第6話


「好きだ」

「え」

 多井中から帰ってきたとメッセージが来て、俺はすぐ5階に上がり、多井中の部屋に入ってそのまま告白した。

 ポカンとする多井中の後ろで、テレビの横にあったペン立てが倒れて床に散らばった。

「わっ?! え? あれ?」

 多井中は振り返り、突然倒れたペン立てを見て、「風かな?」と窓が閉まってるのを目視して、首を傾げながらまた俺を見た。

 後ろでテレビの裏から顔を出した女が、俺を呆れた目で見ている。俺は無視した。


「あんたのことが好きになった。付き合って」

 もう一度きっぱり告白する。

 ぱちぱちと瞬きを繰り返す多井中は、突然ハッとして青ざめ、「な、これまた幽霊の?!」

 慌てて部屋をきょろきょろと見渡した。

 女はテレビの裏に隠れた。

「違うよ。俺だよ」

「え、でも今朝もちょっと変だったし……」

 おい、気付いてたのかよ。それでも置いて行ったのはちょっとひどいと思うぞ。

 俺は、はーっと息を吐いて、今に至った事情を話すことにした。


「今朝あんたが帰ったあと、またあの女の幽霊が出てきて話したんだ」

「ええ?! 大丈夫だった?!」

 多井中が目を丸くして俺の身体をまじまじと見た。

 俺は頷いた。

「俺が影響されてるんじゃなくて、俺にあの女が影響されてるんだってさ」

「えと、それはどういう?」

「あいつは俺があんたを好きって気持ちに影響されてるんだって」

 多井中はちょっと考える間をとる。

「えっ?! あの幽霊も俺のことが好きなの?!」

 違うそうじゃない。

 ペンが一本弾けたように飛んでいった。

「わっ!」

 驚く多井中を俺は無視することにした。


「女に言われて色々人生を振り返ってみたら、自分がゲイだってはっきりわかったんだよ」

「え?!そうなんだ、そうか、うん。おめでとう」

 多井中の顔が驚いたり笑顔になったりでうるさいが、いきなりカミングアウトされているんだからさすがにしょうがない。

「自分じゃちっとも気が付かなかった。女の子と付き合っても上手くいかなくて、自分は人を愛したりできない人間なんだろうって。一生一人でやっていくんだって思ってたんだ」

