エピソードXX 銃

 紀元前10世紀ごろ、大陸から伝わった稲作によりわが国は食糧生産を開始し、人々は農耕という仕事に従事し始めたと言われている。仕事という意味では、それより以前の狩猟採集時代における狩りや住居の建築、子どもを育てるといった作業も仕事といえば仕事であったろう。そして現代においてはベルトコンベアを流れる箱を見続けたりギターを爪弾きながら歌を歌ったり、人々の仕事は数えきれないほど多岐に渡っている。ただ、原始時代における食糧の確保や安全な住処の作成、弥生時代の長期的計画を持って行われる稲作、今の我々の時代における種々雑多ななりわい達。時代を下るにしたがって仕事というものが人間の生存から直接的でないものや距離を置くものが増えてきて、その距離もどんどん離れているように感じられるのは私だけであろうか。

 時に2XXX年。地球からはるか離れた宇宙空間で、誇張抜きに地球一高性能な宇宙船「ホープ」に搭乗しながら、全人類の期待をたった一人で背負った宇宙戦士であるところの山本やまもはゴミ拾いの仕事をしていた。

 宇宙船ホープの燃料や交換部品、やまもの食糧等の補給に関しては地球から輸送することが可能ではあった。だが、現状地球の資源も余裕がある状態ではなかった。なので、使える物に関しては可能な限り宇宙空間でホープ自身による回収が要求されていた。鉱物やガス、水といった資源の現地調達がやまもに課せられた仕事の一つとしてあった。

 ジャーグダーグ軍によって破壊された宇宙基地の跡地にて、やまもはこの資源回収の仕事に従事していた。無重力空間に漂う残骸の中から使えそうなものを探して、ロボットアームを操作して捕まえてはホープに備え付けられたコンテナに回収する。この作業は宝探しのようでなかなか楽しいとやまもには感じられた。

 やまもは仕事は嫌いだが、作業の中に楽しみを見出すことができる男であった。地球の任務でも、多摩の河原で拾った金属類を集めて山のように積み上げていく様子を見るとちょっと嬉しくなって一種の自己肯定感のようなものが生まれるということがしばしばあった。ただ、この作業が軍や支部長から強制されたものであるとやる気を失ったし、課せられたノルマが到達できずに偉い人から指導が入ると一気に仕事を辞めたいと思ってしまうのだった。一方で褒められると嬉しくなって次も頑張ろうって気になることもあるのだが、褒められる時に「隣の川崎支部より良い成績だった」等、よそと比べられると素直に喜べなくなってしまった。もちろんよそと比べて出来が悪いと叱られることは大嫌いだった。つまり、やまもは、どんな作業にもそれなりに楽しんで取り組むことができるが、そこに強制や強要、ノルマや締め切りが発生することを極端に嫌っていたし、また、それが他人との競争であることや比較されるものであることも好まないのであった。しかもそれでいて、楽して沢山褒められたいという欲も持っていた。やまもは面倒くさい男であった。働き者ではあるが仕事人としては向いていない性格であった。

 このような性格のやまもにとって、今やっている資源集めは好ましいものであった。どれだけの量の資源を集めなければならないという義務も無く、止めたい時にいつでもお終いにしてよい。比較される相手も存在せず、誰にも評価されることもない。やまもは気持ち良く資源を回収する仕事をしていた。

 フヨフヨと漂う分厚い鉄板。宇宙ステーションの壁面だったものであろうか、を捕まえ、やまもはロボットアームに持たせた大きなとんかちでトンテンカンテンと平らにならしていく。ちなみに宇宙空間は真空なんだからトンテンカンテンなんて音が聞こえるわけないだろう、なんて言ってはいけない。長い長い無音の空間での旅はやまもの神経にストレスを与えていた。そして、そのストレスから逃れるためにやまもは無意識に視覚情報にふさわしい音を脳内で自動的に再生する能力を獲得したのだ。硬い金属同士がぶつかる様を目にすればゴツンと音が聞こえるし、飛び散る火花が目に入るとバチバチという音が自然と聞こえるようになっていたのだ。今ややまもの耳には、宇宙船から見えない位置で発生する物体が生ずる空気の振動も音として認識が可能なのだ、とまでは流石にいかないが。

 いい感じに平らかな長方形になった鉄の板を、今度はコンテナに積み込みやすい大きさになるように畳む。ロボットアームから出るレーザーを使って鉄板の上辺と底辺の真ん中を結ぶ線で折り目をつける。折り目のついた鉄板の底辺の右側と左側をロボットアームでつかみ、折りたたむことでほんの少しだけ厚みのある正方形を作る。

