願いをどうぞ

黒本聖南

◆◆◆

 日付けが変わる頃、玄関からノックの音が数回響く。


 借金取りを思わせる荒々しいものではなく、トン・トン・トンと、優しく丁寧なノック。一応、訪問客の予定はある。半信半疑、いや九割くらい来ないんじゃないかと思っていたが……。

 それでもまだ確定じゃないからと、警戒しながら玄関に近付き、ゆっくりとドアを開ければ──映画やアニメで見るようなシスターがそこにいた。


佐藤春緒さとうはるお様でお間違いないですか?」

「……ああ」


 俺に向けられる柔らかな声、穏やかな微笑み。聖職者特有の清らかさに、嘘偽りは感じられない。

 どうやら噂は、本当だったらしい。


「今宵の祝福は、貴方に──貴方の大切な誰かに授けられることが決まりました。最終選定の為、ご同行願います」


 差し出された手は小さく、傷一つない綺麗なもの。握れということかもしれないが、土汚れのこびりついたこの手で触れるのは、いくら相手が良いと言っても躊躇してしまう。

 そんな俺の気持ちを察してか、シスターの方から握ってきて、瞼を閉じてくださいと告げてきた。手から伝わってくる、想定以上の柔らかさに驚いて、言われるまでもなく、瞼を閉じていた。


◆◆◆


 どこでもいい。

 廃墟と化した教会の郵便ポストに、願いを書いた手紙を入れておく。運が良ければシスターが迎えに来て、願いを叶えるチャンスを与えられる。

 最終選定に通れば、叶う。

 ただし、自分の為の願いでは駄目だ。自分にとって大切な誰かの願いが叶うよう、心の底から思っていないと、選定には通らない。


◆◆◆


 もうよろしいですよと言われ、瞼を開ければ、そこはもう俺の家の玄関じゃなかった。

 いくつか設置された燭台の灯りしかない、薄暗い空間。辺りを見回したが、窓もなければ出入口もない、呼吸の心配をしたくなるような密室だ。


「こちらをご覧ください」


 未だ繋いだ手を引かれ、視線を向ければ──何かが横たわっていた。

 横向きに、身体を小さく丸めて、ぴくりと動かず眠る髪の長い少女、に見える。異様なほどに白い。肌も髪も、身に纏う衣服も、生物に可能な白さじゃない。

 いつか博物館で見た化石、その白を連想した。


「──当教会で保護している、天使の化石にございます」

「お、おいっ」


 繋いだ手を引っ張られ、少女の、いや天使の腹の辺りに置かれた。反射的に引っ込めたくなるが、押さえつけてくるシスターの力が強く、どうすることもできない。


「貴方の願いに、嘘偽りはありませんか?」

「……っ」


 シスターに目を向ければ、相も変わらず微笑みを浮かべているが、どこか値踏みをされているような気分になる。

 嘘偽りはないか、だと?


 ──お兄ちゃん、私の脚、治るかな。

 ──リハビリしてもさ、全然、思うように動いてくれない。

 ──今まで通りの生活がしたいよ、お兄ちゃん。


「あるわけがない。叶ってほしい願いは一つだ」

「かしこまりました」


 シスターの返事を耳にした瞬間──押さえつけられていた手に鋭い痛みが走る。慌てて視線を動かすと、手の甲に深々と包丁が突き刺さっていた。

 下手人はシスターだった。


「何しやが」

「──血の選定の結果は、白。願いに嘘偽りはありません」


 包丁が抜かれる。血がどっと溢れる感覚に顔を歪め、無事な方の手で傷口を押さえた。……血の選定? 白?

 恐る恐る傷口を確かめる。真っ赤な血で汚れていると思っていたが──べったりと不快な感触に包まれた俺の手は、全体的に白く汚れていた。


「なっ……何だよこれ!」

「おめでとうございます。願いは速やかに叶えられるでしょう」


 顔を寄せてくるシスター。無意識に後退っても尚、奴は近付いてくる。


「もしも血が黒かった場合、通行料兼迷惑料を頂くことになっていました」

「……っ」


 両手首を力強く掴まれ、傷口の痛みが余計に増した。俺の口から苦悶の声が溢れ、それに合わせてシスターは告げる。


「──どうか、健やかなる生を。可能な限り遠き死を」


◆◆◆


 目を覚ました俺は玄関の壁にもたれていた。手には何の違和感もなく、傷口も見当たらない。

 夢、だったのか?

 傷口があった所を凝視していると、スマホの着信音が耳に届く。確かリビングに置いてあったはずだと急いで向かい、手に取ると、画面には『母』とあった。

 昨日、朝イチで妹のいる病院に行くと言っていたが……妹に何かあったのか。すぐに電話に出ると、何やら早口に母は捲し立ててくる。

 もっとゆっくり話せと何度も言って、どうにか分かったのは──急に妹が歩けるようになったとのこと。


『とにかく来てちょうだい!』


 ああ……夢じゃなかった。

 何もかも本当だったんだ。

 スマホを放り、上着も着ずに飛び出す。鍵の掛け忘れに気付いたのは、病院に着いてから。


 そんなことよりも妹だと、俺は病室へ急いだ。

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