第51話

 この街の崩壊を阻止した翌日、オレは普段通りに営業をこなしていた。


 時間はランチタイムを終えたくらい。カウンターにはイツメンと言うべき女の子が三人いる。昨日の事についてキャイキャイと話をしていた。


 そんな時だった。


「おっすー。」


 数年前から変わらない軽い挨拶をして来店したのは大久保。


「あれ?まだ出張に行ってなかったんだ。」


 大久保の顔を見た瞬間に驚いた・・・って言う演技をしてみる。


「なんだその嘘くさい演技は。大根臭すぎる。出張にはもう行ってきた。今回は三日だけだったし。」


 大久保はいつも使っている場所に超絶美人が座っているのを見て、タウンターの反対側に座った。


 エリが大久保にメニューを手渡す。ランチは終わっているのでカフェタイム用のメニューだ。見た大久保は例に漏れず大いに悩んでいた。内容は何も変えてはいないのだけど、どうしてこうも毎回悩む事ができるのか理解できない。


 大久保の注文がないまま、この時間にしては珍しく数組のお客さんが来店した。


 それぞれの配席はエリが行い、オレはキッチン内からできる限りの手伝いをする。テキパキと接客をしているエリの動きは仕事のできる女のそれ。お客さんと会話をしながらではあったけれど、十数分もすると全てのお客さんの注文を聞いてそれらを書き込んだ伝票を持ってきた。


「はい、これで全部です。読みませんけど、よろしくおねがいします。」


 エリに了承する意の言葉を送り、伝票に記載された注文内容の集計に入った。未だに悩んでいる大久保を横目で見ながら。


 注文内容の集計と作業の段取り、そして、調理。これらを全て終わらせるまでに二十数分。エリにはドリンク類をお願いしていたが、そちらの提供も終えたと報告があった。


「後はデザートの注文があるかどうかだな。」


 使用した厨房器具を洗いながら言う。すると、エリはこちらを見て微笑んだ。


「たぶん、ティラミスを食べますよ。」


 何を思っての言葉なのか分からないけれど、エリがこんな顔をして言った推測はいつも的中する。ティラミスを食べるにしても、何処のテーブルのお客さんが注文するのだろうか。そこまで言ってくれると準備もしやすいのだけれど。


「おっし、決まった。」「タムさん。」


 大久保が声を上げた。それと同時に冬木真冬が手を上げた。どちらの対応を先にするべきか。そんな事を迷う程経験がない訳ではない。大久保に掌を向けて、少し待ってて、そんな意のジェスチャーを送った。とりあえず冬木真冬の対応を優先させることにした。


「カフェ・ラテの追加をお願いします。」


 大久保が待っている事を理解している冬木真冬が簡潔な言葉で注文を済ませた。その言葉に呼応するように小春が小さく手を上げる。


「私にも冬木さんと同じものをお願いします。」


 梨夏は自分が乗り遅れたと思ったのか、焦った様子で大きく手を挙げて注文した。


「私、ティラミス。」


 エリの憶測は梨夏にも対応しているのだろうか。お前が注文するのかよ、そんな言葉が頭によぎる。うっかり口から出そうだった。けれど、腹の底まで飲み込んだ。


 オレの動きに合わせてエリが近くに伝票を置いてくれ、それに三人の追加注文を書き込んだ。大久保の注文を聞こうと思ったけれど、すでにエリが聞いて伝票に書き込んでいた。


 三人の追加と大久保の注文なんてあっという間に提供し終え、手持ち無沙汰になりそうな時間が訪れた。


「仕込み始めちゃうから、しばらくお願いね。」


 エリにそう告げて仕込みを始める。エリはコーヒーを入れる練習をしながら首肯していた。


 大久保が食事を終えた。それまでに、追加で注文が数個。エリが言った通りにティラミス。それも全テーブルから。その度に仕込みの手を止める羽目になり、捗らない仕込みに多少のストレスを感じた。


「それじゃ会計を・・・。」


 大久保が言った時だった。強く叩く音が店内に響く。


 音の出どころは客席から。店の中にいた全員が入口に一番近い席を見た。そこで食事をしていたのは若いカップル。チャラいって言葉が的確な表現の二人だった。


 布の面積が少ない服装で彼女が金髪ショートの髪を振り乱し、泣きながら店の外に出ていってしまった。残されたのは頬を叩かれた色黒の男。ただ、その男は入店時とはだいぶ印象が変わっている。


 髪が床に落ちている。明るい茶色の髪が。


 店内BGMが曲の継ぎ目に差し掛かり、一瞬だけ静寂が支配する。すぐにジャズ調の曲が始まった。凍りつく人達を尻目に大久保が立ち上がる。そして、レジへ向かって歩き出した。彼の行く先には床に落ちている茶色い髪の毛。


 大久保は徐ろにその髪の毛を拾い上げると、丁寧に男の頭の上に乗せた。


「ここに置いておく。」


 手にした千円札二枚をヒラヒラと動かしながら告げた大久保。そのお金をキャッシュトレーに置いて店から出ていった。


 髪の毛が戻ってきた男は呆然としつつコーヒーカップと口に運んだ。エリがレジへ行き、大久保の支払いをレジの中へ入れた。時が動き出すように会話が始まる。


 オレから大久保に言いたい事が一つある。男性の頭の上に乗せた髪の毛、前と後ろ逆だぜ。

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料理人と異聞奇譚 田子錬二 @tamukai

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