人が出来るったって、村中が貧乏じゃな! 比べ様がねえんだよ」


 こうして、この地で暮らす者達は、正体も知らずに三柱を村の守護神と崇め、池の畔に小さな祠を作って祀った。

 龍が井戸を岩山で覆って封印し、己の社にすると、少女にだけ出入りを許した。

 そして「これより磯と名乗り、神の使いとなって、この地を統治せよ」と伝えている。


 井戸から湧き出る水は、やがて小さな池を作り、玄武池と呼ばれるようになった。

 いつからか、池には大きな鯉が一匹、主様として住まっている。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

玄武池 葱と落花生 @azenokouji-dengaku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