 まるい目だった多井中が急に悲しそうな顔になる。

「那央って、孤立無援なの?」

「は?」

「んー多分だけど天涯孤独じゃない?」

 小さく女の声がした。

「あ、そうそれ。え?! だれ?!」

 多井中が全然見当違いな場所に向かって叫んだ。

「ああもうめんどくさいな、出てこいよ!」

 俺がキレると女がテレビの裏からぬっと立ち上がった。

「わっ!!」

 多井中が驚いて慌てて俺を守るように抱き抱えた。

 俺は多井中の抱擁が確かに自分を嬉しい気持ちにするのをしみじみと感じた。

 そんな俺の感情を受け取ったのか、女はフンと鼻を鳴らしてテレビの裏から出てくると、床のペンを蹴っ飛ばした。

「あのさあ、もうちょっといい雰囲気で告白しないと上手くいかないんじゃないの?」

 白く細い人差し指が俺を責める。

「うるさいんだよセフレ止まりだったくせに」

 俺を抱く多井中がギョッとしたように小さく揺れた。

「あっそういうひどいこと言っちゃう? また悲しみの底に落としてあげましょうか?」

 女の脅しにムッときて睨みつけた。

「上等だよ、先にワンパンで成仏させてやる」

「あらいい根性じゃないの」

「せっかく早く成仏させてやろうと思って告白してんのに文句付けてくんなよ!」

「はーやすぎて上手くいかないんじゃないのって言ってんの!」

「俺もこいつも男だぞ? まごまごしたって無理なもんは無理だろうが!」

「私があんたを瀕死にして脅せば上手くいくかも」

「ふざけんな! 道連れにするつもりだろうが!」

「しないわよ! あんたなんかと死出の旅するつもりないし!」

「あーあーあーちょっと待ってくださーい!」

 多井中が俺を抱えたまま大声を上げて俺たちのケンカを止めた。

「うるせえな!」

「うるさいわね!」

「まあまあそう言わずに。お二人、いつの間にか凄く仲良くなったんですね。全然いいんですけど。あの、もうちょっと本題を話してくれないと、置いて行かれてます俺」

 多井中はそっと俺から離れて女と俺の間に立つと、俺たちを見比べた。

「えーとそれで?」

 多井中が俺を見る。

「俺は天涯孤独じゃない」

「あ、よかった」

 次に女を見る。

「私はセフレだったわよ」

「それは残念です、はい。それで、えーと、好きっていうのは?」

 また俺を見た多井中に、俺は頷いた。

「さっきも言ったけど、誰と付きあっても上手くいかなかった。女の子とは。でもしょうがないかと思って生きてたんだよ、つい、今朝まで。そしたらこの女が俺はあんたに愛されたいんだって言ってきて、はあ?! って思ったけど、考えてみたら……初めて会った時からあんたのこと……好きだったかもって思ったんだよ」

 今更少し照れくさい気がしてくる。

 好きって言ってんのに、そこに至るまでの成り行きを話させるってちょっとひどくないか? いやまあ、この女が関わってるからしょうがないんだけど。

 もじもじする俺を女が鼻で笑った。俺は素早く睨みつけたが、女はぷいっと視線を逸らした。

「私は生きてる間ずっと彼に愛されてこなかったから、この人の愛されたい欲求にシンクロしちゃったの。それで愛を指摘できたってわけ」

「ははあ」

 多井中は大袈裟に頷いて見せたが、顔はあんまり理解できていなさそうだった。

「俺があんたに愛されれば、その感動をこの人も感じることができて、そしたら成仏できると思うってさ」

 まあ相手は多井中である必要はないんだろうけど、やっぱり好きは好きだから、ちょっとはなんとか上手くいかないかなとは思ってしまう。

「なのにあんな雑に好きとか言うから」

 女が腕を組んで俺を嫌な顔で見る。

「うるせえな! そっちはまごまごしてっからセフレだったんだろ!!」

「あーでましたちくちく言葉」

「なんだそれ」

「不快指数10000のちくちく言葉!」

「だるっ! 存在が不快指数無限値のくせに」

「誰がインフィニティよ!!!」

「はい! はい! そこまででーす!」

 舌打ちする俺たちの鋭利な眼差しをにっこりと受け入れた多井中は、「分かりました」と深く頷いた。

「分かったってなにが」

 多井中は俺の両手を握った。

「付き合いましょう、俺と」

 俺と女は揃って沈黙した。

「あれ?」

 多井中が首を傾げた。

「いや、なんかそー言うことじゃないんだよなあー」

「えっ」

「ほら雑に告白するからこうやって、じゃあ取り敢えず付き合ってみるだけ? いっちゃう? みたいな感じになるのよ!」

「いやいやいや! そんな事はないですよ! 好きです! 俺も! キスしたし!」

「口しか使えなかったって言ってたじゃん」

 目を細めた俺を多井中はぶんぶんと首を振って止めた。

「使えると思っても使わないことだってあります。俺は那央を助けるためなら齧ってでも止めたかった!」

「え、そう?」

 ちょっと嬉しい気持ちになる。

「でも男だよ?」

 女の言葉に多井中はちょっと難しい顔になった。

「まあ……そこは徐々に慣らしていくことにして」

「おっぱいないのよ?」

「おんなじもん付いてるぞ?」

「そこは……おいおい」

 女がハッと息を吐いてそっぽを向いた。

「私のセフレもそうやって言ってたわ。おいおいなって。それで色々先延ばしにして誤魔化されたのよねえ」

「いやいやいや、ちゃんと愛します! まあまあいける気がします!!」

 多井中は女に宣言して再び俺を抱き抱えた。まあまあて。でも愛しますにはギュッとなる。

「本当? まあまあいける?」

 チラッと見上げる。

「はい。一緒にいるとすごくしっくりくるし!」

 それはまあ俺もだ。

 腕の中でもぞもぞと動いて向かい合う。

「本当にいいの?」

 多井中はうんうんと頷いて、それからちょこっと視線を泳がせた。

「実を言うと、今朝那央に甘えられた時……ちょっとだけしたくなった」

「え? したくなったって何を?」

「アレを」

「アレ」

 アレとは、セックスのことでいいんだろうか。なんか全然違うことを言われそうな気もするから聞かないでおこう。

「本当だな?」

 多井中はまたうんうんと頷いた。

「だから! まあまあ行ける気がするんで! とりあえず付き合ってみよう!」

 まあまあとか、とりあえずとか地雷ワードがくっ付いているが気にならなかった。顔がにまにましてしまう。

「分かった」

 頷きあって、ちょっと照れ臭い。

 交際の始まりにこんなにわくわくするのは初めてだ。

 これが俺の本当の意味での初恋。

 

