最終章『時空監理局』編

「コウタ坊っちゃん、忘れ物はありませんか?ハンカチはお持ちになられましたか?」


 お手伝いのシズエさんが車に乗り込もうとする僕に不安そうな目で言った。


「もう、僕は今日から社会人なんだから、いつまでも子供扱いしないでおくれよ」


「そんなこと言われましてもねぇ」


 僕はカザマツリコウタ。今日から時空監理局の第零研究所に勤務する駆け出しの研究者だ。駆け出しっていっても飛び級を重ねて十四歳でアカデミーを卒業したエリート中のエリートさ。僕の夢は祖父の祖父であるカザマツリコウノスケ博士を超える偉大な科学者になること。その大いなる一歩が今日から始まるんだ。


 執事のモリシタが運転する車の後部座席で僕はスマホをタップし、インターネットに接続する。インターネットやスマートフォン。僕が生まれる前から存在する人々の生活になくてはならないこれらの技術は、全てコウノスケ博士が発明したものだ。これらがほんの三十年前までは存在していなかったのだというのだから僕にとっては驚きだ。インターネットやスマホがない生活なんてとても考えられないよ。だからこそ、彼の血を引く僕はそれに匹敵する発明をしたい。それを超える発明をしたい。


「ねぇモリシタ、クマガイ博士ってどんな人なのかな?若い頃にご先祖様の助手を勤めていたって聞いたけれど」


「立派な方ですよ。数々の偉大な発明をされた方ですし、インターネットの実用化にも大きく寄与した方とコウノスケ様がおっしゃっていたそうな」


「へぇ。まあそうだろうなあ」


 なんていったって時空監理局の総括研究所長だ。この時代の科学者の頂点にいるといっても過言じゃない人だ。だからこそ天才すぎて進路に迷っていた僕はクマガイ博士からの誘いを受けて時空監理局での勤務を即決したんだ。直接会うのは今日が初めてだけど、僕のご先祖様の助手を務めていた人だし、可愛がってもらえるんじゃないだろうか。


(それにしても第零研究所って何を研究している場所なんだろうか。ネットにも第一から第四研究所までの情報しかないんだよなあ)


 疑問を抱きながら僕は時空監理局の本ビルのドアをくぐった。時空監理局は学生時代に何度か見学で訪れているけれど、第零研究所なんて一度も聞いたことがないのだ。


「カザマツリコウタ様ですね?」


 エントランスに入るとすぐに青い制服の女性に声をかけられた。僕が頷くと彼女は言う。


「お待ちしておりました。クマガイ所長がお待ちです。案内いたしますね」


 しばらく彼女の後ろをついて歩くと、彼女はエレベーターのドアの前に立った。


「あれ?研究所に行くのではないんですか?」


 時空監理局の研究施設はドーム型の建物でこのビルとは別の建物のはずだ。


「第零研究所は地上ではなくこのビルの地下にあるのです」


「地下だって?」


 地面の下に施設があるってことなのか?不思議な感覚だ。地上から下に降るエレベーターから出ると、そこには藍色の通路があった。


「この突き当たりが第零研究所です」


(へぇ。僕は今地面の下を歩いているのか)


 奇妙な感覚に飲まれながら、僕は突き当たりのドアまで歩いた。


「では、私はこれで。ここから先は限られた方しか入ることが出来ません」


 青い制服の女性はドアの前まで来るとお辞儀をして今来た道を戻って行った。


(そうか、第零研究所は、秘密の研究所だったんだ!)


 僕は胸が高鳴った。このドアの先ではきっと最先端の科学技術が僕を待ち受けているんだ。僕がドアの横に備わった長方形型のスイッチを押すと、プシュンと空気の抜ける音がして藍色のドアが両脇にスライドして開く。一体地下にどれほどの研究施設があるのか、どんな人たちが勤務しているのだろうか。僕は期待を躍らせて足を踏み入れた。


「あれれ?」


 そこにあったのは藍色の部屋だった。僕は一瞬考える。そこは研究所というにはあまりにも狭すぎた。いや、狭すぎるということはないか。個人の研究所であればこのくらいの規模でもなくはないか?僕の想像が間違っていたのだ。僕はビルの外にある第一から第四の研究ドームを想像していたから、あの規模のものが地下にあると勝手に思い込んでいたから、だから余計に狭く感じてしまうのだ。


 ずんぐりとした藍色の壁で囲われたその部屋には、一人の老人が立っていた。ボコボコと泡の立つ縦に細長い水槽の前に立ち背中を見せているその老人はゆっくりとこちらへ振り返る。その顔は今朝スマホで検索して見たクマガイ博士その人だった。


