夢は如何にして夢になるか

夢と現実の境目はどこにあるのだろう。


ただ、今の世界で寝て起きている記憶があるからこそ今を現実だと認識してるにすぎない。

では夢の中でも寝て、起きることができたならばそれを夢と認識する方法はあるのだろうか。




硬質的な校舎の中に人々がよってたかって密集し、皆のペン先の音が空気を揺らした。鬱々とした気持ちで問題用紙をみる。


『問 資料1を読みなさい。現象学的社会学を拓いたA・シュッツは現実性について次のように論じる。ここで、夢の世界と日常的な生活世界、科学的世界と宗教的経験性の世界とでは、何故、そして、どのように思考様式が異なるのか。あなたなりの説明を用いて論じなさい。

出典A・シュッツ T・ルックマン『生活世界の構造』ちくま学芸文庫pp.79−100』


退屈な日々だ。


大学の講義中、皆スマホでも触って怠惰に過ごしている不真面目な生徒が殆どである。

パンフレットでは「素晴らしい学舎」「リベラル教育」と大々的に謳っているところが殆どだが、現在大学生とは[人生の夏休み]なんて大層な名前が世間様からつけられているおかげか、真面目に学ぶ人が馬鹿らしいような雰囲気になっている。きっと入学時に捧げた素晴らしい文句、学びたいことなぞその程度なものだったのだろう。

そんななかで授業内で行われているテスト、これがより一層気持ちを陰鬱なものとさせた。


この学校が悲しいことに、第一志望ではない私は愚かにも、自分はもっと勉学ができて、もっと努力家で、もっと素晴らしい人だと、そう思い続けている。なけなしのプライドで傷に塩を塗るような自傷行為に思いを馳せながら、この文章を灰色の視界で眺めていた。

これは。そうだ。あの教科書の、左上にあって、教授が風邪をひいて咳ばっかしていた授業で言ってたことだな。コホ、コホ、、、。ゴホッ、、。本当に喉がシンシンと痛い感じの変な咳してたなぁ

外気が寒くて思わず身震いした。

。夢、、ゆめ、。

何か忘れてる気がする。記憶を奥底から引っ張り出しながら、ペンを滑らせる。

あ、やっぱりこのペン可愛い。

こうゆうさりげないモチーフ系のアニメグッツもっと増えてもいいのに。日常的に使えて、自分が、自分だけがこの生活に溶け込んでいるオマージュに気づいてる感があっていい。

いや、確かにカンバとか、ぬいとかも可愛いけどオタクっぽすぎるというか、ファッションとしてキャラを纏いたいわけじゃないし、好きだからオタクな訳だし、

最近はインスタとかに載せるためのグッツっていう立ち位置のものが多すぎる。別に誰かに見てもらいたいためにグッツを買ってる訳ではなくて、ただの自己満足だし。いやこういうところが厄介女オタクさん(笑)とか言われてしまうキッカケなのか、、

はぁ自分がそれになってるとかキツすぎる、、というか、いままで長い夢を見ていた気がする。そう夢とは、、、





「おーぃ、ナニ寝てんだよ。大丈夫か?」

紅。

目を開けた瞬間、陽射しの色を煮詰めた様な髪色をした男がこちらを覗き込んでいた。

あ、。

一瞬で“現実”に引き戻される。これが“夢”なのか、それとも、


「いや、ごめん。ちょっとぼーっとしちゃってた。」女はなんてことない顔をしてそっと微笑んだ。原宿に憧れた子供が描いた空のようなドギツイ空が目に映る。見慣れない天蓋。

そうだ、ここはイセカイだった。

ふと思ったことを言う。

「髪色。前から思ってたけど、綺麗だよね。黄昏の空みたいで。」

「ハハ、お世辞ありがとさん。でも、オレそんな髪色うるさくてねぇぞ。」

「あ、確かにね」

女は少し淋しそうに笑った。

女はついさっきまで何か懐かしいものを見ていた気がした。なにか、この気持ちを忘れたくないと、漠然とそう思ったのだ。

この世界に来て少しが経つが、そこに順応している自分の図太さに驚いた。もしかしたら、あの世界も誰かの夢だったのだろうか。

いや、この世界が、現実かそうで無いかなんて誰にでも分かることではない。

みな日常の中で呼吸するのに精一杯で、日常に、ましてや世界に意味を見いだせている人なんて少数なのだ。



理由のない虚無感も、絶え間ない絶望感も心の中で降り積もる一方で、より一層輪郭を顕にしていくばかりだった。

私は、ただ私の心がこれ以上病まないよう自分に都合のいい考えを盲目的に信じるしか無い。


枯れない造花が、生花と等しく美しく見えるように、例えこれが誰かの箱庭で造られている世界だとしても、その中に住んでいる人はそれに気づかない限り幸福を享受できるだろう。


そう思うから、

盲目的であれ。

愚者でいい。

ただ自己防衛に徹する。そうやって私は今から逃げてきたのだから。これからもそう、そうやって思考を放棄していこう。


女は、笑みを浮かべた。




なるほど本当に、その顔は幸福そうだった。







1024011 基礎教養学部1年  משיח

答 夢の世界では、カオス(混沌)な意味の通用が許される。そこでは、意味の流れに連続性はない。一方で、日常的な生活世界では合理的かそうでないかはともかくとして、通用する意味の流れが存在する。科学的世界では、意味の連続性を保ちながら、合理性が重要視される。それに対して、宗教的経験性の世界では(宗教世界における)合理性を保ちながらも、独自の意味の連続性が重要視される。

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正しい聖女の造り方〜目指すは完全弱愛ルート〜 よくいる凡人 @HarrisonHightower4

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