 おずおずと両腕を多井中の首に絡めてキスを期待する。

 多井中も察したのかそっと顔を寄せてきた。

 目を瞑って唇を合わせると、初めての感動があった。

 ぱっと花が咲いたような、見上げた空に虹を見つけたような、特別な瞬間を捉えた時のときめきだ。

 はあはあなるほど、これが好きな人とのキスか。

 唇を吸われて自分からも吸い返すと、胸の中がどんどんうきうきしてくる。

 抱き寄せられる身体がぴったりとくっついて、キスを繰り返すたびにしっくりと馴染んでいく。

 多井中はキスも上手かった。俺は少しそれに腹が立った。

 ちょっと背伸びをしなくちゃいけないのもムカつくし、大きい手が後頭部を包み込むのが気持ちいいのも解せない。甘い舌が絡むたび、きっと色んな人と経験があるんだろうなーとか思って少し切ない。

 胸の中がもやもやーっとしてきたところで、でも今は自分だけのものなんだと思うと、特別な気持ちが全てのもやもやと吹っ飛ばして身体中に染み渡った。


 すぐそこで女の啜り泣くのが聞こえた。

 泣きたくもなるだろう。今生の終わりに男同士のキスを見せられてるんだから。俺だって泣くと思う。

 それとも少しは愛を感じられただろうか? 俺の身体に溢れてる幸福感を少しは分けてあげられているだろうか。

 霊的なものは分からないが、お互いの欲が混ざり合って一つになっているのは分かった。これが混ざり合うということだろう。多分。

 舌を吸われながら俺は女へ手を伸ばした。

 女は自分から俺の手に触れた。いや、触れようとした先から消えてなくなっていく。

 女の魂の終わりを見つめながら、来世はもっと幸せになれよと心の中で伝えると、消える間際、女の唇がちょっと笑ったように見えた。気のせいかな。



「行っちゃったよ」

 言った俺の唇を多井中はまた塞いだ。

「もう成仏したってば」

「引き返してくるかもしれないから念のためもう少し」

「んだそれ」

 俺は笑って舌を受け入れた。

 濡れた音が耳にくすぐったい。

「なあ、ずっと見上げるの首が痛い」

「そうなの?」

 多井中は惚けた顔をしてから俺を抱き上げ、ソファと迷って寝室に運んだ。

 多井中の匂いのするベッドに寝かされて上に乗られると、また心臓がドキドキし始めた。

「ベッドでキスとか、セックスが始まりそうなんだけど?」

「そうかもね」

 簡単に言う多井中にギョッとして、またキスを始めようとした顔を両手で挟んで阻止した。

「するの? ってかできんのかよ」

「女の子とはしたことある」

「男と女じゃ違うだろ!」

 入れるところが!

 多井中は視線をぐるっとさせて、もう一度俺を見ると頷いた。

「だから、それを女の子としたことがあるって意味」

「なっ!」

 なんなんだよこの男は!!!