「初めましてクマガイ博士!本日から第零研究所に勤務することになりましたカザマツリコウタです。よろしくお願いします」


 クマガイ博士は鋭い眼光の持ち主だった。博士は尖った目で僕を射抜きながらフサフサの白い髭の奥の口を開き、重く渋い声で言った。


「こうして見るとコスモにそっくりだな」


「コスモ?」


「ああ。君の高祖父が亡くした息子をモデルにして作った人型のロボットの名だ。声も顔も瓜二つだ」


「……は、はあ」


 クマガイ博士は天井を向き目を閉じて言った。


「あの、クマガイ博士、ここでは一体なんの研究をしているんですか?」


 僕は部屋の中を見渡してクマガイ博士に質問した。薄暗い藍色の部屋は、やはり研究所というには狭すぎる。ここはまるで書斎のようだった。科学的な設備らしいものは博士の背中で青白く輝く水槽と、その近くに設置されたモニター等の計器類くらいだ。クマガイ博士は僕の質問には答えずに言う。


「……コウタよ。お前はこの世界の真実を知らねばならん」


「この世界の……真実……?」


「ああ。それがコウノスケ博士の血を引き科学者の道を志したお前の使命なのだ」


 そして混乱する僕にお構いなしにクマガイ博士は語り始めた。かつて異世界からやってきた少年の旅路を。そこで少年が出会ったゼロという男の話を。彼ら二人がこの都市を機械の支配から解き放ったなんていう世迷言を。そして……少年が最後に辿った運命を。


「そんなこと、信じられません。僕のご先祖様が……そんな……」


「信じる信じないの問題ではない。それは事実なのだ。当時駆け出しの科学者だったワシにはどうすることも出来なかった。助手として彼の行為に付き合う他なかったのだ。時空監理局の秘密を知ったのもその時だった」


「時空監理局の……秘密……?」


「ああ。時空監理局は表向きには異世界からの漂流者を元の世界に送り返す活動をしていることになっているが、実はそんな超時空技術など持ち合わせておらんのだ。漂流者を確保し、限られた人間のみで異世界の技術を監理独占し、この世界に恩恵を与える。そのための組織なのだ」


「そ、そんな……」


「なぜこの世界に漂流者が現れるようになったのかは知らん。それは過去にあったという大戦でこの世界の時空が歪んでしまったのが原因なのではないかと推測されているが定かではない。この世界は全て、忘れてしまっているのだ。忘れさせられたのだ。機械によって。今となっては年号ですら怪しいものだ」


 クマガイ博士は後ろ手を組み、じっと僕の目を見据えて続ける。


「漂流者によってもたらされる技術により、この世界の科学技術は実に歪な発展を遂げた。この世界の科学は本来存在するはずの進歩の過程がすっ飛ばされておる。技術的なミッシングリンクが無数に存在しているのだ。インターネットやスマートフォンもそれだ。あれはコウノスケ博士が発明したものではない。コウノスケ博士が藤森君の脳みそを暴いて得た異世界の知識をこの世界に持たらしたものに過ぎんのだ」


「う、嘘だ……」


「嘘ではない。全て真実だ」


 そういってクマガイ博士は一歩横にずれる。彼の影からは水槽が……その水に満ちた水槽の中には灰色の脳が浮かんでいる。


「ワシは彼を救うことが出来なかった。ワシが気づいた時にはもう、彼はコウノスケ博士によってこの状態にされていたのだ。だからワシはせめて彼がワシらに語った旅路を、誰も信じなかった彼の話が真実であることを明らかにしようと思ったのだ。当時は誰も彼の冒険の話を信じてはおらんかった。彼の話を信じていたのはワシとコスモの二人だけだった。当然だ。この世界が機械に支配されていたなど、荒唐無稽な話だ。簡単に信じられる話ではない。だが、ワシは信じた。だから彼の脳にアクセスし、彼の冒険の記憶を探るべきだとコウノスケ博士に主張したのだ」


「そして……世界の真実が明らかになったのですか?」


「いや、コウノスケ博士はそれを許さなかった。脳にアクセス出来る回数は限られる。アクセルするたびに脳がダメージを負い痛んでいくからだ。コウノスケ博士は限られたアクセスの回数で藤森君のこの世界での記憶を覗くのは無駄だと主張して聞かなかったのだ」


「……そんな……でもじゃあどうしてあなたは藤森少年の冒険が真実だと主張するんですか?あなたのいっていることは全て妄想なんじゃないですか⁉︎」


 僕は自分でも気づかないうちに声を荒らげていた。尊敬していたご先祖様を根拠のない妄想で侮辱されたんだ。当然だ。


「妄想などではない。この足だ。私はこの足で地下の世界を探索したのだ。コスモと共にな」


「地下の世界を……探索ですって……?」


「ああ。長い旅だった」


 クマガイ博士は大きく息をついて語る。


「信じられんことに、この都市の下には誰も知らん都市機構が平然と存在し、その下にはかつて人々が暮らしていた都市が層になって存在していた。何者かが地上で情報統制をしていたのだと確信するのは簡単なことだったよ。あれほどの地下世界を地上の誰も知らぬのはあり得ないことなのだ。そもそも我々の習った歴史では存在しないはずなのだ。そのような大掛かりな地下世界などな」


