第6話 大団円

 つかさが、ある日、

「お母さんと会ってくれる?」

 ということを言い出した。

 つかさの母親が晃弘のことを気に入っていて、

「一度会ってみたい」

 というようなことを話しているということは、つかさから聞いていた。

 さすがに晃弘も、

「それは嬉しいな:

 とは答えていたが、

「本当にそんなことはないだろう」

 と思っていた。

 だが、それも、もっと仲良かった頃であって、最近は、少しぎこちなくなり始めて、少し距離が遠のいた時のことだったので、

「いまさらないだろう」

 と思っていたのに、どうした風の吹き回しだろうか?

 そんなことを考えていると、

「お母さんが、どうしてもっていうのよ。ごめんだかど、会ってもらえるかな?」

 というので、この時をいい機会として、晃弘は、

「二人の間の関係性を、お互いに確認しておく必要があるな」

 ということを考えたのだ。

 というのは、これが、同じくらいお年齢であれば、そんなことは考えないが、遭ってみたいという母親は自分と同じくらいの年齢ではないだろうか?

 それを思うと、

「どんな母親なんだろう?」

 という気持ちと、

「つかさとの間に、自分がどのような感情があるのか?」

 ということを確認したかったのだ。

 最初から、年の差はわかっていることだった。

 彼女も当然のことだけど、お互いに、どうしていいのか迷っていることだろう。

 だから、

「ここで、一度確認する必要がある」

 ということである。

 確かに彼女は、

「精神疾患を持っている」

 だからと言って、そのつもりではいるが、なるべく触れにあようにしてきた。

 ただ、彼女が自分の中で無性に触れようとすることがあるのだ。

 その感情は、どういうものなのか、難しいところがある。

 それを考えると、

「母親が不安に感じるのも無理もない」

 特に、精神疾患を持っている子供の親というのは、少なからずの罪悪感を持っているだろう。

「自分からの遺伝ではないか?」

 あるいは、

「妊娠中に、喫煙があった、何か精神的にきついことがあって、それが子供に影響したのではないか?」

 などということである。

 それを思うと、母親は、どうしてもそのことが気になって、子供の事には神経質になるのだ。

「私のせいだわ」

 と思っている人がいるとすれば、その次に感じるのは、

「私が生きている間は私がしっかり面倒みるけど、自分の身体が動かなくなったりした時は、誰か託せる相手がほしい」

 と思うはずだ。

 そういう意味で、晃弘のような男はダメであろう。

 母親と似た年齢なのだから、当たり前というものだ。

 それを考えると、

「母親が逢いたいというのは気持ちは分かるが、こっちも覚悟が必要だ」

 ということであった。

 晃弘は、母親とどう向き合えばいいのかと考え、

「別に会う必要はあるのか?」

 とも思ったが、

「お互いに安心できるではないか」

 という思いからか、実際に逢ってみることにした。

「まるで、娘さんをくださいっていいに行くようなものだな」

 と思ったが、さすがにそんな気持ちもなく、結婚などを考えているわけではなく、

「つかさと一緒にいるのが楽しい」

 というのが理由だなどと言えば、母親はどんな気持ちになるだろう。

「二人のことを、キモイと思うに違いない」

 と感じた。

 だが、遭ってみないとそんなことはわからない。そう思って、つかさに連れられるままに、遭いに行くと、母親は、笑顔で迎えてくれた。

「これはこれは、いつも、娘がお世話になっております」

 と、丁寧なあいさつに、ビックリさせられた。

「あっ、いや、こちらこそ、娘さんをこんなおじさんに付き合わせてしまって申し訳ないです。私は、河野晃弘というものですが、私の方こそ、娘さんとお会いして、毎日を精神的に楽しく過ごさせていただいてます。感謝の限りなんですよ」

 と、晃弘がいうと、

「そういっていただけると、この私も母親として嬉しいですわ」

 と言って、終始微笑んでいる。

「さすが、俺と年齢が近そうだな」

 と思ったのは、その笑顔にしわが目立ち、

「いかにも、年相応だな」

 と思ったのと、そのおかげでm

「この俺もさぞや年を取ったんだろうな?」

 と感じた。

 若い相手と一緒にいれば、それは当たり前のことであり、つかさと一緒にいられることが嬉しいと思っていることで、普段は、そんなに年を感じたことはなかったのだ。

 むしろ、

「俺は若いんだ」

 と思っても、その感情に違和感はなく、

「過去の記憶を塗り替えるくらい、若返った気がする」

 もちろん、かつての思い出を消したくないという思いがあり、自分の中では、

「自分というものが存在し、タイムリープではない、タイムパラドックスのような気分なんだろうな」

 と考えていた。

「タイムトラベル」

 と、

「タイムリープ」

 との違いというのは、

「タイムトラベルが、一人の人間をタイムマシンやワームホールなどの力によって、自分自身が過去にいく」

 というものであり、

「タイムリープ」

 というのは、意識だけが、過去に行って、過去に存在している自分に乗り移るという考えである、

 つまり、

「タイムリープ」

 というものには、同一次元の同一時間に、もう一人の自分が存在しているという、

「タイムパラドックスの矛盾」

 を打ち消すものだった。

 しかし、タイムリープには、未来の自分が乗り移るということで、まわりの人間から、何か変だと思われるということは、当たり前にあるだろう。ただ、過去に行って、過去の歴史を変えてしまうということがありえるだろうか?

 それをなくすための、タイムリープというものの存在なのではないだろうか?

 と考えるのであった。

「そういえば、大学生くらいの頃、ちょっとの間、繋がっていない記憶があった。

「ポッカリと空いた穴」

 というものを意識させられたのだ。

「今までにいろいろなことがあったので、一度どこかで自分の過去の記憶をリセットしたい」

 という意識があった。

 それが、実際に、この後の瞬間で、実ることになったのだが、あまりの衝撃だったので、一瞬、

「何が起こったのか?」

 と感じたのだ。

 なぜなら、母親がニコニコしながらいうには、

「初めまして、東条ほのかと言います」

 とあいさつをしてくれたからだ。

「自分のことを知っているのに、初めましてとは、どういうことだ?」

 と思ったが、どうやら、本当に初めましてという気持ちになるから不思議だった。

 スーッと、気持ちが晴れていき、何か不思議な暖かさが身体にまとわりつく感じがあったのだが、

「ああ、そうか。それが、ほのかによる、空気の穴を通す新鮮な風を感じさせるが存在していたことが分かった」

 と、その時の晃弘は、

「新鮮」

 という言葉に、異常なくらい感動していたのだった。


                 (  完  )

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

再会へのパスポート 森本 晃次 @kakku

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