 鉄板の硬質な印象、軽くつけられた折り目からパタンと折りたたむ様子から、やまもは遠い過去の記憶を呼び覚まされていた。

 高温に熱された鉄板の上で熱されているのはえびせんべいと呼ばれる廉価な駄菓子。大きさは子どもの顔くらいの大きさの薄いピンクをしたパリパリとした触感のお煎餅である。えびせんべいが鉄板の上に放り出されるとすぐにその隣に卵が落とされ、目玉焼きが焼かれ始める。もともと焼きあがっているえびせんべいを鉄板で焼く必要はないので、えびせんべいが鉄板に熱せられている理由は単に目玉焼きを作っている最中に置いておく場所がないからだと想像された。目玉焼きの黄身が程よく固まった頃を見計らって金属のコテで玉子は掬い取られてえびせんべいの上に乗せられ、そこに手早くソースとマヨネーズがかけられる。そして、慣れた手つきでコテでコツンとえびせんべいの中心が叩かれると煎餅の真ん中から生じたヒビを生じ、まっすぐな直線となることで煎餅を二つに、綺麗に同じ大きさに割ることができるようになる。二つに割れた煎餅を両手に持った二つのコテが器用に折りたたむ。子どもが片手で持つのにちょうどよい大きさになった玉子を挟んだせんべい、これは「たません」と呼ばれていた。「たまごせんべい」の略だ。出来あがったたませんは竹の皮に包まれて手渡される。ほかほかと温かく、口に含むとえびせんべいのパリパリ感と目玉焼きの柔らかい触感、ソースの甘じょっぱい味が感じられる。

 たませんは駄菓子屋で、鉄板で調理されて提供されていた料理だ。

 小学校低学年の頃から、やまもは友達と遊ぶ際にお金を使って買い物をするようになった。やまもの住む自宅から小学校への通学路に位置する駄菓子屋「しし屋」。お買い物は主にここで行われた。店主は子ども達から「しし屋のばばぁ」と呼ばれる老齢の婦人であった。腰が大きく曲がっており、客である子どもが店に入ってもいらっしゃいませとも言わない、少し不気味な印象を与える婆さんであった。あまり喋っている姿は思い出せず、思い出せる言葉を発している姿といえば、おつりを渡す時だけ「はい、〇〇円のおつり」と言いながら皺くちゃな手で数枚の10円玉を渡された時のものくらいである。ちなみに言っておくと、この「ばばぁ」という呼び方に当時のやまも達は悪い意味を含めておらず、単純に年を取った婆さんだから「ばばぁ」と呼んでいたというくらいの認識でいたことを断っておく。

 この頃、やまもの家庭では月のお小遣いを貰うという制度はなく、友達と遊ぶと言うとその都度母親が100円玉を一枚くれていた。その為、一度のお買い物で駄菓子屋で買えるものは必然的に限られてくる。棒状のスナック菓子、一口大のチョコレート、つまようじで食べる砂糖菓子や小さなカップに入ったヨーグルト状のもの。だいたい一つ10円で買えたのだが、100円で何をどのくらい買うのかにやまもはいつも頭を悩ませていた。いつか大人になったら、金額の制約なく買いたいお菓子を好きなだけ買いたい。これが当時のやまもの夢であった。

 先に紹介させていただいた「たません」であるが、これは一つ50円であった。一回の遊びで使える金額の半分を消費する代物ゆえ、やまもにとって購入は憚られるものであったが、他の友だちに「今日たませんにしない?」と誘われると断ることはできなかった。それに実際、鉄板の上で調理する工程が見られるたませんには特別感があったし、温かくて甘じょっぱい食べ物の魅力は当時の子どもにとって抗い難いものがあった。そんなものを他の子達が頬張る様を、自分だけが見ていることには耐えられない。

 たませんには通常のものとチーズをトッピングした「チーズたません」の二種類が存在したが、ちーずたませんは70円もしたため、買う子は滅多にいなかった。月に1000円の小遣いを貰っている友だちがたまに買っているくらいであった。だいたいチーズたませんを買ってしまうような子は月末になると金欠に陥ってしまい、そんな場合はやまものように小遣い制以外で駄菓子を買える子から買ったお菓子を分けてもらっていた。そして、翌月になるとまた計画性もなくチーズたませんを買うのだが、そんな時は先月のお返しということでチーズたませんを皆で回して一口ずつ齧って食べていた。