 博士はホログラムで僕に地下世界の映像を見せた。そこには機械と都市が融合したような見たことのない景色が映し出されている。


「ワシらは調査の果てに、その何者かを見つけることが出来た。つい最近のことだ」


 クマガイ博士は水槽の側に置かれたキャタピラに手を触れて言う。


「都市の中層では、巨大な鋼鉄の脳みそが稼働していた。そしてその傍には男の亡骸と、このキャタピラがあった。そこに遺されていたのは……彼の話そのものだった。やはり藤森君の話は真実だったのだ。この都市は救われていたのだ。誰も知らぬうちにな」


「嘘だ。あなたの言っていることは妄想だ。僕のご先祖様を貶めるための妄想に決まっている!」


 僕がそう叫んだ時だった。


「全て事実ですよ」


 部屋の横の壁が開き、白衣をなびかせて赤茶色の髪をした壮年の男たちがゾロゾロと部屋に入り込んでくる。何人も、何人も。不気味なことに彼らは全員同じ顔をしている。


「彼らはかつて養殖人間と呼ばれていた者たち。その最後の世代だ。今は私の元で助手として働いている」


「養殖人間だって?」


「ああ。かつてこの世界では彼らのような養殖人間が奴隷として人々に酷使されていたのだ。だがある時を境にそれが廃止の方向に動いた。今となっては人類の汚点だ。誰も語ろうとしないし教育として教えることもない。だが調べればすぐに分かることだ」


 クマガイ博士は続ける。


「中層で亡骸になっていた男を調べたところ、男は彼ら養殖人間と同じ遺伝子情報を持っていた。まさに藤森君の言っていた通りだったのだ。養殖人間の元となった人間が都市を機械の支配から解放すべく遥か地下深くで孤独に戦っていたのだ。彼ら養殖人間の存在こそが藤森君の話の証明となったのだ」


 ホログラムには、DNAの螺旋構造とヒトゲノム情報が映し出されている。


「そんな……バカな……」


「お前は自分の目で見たものが信じられぬのか?」


「う……」


 僕は言葉を詰まらせた。クマガイ博士の言うことが事実なら、僕のご先祖様は……僕の憧れたご先祖様は、英雄を殺した悪魔だ。人でなしだ!僕は震える唇を抑えきれぬままに言った。


「だったら……公表するべきだ。藤森という少年とゼロという男の話を。例え僕のご先祖様が汚名を被ることになったとしても……言うべきだ。公表すべきだ!それが出来ないって言うならやっぱりあなたの言うことは嘘っぱちだ!」


「公表など出来ん。かつてこの都市が機械に支配されていたなんて事実は社会に無用な混乱を招くだけだ。お前にだってそれは分かるだろう」


「う……うぅ……」


「コウタよ、お前は……お前だけはこの世界の真実を受け入れねばならぬ。お前は真実を受け入れ、ワシの後を継ぎこの都市の地下を調査するのだ。まだ地下の調査は中層と言われるエリアにまでしか到達しておらん。藤森君の話によると下層では奴隷人間が機械によって使役されているという。お前はこれからの長い人生で地下に眠る秘密を暴き、この世界を真に人の手に取り戻さねばならんのだ。それがコウノスケ博士の血を引き科学者の道を志したお前の使命なのだ!そしてッ!」


 クマガイ博士は僕を指さして強い口調で言い放つ。


「お前は紡がねばならんのだ!かつて人知れず世界を救った英雄たちの旅路を。影の英雄たちの物語を!」


 僕の目は、自然とコポコポと泡に揺らされる小さな脳みそに向かっていた。僕の視線を追って脳みそに目を向けたクマガイ博士に僕は尋ねる。


「……彼にはまだ、意識があるのですか?」


「ああ。おそらくはな」


「……彼は今……何を思っているのでしょうか」


「……さあな。今となっては彼の脳にアクセスすることは出来ぬ。ワシにはもう、彼の生命活動が終わるその時まで寄り添うことくらいしか出来んのだ」


 そういってクマガイ博士は目を閉じてそっと呟く。


「もしかしたら彼はあの水槽の中で、本来あるはずだった人生の続きを見ているのかも知れないな」


 コポコポと泡の浮かぶ水槽の中で、その小さな脳は今何を思い、何を見ているのだろうか。




レトロフューチャーオンデマンド_終

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