「なんでそんなエロいことしてんの?!」

「向こうがしてみたいって言うから」

 ジタバタしたい気持ちと、むかむかする気持ちが湧いてくる。でもこのとぼけていて読めないところが好きでもある。

「あっそう!!!」

「那央はしてみたいの?」

「はっ?!」

「あ、できたら俺のことも名前で呼んでくれる? 最中に苗字で呼ばれるのは、まあそれもちょっと可愛いかもしれないけど」

 考えるように視線を浮かせた多井中に、「想像すんな!」と慌てて止めた。

「じゃあ呼んで?」

「幸助……さん」

 多井中は噴き出した。

「苗字は呼び捨てなのになんで?」

「照れるから!」

「那央って面白いね」

 クスクス笑われながらまたキスが始まる。もう腹は立たなかった。

 心の中で「幸助さん」と練習しながら、キスでこんなに満ち足りているのに、セックスしたらどんなことになっちゃうんだろうなと考えた。







 滅多に鳴ることのない事務所の電話が鳴った。

 事務所も何もない。住宅に専用の電話がひとつ引いてあるだけだ。

「はい、三熊除霊事務所です」

「あの! この間お世話になった厚木です!」

「ああどうも。無事除霊できましたか?」

 思い出すまでもない。久しぶりのお客様だったし、あれ以来電話も鳴っていない。

 切羽詰まったような厚木さんの後ろで誰かがけらけらと笑っている。楽しそうで羨ましい。

「幸助さんうるさい! はい! 無事できました!」

 こうすけ、友人でも来てるのだろうか。

「それはようございました。それで? また別のご相談ですか?」

 時刻は夜の7時になろうとしている。7時からは夜間料金だ。

「相談って言うか! あの、幽霊の話じゃないんです」

「はあ」

 急にわからなくなってしまった。

「なんていうか、その……」

「はい?」

「俺が、光っちゃうんです」

「は?」

 電話の向こうで厚木さんがじれったそうな声を出す。その後ろで笑い声は少し大きくなった。

「俺には見えないんですけど! 幸助さんが、いやあの多井中が! 俺が光ってるって言って大笑いしてて」

 後ろで笑っているのは多井中さんだったのか。

「今光ってるんですか?」

「いえ今は光ってないんです。多分……」

「いつ、どんな時に発光なさるんです?」

「え?! どんな時って……」

 厚木さんは口ごもってしまった。どうしたんだろう。

「それをうかがいませんとなんとも」

「……す」

「は?」

「セックス! の最中に! です!」

「はーなるほど」

 相性がいいとは分かっていたけど、まさかそういう方向に向かうとは。興味深い。

「身体の内側から、なんかその、ほわーっとランプシェードみたいに光るらしくて! どうしたらいいんですか?!」

 ランプシェードのように光る厚木さん。

 盛り上がってる最中に相手がそんなことになったら、確かに腹を抱えて笑ってしまうかもしれない。

「厚木さんは興奮で霊力が増幅するタイプなんでございましょうね。多井中さんは見えるお方ですから、視覚的に捉えられるんでしょう」

「どうすればいいんですか?!」

 厚木さんはほとんどベソをかいているようだ。失礼ながら可愛らしい。

「目に見えるほどの霊波ですか、大変興味深い」

「は?」

「一度目の前で見せていただいても?」

「できるわけないでしょ!!! 怒りますよ!!!」

「残念。そしてその問題に関しましても、残念ながら手立てはありません」

「ええ?!」

 絶望的な声が耳に響いた。

「目立たないよう明るい場所でされては?」

「恥ずかしいでしょ!!!」

「暗いところでだって、ご自身が光ってるんだったら変わりないのでは?」

「俺には見えないの! そうじゃなくて向こうが笑っちゃうから!!!」

「目を隠してもらうとか?」

「目隠しプレイが通常とか嫌だよ!」

「なかなかわがままでございますね」

「何かないんですか?!」

 興奮しているんだろうか、電話越しにも悲痛な波動を感じる。

「何かといわれましても」

「霊力が弱くなる薬とか! 見えなくなるメガネとか!」

「需要がなさすぎて誰も作りませんよそんなもの」

「あーもう!!!」

 電話越しにも頭を抱えているのが目に浮かぶ。

 強い霊力があるのに、勿体無い。

「ああ、いっそ除霊事務所を立ち上げては?」

「え?!」

「霊現象のある場所でおふたりで致せば厚木さんの力で霊が一掃されるかも」

「もういいです!!!」

 切られてしまった。結構いい案だと思ったのに。

 どうなるか気になるから一週間後に連絡を入れてみよう。今の相談料も請求しなくては。

 手帳に二人の名前を書き込んで、お祝いにハートで囲んであげた。

 二人が一緒になるなら、きっとまた面白いことが起こるに違いない。

「むふっ」

 おっと声が漏れてしまった。

「お幸せに」



―おしまい―

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幽霊喜談 石川獣 @IshiKemo

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