 やまもがしし屋で一番よく買っていたのは、オレンジ味とコーラ味の二種類ある小さなガムであった。これは一番好きなお菓子だったからという訳ではない。このガムには包み紙を開けると向こうが透けて見えるくらいの薄い細長い紙がガムに巻きつけてあり、そこには三本の縦線からなる、あみだ籤が描かれているのであった。通常のあみだ籤と違い、三つの縦線の一番上、その一つに印が打ってあってすでにスタートが定められている。そのスタート地点からあみだを辿って行って、ゴール地点に当たりの二重丸が描いてあれば当たりでラッキー、そのガムがもう一つ無料、ただで貰えることになっている。100円しか使うことの許されていないやまもにとって、追加でガムがもう一つ貰えることのお得感は嬉しかった。

 やまもは一度、このガムの当たり紙を友だちから貰ったことがある。その友だちはトモノ君といい、トモノ君の家は月のお小遣い制であった。トモノ君は月末の金欠の際にやまもからお菓子を貰ったお礼としてこの当たり紙をやまもに譲ってくれたのだ。たまたま当たったガムのただ券を正規にお金を払って買ったお菓子のお礼と渡すなんてケチくさいなと漠然と感じながらも、やまもは後日その当たり紙を握りしめて一人でしし屋に行った。やまもがしし屋のばばぁの机の上に当たり紙を置くと、老婆はぶつぶつ何か言っている。どうやらガムを買った本人でないと当たり紙の交換は許さない、そんな事を言っているようであった。そのことに対して文句を言う度胸も語彙力もないやまもは、大人しく店を後にした。そして、自分が持っていても仕方のない当たり紙をトモノ君に返そうと思い、彼の家に行った。呼び鈴をならすとトモノ君は遊びに出ていて家にいない、とトモノ君の母親に知らされた。ドアが閉められた後、やまもはどうしたらよいか分からず、とりあえず当たり紙をトモノ君の家のドアの前にそっと置いて帰った。

 しし屋は駄菓子の他にプラモデルや玩具も売っていた。その中でやまもが一番欲しかったものは、ばばぁの机の目の前に吊るされた銃の玩具であった。この銃は別売りの火薬を込めることで、引き金を引くと大きな音を発するものであった。別売りの火薬は小さく黄色い円形をしており、中心の円から等間隔に6本の線が伸び、その先端に1つずつ黒い小さな塊がついている。この黒いものが本物の火薬で、リボルバー式の銃に弾丸を装填する要領で銃本体に装着すると、引き金を引いた時に火薬が炸裂してご近所中に響き渡るほどの大音を響かせるとともに、まわりにほんのりと火薬の匂いが立ち込めるのだ。やまもはかつてトモノ君に一発撃たせてもらった時、非常に良い気持ちを味わった。しかし、この火薬銃はやまもが毎回貰っている100円では買えない物であった。

 やまもの家にも銃の玩具が一つあった。それはアニメの主人公が使っていたドイツ製の拳銃を模したものであり、やまもは兄と弟と交代で使って遊んでいた。しかしプラスチックでできたそれはいかにも安っぽかったし、弾丸も火薬を使ったものではなくBB弾を発射するものであった。引き金を引くとカチンと音がしてBB弾が発射されるが、その勢いは空き缶を倒すこともできないくらい弱々しいものであり、やまもはその銃で遊ぶ時はいつも、兄弟と楽しくやりながらも、どこか情けない気分を味わっていた。

 やまもはずっと火薬銃を求めていた。一度、従姉の家に泊まりに行った際には、なぜか従姉が火薬銃を持っているかもしれないという想像に捕らわれ、誰も見ていないと思われるタイミングで従姉のおもちゃ箱を勝手にあさり、気が付くとなぜか背後にいた従姉に「どろぼう小僧」と呼ばれてしまうという苦い思い出すら作ってしまった。

 今、大人になり、宇宙戦士となり、地球軍から支給された本物のレーザー拳銃を持っているやまもだが、実はまだあの頃の火薬銃が欲しいと思っている。今の自分がその気になれば、玩具の火薬銃と大量の火薬の弾丸を購入することは難しくないことは分かっている。引き金を引きまくって思いっきり炸裂音を響かせ渡らせたいという欲求をいつでも満たせることも分かっている。しかしなぜかやまもは、それを実行に移さない。なぜ自分がそれをやらないのか、何がそれをやることを止めているのか、やまもにはそれが分からない。

 やまもはホープの操縦桿を握り、拳銃の引き金を引くことをイメージしながら人差し指に力を込めてスイッチを押した。

 ピチュンという軽い音と共にホープの船体の前面に備え付けられた銃口から青で縁どられた白いビームが飛んでいき、暗闇に吸い込まれていった。


 それはやまもを情けない気分にさせた。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

やまもスペース らくだよだれ @rakudayodare

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

フォローしてこの作品の続きを読もう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